第29話

「しっかりして、麗華――……麗華、起きて!」


「……セラ? ……どうして……」


 自身を呼ぶ声に反応した麗華は薄らと目を開けると、美しいセラの顔が出迎えてくれた。


 意識を取り戻したのを気づいたのか、ボンヤリとした麗華の視界の中にあるセラの表情は心から安堵していた。


「幸太郎君、麗華は無事です! 巴さんはどうですか?」


「こっちも大丈夫だよー」


 妙に間延びした緊張感のない七瀬幸太郎の声に麗華は苛立って、彼の声のする方へと視線を向けると、倒れている巴を優しく抱き起していた。


 意識が戻ったばかりでボンヤリしていた麗華の頭が徐々に覚醒して、セラに抱きかかえられていた麗華は勢いよく上体を起こし、すぐに加耶の姿を探した。


 周囲を見回して加耶を探すと――緑白色の強い光を放ち続けている無窮の勾玉の前で、全身に無窮の勾玉と同じような光を身に纏っている加耶が立っていた。


 加耶が無事であることに安堵する麗華だが、何か様子がおかしかった。


 加耶の目と表情が虚ろであり、全身から生気が感じられず、それに加えて、先程まで加耶の周囲に渦巻いていた暴力的な力の渦が、今は不自然なほどに静まり返っていたからだ。


 そして、静まり返っている力から麗華は何か温かいものを感じていた。


「どうやら、彼女は立ったまま気を失っているみたいなんだ」


「それなら……叩き起こしますわ」


「ま、待って!」


 セラの制止を聞かずに立ち上がり、輝石を武輝に変化させて加耶に飛びかかるが――


 飛びかかった瞬間、目に見えない重い塊がぶつかったような衝撃が全身に走って、麗華は勢いよく吹き飛んでしまい、吹き飛んだ麗華をセラが受け止めた。


 さっきまで静寂に包まれていた温かな力が、加耶に飛びかかってきた瞬間に牙を剥いて襲いかかってきたことに麗華は驚くと同時に、何か嫌な予感を感じていた。


「私も彼女を助けに向かおうと何度か試したけど、見えない力に阻まれて近づけまなかったんだ」


「それなら――加耶! 加耶! 起きなさい! 起きろと言っているのですわ! この自分勝手の大馬鹿寝坊助腹黒裏切り男装の大バカモノ!」


 声を張り上げて麗華は加耶に呼びかけるが、目は覚めなかった。


 しかし、麗華の声に反応して一瞬だけ加耶の指先がピクリと動いた。


「おそらく、あの子は無意識に力を制御しているのよ。この場を静寂に包んでいる力に、微かにあの子の力も感じられるわ」


 微かに反応した加耶を見て、幸太郎の肩を借りて麗華に近づいてきた巴がそう推察した。


 静かな力の中から感じられる温かさは、自分たちを守る加耶の力だと麗華は確信した。


「意識を失っても、加耶は私たちを無窮の勾玉から放たれる力から守ってくれているのよ」


「……そんな気遣いなんて無用ですわ! 無窮の勾玉から放たれる力を一人で制御しているということは、加耶にはかなり負担がかかっているということですわ! それに加えて、最初からあの子は命をかけて無窮の勾玉を破壊しようとしていたのですわ! 私たちを守るためなら、命なんて惜しみませんわ!」


 加耶のすべてを理解している麗華の表情は焦燥感で満ち溢れ、最悪な事態を想像して今にも泣きだしそうだった。


 感情が溢れ出しそうになるのを堪えて、再び麗華は加耶に向かって飛びかかる。


 今度は向かってくる目に見えない力の塊に向けて武輝を思いきり突き出した。


 初撃の力の塊は霧散させることができたが、矢継ぎ早に次々と力が襲いかかってくる。


 力の塊が全身に向かって次々と襲いかかって吹き飛ばされそうになるが、それを必死で堪えて麗華は一歩ずつ踏みしめて、加耶に向かった。


 バランスを崩して地面に突っ伏しても、麗華は吹き飛ばされず、床に爪を立てて這うようにして加耶に向かっていた。


 無様に床を這おうとも、美しく手入れされた爪が割れようとも麗華は気にすることなく、加耶に近づくが――彼女には届かなかった。


 加耶に近づけば近づくほど荒れ狂う力に耐え切れずに勢いよく吹き飛ぶ麗華の身体を、セラと巴の二人がかりで受け止めた。


 命を削ってまで自分たちを守ってくれている幼馴染に届かない苛立ちに、麗華は床を思いきり殴りつけた。


 もう少し――もう少しで届くのに、手が届かないもどかしさと無力感に、麗華の目には涙が滲んでいた。


 すぐに立ち上がって、再び加耶に飛びかかろうとする麗華だが――自身の道を阻むかのように、華奢な背中の持ち主である七瀬幸太郎が立った。


「よし、やってみよ!」


「役立たずは下がっていなさい! 邪魔ですわ!」


 八つ当たり気味の怒声を張り上げる麗華を無視して、一人気合を入れている幸太郎が加耶に向かう。


 すぐに吹き飛ばされると麗華たちは思っていたが――幸太郎の全身が光を纏った。


 襲いかかってくる力の塊に、光を纏った幸太郎は数秒耐えたが、すぐに吹き飛んだ。


 吹き飛ばされた幸太郎を慌ててセラが受け止める。


 すぐに吹き飛ばされるのは想定内だったが――光を纏った幸太郎に向かってきた無窮の勾玉から放たれた力の塊が、一瞬だけ弱くなったことに麗華と巴は驚いていた。


「……あ、あなた、今……い、今、何をしましたの?」


 光を纏った幸太郎を目の当たりにして、驚きのあまり麗華は声が震えてしまっていた。


 しかし、幸太郎は自分の身に何が起きたのか理解していない様子で首を傾げていた。


「幸太郎君なら、もしかしたら無窮の勾玉と彼女を何とかできるかもしれない」


「セラさん、まさか……七瀬君もあの子と同じなの?」


 すべてを知っているセラの言葉と、加耶と似たような雰囲気の光を身に纏った幸太郎を見て、勘の良い巴は幸太郎の持っている力を察することができた。


 対照的に、薄々幸太郎の持っている力のことを察していたが、常日頃から彼のことを落ちこぼれと見下している麗華はどうしても信じられなかった。


 ――七瀬幸太郎が、天宮加耶と同じく煌石を扱える資質を持っていることを。


「煌石を使えるって知ったのは一年前だし、煌石を使える力って自然消滅するからあてにならないかもしれないけど……――うん、やってみよう!」


 一人気合を入れている幸太郎の様子を見て、彼の持つ力に気づいてもまだ巴は不信感が拭えなかった。


「……セラさん、本当に七瀬君は煌石を扱える資質を持っているの?」


「間違いありません。幸太郎君のおかげで優輝が救われました。そして、それを間近で見た人の証言も聞きました……間違いなく、彼は煌石を扱える資質を持っています」


 セラの説明を聞いてもまだ不安が拭えなかったが、一瞬だけ幸太郎が無窮の勾玉を無力化したのを目の当たりにしたので、巴は「わかったわ」と信じることにする。


 そして、巴は幸太郎に縋るようでいて、申し訳なさそうな目を向けた。


「輝石の力をまともに扱えない君に危険なことを頼むのは酷だけど――お願い、七瀬君。君の力であの子を――私の友達を救って……お願いします……」


「もちろん、ドンと任せて」


 泣きそうな表情で懇願してくる巴に、危険なことになるかもしれないというのに何も考えていない様子で、ただ巴のために幸太郎は二つ返事で了承した。


 頼れなさそうな華奢な胸を張って任せろと無責任に言い放つ幸太郎を、不機嫌そうな表情の麗華は苛立ったように睨み、悔しそうに歯噛みしていた。


 自分が見下している相手にすべてを任せるのはプライドの高い麗華にとって癪だった。


 しかし、このままでは大切な友達が命を落とすかもしれなかった。


 こんな状況で自分では何もできない無力感に悔しさを感じるとともに、なりふり構っていられない状況で邪魔をする自分の高慢さに麗華は苛立っていた。


「鳳さん、僕大和君を助けたいんだけど、いい?」


 自分に許可を――いや、命令を求める幸太郎に、思わず麗華は苦笑を浮かべてしまう。


「バカ――一々私に聞かなくてもいいのですわ」


「でも、勝手な真似をすると鳳さん怒るから」


「こんな時に指示なんて必要ありませんわ」


「でも――こんな時でもいつも鳳さんは偉そうに命令するから」


「……あなたも、本当のバカですわ」


 何も考えていなさそうなボーっとしたしまりのない顔をしているので、プライドの高い自分を気遣ってくれているのかどうかはわからないが、それでも、麗華の心が軽くなった。


 ――いつだって七瀬幸太郎はバカだったし、自分に甘く、他人に甘かった。


 利用されていると知っても構わないと言ってのけるバカだし、手も足も出せない状況で一人だけ幸太郎はバカみたいに意地を張って諦めなかったし、怪我をした状況でもバカみたいに頑張っていたし、無茶をする行動にみんなから避難されてもバカみたいに構わず無茶をしたし、裏切られてもバカみたいに明るかったし、自分より圧倒的に強い相手と対峙してもバカみたい立ち向かっていたし、自分が何を言ってもバカみたいにすべてを聞いてくれたし、甘えさせてくれた――


 何も知らないバカな幸太郎に麗華は何度も利用して甘えさせてもらっていた。


 だから、今更だった――今更、セラの時と同様に幸太郎にも気遣いなんていらなかった。


「オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ! 殊勝な心がけですわね! いいでしょう、存分にあなたを利用してやりますわ!」


「鳳さんの笑い声が反響すると、すごくイラッてする」


 高らかに無駄にうるさい笑い声を麗華が上げたせいで、広い空間内に反響して幸太郎は迷惑そうな気持ちを隠すとなく耳を塞いだ。


「シャラップ! 今からする説明をあなたは黙って聞いて、私に従えばいいのですわ!」


 普段のように尊大な口調で幸太郎を見下しながら、麗華はそう言い捨てた。


「私はこの凡骨凡庸凡夫の彼を加耶の元へと運びますわ! その際に、襲いかかってくる目に見えない衝撃の処理はセラと巴お姉様に任せますわ! 目には見えない衝撃ですが、先程私が試してみたところ、容易に武輝でかき消すことができましたわ!」


 いつもの調子に戻った麗華の様子を見て、切羽詰まっている状況にもかかわらず、セラと巴の二人は思わず微笑んでしまった。


「それでは、七瀬幸太郎! 直立不動の姿勢のまま歯を食いしばりなさい」


「ドンと任せてって――……何をするの?」


「私の合図とともに、二人は彼に襲いかかる攻撃をすべて撃ち落としてください」


 取り敢えず麗華の言う通りの体勢になる幸太郎だったが――嫌な予感がした。


 説明がないまま、ニヤニヤとした意味深でサディスティックな笑みを浮かべた麗華は幸太郎の背後に回った――幸太郎の中で、嫌な予感がさらに膨張する。


「歯を食いしばりなさい! 行くわよ、必殺! 『エレガント・ストライク・ライトバージョン』!」


 幸太郎の背後に回った麗華は、ニヤニヤとした笑みを崩さないまま武輝に光を纏わせ、必殺技の名前を叫ぶと同時に軽く一歩を踏み込んで、だいぶ手加減した必殺の一撃を放つと同時に、幸太郎の背中に向けて光の衝撃波を放った――嫌な予感が的中する幸太郎。


 大きく手加減を加えながらも、今まで幸太郎に対して抱いていた鬱憤を晴らすかのように放たれた麗華の必殺の一撃に、幸太郎は加耶に向けて勢いよく吹き飛んだ。


 手加減をしているので、痛みがなかったのだけが幸いだったのかもしれない。




――――――――――




 目の前に広がる暗闇の空間で彼女はフワリと宙に浮いていた。


 漆黒の空間で自分だけがいることだけが知覚できるが、それ以外、何も見えなかったし、何も聞こえなかったし、何も感じることができなかった。


 ここはどこ?


 声を出そうとしても、声を発することができなかった。


 みんなはどこ――……みんな? というか、僕は誰だ?


 誰かを探そうとするが、その誰かが思い出せなかった。


 頭の中にあった記憶が欠落して、自分が何をしていたのかも、自分が誰かさえもわからなくなってしまっていた。


 ここがどこかもわからないし、何も見えないし、何も感じられないし、声も出せないし、何も思い出せなかった。


 怖い……怖いよ……

 寂しい……寂しいんだ……


 何もわからない状況に、寂寥感とともに恐怖も感じていた。


 戻りたい、帰りたいと願っても、どこに戻るべきなのかわからなかった。


 助けを求めようにも、悲鳴を上げようにも声が出せなかった。


 この場を逃げ出そうと宙に浮かんでいる彼女はもがくが、もがいてももがいても、暗闇が広がっている空間では自分がどこに向かっているのかさえもわからなかった。


 心の中では諦めが広がり、このまま闇に呑まれて朽ち果ててしまうかもしれないと思い、それもいいかもしれないと思ったが――


 嫌だ――嫌だ、このままなんて!

 僕は帰りたいんだ! みんながいる場所に!


 諦められない気持ちとともに、一瞬だけ記憶が蘇ってくる。


 蘇ってきたのは、気の強そうな顔をして偉そうにふんぞり返っている少女の記憶だった。


 少女の記憶が蘇ると同時に、彼女は帰りたいと願う気持ちが強くなる。


 出口を探すためにもがいて、もがいて、もがきまくる――


 たとえ出口が見つからなくても、それでも彼女はもがき続ける。


 そして――彼女の視界に、細く、頼りなさそうな誰かの手を見つけた。


 何かを手探りで探しているようなその手に向かって、大和はもがく。


 もがいて、もがいて、その手に近づき、彼女は強い力でその手を握った。


 その瞬間――一気に記憶が戻ってくる。


 すべての記憶を取り戻した彼女――天宮加耶は……


 僕は……麗華や巴さんたちの傍に帰りたいんだ!

 カッコつけて命を張ってみたけど、本当は生きたいんだ!

 無責任だって言われても構わない!


 麗華と巴の元へと戻りたいと――そして、何よりも、生きたいと加耶は叫んだ。

 

 すると――目の前に優しい光が迎えてくれて、加耶を包んだ。

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