第25話
薄暗い通路の先にあるのは、淡い緑白色に包まれた広々とした空間だった。
その空間の奥には大小多くのチューブと太い鎖につながれた、巨大な試験管のような強化ガラスでできた筒があった。
筒の中には空間を照らしている緑白色の光を放つ勾玉の形をした物体――煌石・無窮の勾玉が浮かび上がっていた。
巨大な試験管のような筒の中に浮かび上がって光を放つ無窮の勾玉は神々しくありつつも、機械や太い鎖で厳重に保管されているため、禍々しくも見えた。
そんな無窮の勾玉の前には両膝をついて祈るような姿勢でいる、巫女装束のような服を着た長い黒髪の少女――天宮加耶がいた。
そんな彼女の傍らにいるのは、億劫そうに武輝である巨大手裏剣を担いだ御使いと同じ白い服を着ている伊波大和だった。
大和を追って来た麗華と巴は、部屋に入って厳重に保管された無窮の勾玉が最初に目に入った。想像以上に巨大な煌石である無窮の勾玉を二人は驚いたように見上げていた。
厳重に保管されながらも、静電気のように肌にピリピリ伝わる無窮の勾玉から放たれる力の波動に、二人は圧倒されていた。
「驚いた? 結構大きいんだよね、無窮の勾玉って。ここまで運ぶの大変だったろうね」
軽い調子で放たれた大和の言葉に、無窮の勾玉に目を奪われていた巴と麗華は我に返って、無窮の勾玉の傍にいる大和と加耶に視線を向けた。
「さて、麗華……すぐに決着をつける前に、君や何も知らない巴さんのために、僕の涙ぐましい努力の成果を説明してもいいかな?」
「別に構いませんわ。その代わり説明は手短にすること、いいですわね?」
飽き飽きしながらも許可をしてくれた、無駄に話を長くする自分の性格をよくわかってくれている幼馴染に苦笑を浮かべて大和は「ありがとう」と感謝をした。
「草壁さんを陥れるのは大変だったよ。彼の大きなミスは無窮の勾玉の力に依存し過ぎていたことだ。それでも、草壁さんの計画には隙がなかった。だって、買っても負けても草壁さんが得をするようにできているんだからね」
余程草壁を陥れるのに苦労したのか、大和は仰々しく嘆息しながら説明した。
「少しでも味方が欲しかったから、村雨君に協力してもらったんだ。僕のことを信用していなかったけど、草壁さんが黒幕だってことを教えて、彼の計画を教えたら率先して協力してくれたよ。正直、村雨君のおかげで色々と捗ったんだ」
「本当に……本当に宗太君は無事なのね?」
「うん、相変わらず暑苦しい性格でピンピンしてるよ。僕を信じられないかもしれないけど、村雨君の件は信じても大丈夫。今は地上で、麗華の切り札で制輝軍と生徒との戦いを止める『鍵』の幸太郎君の応援に行ってるよ」
制輝軍本部地下で村雨が拘束されていた場所が爆破されて、村雨の生存が絶望視されていたが、それでも巴は生きていると信じていた。
しかし、信じていながらも確かに巴の中には諦めがあった。
だから、村雨の仇討ちをするつもりで、溢れ出しそうになる御使いへの怒りと安否不明の村雨への悲しみを抑えながら巴は父と協力して御使いを率いている天宮加耶や、天宮家のことを調べ続けていた。
大和から村雨が生きていると告げられて安心したい巴だったが、今回の事件で不可解な行動を取り続けている大和を完全に信用できなかった。
信じたくとも自分を信用していない巴の様子に、大和は「まあ、信じられないよね」と自虐気味に笑って話を続ける。
「草壁さんからは始末するように頼まれていたんだけど、村雨君を利用するために安否不明の状態にしたんだ。結果はみんなも知ってのとおり大成功。生きてるって気づかれないように村雨君には御使いが着ている服を着てもらって、人質に取られていた巴さんのお母さんを探してもらったり、深部の情報を持っている大道さんを逃がしてもらったりしたんだ」
軽快な調子で説明していると、大道の名前を出してから「あ、そうだ!」と、何かを思い出したように声を上げた。
「大悟さんはすごいよ。草壁さんが裏切者だって最初からわかってて、大道さんに協力を取り付けて御使いに潜入させていたんだ。それで、大道さんは深部の情報を麗華たちに伝えるために逃げたんだけど――できれば、誰にも気づかれないで逃げてほしかったかな? 始末を命じられた僕が大道さんを追い詰めることになったんだから。いつか大道さんに謝らなくちゃなぁ」
大道を傷つけてしまったことに大和は反省の欠片がまったくない様子でいたずらっぽく笑っていたが、それなりに罪悪感を覚えているようだった。
「後は――麗華はわかっていると思うけど、君にしかわからないヒントを出して、もしかしたら僕が御使いを裏切っているんじゃないかと思わせたんだ。今思えば、これが一番難しかったかもしれないなぁ。今回の騒動で麗華は人間不信気味になってるし、わかりやすすぎると麗華は顔に出るし、わかりにくくすると麗華はアンポンタンだから気づかないし」
「ぬぁんですってぇ!」
さりげなくバカにしてくる大和に怒声を張り上げる麗華を、やれやれと言わんばかりにため息を漏らして巴は落ち着かせた。
「それにしてもますますわからないわ。大和、君は誰の味方で何が目的なの?」
「僕はずっと麗華の味方で――姫の味方だよ。そして、姫の目的が僕の目的だよ」
「……麗華の味方なら、君と加耶さんは降伏しないの?」
「言っただろう? まだ姫は満足していないんだ」
今までの大和の行動を聞いて、ますます大和の目的がわからなくなる巴。そんな彼女のために大和は寂しそうな表情で加耶の気持ちを説明した。
答えを聞いた巴は大和の傍らにいる、両膝をついて無窮の勾玉に向けて祈っているような姿勢でいる天宮加耶に視線を移した。
ここに来てから何一つ言葉を発しない無責任な加耶に、巴は苛立ちを抱きはじめていた。
「加耶さん、君は麗華と大和は幼馴染なんでしょう? 君のために、大和は麗華と戦うつもりなのよ! それでもまだ引き下がらないの?」
感情的になって声を荒げる巴に、苦笑を浮かべた大和は首を横に振った。
「巴さん……姫は、自分の母親が目の前で息を引き取るのを見た時、僅かだけど鳳への復讐心が芽生えたんだ。それを草壁さんに上手く引き出されて利用されたんだ」
「加耶さんを利用した草壁さんはもう捕まったわ。もう、彼の計画は終わりよ」
「それでも、いつか必ず爆発するはずだった感情が長年の時を経てようやく爆発したんだ。それに、鳳に滅ぼされた天宮家当主の娘としての責任も、大勢の人を巻き込んでしまった責任もある。だから、たとえ草壁さんの計画が潰れても、一人になっても、もう止まれない」
加耶の気持ちを悲痛な表情で代弁している大和だったが、そんなことよりも巴は大和に聞きたいこと――ではなく、まだ聞いていないことがあった。
「それなら大和! 君はどう思っているの? 君自身は何をしたいの?」
加耶の味方を続ける大和の本心を巴は尋ねる。
加耶のためと言い続けている大和だが、まだ一言も大和の本心を聞いていなかった。
長年一緒にいた幼馴染と戦うことに、加耶を抜きにした大和の本音が巴は聞きたかった。
巴の質問に大和は何も答えずに、淡い緑白色の光を出し続ける無窮の勾玉を睨んだ。
無窮の勾玉を睨む大和の目は、先程の草壁の目と同様にどす黒い感情に塗れていたが、それ以上に悲しそうだった。
そんな大和の抱いている感情に同調するように、無窮の勾玉は禍々しく一瞬発光した。
そして、大和は武輝を振り上げ――
躊躇いなく自身の傍らにいた天宮加耶に振り下ろし、加耶の首は切断された。
突然の大和の凶行に驚く巴だが――自身の足下に転がる加耶の首を見た時、巴の表情はさらに驚愕に染まる。
転がっていたのは天宮加耶の――厳密に言えば、人間の首ではなかった。
適当な似顔絵が描かれた人形の首だったからだ。
「こ、これは一体、どういうこと? 彼女は一体どこにいるの?」
「僕の本当の目的は――無窮の勾玉を破壊することだ」
天宮加耶の正体が人形だということに驚いている巴の質問を無視して、大和は軽薄でありながらも重みを感じさせる声で自分の目的を説明した。
「ずっと……ずっと、昔からこんなのがなければいいって思ってた……こんなものがあるから、みんな不幸になるんだって思ってた――こんなものがあるから、母さんは……」
突然の事態に驚いている巴だったが、今まで感じたことのない雰囲気を放って無窮の勾玉を睨んでいる幼馴染に、巴は混乱の極みにいた。
「無理もないですわ。お姉様はずっと『大和』を見てきたのですから」
混乱している巴のフォローをする麗華だが、逆効果だった。
すべてを知っている麗華の言葉を受けて、巴はある考えが浮かんでしまったからだ。
もしも――もしも、伊波大和という人物が元々存在しなかったらと巴は考えてしまった。
まさか、とは思ったが――伊波大和という人間をずっと見てきた巴にはまだ信じられなかった。
「無窮の勾玉の破壊……それが、あなたの目的でしたのね」
「僕の目的はもう一つある――わかるだろう、麗華」
「ええ……約束を果たしましょう」
状況の整理がついていない巴を放って、麗華と大和は淡々と話を進める。
何があろうとも絶対に止める――昔の約束を頭に過らせて、麗華はブローチに埋め込まれた輝石を武輝であるレイピアに変化させた。
「お姉様、手出し無用ですわ」
一言巴に忠告してから、麗華は一歩前に出て幼馴染と対峙する。
「僕は――伊波大和としてじゃない――……」
大和は自分が着ていた白い服に手をかけ、そして勢いよく脱ぎ捨てる――
御使いと同じ白い服の下には、天宮加耶の人形が着ていた服と同じ、巫女装束にも似た服を大和は着ていた。
「僕は、天宮加耶として、君と戦う」
伊波大和――天宮加耶のその言葉と同時に、巴はすべてを納得せざる負えなくなった。
ずっと自分が見てきた伊波大和の正体が少年ではなく、少女だということに。
巴がすべてを理解するのと同時に、麗華は加耶に飛びかかる。
幼馴染同士、鳳と天宮同士――因縁の戦いがはじまった。
そんな二人を巴は止めることはできなかった。
止めようとしても、きっと二人は止まらない。
すべてを理解したばかりの自分では、長年秘密を共有して、様々なものを背負い込んでいた二人を容易に止めることはできないと思っていた。
見届けることしかできない自分の無力感に苛立つ巴だが――不思議と、不安はなかった。
二人の戦いはすぐに、それも、思いがけない結果で終わると確信――いや、信じていたからだ。
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