第16話
凍てつくような雨が降りしきる中、傘も差さずに麗華は自宅から出てきた。
麗華の表情は決意と熱気に満ち溢れており、雨の冷たさをまったく感じていないようだった。
外につながる重厚な鉄の門扉を開いた麗華は一旦立ち止まって、セントラルエリアの中央で教皇庁本部の隣にある、今回の騒動を招いた元凶である鳳グループ本社を睨むように見上げていた。
すぐに鳳グループ本社から目を離して麗華は迷いのない足取りで歩きはじめる。
麗華は全身から殺気にも似た威圧感を放っており、彼女の周りの空気が張り詰めていた。
たとえ、御使いに扇動されて、鳳グループへの身勝手な怒りを向ける輝石使いが現れても決して容赦はしないと、麗華は身に纏う空気で語っていた。
「どこに行くんですか?」
常人であるならば決して近づくことも話しかけることもしないであろう威圧感を放つ麗華に、屋敷の前で彼女が現れるのを待っていた一人の少女――セラが話しかけた。
しかし、セラに話しかけられても麗華は何も答えず、歩みを止めなかった。
「……一人で決着をつけるつもりですね」
迷いのない足取り、覚悟を決めた表情、有無を言わさぬ威圧感を身に纏っていることから、麗華が一人で御使いと決着をつけるつもりであることは容易にセラは想像できた。
「輝石の力が制限されている今の状況で、一人でどうにかなると思っているんですか?」
心配するようだが、挑発するようでもあったセラの言葉に麗華の歩みが止まった。
「……私はセラさんたちが御使いの正体を知る前から、御使いが御三家の人間であり、彼らの背後に天宮がいることに気づいていましたわ」
鳳グループ本社の建物を見上げながら、麗華はいっさいセラと視線を合わすことなく、重い口調で話をはじめた。
「そして、セラさんたち風紀委員がアカデミーのために活動している中、呑気にも私は大和と御使いの計画を止められるか否かのゲームをしていましたわ」
自嘲気味な笑みを浮かべながら話を続ける麗華を、セラは何も言わずに見つめていた。
「大和にゲームを持ち掛けられた時、私はどうにかできる自信がありましたわ。大和がゲームを持ち掛けてきた時は御使いが動く予兆ですので、それを頼りに私は御使いの計画を阻むために先を読んで様々な手を尽くしましたし、ワンサイドゲームでは面白くないと言った大和にハンデをもらい、七瀬さんをアカデミーに戻してもらいましたわ」
淡々とした口調で麗華は幸太郎がアカデミーに戻ってきた理由をセラに説明した。
幸太郎が戻ってきた裏に、御使いに協力している大和が関わっているということに、セラは驚くこともしないで、ただジッと麗華の次の言葉を待っていた。
「使い物にならないとわかっていても七瀬さんをアカデミーに戻したのは、セラさんたちも御存知の通り、落ちこぼれの七瀬さんが活躍すれば、制輝軍が掲げている徹底的な実力主義に感化されたアカデミーで落ちこぼれと呼ばれて差別されている輝石使いためになると思ったからですわ。まあ、結局今日にいたるまで七瀬さんは大して役に立てませんでしたが――と言っても、私も七瀬さんのことは言えませんわね」
呼び戻しておいて大した役に立っていなかった幸太郎よりも、何もできなかった自分自身に麗華は失望しており、力のない自嘲を浮かべていた。
「制輝軍とアンプリファイアによって乱れたアカデミーを安定させる役目を七瀬さんと風紀委員に任せて、私は天宮のことに集中する――当初はそう考えていましたわ。でも……無窮の勾玉の存在を知って、無窮の勾玉の欠片がアンプリファイアであると知った時、私は御使いの掌で踊らされていると気づきましたわ」
御使いの掌にずっと踊っていたことを、麗華は妙に晴々とした顔で説明した。
「徹底的な実力主義を掲げる制輝軍のせいで、実力のない輝石使いたちが排斥されている中、タイミングよくアンプリファイアが広まったのは確実に御使いの計画ですわ。今日という日のため、全生徒の恨みを鳳へと向けるために広めたのですわ。多くの人間の怒りを煽れば、自分たちが負けても鳳に致命的なダメージを与えられると思って。……結局、私は長い間鳳に恨みを抱いていた御使いたちの計画に敵いませんでしたわ」
長年の恨みが込められた御使いたちの計画の前に、麗華は敗北宣言をする。
「申し訳ありません、セラさん。あなたたち風紀委員を私と大和の戯れに、そして、鳳と天宮の復讐劇に付き合わせてしまって」
言いたいことを言い終えた麗華は晴々とした笑顔をセラに向けていたが、その笑みは空元気な笑みであり、普段のような覇気がなかった。
「しかし、これで終わる気はありませんわ。自分の取るべき責任はわかっています。最後くらいは私だけの力で責任をつけますわ」
セラに向けて、そして、自分に言い聞かせるように麗華は力強くそう宣言すると――
今まで黙っていたセラは小さく鼻で笑って、自己完結している麗華を冷たく睨んだ。
「懺悔の時間は終わりましたか?」
今更――今更、この人は何を言っているんだ。
幸太郎君には悪いけど……私は今の彼女の力を信用することができない。
心底うんざりした様子のセラは吐き捨てるようにそう言って、心の中で舌打ちをした。
幸太郎は麗華の力を頼りにしていたが、セラは違った。
今の――いや、今日の麗華の態度を見てそうは思えなかったからだ。
「責任を果たすために一人で立ち向かおうとするあなたの気概は称賛に値します。おそらく、今まで誰にも頼らずに御使いに立ち向かおうとしたのでしょう。素晴らしいです」
称賛に値すると口にしておきながら、セラは明らかに麗華をバカにしていた。
明らかに自分をバカにしているセラだが、プライドが高いのに麗華は何も反論することなく、黙って彼女の言葉を受け止めていた。
「でも――中途半端な覚悟のあなたに責任を果たすことも、お父様も救うこともできない」
今日一日の麗華の様子を見ていて、ずっとセラが感じていたことだった。
周囲の人間を信用しない覚悟を抱きながらも、中途半端に麗華は信用していた。
大勢の人間を巻き込みながらも、最後の最後で自分一人で決着をつけようとする麗華は、セラから見れば中途半端にしか見えなかった。
だから、そんな中途半端な麗華の力を信用できなかった。
「……私は中途半端ではありませんわ」
自身の覚悟を中途半端だと指摘され、今まで黙っていた麗華は抑えた声で反論する。
鋭い目で睨みながら麗華に反論されると、セラは再び小さく鼻で笑った。
「鳳グループ内に裏切者がまだいるかもしれない状況で周囲を信用しないと覚悟を決めているようだが、明らかに無理しているようにしか私には見えない」
今日の麗華の様子を見て、セラは思っていたことを包み隠さず告げた。
咄嗟に麗華は反論しようとするが、言葉が詰まってしまって反論ができなかった。
悔しそうな表情を浮かべながらも何も反論しない麗華に、深々と呆れたようなため息を一度漏らした後――憤然としたセラは麗華に詰め寄って、突然彼女の胸倉を掴んだ。
「しっかりしなさい、鳳麗華!」
麗華の目を覚まさせるような怒声を張り上げるセラの目は、麗華に対して失望しているようだったが、それ以上に期待しているようでもあり、懇願するようでもあった。
「今更あなたと私の間に気遣いなんて――いいえ、あなたが私を風紀委員に誘った時点で、気遣いなんてなかったはずだ!」
セラの言葉で、麗華は風紀委員を設立するためにセラと幸太郎を最初から存分に利用するつもりで仲間に引き入れたことを思い出した。
「あなたが私を利用するつもりで風紀委員に引き入れた時点で、あなたはもう私たちを戻れない場所まで巻き込んでいる。だから――」
麗華の胸倉を掴んでいるセラの手の力が強くなる。
「天宮や鳳の関係なんてどうだっていい、私たちのことも信じなくても良い――でも、私を風紀委員に入れた時のように気遣いなんてしないで私たちを利用するんだ! 巻き込んだのなら最後まで利用する気概を見せてみるんだ! 自分の目的を果たすために、私たちを利用してみるんだ! それが私の知る鳳麗華だ! だから――」
折れかけていた麗華の心に、捲し立てるように放たれたセラの言葉の一つ一つが染み渡り、刺激していた。
「だから……耳障りな高笑いをして、傲岸不遜ないつもの鳳さんを見せてください……」
最後に懇願するようにそう言って、セラは掴んでいた麗華の胸倉を放した。
セラから解放された麗華は俯いたままだったが――全身から生気が漲っていた。
陰鬱としていた雰囲気を一変させた麗華を、期待に満ちた目でセラは見つめていた。
俯いていた顔を麗華はゆっくり上げると――その表情は怒りに満ちていた。
その怒りは父を連れ去り、アカデミーを滅茶苦茶にしている御使いではなく、セラは自分自身に向けられていることに気づいた。
「……人が黙っていれば、随分と好き勝手に言ってくれましたわね……」
「あ、あの……叱咤激励のつもりで……と、取り敢えず、言い過ぎました、すみません」
「問答無用ですわ! よくも好き勝手に言ってくれましたわね!」
すぐにセラは麗華に謝罪をするが、問答無用だった。
「あなたには前々から言いたいことがたくさんあったのですわ! 周囲に自分を良く見せようと、必死で優等生ぶるあなたにはウンザリしていたのですわ」
「べ、別に私はそんなつもりでは……と、とにかく落ち着いてください」
「一歩を退いて丁寧な態度を取っていれば面倒事は避けられると思っているのでしょう? そうやって良い顔をしていれば、毎日毎日飽きもせずに周りのお友達から褒められると思っているのでしょう? 誰だって褒められるのは気分いいですもの」
「いい加減にしてください。しつこいですよ」
嫌味たっぷりな挑発をしつこく繰り返す麗華に、セラは苛立ちはじめていた。
そんなセラの苛立ちを察し、麗華はニンマリと勝ち誇ったような性悪な笑みを浮かべて、気分良さそうに「フフン」と鼻を鳴らしていた。
「私にはわかりますわ! あなたが実は他人から褒められるのが大好きで、少し打算的で自分の周囲にイエスマンばかりを集めていると!」
「……勝手なことを言わないでください」
勝手なことを言われ続けて、さすがにセラも不快感を露わにする。そんなセラをさらに煽るように気品溢れる美しい顔立ちを歪ませて性悪な顔になる麗華。
「ん~? 聞こえませんわねぇ……・これだけ言われても何も言い返さないと言うことは、心のどこかでそう思っているのはありませんの?」
「しつこいですね……だから友達がいないんでしょうね」
「ぬぁんですってぇ! もう怒りましたわ!」
ウンザリした様子のセラが吐き捨てるように呟いた一言に、麗華は怒声を上げる。
「あなたの完璧な優等生面には前から気に食わないと思っていたのですわ!」
「私からも言わせてもらいますが――すべてが自分の思い通りになると思っているわがままなお嬢様のあなたには何度も尻拭いをさせられたのでウンザリしていました」
「当たり障りのない態度で人と接して、優等生ぶっているつもりですが、結局あなたは人と深く付き合うことを避けて、人から嫌われたくないと思っている臆病者ですわ!」
「言わせておけば――……もう怒りました」
麗華の言葉に、ついに苛立ちの限界が訪れたセラは言い返してしまった。
お互いヒートアップして――そこからは、売り言葉に買い言葉の口喧嘩がはじまる。
「少しくらいきれいで、人気があるからと言って調子にならないでいただけます? 私の美しさに比べたらあなたなんて女性的魅力はまったくありませんわ!」
「耳障りで迷惑で鬱陶しい高笑いをするあなたこそ、まったく魅力はありませんから!」
「ぬぁんですってぇ! あなたの方こそ、周囲にふりまいている当たり障りのないヘラヘラした笑みは見ていて気持ち悪いのですわ!」
「大体、戦闘中に叫ぶあのセンスのない必殺技の名前は何ですか? バカみたいです」
「あれは私のポリシーですわ! それをバカにすることは許しませんわよ!」
「すみません。バカではなく間抜けと訂正します」
「全然変わっていませんわ! ムキーッ!」
「そういえば、鳳さん最近太りましたね」
「あ、あなたの方こそ! 去年と比べて制服がきつきなってきたように見えますわ!」
「こ、これは……す、少し、胸の辺りがきつくなってきただけです!」
「言い訳にしか聞こえませんわね!」
口喧嘩を延々と繰り返しているセラと麗華だったが、二人の表情は晴々としていた。
お互い言いたいことを言い終えると、麗華はビシッと音が出る勢いでセラを指差した。
「決めましたわ――セラ・ヴァイスハルト! あなたのような無礼な人は骨の髄までしゃぶって利用してやりますわ! だから――覚悟しなさい、セラ!」
「望むところです――麗華」
口喧嘩が一段落すると――さっきまで降っていた雨は若干小降りになっていた。
名前を呼ばれて尊大な態度で麗華はそう宣言すると――セラは一瞬間を置いて、どこか嬉しそうな表情で力強く頷いて、麗華の名前を呼んだ。
今までたまっていた鬱憤を吐き捨て、お互いの名前を呼び合い、セラは自分と麗華の間に会った隔たりがなくなったような気がした。
そして、普段の調子に戻って勝気で自信満々な表情を浮かべている麗華のことを、セラは信じることができた。
「それならばさっさと人を集めなさい! 御使いたちをボコボコにしますわよ!」
迷いのない、力強い言葉で麗華はそう宣言すると、セラは力強く頷いた。
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