第13話
目を開くと――埃が被って薄汚れたソファの上に寝かされていることに大道は気づいた。
起き上がろうとするが、自身の骨が軋む音が耳に嫌に響くと同時に、全身に痛みが走ってそれができなかった。
辛うじてまともに動く首を動かして、大道は自分が寝かされている場所を見回す。
身体の痛みと目覚めたばかりで朦朧とする頭の中で、自分がいるのは狭い部屋であること、室内には大小多くのものが積み重ねており全体的に埃っぽいこと、雨が降りしきる外の景色を映す窓があることで地上にいることに気づいた。そして、部屋の外からは焦げたようでいて香ばしい良いにおいが漂ってきており、大道の腹の音が小さく響き渡った。
なんとなく大道はこの場所がどこであるのか気づいて、安堵の息を漏らしていると――
「あらあら、かわいいお腹の音が聞こえたわよ。元気そうね、共慈ちゃん」
突然甘ったるい猫撫でボイスが響き、この場に自分以外の人物がいることに驚いた大道は飛び起きそうになるが、全身の骨と筋肉が悲鳴を上げて、小さな呻き声を上げた。
「ほらほら、無理しない。骨には異常はなかったけど、それでも結構の重傷なのよ」
「萌乃さん……お久しぶりです」
甘い声の主――長めの黒髪をリボンで結んでポニーテールにした、高身長で華奢な体型の白衣を着た美女――ではなく男性の萌乃薫が視界に入り、大道は見知った人物がいることに再び安堵の息を漏らす。
「それで……どうして――イーストエリアにあるステーキハウスに?」
この場所がイーストエリアの治安の悪い裏通り付近にあるステーキハウスだとわかっている大道を意外そうに萌乃は見つめていたが、すぐに得心したように頷いた。
「祥ちゃんの行きつけのお店だから、何度か行ったことがあるだろうからすぐに気づけるわよね。近くで倒れているところをお店のマスターが材料の買い出し中に見つけたの。後でちゃんとマスターにお礼を言いなさいよ。――それで? どうして共慈ちゃんはあんなところに倒れていたのかしら?」
萌乃の質問に大道は言葉を詰まらせる――ここに来るまでの記憶がなかったからだ。
最後に記憶にあるのが、あの場所から地上へ逃げようとしたが、脱出寸前というところで御使いに遭遇してしまい、立ち向かおうとするところまでだった。
無言のままの大道に、萌乃は彼が記憶の一部が欠けてしまっていることに気づいた。
「かなりの傷を負っていたから記憶が飛んでしまっているのは仕方がないわ。でも、運が良かったわよ。校医の私がいたから御使いの仲間としてお尋ね者にされているあなたを病院に連れて行く必要がなかったんだから」
「お尋ね者にされているのは、お互い様でしょう」
得意気にない胸を張っていた萌乃だったが、大道の一言で自分の状況を思い出した萌乃は苦笑を浮かべていた。
「それで、お尋ね者にされているあなたがどうしてここに?」
「克也さんが自分との連絡が途絶えたら隠れろって言っていたの。だから、克也さんの連絡が途絶えてすぐに祥ちゃんに匿ってもらうように頼んだの。すぐに祥ちゃんは私をここに案内して、マスターに無理を言ってお店に匿ってもらったの――まさか、数時間後には最重要容疑者になっていることには驚いたわ」
「おそらく、御使いはあなたや御柴さん親子を最初から利用するつもりだったのでしょう。全員が血眼であなたたちの行方を追う中で、御使いは自由に動けましたから」
「まったく、克也さんだけじゃなく、私も利用するなんて失礼しちゃうわ!」
大道はプリプリとかわいらしく怒っている萌乃を眺めていると――急に嫌な予感が頭に過り、「も、もしかして……」と、気まずそうな目を萌乃に向けた。
「刈谷を頼ったと言いましたが……刈谷は近くに?」
「ええ、いるわよ。マスターに無理を言って、私やあなたをお店に匿ってもらったから、祥ちゃんはそのお礼にマスターの手伝いをしているわよ」
刈谷が近くにいるということに、大道は憂鬱そうなため息を深々と漏らした。
喧嘩別れをした刈谷のことを気まずく思っている大道の気持ちを見透かしているように、萌乃はニタニタと楽しそうに笑っていると――「入るぞ」と不機嫌そうな声とともに、店の手伝いをしていたとは思えないほど派手なヒョウ柄のジャケットを着て、金に染めた髪をオールバックにした青年・刈谷祥が部屋に入ってきた。
声と同じく不機嫌な顔をしている刈谷は、傷だらけでソファの上で横になっている大道の姿を見下ろし、忌々しく大きく舌打ちをした。
「何か言うことは」
「……すまん」
謝罪の言葉以外、大道は友に言うべき言葉が何も見当たらなかった。
辛気臭い顔で謝ってくる友人を見て、大道は再び忌々しく舌打ちをした。
「説明しろよ」
短い言葉で問い詰める刈谷だが、嘘と言い訳は絶対に許さない威圧感を放っていた。
チャンスを与えてくれていると悟った大道は深々と頷き、説明をはじめる。
すべてのはじまりを大道は思い出す。
護衛もつけずに、一人で鳳大悟が秘密裏に自分に接触してきた日のことを。
「……私は鳳大悟に頼まれて、御使いに潜入していた」
「そんなこと、私はもちろん克也さんも聞いていなかったわ……まったく、大悟さんの秘密主義は相変わらずね」
淡々とした口調で大道が述べた事実に、萌乃は驚くよりも自分に何も説明をしてくれなかった大悟に呆れ、刈谷は鋭い目を大道に向けたまま何も反応しなかった。
「半年前――秘密裏に鳳大悟は私に接触して、アンプリファイアの正体、事件の裏で暗躍している御使いの存在、その御使いの正体が天宮から派生した『御三家』の人間であることを私に説明して、御使いの計画を止めるために協力を求められた」
「大悟さんに協力をすることに決めて、上手く共慈ちゃんは御使いに潜り込んだのね」
萌乃の言葉に、自虐気味な笑みを浮かべて大道は頷いた。
天宮の人間を裏切り、その結果多くの人間を不幸にした鳳の所業を知っていた大道は鳳に対してあまり良い印象を持っていなかった。
しかし、諸悪の根源である当時の鳳グループトップの鳳将嗣とは違い、鳳大悟からはアカデミーの生徒のことを本気で思っていると、大道は大悟と話して感じたため、彼に協力することにした。
それに加えて、御三家の人間として、同じ御三家の人間を止めなければならないという責任感も大道にはあった。
「上手く潜り込んだところまでは順調だったが――失敗した。有益な情報は何一つ得られず、彼らの計画を事前に潰せなかった」
「御使いには大和がいるんでしょう? 勘の鋭いあの子だからきっと最初から共慈ちゃんが大悟さんの送り込んだスパイだって気づいていたんでしょうね。気づいた上で、良いように利用して、共慈ちゃんを重要な情報には近づけないようにさせていたんでしょうね」
「そうだとしても、今回のような騒動が起きるまで何一つ重要なものを掴めなかった私は、役立たずだということだ」
萌乃の言う通りだが、今更はじめから利用されていたと言っても言い訳になると思った大道は本当のことを言えなかった。
「それに、幼い頃に昔話として聞かされていた無窮の勾玉が実在し、その欠片がアンプリファイアであることに気づいていながらも、御使いに潜入していた私は不用意に周囲に真実を話すことができなかった。アカデミーを混乱する様を黙って見ていた私は卑怯者だ」
「言い訳がましい後悔なんて聞きたくねぇんだよ」
悔やんでいる大道を刈谷は一言で切り捨てた。
刈谷にとって、今大道が自分のことをどう思おうが興味はなかった。
「俺が聞きてぇのは、どうして今まで俺に何も話さなかったのか、それだけだ」
大道が御使いの仲間ではないことに刈谷は安堵していたが、それ以上に失望していた。
「一言でもいいから御使いに協力してるって話してくれれば俺はお前に協力した。それに、俺はお前が御使いと関わりがあるって知ってから、会って話をするためにアカデミー都市中を遅くまで歩き回ってお前を探すって面倒なこともしなくても済んだんだよ」
「……すまん」
自分のことをずっと心配してくれていた刈谷に対して、大道は謝罪の言葉しか口に出すことができなかった。
自分を満足させてくれる説明もせずに謝る大道に、刈谷の怒りが一気に燃え上がった。
横になっている怪我人の大道の胸倉を刈谷は乱雑に掴み上げた。
力任せに掴み上げられて、傷だらけの大道の身体に鋭い痛みが走るが、それ以上に刈谷が自分のために身を削ってまで心配してくれたので、何も文句は言えなかった。
「俺が聞きてぇのはそんなことじゃねぇって言っただろうが! どうして今まで何も説明しなかった! どうして俺を頼らなかった! 今度謝ったらぶん殴るからな!」
大道の胸倉を掴む手を強くして、刈谷は激情のままに怒声を張り上げた。
改めて大道は自分が思っている以上に彼が自分を心配していたと悟り、強い後悔と罪悪感が押し寄せてくるが、それを堪えて正直に話すことにした。
刈谷は鋭い目で睨みながら、大道の言葉を待っていた。
「……隠し事ができないお前には頼れなかった」
じっとりとした目を自身に向けた大道の言葉に、刈谷は素っ頓狂な声を上げる。
情けない声を上げる刈谷の傍らで、萌乃は得心したように何度も頷いていた。
「御使いの仲間として行動しなければならないのに、私がお前にそのことを話した場合、お前は隠し事が下手だから周囲に気づかれるだろう」
「祥ちゃん、顔に出るタイプだから私も同感。ティアちゃんとかに問い詰められたら、きっと祥ちゃんすぐに吐いちゃうわよ」
大道の言葉に同調する萌乃に、事実なので刈谷は何も反論できなかった。
「しかし――何も言わないままというのは不憫と思ったので、さりげなく意味深な態度を取って暗に気づかせようとしたのだが――……それがまさか大喧嘩になるとはな。まあ、安い挑発に乗ってしまった私も私だが」
夏休みに発生した、周囲を巻き込んで大きな被害を出した大喧嘩を思い出し、大道は喧嘩っ早い刈谷と、それに乗ってしまった自分自身に呆れるように深々とため息を漏らした。
「あー、それがあの大喧嘩の真実だったのねぇ。でも、共慈ちゃんはポーカーフェイスが上手いし、祥ちゃんにはちょっとわかりにくかったんじゃないの?」
「今思えばそうだったのかもしれません。周囲に迷惑かけたことを猛省しています」
「祥ちゃんに合わせてもっとわかりやすいメッセージにするべきだったんじゃないの? ――あ、でも、祥ちゃんが簡単にわかっちゃうようなら、意味ないか」
「ええ……もうちょっと、刈谷の要領が良ければよかったのですが……」
和気藹々と会話をして、自分のことを好き勝手に言ってナチュラルにバカにしている大道と萌乃を恨みがましく睨んでいた刈谷は、怒りを爆発させようとするが――
怒りよりも先に込み上げてきたのは、笑いだった。
大道が御使いの仲間であるかもしれないと知ってたから、今までずっと不安を抱いていた自分がバカみたいに思えて笑いが出てしまったが、その笑みは安堵感に満ちていた。
気分良さそうに笑っている刈谷を見て、大道もつられて笑ってしまった。
ひとしきり笑った大道と刈谷は、スッキリした表情を浮かべていた。
「お前を一発ぶん殴るのは全部終わってからにする。覚悟しておけよ」
「全力で抵抗させてもらおう」
そう言って、大道と刈谷はお互いに凄味のある笑みを浮かべた。
色々あったが、二人の間のわだかまりは消えたようだった。
「ついさっき、幸太郎に御使いをぶっ潰すために協力してくれって頼まれたんだ。だから、俺は御使いたちをぶっ潰す……怪我して使い物にならねぇハゲチャビンはそこで寝てろ」
「御三家の人間として、御三家の人間である御使いの後始末はしたいところだが、お言葉に甘えてそうさせてもらろう」
全身が痛んでまったく動けないこの状況では足手まといにしかならないと判断した大道は、こんな状況で何もできないことに悔やみながらも、ここは友を頼ることにした。
「校医として怪我人は放っておけないから、私はここで共慈ちゃんの様子を見ているわ――怪我の世話から下の世話まで、つきっきりでお世話してあげる」
「……感謝する」
「それじゃあ、共慈ちゃんはゆーっくり、おねんねしましょうねー」
淫靡な笑みを浮かべ、甘ったるい母親のような口調で接してくる萌乃から大道は不安しか覚えなかったが、一応は感謝した。
しかし――ゆっくり休む前に大道にはやるべきことがあった。
事件解決につながる重要な情報を伝えなければならなかった。
「休む前に事件を指揮している人間に連絡をさせもらえないか? 伝えたいことがある」
「今回の事件の指揮ねぇ――鳳グループの上層部は入れ替えしたばかりで、今回の騒動の対応に混乱しきってるだろうから、総指揮は草壁ちゃんが執ってると思うけど……大好きなお父さんが誘拐されたんだから麗華ちゃんが現場で指揮を執ってるんじゃないかしら」
「それなら、彼女に伝えてください。無窮の勾玉は『深部』――『グレイブヤード』の奥に存在する深部と呼ばれる場所に保管されており、その場所に御使いと、人質とされている鳳大悟と、御柴さんたちがいると」
御使いに潜入してから、役に立つことはできなかったが――
それでも、最後の最後で御使いたちの居場所の情報を大道は掴んだ。
頃合を見計らって御使いから抜けて、情報を外部に伝えようとしたが、寸前のところで伊波大和に邪魔をされてしまった。
圧倒的な実力の差で伊波大和に追い詰められながらも、何としてでも大道は誰かにこの情報を伝えたかった。
命からがら御使いから抜け出して、逆転することができるかもしれない情報を大道から聞いて、萌乃は力強く頷いてさっそく麗華に連絡をした。
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