第12話
大勢の怪我人がいるセントラルエリアの病院内を、プラチナブロンドの髪をショートボブヘアーにした、折れそうなほど華奢な身体つきで可憐な外見の少女――アリス・オズワルドは、憂鬱そうな表情を浮かべて歩いていた。
そんなアリスの背後にいる、着古してボロボロになったロングコートを着た、手入れのされていないボサボサロングヘアーの女性・
俯きがちなアリスの頭の中には、先程医者に言われた言葉が回っていた。
自分たちの仲間であるノエルが、病院に到着してから適切な処置を受けてもずっと苦しんでいる理由が『わからない』とのことだった。
最新鋭の設備や最高峰の医者が揃っている大病院なのにノエルを治せないことへの苛立ちと、自分では何もできない無力感に苛まれているアリスは重い足取りでノエルの病室に向かっていた。
ノエルがいる病室の前に到着して、彼女の様子を窺うためにアリスは病室に入ると――
「ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
愛情と狂喜に満ちた笑い声で、白髪交じりのボサボサ頭をした、長身痩躯で黒縁メガネをかけた男――アリスの父であるヴィクター・オズワルドが出迎え、彼の傍らで「こんにちは」と締まりのないボーっとした顔で地味に挨拶をする七瀬幸太郎が出迎えた。
病室を間違えたのかと思って部屋を確認すると、ちゃんとノエルの病室だった。
「……どうしてここにいるの?」
心底迷惑そうな目を父に向けて、億劫そうにアリスは質問した。
「事態を解決するためにモルモット君に協力を求められ、病院に呼び出されたのだ。そして、君たち制輝軍にも協力を求めたいとモルモット君が言ったので、ここで待っていれば必ず我が娘に会えるとこの私が判断して、待っていたのだよ!」
自分にとって面倒な人物に自分の居場所を教えたモルモット君――七瀬幸太郎をアリスは恨みがましく睨むと、何も理解していない様子で幸太郎はアリスを見つめ返した。
「久しぶりじゃないか、『銀城』のお嬢様。我が娘がいつも世話になっている」
「どーもどーも。いつもお世話されています❤ 幸太郎ちゃんもこんにちは☆」
不機嫌な娘を無視して、美咲は父たちと呑気に挨拶を交わしていた。
「娘が何か君たちに迷惑をかけていないかな?」
「まだ中等部の子なのにしっかりしていますよ。でも、かわいげがないのが玉に瑕かな?」
「私も同感だ! 娘には歳相応に、父に甘えてもらいたいと私は思っているのだ」
和気藹々と談笑している父と美咲の様子を冷めた目でアリスは眺めていると、ノエルの苦悶に満ちた呻き声が聞こえてきた。
その声にアリスはすぐに反応して、ノエルが横になっているベッドに駆け寄った。
ベッドに横になっているノエルは先程と比べて容態は安定していたが、それでも呼吸は乱れており、額にはびっしりと汗が浮かんで、時折小さく呻き声を漏らしていた。
「……彼女は何か持病を持っているのかな?」
今にも泣きだしそうな表情で心からノエルのことを心配している娘の様子を見て、ヴィクターは軽い雰囲気を纏わせながらも不安そうな面持ちの美咲に話しかけた。
唐突にヴィクターに話しかけられ、美咲は取り繕った軽薄な笑みを浮かべるが、裏にある焦燥感だけは隠しきれていなかった。
「それが何もわからないんだよねぇ。ウサギちゃんは普段から自分のことを何も私たちに言わないし、それに、今制輝軍にウサギちゃんのことをよく知る子がいないんだよね」
「そういえばそうだったな。こういうことは過去に何度かあったのかな?」
「全然。ウサギちゃんはいつでも愛と勇気も元気百倍だよ」
「――……一度だけある」
ヴィクターと美咲の話を聞いていたアリスは、ここまでひどくはなかったが過去に一度だけノエルが胸を押さえて苦しんだことを思い出した。
あれは――輝石使いの犯罪者等を収容する施設『特区』から、大勢の囚人が脱獄した事件の時だった。
「一度だけ――制輝軍本部の拘留施設から抜け出した特区の脱獄囚と戦ってた時、ここまでひどくはならなかったけど苦しんでた」
「そういえば、そんなこと聞いたなぁ……あの時ちゃんと問い詰めるべきだったかな?」
アリスの言葉に美咲も思い出すが、同時にあの時もっと詳しく話を聞くべきだったと後悔して、苛立ったようにボサボサの髪を掻きむしった。
「……医者の人はノエルが苦しんでいる理由がわからないって言ってた」
沈んだ声でそう説明して、縋るような目で見つめてくる娘の視線から逃げるようにヴィクターは視線をそらした。
「残念だが私は医療については門外漢だ。医者がわからないことは私にもわからないのだ」
「……それなら……ノエル、ずっとこのままなの?」
震えた声でそう尋ねるアリスの表情は不安に染まっており、普段のように冷めきってかわいげのない表情ではなく、歳相応の幼く、弱々しい少女のような顔立ちになっていた。
そんなアリスの質問にヴィクターと美咲は答えることができずに重い沈黙が流れた。
「彼女のために何もできないのに、ここで立ち尽くしていれば無駄な時間が過ぎるだけだ。今はアカデミーの混乱を解決するために、戦力にならない彼女に代わって君たちが制輝軍の指揮を執り、風紀委員と協力するべきだ」
停滞している雰囲気の中、あえてヴィクターは厳しい言葉で沈黙を打ち破った。
その言葉に不満気では不安げな表情を浮かべながらも美咲は納得しているようであったが、アリスだけは激情を宿した目で父を睨んで納得しなかった。
「ノエルのことはどうするの?」
「今彼女にできることは何もない。彼女よりも解決すべき問題がある」
「私にはノエルの方が大切よ」
「……物事の優先順位がわからないほど、我が娘は愚かだとは思わなかったな」
お互いの主張がぶつかって一触即発の不安な空気が流れている父娘の間に、「ストップ、ストーップ」と美咲が慌てて割って入った。
「お嬢ちゃんの気持ちはわかるよ。アタシだって、今は他のことをするよりもウサギちゃんのために何かしたいもん。でも、ここはお嬢ちゃんのお父さんの言う通りだよ。ここでアタシたちが騒いでも、苦しんでるウサギちゃんの迷惑になるだけだし、何の解決にもならない。それに、ウサギちゃんだったら、自分に構うなって言うと思うけどな」
美咲のフォローに取り敢えず父娘は落ち着いたが、それでもアリスの表情は暗かった。
父娘が黙って室内は静かになり、陰鬱とした雰囲気に包まれるが――空気も読まずに幸太郎は軽い足取りでノエルが横になっているベッドに近づいた。
「博士、アリスちゃんも美咲さんも、白葉さんのことが大好きなんです」
横なっているノエルを心配そうに見つめながら、今までのアリスたちの会話を黙って聞いていて思っていたことを幸太郎はヴィクターに教えた。
「だから、白葉さんのために他のことなんて考えられないくらいアリスちゃんたちは必死で、諦めたくないんです――博士もわかっていますよね」
幸太郎の指摘通り、姉のように慕っているノエルを思う娘の気持ちは十分にヴィクターも理解していたが――今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「だが、今は悠長に救う方法を考えている暇はない。それを君は理解しているはずだ。だから、君は私や制輝軍に協力を求めようとしているんだろう」
「博士って意外に融通が利かないんですね。だから、アリスちゃんと嫌われてるんですね」
痛いところを突かれて、ヴィクターは何も反論できなくなってしまう。
「同じ立場になったら、きっと僕もアリスちゃんと美咲さんと同じ気持ちになります」
宣言するかのようにヴィクターにそう言うと――一瞬、幸太郎の全身に淡い光が包んだ。
それに呼応するようにノエルの胸が淡い光を放ちはじめ、彼女の乱れていた呼吸が整い、苦悶の表情を浮かべていた表情が穏やかになった。
そして、ノエルは目が覚め、何事もなかったかのように上体を起こした。
「モルモット君……今、君は何をした……」
幸太郎の一瞬の異変にヴィクターの表情は驚愕に染まるが、本人は「え?」と、何も理解していない様子だった。
アリスたちは幸太郎の異変よりも、ノエルが突然目を覚ましたことに驚いていた。
そして、アリスたち以上に驚いているのはノエルだった。
「白葉さん、もう起きて大丈夫なの? まだ休んでた方がいいんじゃないの?」
ノエルはありえないといった様子で、自身を心配する幸太郎をジッと見つめていた。
「まさか……あなたは……」
「……白葉さん寝ぼけてる?」
「無自覚ということですか」
自分が何をしたのか何も気づいていない様子の幸太郎を見て、ノエルは一人得心していると――自身の傍にいたアリスが強い力で抱きしめてきた。
自身の胸に顔を埋めるアリスを、無表情だがノエルは不思議そうに見つめていた。
「……アリスさん、どうかしましたか?」
「ノエル――本当に、本当にもう大丈夫なの」
「もう平気です」
「……本当?」
「……はい」
不安気な表情で潤んだ瞳を向けて、何度も自分を心配してするアリスの頭を無表情でノエルはそっと撫でると、アリスは安堵したような笑みを浮かべていた。
「もう! お嬢ちゃんだけズルい! アタシも仲間に入れて☆」
我慢できない様子で美咲はノエルの頭を自身の豊満な胸に押し当て、彼女の白髪の髪に頬ずりしていた。
ガッチリと力強く頭を美咲に抱えられて、ノエルは無表情だが迷惑そうだった。
「馴れ馴れしいのでやめてください」
「もう、つれないなぁ! ……少しは、おねーさんに甘えなさい。ね?」
子供をあやすような美咲の優しげな言葉に、ノエルは迷惑だと思いながらもしばらくは彼女の好きにさせることにした。
ノエルとアリスに抱きしめられながら、ノエルは幸太郎に視線を移して話をはじめる。
「自覚はないにしろ、あなたに救われたのは事実。ですので、その恩を返すために我々制輝軍は全面的に風紀委員に協力することにします」
「僕たちの話、聞こえてた?」
「あんなに耳障りな高笑いが近くで響いたら、誰でも目は覚めますから」
不機嫌そうに幸太郎とヴィクターをノエルは睨むと、二人は苦笑を浮かべて「すみません」と謝ることしかできなかった。
「さっそく、出撃しましょう」
そう言って、ノエルは傍らに置いてある赤いリボンで自身の髪を結い上げ、ベッドから起き上がろうとするが、「ダメ!」とアリスが止めた。
「ノエルはまだ本調子じゃないからここで待ってて……私たちがどうにかするから」
「お嬢ちゃんの言う通り、御使いなんて私たちに任せて、ウサギちゃんはゆっくりしてよ」
自分を気遣うアリスと美咲の姿に、ノエルは戸惑い、自身の判断に逡巡しながらも――その言葉に甘えることにして、起こしていた上体をベッドに横たわらせた。
「……取り敢えず、今はあなたたちにお任せします」
不承不承ながら、今は仲間たちに任せることにしてノエルは休憩することにした。
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