第二章 気遣い無用

第10話

 自分の役割を終えて、ひんやりとした空気が漂う薄暗い通路を大道は走っていた。


 大道が走る度に無機質な鉄の床を踏む音が鳴り響き――大道の足音に遅れて、一人の足音が背後から軽快に響いていた。


 大道は気づかれないうちに立ち去ろうとしたが、甘かった。


 ――いや、最初から気づかれていたかもしれないと大道は思っていた。


 背後から響いてくる足音は徐々に近づく。


 この道を抜ければすぐに外に向かうことができるが、背後から高速で接近する何かが大道を頬を掠めて通り過ぎ、彼の走りを止めた。


 大道の頬を掠めて通り過ぎたものの正体は巨大な手裏剣であり、意思を持つかのように弧を描いて大道の後ろに戻った。


 もう少しだったのに追い詰められてしまったことに、大道は心の中で深々とため息を漏らして、ゆっくりと振り返った。


 背後には、自分に追っていた足音の主――御使いと同じ白い服を着て、武輝である巨大手裏剣を億劫そうに担いだ軽薄な笑みを浮かべている伊波大和が立っていた。


「本当なら理由を尋ねるべきなんだろうけど――まあ、こうなることはわかってたんだよね」


「……最初から私は君に踊らされているだけだったというわけか」


「そんな感じかな? いくら鳳に恨みがある御三家の『大道』だとしても、大道さんみたいに正義感に溢れる人が僕たちに協力する意外過ぎたから。それに、大道さんは基本的に良い人だから、嘘が下手で、しかも大根芝居でたまに笑っちゃいそうになったよ」


 最初からすべてを見透かしていた大和に、大道は降参と言わんばかりの力のない笑みを浮かべる。


「それならどうして君は今まで私に何もしなかった。もしかしたら、君たちに致命傷を与えることになったのかもしれないのに」


「こっちは人員が少ないからね。裏切者だとわかっていたとしても、協力者は必要だから」


「その割には私に重要な仕事を回さなかったな。そのせいで重要な情報は何一つ手に入れることができなかった」


「それは大道さんが裏切者だから。そこはちゃんとしないとね」


「……体よく雑用だけをさせられたというわけか」


「そういうこと。でも、気にしないでね。大道さん、とっても役に立ったから」


 上手く利用され続けた自分が情けなくて、大道はつい笑ってしまった。


 ひとしきり笑い終えた瞬間――大道は数珠についた輝石を武輝である錫杖に変化させ、即座に大和に向けて光弾を放った。


 卑怯と思われても仕方のない不意打ちだが、きれいごとを言っている場合ではなかった。


 だが、大道の不意打ちを大和は難なく武輝で防いだ。


 軽薄な笑みを浮かべながら大和は大道と間合いを一気に詰める。


 武輝である手裏剣で切りかかってくる大和の攻撃を回避、同時に大道は武輝である錫杖を薙ぎ払って反撃を仕掛ける。


 大道の反撃を大和は軽やかに後方に身を翻して回避しながら、手裏剣を投げた。


 一直線に向かう手裏剣を大道は武輝で弾き飛ばそうとするが、背中に鋭い痛みが走り、咄嗟に大道は横に飛んで手裏剣を回避した。


 もう一本の手裏剣が大道の背中を切り裂いた。


 輝石使いは全身に輝石の力を膜のように張っているため、切り裂かれても大怪我は負わなかったが、それでも大道が大和から受けたダメージはかなり大きかった。


 投げられた手裏剣は不自然な動作で大道の背後に立っている大和の手元に戻った。


 大和の左右の手には、二本の巨大手裏剣が握られていた。


「……武輝を二つ持っていたということか」


 苦悶の表情に満ちた大道の言葉に、大和はクスリと一度いたずらっぽく笑う。そんな大和の笑みから自分以上の圧倒的な何かを感じ取った大道の背筋に冷たいものが走る。


「二つだけじゃなくてたーっくさん持ってるけど?」


 自慢げにそう言い放つと、大和の周囲にぼんやりとした光が浮かび上がり、その光は徐々に形を成して、最終的に大和の武輝である巨大な手裏剣になった。


 三つ、四つ、五つ――巨大な手裏剣が宙に浮かんでいた。


 その光景に驚いている大道に向けて、一斉に手裏剣は飛びかかってきた。


 息つく間もなく四方八方から襲いかかる複数の手裏剣を大道は冷静に処理をする。


 大道は自身の周囲に火の玉のように揺らめく複数の光球を発生させると同時に、襲いかかってくる手裏剣に向けて光弾を発射する。


 光弾は大和の手裏剣とぶつかり合うが――大和の手裏剣は大道の放った光弾をかき消し、光弾とぶつかり合っても勢いが落ちることなく、猛スピードで大道に向かった。


 意思を持つような動きの手裏剣は、大道を翻弄するかのように縦横無尽に駆け回り、大道の死角を的確について、徐々に彼を追い詰めていた。


 自身の手裏剣に追い詰められる大道の姿を、大和はニヤニヤと笑いながら眺めていた。


「……大道さんなら、もっと抵抗できるかと思ったんだけどな」


 ガッカリしたように、そして、飽きたように大和はそう呟くと、大道を襲い続けていた複数の手裏剣から一斉にレーザー状の光が発射された。


 障壁を張って大道は攻撃を防ぐがすぐに障壁が破壊され、レーザーに直撃した大道の巨体は大きく吹き飛ばされ、無機質な鉄の床に叩きつけられた。


「タフだね、大道さん……でも、もう限界じゃないかな?」


 満身創痍の身でヨロヨロと立ち上がる大道を呆れたように見つめる大和。


 余裕な態度の大和に向けて大道は力強い笑みを浮かべるが――大和の言う通り、大道の体力は限界を迎えており、輝石を武輝に維持するのが精一杯だった。


 戦闘がはじまって間もないのに、圧倒的な力で追い詰められている状況に、大道は絶望を感じるよりも、あまりに開いた実力の差に苦笑を浮かべることしかできなかった。


「まさか……君がここまでの実力を持っているとはな」


「でも、僕としてはできれば戦闘は避けたいんだよね。僕は頭脳担当だから」


 本気で言っているつもりの大和だが、大道には冗談にしか聞こえなかった。


「まだ輝動隊と輝士団があった時、君は陰でなんて呼ばれていたか知っているかい?」


「是非聞きたいんだけど、あんまり嬉しいものじゃなさそうだね」


「輝動隊隊長は『お飾り』だって言われていたんだ」


「もっと捻った蔑称で呼ばれているかと思ったんだけどなぁ。まあ、そう呼ばれても仕方がないよね。事件が起きても僕は現場に出ないで、現場の指揮はティアさんに一任してたから」


 しかし、そんなお飾りの輝動隊隊長の実力を目の当たりにした大道は、伊波大和という輝石使いはアカデミーでもトップクラスの実力を持っていると認めざる負えなかった。


 目の前にいるお飾り輝動隊隊長には、勝機はないと大道は判断した。


「他に何か言われてなかった? 僕って、結構他人の評判を気にするんだよね」


「そうだな……守銭奴、腹黒、下衆、人でなし、実は馬鹿、他には――」


「――も、もういいや……聞かなきゃよかった」


 生真面目に受け答えをしてくれた大道に精神的ダメージを大和は負った。


 思っている以上に他人の評価が厳しかったことに大和は深々とため息を漏らし、「オホン」とわざとらしく一度大きく咳払いをして、武輝の刃を大道に向ける。


「取り敢えず、君は裏切者なんだ……始末はするからね」


 軽薄な笑みを浮かべて、残酷な宣告をする大和。


 こうなることも予想はしていたので覚悟は決めていた大道だが――まだ終われなかった。


 咄嗟に大道は懐に忍ばせていたあるモノを取り出し――鉄製の床に思いきり叩きつけた。


 その瞬間、耳をつんざく爆裂音とともに、薄暗い通路全体を照らす強烈な光が発生する。


 この前の事件で使った閃光弾がまだ残っており、それを大道は使った。


 突然の強烈な光に、「ちょ、ちょっと、それは反則だよー!」と目が眩んでいる大和。


 その隙に、大道は出口に向かって走り出す。


 自分が知った事実を外にいる人間に伝えるために、ここで終われなかった。


 圧倒的な力の差で追い詰められて大道の体力は限界を迎えていたが、それでも最後の力を振り絞って、墓石のような物体が多く立ち並ぶ広大な空間を通り過ぎ、出口につながるエレベーターに辿り着いた。


 すぐにエレベーターを起動させて、エレベーターに乗り込もうとする大道だったが――


 エレベーターの扉が開いた瞬間、大道の表情が驚愕と絶望に染まる。


 エレベーターの中には、御使いがいたからだ。


 しかし、まだ大道は諦められなかった――


 絶望した自身の心を奮い立たせるような咆哮とともに、持てる力を目の前にいる御使いへとぶつけるつもりで、飛びかかった。




――――――――――




 冷たい空気が漂っている薄暗く、広々とした空間に二人の御使いと巴がいた。


 全身を殺気立たせている巴は、自分と一緒にいる二人の御使いに警戒心と激情を宿した鋭い視線を送っていたが、二人の御使いは特に反応しなかった。


「……いつまでここで待たせるつもりなの? 次は何をすればいいの?」


 二人の御使いに話しかけてみるが、巴の言葉に二人は何も反応しない。


 何も反応しない御使いに苛立ちを覚えながらも、巴の心は不安でいっぱいにだった。


 先程アカデミー都市中に放送されたという映像を大和に見させられたからだ。


 わざわざウェストエリアに出向いて、煌王祭で使用される撮影機器を奪った理由はわからなかったが、あの放送を見て巴はすぐに得心した。


 あの放送に触発されたアカデミー都市内にいる多くの輝石使いは、今までたまっていた鬱憤を晴らすために他者を傷つけ、怒りの矛先を鳳グループに向けるであろうことは容易に想像することができたからだ。


 今のアカデミーの状況も心配だったが、それ以上に巴は心配することがあった――


「……母さんは無事なの?」


 人質として捕えられている母の心配している巴は、二人の御使いに縋るような目を向けてそう尋ねると――相変わらず御使いたちは何も反応しなかったが、巴の目には僅かだが二人が逡巡したように見えた。


 だが、迷いを抱きながらも、止まらない覚悟を巴は二人の御使いから確かに感じ取った。


「まったく……少しは克也さんのことも心配してあげればいいのに。相変わらず仲が悪いんだね。でも、安心してよ。二人とも無事だからさ」


 人質として取られている母を心配するだけで、父である克也のことを心配していない様子の巴を茶化すようでありながらも、克也を憐れんでいるような声が響いた。


 声の主――伊波大和は出入口に通じる通路から現れ、巴に向けてニコリと笑った。


 爽やかな笑みを浮かべている大和だが、全身から闘志と熱気の残照を巴は感じた。


「……何かあったの?」


「ちょっと裏切者の大道さんの始末をしていたんだ」


 警戒と心配を含んだ目で見つめながらする巴の質問に、軽い調子で大和はそう答えた。


 何気なく大和が言い放った言葉に、巴の言葉に何も反応を示さなかった御使いがピクリと身体を動かして反応する。フードを目深に被っているせいで二人の御使いの表情は窺えなかったが、二人は動揺しているように巴には見えた。


 大道が裏切者であったということに不安を感じている二人の気持ちを察したように、大和は「大丈夫だよ」と言って、爽やかな笑みを浮かべた。


「始末はちゃーんとつけたから安心して。もし、無事だったとしても、しばらくはまともに動けないからさ」


「君は大道さんに何をしたの?」


「大少し痛い目にあってもらっただけ。命には別条はないよ、多分ね」


 普段通りの軽薄な雰囲気を身に纏わせて、意味深な笑みを浮かべて曖昧に答える幼馴染に、巴は不安しか感じなかった。


「……天宮加耶さんは何をしているの?」


「この先にある無窮の勾玉を安置している場所で、煌石の力を制御しているよ。集中してるのを邪魔しないために、この先は立ち入り禁止だからね――破ったら、巴さんのお母さんとお父さんは大変なことになるからね?」


 おどけた口調で脅してくる大和だが、有無を言わさぬ迫力があった。


 そんな大和の脅しを聞き流し、無窮の勾玉がある部屋に続く道に巴は視線を向ける。


 無窮の勾玉がある部屋まで長い通路があって離れているとのことだが――薄暗い通路から、無窮の勾玉から放たれる力の奔流が巴の肌を刺すように伝わっていた。


 それと同時に、何を考えているのか昔からわからない大和だが、御使いを束ねている少女・天宮加耶にだけは随分肩入れしていると巴は感じていた。


 先日、麗華と天宮加耶について話し合った際――加耶については、自分よりも大和の方が良く知っていると麗華が言っていたことを思い出した。


 少しでも情報を集めて、反撃のチャンスが訪れた時の役に立ちたかった。


「麗華と違って、随分彼女に入れ込んでいるようだけど、君と彼女はどんな関係なの?」


「将来を誓い合って、ディープでくんずほぐれつな、抜き差しならない関係かな」


「こ、こんな時にいやらしいことを言ってふざけないで!」


「二十を過ぎてそんな生娘のような初々しい反応をしないでよ、巴さん――浮いた噂を今まで聞いたことがないから実際生娘だろうけど」


「よ、余計なお世話よ!」


 意味深で耽美的な笑みを浮かべた大和の説明に、巴は顔を真っ赤にして声を荒げる。


 二十代だというのに思春期真っ盛りな少女のような反応の巴に、ニタニタと笑う大和。


「巴さんが想像するエッチな関係じゃないけど、深い仲っていうのは本当だよ。……僕は何があっても、最後の最後まで姫の傍にずっといるって約束したからね」


「それが君と彼女の約束なの?」


「そうだよ。だから、僕と姫の邪魔をする人は、巴さんや麗華でも容赦はしないからね」


 おどけた口調でそう説明して、敵意がまったく感じられない無邪気な笑みを大和は浮かべるが、その笑みの裏には決して揺るがぬ覚悟が存在していた。


 天宮加耶と伊波大和――二人の関係は自分が思っているよりもかなり深く、そして、固い絆で結ばれているように巴は感じ取った。


 責任感が薄く、飽き性な大和の性格を知っている巴だからこそ、今の大和は何を言っても止めることができないと感じていた。


 ――しかし、それでも巴は納得できなかった。


「君は麗華を裏切って何も思わないの? ずっと一緒にいた、私よりも付き合いが長い幼馴染を裏切って傷つけても、何とも思わないの?」


「これも麗華との約束なんだよ、巴さん。いずれ天宮が鳳に復讐する時、僕は姫のために動いて、麗華は姫を止める。そして、お互い邪魔をするなら容赦はしない――子供の頃にそう約束したんだ。だから、麗華と本気で戦うことになっても覚悟の上だよ」


 幼馴染同士が争うことを想像してむなしさを抱いている巴に向けて、大和は軽薄だが力強く、儚げな笑みを浮かべる。


「……これからあなたたちは何をするつもりなの?」


「御使いの彼らや姫の目的は復讐だよ――それに、僕は付き合うだけだよ」


 切なそうにこちらを見つめて質問してきた巴の視線から逃れるように、背を向けた大和は彼女の質問に答えた。


 そのまま巴と目を合わせることなく、大和は二人の御使いに視線を移した


「さあ、話はもう終わり――ギリギリまで相手を追い詰めたけど、まだ終わりじゃない」


 軽薄だが迫力のある大和の言葉に、御使いたちは失いかけていた闘志を漲らせる。


「僕の幼馴染の鳳麗華って、かわいいけど天邪鬼で高飛車で笑い声がうるさくて、性格で損している女の子がいるんだけど、厄介なことに彼女は追い詰められれば追い詰められるほど、燃えて強くなるんだ――だから、まだ終わりじゃないからね」


 長い付き合いの幼馴染のすべてを理解している上で警告する大和に、二人の御使いは深々と頷いた。


「麗華さえ倒せば全部終わる。後一歩だからみんな頑張ろうね。えいえいおーってね」


 気の抜けたような口調で大和はそう言うが、自分に言い聞かせるような言葉でもあった。

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