第4話

 夜も深まる頃――消灯時間がとっくに過ぎたセントラルエリアの大病院にある広い個室の病室で、無表情の鳳大悟はベッドに横になりながら仕事の報告書を眺めていた。


 ほとんど怪我は治りかけているが、今の大悟の顔色は悪く、調子が悪かった。


 だが、体調の悪さなどおくびも出さず、医者にまだ無理をするなと言われているにもかかわらず大悟は書類を睨んで今の自分にできる限りの仕事をしていた。


 一通り書類に目を通し終えると、大悟は軽く深呼吸をして窓の外の景色を眺めた。


 大悟の視線の先にはアカデミー都市の中央に塔のようにそびえ立つ、鳳グループ本社と教皇庁本部を眺めていた。


 無窮の勾玉の一件でさらに教皇庁との溝が深まり、上層部が一新して混乱している鳳グループのことを思うと、僅かな焦燥感が大悟の中に芽生えた。


 御使いだけではなく、国が制輝軍をアカデミーに派遣してから落ち着いていた教皇庁と鳳グループとの関係が一気に悪くなっている今の状況は最悪だった。


 どれか一つでも早急に解決しなければ、鳳グループだけではなく、アカデミー全体に修復できない深手を負うことになると大悟は確信していた。


 今は少しでも最悪の事態を避けるために無茶をするべきだと判断して、大悟は万全でない身体に鞭を打っていたが――それも限界に近かった。


 仕事を再開しようと思っていた大悟の視界が急に霞み、治りかけの怪我が痛みはじめた。


 今は少しでも無茶をするべきだと思っているのに、思い通りにならない身体を忌々しく思い、大悟は小さく舌打ちをすると――


「そんな体調でも仕事とは、相変わらずだな」


 怪我を押して仕事をしている大悟に呆れているような声が広い病室内に突然響き渡った。


 声のする方へと大悟は視線を向けると、入口の扉にヨレヨレのスーツを着た――自分と同い年の四十台ながらも、二十代に通じる若々しく、悪人面の古くからの付き合いで友人である御柴克也が立っていた。


 気を許せる友人の登場に、怪我の痛みで呻き声を上げて苦悶の表情を浮かべそうになったのを大悟は堪えて、強がって普段通りの感情のない表情を友人に向けた。。


「克也か……今まで見舞いに来なかったのに、治りかけになって今更見舞いに来るとはな」


「一掃された上層部の後始末に忙しかったんだよ」


「それは大変だったな」


「ああ、他人の迷惑を考えない誰かさんのおかげでな」


「その『誰かさん』とはどんな人物だ」


「老け顔のムッツリ中年男だ。ちょうど、俺の目の前にいるような」


「それは中々良い面構えかもしれないな」


「性格の悪さも付け加えてくれ」


「よくわかった――それで? 見舞いの時間はとっくに過ぎているのだが、どうしてここに?」


「悪いが、急用なんだ」


 気軽に軽口を言い合っていたが、突然苦々しい顔を浮かべた克也はベッドに横になっている大悟に足早に近づいた。


 そして、薄汚れた小さな袋の中から輝石を取り出して、武輝である銃に変化させると、迷いのない鋭い眼光とともに銃口を真っ直ぐと大悟に向けた。


「何のつもりだ」


 長年の付き合いである友人が、突然自分に武輝を向けたことに、特に驚くことなく、落ち着き払った口調で大悟は理由を尋ねた。


「鳳の――いや、天宮の真実を知ったよ」


 ため息交じりの克也の答えを聞いて、大悟はすべてを得心した。


 すべてを悟ったような表情を浮かべる大悟に、克也は怪訝な表情を浮かべる。


「お前、全部わかっていたのか?」


「……そうだな」


 悪びれる様子もなく大悟は頷いたのを見た克也は忌々しげに舌打ちをして、わき上がる感情を抑えるように武輝である銃を強く握り締め、大悟の額に銃口を強く押し当てた。


「こうなることもわかってたってのか?」


「他の人間が来ることも予想はしていた」


「……今も昔も、鳳は大勢の人間を巻き込むんだな」


「すまない――今はそれしか言えない」


 言い訳することなく謝罪の言葉を口にする大悟の胸倉を克也は乱雑に掴み上げ、ベッドで横になっている大悟を無理矢理立たせた。


「お前にはもうウンザリだ」


 そう吐き捨てて、克也は大悟の両手をプラスチックの結束バンド状の手錠で拘束した。


 突然の事態に大悟は慌てることなく大人しく拘束され、克也とともに病室を出た。


 誰もいなくなった病室に気づくのは、二人が病院から出てすぐだった。




――――――――




「な……ぬぁんですってぇ! そ、そんなことを信じられませんわ!」


 麗華が暮らしている屋敷の中にある応接室で、驚愕の声を麗華は上げた。


 時刻は日付けが変わった真夜中――さっきまで寝室でサラサと一緒に眠っていた麗華は突然、自身の使用人兼ボディガードのドレイクに無理矢理起こされて応接室に連れ出された。


 応接室で待っていたのは、アカデミーの教頭を務めていて、父の右腕である冷たい雰囲気を身に纏う神経質そうな細面の壮年の男――草壁雅臣くさかべ まさおみだった。


 寝ぼけ眼の麗華が応接室に到着してすぐに緊急事態だと言って草壁が説明したことに、眠気に支配されていた麗華の頭が完全に覚醒して驚愕の声を上げた。


「理由は不明だが、確かに御柴克也が拘束された大悟を病院から連れ去った」


 信じられないと言った様子の麗華に、冷静な草壁は再び現実を突きつけた。


「か、克也さんは鳳グループトップであるお父様の秘書を務めている方。草壁さんと同じく、お父様とは私が生まれる前からの古い付き合いだと聞いていますわ。そ、そんな方がどうして、お父様を拘束して、連れ出す真似をしますの?」


「……心当たりはあるはずだ」


 いまだに信じられない様子の麗華に、無表情の草壁はそう尋ねると――麗華の頭の中に鳳に恨みを持つ天宮と、天宮が率いている御使いの姿が頭に過った。


「今回の件に、天宮と御使いが関わっているということですの?」


「病院周辺のカメラに御使いと思われる人物が映っているという情報があった」


 確実に御使いが関わっていると聞いて、麗華は乱れた心を必死に落ち着かせる。


「克也さんのことは巴お姉様に報告しましたの?」


「事態が発覚してすぐに御柴の家族に詳しい事情を聴取しようとしたが、家族全員行方不明になっている。重要な情報を持っていると判断して、御柴の家族の行方については、大悟の行方とともに制輝軍に調べさせている」


「上層部が一新されて鳳グループ内が混乱しているというのに、随分早い対応ですわね」


「突然重役に抜擢されて戸惑いを隠しきれない者もいるが、それでも自分のすべきことは理解している。経験は浅いが、大悟が直々に選んだ人間は全員有能だ」


 父の人選に狂いがなかったことに、麗華は状況を忘れて感心していた。


「御使いの正体は天宮から派生した『御三家』と呼ばれている分家の人間だとされている。鳳が天宮を裏切って、『水月』、『大道だいどう』、『銀城ぎんじょう』の御三家の人間は教皇庁についたことは調べた――だから、教皇庁側の人間である御三家を止めるために、教皇庁の協力も得たかったのだが……無窮の勾玉の一件で関係が悪くなっている今の状況では力を借りれなかった」


「今のままでも十分心強いですわ。お父様のためにありがとうございます、草壁さん」


 常に数手先を読んで行動する草壁の対応の速さに、思わず麗華はさすがだと思っていた。


 草壁雅臣――能力の高さから克也以上に大悟から重宝されている、長年麗華の父・大悟の右腕を務めている人物だった。克也たちのサポートを得て、入院中の大悟に代わって鳳グループをまとめていた。


 誰であろうが容赦のない言葉を投げかけて、無慈悲な判断を下すことから冷血と陰で呼ばれて恐れられている人物であるが、今の状況にとっては心強い味方だった。


 そんな心強い味方の協力を得ながらも、麗華の今にも不安で押しつぶされそうだった。


「……お前の言う通り、御柴とは長い付き合いだ。御柴が大悟を裏切るような人間ではないとは個人的には思っている。家族を人質に取られて協力させられている可能性もある」


 有能だが、冷血な草壁が克也のフォローをするのは以外だと麗華は失礼ながらにも思ってしまった。しかし、幾分自分の不安な気持ちは薄れたので心の中で彼に感謝をした。


 ――だが、「――しかし」と、草壁の話はまだ終わっていなかった。


「お前も理解しているだろうが、鳳グループ内には伊波大和の他に裏切者がいると私も思っている。……その裏切者が御柴克也であるという可能性も十分にある。家族が行方不明になったのは、行動を起こす前にアカデミー都市から逃がしたのかもしれん」


「――それは間違っていますわ」


 確信に近い気持ちを抱いて、麗華は草壁の推測を真っ向から否定した。


 自信満々で可能性の話を否定した麗華を、草壁は興味深そうに見つめた。


「先日、お姉様は御使いを率いている加耶について聞いてきましたわ。その時、巴さんはは天宮家のことを調べていると言っていました……もしかしたら、巴さんはお父様である克也さんと一緒に天宮のことを調べていたのではありませんか?」


「……その過程で、相手側に都合の悪いことを知ってしまったということか?」


「あるいは――鳳グループ内の裏切者を知ってしまった、その可能性もありますわ」


 根拠のない推測に過ぎなかったが、それでも草壁は納得したように頷いた。


「この前の事件以降、入院している大悟に代わってアカデミー内外の対応に追われていたが、その間私個人で天宮や今まで起きた事件について調べていた。その過程で、御三家の人間が教皇庁側についたことを知ったのだが、同時に気になる人間の存在に気づいた――鳳グループ内にいる裏切者についてだ」


「草壁さんは誰か心当たりがありますの?」


 一気に事件解決に進むかもしれないと思って草壁の話に即座に麗華は食いついたが、期待に満ち溢れた表情を浮かべる麗華と対照的に、草壁の表情は若干曇っていた。


「まだ証拠はないが、個人的には萌乃薫もえの かおるが怪しいと思っている」


「も、萌乃さんが? ……た、確かに雰囲気的には一番怪しいですが……」


 確証はないと言いながらも、断定的な口調で萌乃薫が怪しいと言い放った。


 萌乃薫――今は存在しない治安維持部隊である輝動隊きどうたいの初代隊長であったと同時に、アカデミーの校医を務めており、草壁や克也と同じく大悟とは古い付き合いの人物だった。


 男性でありながらも女性に通じる美貌を持ち、妖艶な雰囲気を常に身に纏って何を考えているのかわからない萌乃だが、情に流されずに冷静に判断できる冷酷な人物であると、輝動隊隊長時代に隊長として彼が辣腕を振っていのを見たことがある麗華は知っていた。


「御使いが関わっていた事件では、鳳グループが誇るセキュリティが突破された。アカデミー都市内を守るセキュリティの設計には萌乃の意見が多く採用されて、セキュリティの設計に関わっていた。それに加えて、前の事件で暴走した新型ガードロボットにも萌乃は設計に携わっており、海外出張中の克也に代わって警備員の配置を任されていたので、村雨たちに会場を襲わせる隙も作ることができた。萌乃ならば、アカデミーのセキュリティを突破する能力も持ち、ガードロボットを支配下に置くこともできる」


「……萌乃さんに話を聞いてみる価値はありそうですわね」


「そう言うと思って、独断で大悟が連れ去られて萌乃を呼び出したが――御柴の家族と同じく、萌乃も連絡がつかず、行方不明だ」


 こんな状況で連絡がつかずに行方不明の萌乃に、確証はないが御使いと関わりがあるかもしれないと麗華は思ってしまった。


 だが、まだ麗華の仲では幼い頃からの付き合いである萌乃のことを信じたいという気持ちも存在しており、若干の迷いが生まれてしまっていた。


 そんな麗華の気持ちを察したように、草壁は彼女を冷ややかな目で睨んだ。


「大悟から聞いているかもしれないが、誰が裏切者かわからない状況でお前は周囲の人間を信じるな。もちろん、私も含めてだ」


「……もちろん、承知の上ですわ」


 厳しい口調で放たれた草壁の忠告に、父が連れ去られたショックで忘れかけていた他者への疑念を思い出して、麗華は深々と頷いた。


 自分の忠告に従った麗華の様子を見て、「それでいい」と草壁は満足そうに頷いた。


「大悟たちの行方は現在制輝軍が追っている――お前は今のうちに休んでおくんだ」


「お父様が連れ去られた状況で、休んでなんかいられませんわ」


 敬愛する父が連れ去られて、眠気が一気に吹き飛んだ麗華は今すぐにでも真夜中のアカデミー都市を走り回って父の行方を探すつもりだった。


 静かに気持ちを昂らせている麗華に、草壁は呆れたように小さくため息漏らした。


「お前には連れ去られた大悟を追うために事件の指揮をしてもらう。気概は認めるが、休める時に休んでおけ――私はこれからお前が指揮を執る前に必要な情報を集めておく」


 忠告するような口調で冷たくそう言うと、草壁は応接室から出て行った。


「そうですわね……お言葉に甘えることにしますわ」


 冷たく素っ気ない口調だが、草壁が自分を気遣っていることを察した麗華は素直に従うことにした。


 草壁が屋敷から出て行って、麗華はすぐに寝室に戻ったが――


 心の中で深く沈殿している不信と不安のせいで眠ることができなかった。


 眠ることができなかった麗華は、心の中でずっと父が無事であることを祈り続けた。


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