第3話

 アカデミー高等部二年C組にいる平凡で地味な顔つきの少年・七瀬幸太郎ななせ こうたろうは、つい先程担任に手渡された紙を見て、大きく安堵のため息を漏らして机に突っ伏していた。


 担任に手渡された紙は期末考査の結果が書かれた成績表であり、テストの点数は惨憺たるものだったが、それでも全教科赤点をギリギリで回避していた。


「よかったなぁ、七瀬。赤点免れたじゃねぇか」

「俺たちも教えた甲斐があるよ。というか、俺たちも点数上がってるな」

「セラと一緒に勉強をしたからだろ。いやぁ、ありがたいなぁ」


「みんなのおかげ。ありがとう! ホントに助かった」


 机に突っ伏している幸太郎に声をかけるのは、クラスメイトである三人の友人だった。


 彼らの言う通り、テストで結果を残せたのは全部、彼らを含めた多くの友人たちのおかげなので、幸太郎は心からの感謝の言葉を彼らに述べた。


 一年前に全教科赤点という散々な結末に終わった幸太郎のテスト結果に、幸太郎の友人たちはテスト勉強に協力してくれた。


 テスト勉強は厳しいものだったが、それでも全教科赤点回避という偉業を成し遂げた幸太郎は、自分のためにテスト勉強に協力してくれた友人の一人――同い年のクラスメイトの女子とは一線を画す美貌と、大人びて凛々しい雰囲気と身に纏うショートヘアーの少女、セラ・ヴァイスハルトに視線を向ける。


 和気藹々とした様子でセラは、周りにいる友人たちとテスト結果について話していた。


 全教科赤点を回避したことをセラに報告したい衝動に幸太郎は駆られていたが、友人たちとの会話を邪魔するのは悪いと思ったので、それを堪えた。


「さすがセラさん、総合点数でクラス一位の成績なのね」

「助かったぜ、セラ。お前がテスト前に勉強を教えてくれたおかげで点数が上がってるよ」

「輝石使いの実力もトップで、学力もトップ。文武両道とはまさにセラのことだよな」


 友人たちから褒められ、尊敬の眼差しで見つめられ、セラは照れたように「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。


「復習する機会が多くあったので、今回のテストには自信があったんです」


 そう言って、セラは安堵しきった目で見つめている幸太郎に向けて優しく微笑んだ。


 自分が赤点を回避したのを察してくれたセラに、幸太郎も得意気な笑みで返した。


 ありがとう、セラさん。


 視線を合わせながら、幸太郎は心の中でセラに感謝の言葉を述べると、心の声が伝わったのか、セラは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「セラもさすがだよな。空いた時間で俺たちや他の人のテスト勉強に付き合いながら、クラストップの成績なんて」

「異性同性、年齢問わずに人気があって、ファンクラブもある理由もわかるってもんだ」

「七瀬は寮に戻ってからも、夜遅くまでセラと勉強してたんだろ? それも二人きりで」


「二人きりになったらセラさん、すごく厳しくなって辛かった。でも、夜食にオニギリを出してくれて嬉しかったし、に美味しかった。それ以外は――あ、そういえば、セラさんの部屋で徹夜で勉強した時――……」


 二人きりで、それも、泊りがけで勉強していたと言った幸太郎に、思春期真っ盛りの友人たちは身を乗り出して彼の次の言葉を待っていた。


「その時セラさん、机の上で涎を垂らして寝てたよ。かわいかったからつい――」


「そ、それで、それで? その先は?」

「あ、あのセラがそんな無防備な姿を晒すなんて」

「ここまで来たら、漢としては引き下がれないよな、な?」


 無防備に眠っているセラの姿を想像して興奮の絶頂にいる友人たち。


「つい、セラさんのほっぺをつんつん触っちゃった。柔らかくて気持ちいい感触だった。寝顔がかわいかったから写真を撮ろうと思ったんだけど、その前に起きちゃった」


 期待外れの答えにガッカリする幸太郎の友人たち。


 三人の友人たちと和気藹々と談笑をしていると――「貴様だけ不公平だぞ!」と、怨嗟に満ちた怒声が幸太郎に向かって飛んできた。


 声のする方へと幸太郎と友人たちは視線を向けると、成績表を握り締め、キザッたらしいほど整った顔立ちを嫉妬で醜く歪ませた少年・貴原康たかはら こうが幸太郎に詰め寄った。


「なぜ貴様らはセラさんと一緒にテスト勉強をしたのだ! 僕なんて誘ったのにもかかわらず即答で拒否されたんだ! というか、なぜ貴様はセラさんと二人きりになれる!」


 ヒステリックな怒声を上げる貴原に、幸太郎の友人たちの憐れむような視線が集まる。


「……貴原、いい加減現実を見ろよ」

「恋は盲目、好きにさせようぜ」

「まあ、あれだ……気にするなよ」


 自分より下に見ている幸太郎の友人たちに憐れに思われ、「き、貴様らぁアアアア!」と、貴原はさらに憤慨する。


「貴原君、セラさんと二人きりになりたかった?」


「そ、そう言っているわけではない! そ、そもそも、学生の身でありながら、どうして男女二人きりで勉強をしているんだ! それも、泊りがけで!」


「貴原君って……もしかして、エッチ?」


「なぜそうなる!」


 幸太郎のペースに乗せられてしまう貴原だが、すぐに一度「オホン」とわざとらしく咳払いをして落ち着きを取り戻し、いつものような尊大で明らかに見下している目を幸太郎に向け、彼が手にしている成績表を乱雑に取り上げた。


 幸太郎の散々なテスト結果を見て、貴原は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「落ちこぼれの君には相応しい点数だな。これではセラさんの苦労も無駄だな」


「ぐうの音も出ない――貴原君はどうだったの?」


「これを見たまえ! これが君たち落ちこぼれと僕の差だ!」


 その言葉を待っていたと言わんばかりに、貴原は幸太郎たちに成績表を見せた。


 貴原のテストの結果はかなり優秀で総合得点はクラス二位だった。彼のテスト結果の結果に幸太郎たちは「おー」と、感嘆の声を上げて拍手を送った。


 自分よりも実力のない人間を見下している性格の悪い貴原だが、一応輝石使いとしての能力は優秀であり、学力も優秀だった――上には上がいて、セラには敵わないが。


「すごいね、貴原君って総合得点でクラスなんだ。の貴原君よりも点数が上のセラさんってやっぱりすごいなぁ。の貴原君もすごいけど、一位のセラさんもすごい」


 特に悪気がなく、二位であることを強調して純粋に自分を褒める幸太郎を貴原は憎たらしく睨んでいたが、事実なので反論ができなかった。


 一々気に障る発言を悪気なく繰り返す幸太郎に言いたいことはたくさんあったが、今はそれを堪えて、若干緊張した表情を浮かべて貴原は幸太郎に視線を向けた。


「て、テスト期間中にセラさんと長く一緒にいた、き、君に尋ねるが……せ、セラさんのクリスマスの予定を知らないか?」


 期待と不安で震えた声で、貴原はセラとよく一緒にいる幸太郎から、目の前まで近づいているセラのクリスマスの予定を尋ねる。


「冬休みになったらすぐにティアさんと実家に戻るって予定って言ってた」


「つまり、予定は未定――すぐに誘った方が良さそうだな!」


 一人燃え上がっている貴原に、幸太郎は「おぉ」と感嘆の声を上げる。


「貴原君セラさんをクリスマスにデートに誘うの?」


「煌びやかなイルミネーションに、豪勢なクリスマスフード、寒空の下お互いを温め合う恋人たち、そんな恋人たちを祝うクリスマスソング――最高の一日だ!」


「不純異性交遊は禁止だって、生徒手帳に書いてあったと思うけど……」


 熱っぽい表情を浮かべて興奮しきっている貴原に、幸太郎はぽつりと呟いた。


 突拍子のない幸太郎の呟きに、貴原は顔を真っ赤にさせて素っ頓狂な声を上げ、「な、何をバカなことを!」と、完全に慌てた様子で声を張り上げた。


「ぼ、僕はただ、清い聖夜をセラさんと健全に過ごすつもりでいるだけだ!」


「性夜だって」

「やるなぁ、貴原」

「気合入ってるなぁ」


「ご、誤解を招くようなことを言うんじゃない!」


 ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた幸太郎の友人たちの一言に、顔を真っ赤にさせた貴原は慌てて否定する。


 だが、慌てて否定したのが逆効果だったのか、クラスメイト――特に女子からの白い視線が貴原に集まっていた。




 ―――――――――――――




 放課後の風紀委員本部に、風紀委員の証である赤と黒のラインが入った腕章を腕に巻いた幸太郎とセラ、そして、白を基調としたアカデミー中等部の制服を着た赤茶色の髪をセミロングヘアーにした褐色肌の鋭い目つきをした少女――サラサ・デュールがいた。


 アカデミー都市の巡回に向かう前に、三人はソファに座ってもう一人の風紀委員――御柴巴の到着を待っていたが、三人が集まって三十分経っても巴が来る気配はなかった。


 呑気にスナック菓子を食べている幸太郎以外、彼の隣に座っているサラサと、彼と向かい合うようにして座っているセラは暗い表情を浮かべていた。


 幸太郎がスナック菓子を咀嚼する音が響いているだけで、アカデミー高等部校舎内の空き教室を利用した風紀委員本部内には沈黙が流れていた。


「……御柴さん、今日も来ないのかな」


 スナック菓子を食べ終えると同時に幸太郎は何気なくそう呟くと、セラは「……そのようですね」と、複雑な表情を浮かべて反応した。


「村雨さんの一件もあるんです。巴さんなりに御使いの一件を調べているんでしょう」


「……村雨さん」


「大丈夫ですよ、サラサちゃん……村雨さんはきっと無事ですから……」


 半月前の事件で鳳グループを占拠した首謀者である村雨宗太の名前をセラが出すと、サラサは不安気な面持ちで村雨を心配していた。そんなサラサを安心させるようにセラは「大丈夫」と声をかけるが、セラもサラサと同様晴れない不安を抱えていた。


 半月前の事件で村雨が捕まり、村雨は風紀委員と同じくアカデミー都市内の治安を維持する治安維持部隊・制輝軍せいきぐんの拘留施設に処分が決まるまで収容されていた。


 だが、処分が下される寸前に、村雨が収容されていた場所が爆破された。


 周囲には影響はなかったが、村雨が収容されていた場所だけがピンポイントに爆破されており、中にいた村雨の行方はわからなかった。


 行方――というよりかは、村雨の安否が不明だった。


 爆破された拘留施設内はひどく損傷しており、村雨の姿はなかった。


 拘留施設内に設置された監視カメラの映像には施設から抜け出した村雨の映像が映っていなかったので、村雨の身体は塵も残らずに爆炎に呑まれて消えたと判断されていたが――巴はもちろん、セラたちも村雨の無事を信じていた。


 確証はなかったが、セラたちは爆破事件に、最近発生している事件の裏で暗躍している御使いが関わっていると確信していた。


 村雨が起こした事件に御使いは協力しており、自分たちに不利益をもたらすと判断して御使いは村雨の口を封じたのだ。


 事件が起きてすぐに、巴は父である御柴克也みしば かつやとともに、御使いを調べるために風紀委員の活動をしばらく休むと言ってきた。


 もちろん、セラたちは巴を手伝うと言ったが、セラたちの協力の手を振り切って、巴は父と一緒に御使いについて調べはじめた――それ以降、巴はセラたちの前から姿を消し、連絡も取れなくなった。


「大丈夫ですよ。本当に私たちの力が必要になったら、巴さんは無茶をしないで私たちにきっと協力を求めますから……だから、大丈夫です、きっと……」


 サラサを安心させるようでいながらも、セラは自分に言い聞かせるようにそう言った。


 暗い雰囲気が漂う風紀委員本部内だが――そんな雰囲気を壊すように「あ、そうだ」と、幸太郎が呑気に声を上げた。


「もうそろそろ冬休みだよね」


 目前にまで迫った冬休みの話題をしてくる幸太郎にセラとサラサは一気に脱力したが、すぐに呑気な彼らしさに思わず微笑んでしまった。


「セラさんは冬休みになってすぐに実家に戻るから、クリスマスにはもういないんだよね」


「ええ、両親も私に会いたがっているので、一旦アカデミーを出ます。まだ御使いを捕えていない中、呑気に休暇をしてしまうのは申し訳ありませんが、すぐに戻ります」


「それなら貴原君、セラさんと一緒にクリスマスを過ごせないんだ」


「誘われましたが、もう断りました」


「貴原君、セラさんにまたフラれたんだ」


 心底どうでもいい様子でセラは冷淡に感じるほど素っ気ない口調でそう答えた。


 またセラにフラれた貴原を不憫に思いながら、幸太郎はセラからサラサに視線を移す。


「サラサちゃんは冬休みをどう過ごすの?」


「わ、私はそ、その……お嬢様と一緒に過ごし、ます……」


 サラサは、控え目な声量で幸太郎に冬休みのオドオドとした口調で予定を話すと、彼女が言った『お嬢様』という人物に幸太郎は「そういえば」と反応する。


「鳳さん、元気?」


 お嬢様――サラサと、サラサの父であるドレイク・デュールが仕えている人物であり、アカデミーの学園長兼鳳グループトップの娘、そして、風紀委員を設立した張本人である鳳麗華の名前を、幸太郎は気軽に口に出した。


 村雨が起こした半月前の事件後に、麗華に八つ当たりされたことをまったく気にしていない様子の幸太郎に、サラサは安堵の表情を浮かべて「……はい」と、小さく頷いた。


「……もうすぐ、旦那様が退院するから、お嬢様、とても安心して喜んでいます」


「大悟さん、無事でよかった」


 半月前に起きた鳳グループ占拠事件で、事件を引き起こした村雨を影で操っていた人物の凶弾に倒れた大悟が無事に退院するということに、幸太郎は心の底から安堵した。


「冬休みになったら僕もすぐに実家に戻ろうと思ってたけど、戻る前に大悟さんに挨拶しようかな」


「……その……お嬢様もきっと、こ、幸太郎さんに会いたがっていると思います」


「そうなの?」


「……は、はい! だから、会ってあげてください」


「うん、そうするよ」


 あの勝気で尊大な麗華が自分に会いたがっているという姿が想像できない幸太郎だが、半月前の事件以降麗華と一度も会っていないし、懇願する目でサラサが自分を見つめてきたので、幸太郎は麗華に会うことに決めた。


 話が一段落したが、ここで幸太郎は「そういえば」と何かを思い出した。


「クリスマスに優輝ゆうきさんと水月みづき先輩、二人きりで過ごすんだよね」


「幸太郎君、せっかく奥手の沙菜さなさんと、朴念仁の優輝がクリスマスを一緒に過ごすほどの仲に発展したんです。二人のために、邪魔はしないでください」


 セラの幼馴染である久住優輝くすみ ゆうきと、セラと幸太郎の一つ上の先輩であり友人の水月沙菜みづき さなが、クリスマスに一緒に過ごすということに、幸太郎は興味津々の様子だった。


 野次馬根性丸出しの幸太郎に、セラは若干厳しい口調で警告する。


「でも、優輝さんと水月先輩、いつの間にかすごく近づいたよね。これ以上発展したらどうなるんだろう。それも、クリスマスで」


 他意はなく何気なく放った幸太郎の言葉に、思春期真っ盛りで多感なお年頃の純情乙女のセラとサラサは何か頭の中でよからぬ妄想をしてしまったのか、頬を僅かに紅潮させた。


 そんな二人の反応を幸太郎は不思議そうに眺めながらも、話を続ける。


「優輝さんと水月先輩がクリスマスを一緒に過ごしたら、どうなると思う?」


 邪念がいっさいない幸太郎の何気ない質問に、頭の中の妄想に歯止めが利かなくなったサラサは湯気が出そうなくらい顔を真っ赤にさせていた。


 サラサと同じく頭の中の妄想に支配されそうになっていたセラだが、自分自身に喝を入れて、ソファから勢いよく立ち上がった。


「さ、さあ、巡回に向かいましょう」


「あ、そうだね。それじゃあ巡回に向かおうか」


 無理矢理幸太郎の話を切り上げて、風紀委員の活動の開始を宣言する。


 話に夢中で風紀委員の活動のことをすっかり忘れていた幸太郎はすぐに頭を切り替えて、話を切り上げてソファから立ち上がった。


 上手く幸太郎の話を切り上げたことに、セラは心の中で深々と安堵のため息を漏らした。


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