第32話

 父の手術が終わり、麗華が病院から自分が暮らす屋敷に戻る頃には、もうすっかり夜が更けてしまっていた。


 明かりが一つも灯っていない暗い寝室に、麗華は天蓋がついている自分のベッドの上で座っていた。暗くてよくわからないが、彼女の目は涙で赤く腫れていた。


 麗華の傍らには、静かに寝息を立てているサラサの姿があった。


 人質にされた後で、病院からずっと麗華の気を遣っていたサラサは、心身ともに疲れ切っており、屋敷についてベッドに向かうとすぐに眠ってしまった。


 感謝の意を込めて、眠っているサラサの赤茶色の髪をそっと撫でようとするが――


 自分の手が視界に映った瞬間、父の血に塗れた自分の手が頭に過り、麗華は思わず手を引っ込めた。


 激しい動悸に襲われると同時に、目の奥がジンと熱くなってきた麗華は、両膝を抱えて顔を俯かせた。


 何度も心の中で、大丈夫と連呼させて自分を安心させていた。


 父――鳳大悟の手術は成功したが、まだ安心できなかった。


 心臓付近で止まっていた弾丸を何とか摘出することに成功したが――意識が戻るかどうかは本人の気力次第だった。


 父のタフさはよく知っているので、意識は戻ると確信しながらも、それでも、もしものことを考えてしまって麗華は不安に襲われていた。


 両膝を抱えて座って俯く麗華から小さな嗚咽が聞こえていた。


 ひとしきりすすり泣いた後に訪れるのは後悔と無力感と自己嫌悪。


 父を助けられなかった後悔と、意識不明の父に何もできない無力感、そして――七瀬幸太郎に八つ当たりしてしまった自分への嫌悪感だった。


 父が凶弾に倒れたのが幸太郎のせいではないと麗華は十分に理解していた。


 むしろ、あそこで戌井を倒してくれなければ、戌井は一発だけでではなく何発も撃っていた可能性があったので感謝をするべきだった。


 しかし、そう思っていても、もっと良い方法があったのではないかと、無駄なことを考えてしまっていたから、麗華は幸太郎に八つ当たりをしてしまった。


 そんな自分が情けなく、心底嫌気が差して、麗華は再び目の奥が熱くなってくるが――


 小さく部屋をノックする音とともに懐中電灯を持ったドレイクが寝室に入ってきた。


 ドレイクが入ってきて、麗華は慌てて流しそうになっていた涙を拭ったが、泣き腫らした目を見れば今まで泣いていたことなど一目瞭然だったが、ドレイクは何も言わなかった。


「……まだ、眠っていなかったか」


「ちょうど眠るところでしたわ」


「お前のことじゃない。サラサに対して言ったんだ」


 眠っているはずだと思っていたサラサに麗華は視線を移すと、静かに寝息を立てていたサラサは起き上がって、涙で目を腫らしている麗華を心配そうに見つめていた。


「さ、サラサ、あなた起きていましたの?」


「……ごめんなさい、お嬢様。私も眠れなくて……」


「いつものお前なら気づいたと思ったんだがな」


 サラサが起きていることに驚いている麗華に、ドレイクは憂いを帯びたため息を漏らす。


 自分の情けないところを見られて気恥ずかしそうにする麗華は、恨みがましい目でサラサとドレイクを睨むように見つめていた。


「それで……何か用ですの。――も、もしかして、お父様に何かありましたの?」


「容態は依然変わらずだ……お前に言っておきたいことがあるから、ここに来たんだ」


 期待と違う答えが返ってきて落胆する麗華だが、「話って何ですの?」と、ドレイクの話を聞くことにする。


「幸太郎のことだ」


「……今、その名前は聞きたくありませんわ」


 幸太郎の名前を聞いて八つ当たりした自分の情けない姿が頭に過り、自分自身の苛立ちで露骨に不機嫌な顔になる麗華だが、そんな彼女を無視してドレイクは話を続ける。


「幸太郎が持っていたショックガンは、以前のものとは違い、威力を犠牲にして反動を少なくさせた新型のショックガンだ。旧型のショックガンは撃ち出した弾丸の威力をかなり消すことができたが、新型は僅かに弾丸の威力を消すことができるとのことだ」


「……何を言いたいのか、よくわかりませんわ」


「本来弾丸は大悟の心臓は貫かれるはずだったが、弾丸に外部から強い力が作用して、威力が弱まったから心臓付近に止まったと医師から聞いた――ここまで言えば何が言いたいのかわかるだろう」


「……そんなの、ただの偶然ですわ」


 平坦な口調で偶然だと言い放つ麗華だが、その声は衝撃で若干震えていた。


 今にも麗華は感情のままに八つ当たりしてしまった幸太郎への罪悪感と、彼への感謝の気持ちが溢れ出しそうになってしまった。


「だが、幸太郎が大悟を助けたことは事実だ。それだけは、忘れないでやってくれ」


 諭すようにそう告げて、ドレイクは寝室から出て行った。


 偶然かもしれないが、幸太郎が父を助けたのは事実であると、認めたくはないが麗華はそう思っていたが――そう思うと同時に、麗華に強い罪悪感が生まれてしまった。


「幸太郎さんなら大丈夫、ですよ、お嬢様。あの人は……優しい人ですから」


「……わかっていますわ、そんなこと」


 罪悪感に押し潰されそうな自分に気を遣ってくれたサラサに、向けて麗華はそう呟いた。


 サラサの言う通り、幸太郎なら何も心配はないと麗華は思っていた。


 周りのことを考えないで無茶をするし、バカで、呑気で、平凡で、空気を読まなくて、無神経で、お人好しで、友達思いで、義理堅くて、優しくて、温かい――そんな幸太郎ならば、自分の言ったことは気にしていないと麗華は確信していた。


 そして、そんな幸太郎に甘えて、感情任せの言葉を並べて彼に八つ当たりしてしまったことに、麗華は深い後悔を抱いてしまった。


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