第31話

 セントラルエリアにある最先端の医療が受けられる大病院内の手術室前のソファには、幸太郎、セラ、草壁、ドレイク、サラサ――そして、着ているドレスが血に塗れている麗華が座っていた。


 パーティー会場を占拠した後に、警備員たちから回収した武器である、銃とナイフを事前に奪って隠し持っていた戌井は、拘束をナイフで解いて、麗華に向けて銃を撃った。


 だが、戌井の銃から撃ち出された弾丸は、娘を庇った大悟の胸に当たった。


 即座に救急車に運ばれた大悟は手術が行われることになったが――大悟の胸に撃ち込まれた弾丸は心臓近くに止まっており、助かる可能性は低いと医師に宣告された。


 手術が開始されて一時間以上経っているが、手術中と表示されたパネルの明かりは消えそうになく、手術室前にいる幸太郎たちの間に会話はなく、重苦しい空気に包まれていた。


 特に重い空気を身纏っているのはサラサの隣に座っている、父の血がべったりとドレスについているドレスを着ている麗華だった。


 麗華は父が病院に運ばれてから一時間以上俯いたままで、心配して声をかける看護師の言葉に反応することもなく、ただ、陰鬱として重い空気を身に纏っていた。


 ふいに――麗華は俯いたまま立ち上がり、対面に座っている幸太郎に近づいた。


 そして、幸太郎の胸倉を掴んで力任せに持ち上げる。


「やめろ、麗華。お前が怒りを向けるべき相手は彼ではない」


「鳳さん、お願いですから落ち着いてください!」


 草壁とセラの制止を聞かずに、麗華は胸倉を掴んだ幸太郎の頬を思いきり張った。


 そして、胸倉を掴んだまま幸太郎の身体を、叩きつけるように思いきり壁に押しつけた。


 麗華を制止させようとするセラだが、幸太郎が目配せして首を横に振ったので、セラは手を出さずに見届けることにした。


「あなたが――……あなたが、もっと早くに戌井さんに攻撃していればこんなことにならなかったのですわ! 私に注意を促すよりも先に戌井さんを攻撃するべきでしたわ!」


 俯いていた麗華はここで顔を上げて、幸太郎を感情任せに責めたてる。


 怒り、悲しみ、無力感、様々な感情を宿した表情の麗華は大粒の涙を流していた。


 幸太郎たちが何度か見たことがある悔し涙ではなく、本物の涙を流していた。


 決して自分の弱みを見せない傲岸不遜な性格で、溌剌として強気な普段の表情からは信じられないほど、麗華は弱々しい表情を浮かべていた。


 涙に塗れて弱々しい麗華の表情を、幸太郎は何も言わずにジッと見つめていた。


「あなたが大声を出さなければ戌井さんは咄嗟に撃とうとしませんでしたわ! 気づいていたのならば、誰かに話すべきでしたわ! あなたが何もしなければよかったのですわ! 全部! 全部、あなたが余計なことをしなければよかったのですわ!」


 麗華に一方的に責められても、幸太郎は何も言わなかった。


 何を言われようとも、幸太郎はジッと麗華のことを見つめていた。


「あなたが――あなたが……私なんかを……」


「……満足した?」


 麗華が自身の責める言葉がなくなると同時に、今まで黙っていた幸太郎は口を開いた。


 淡々として短い言葉だが、今麗華に対してかけられる言葉を言ったつもりだった。


 そして、幸太郎は自身の胸倉を掴んでいる麗華の手を、自分の手でそっと優しく包んだ。


 幸太郎の言葉と、自分の手を包む温かく優しい彼の手の感触に、一瞬我に返った麗華だったが――すぐに、自分の手に触れていた幸太郎の手を振りほどき、胸倉を掴んでいた幸太郎を乱雑に突き放して、手術室の前から走り去った。


「待て、麗華!」


 そんな麗華の後を、草壁は慌てて追った。


「サラサ、麗華の傍にいてやってくれないか?」


「……うん」


 父の言葉にサラサは力強く頷いて、草壁の後に続いてサラサは麗華を追った。


 麗華が走り去って、再び静けさが戻ってくると、「幸太郎君」と、セラが立ち尽くしている幸太郎に近寄って声をかける。


「……大丈夫ですか?」


大丈夫」


「そうですか……」


 自分に向けられていた麗華の怒りにまったく気にしていない様子の幸太郎だったが――そんな彼の手を、セラは自身の手でそっと触れた。


 自分は何があっても必ず傍にいる、そう幸太郎に訴えるように、セラは自身の手で優しく彼の手を包んだが――


「セラさんの手、汗ばんでる」


「……そういうこと、言わなくていいですから」


 幸太郎の素直すぎる感想が、すべてを台無しにした。




―――――――――




 アカデミー都市で暮らすほとんどの人が寝静まっている時間だが、鳳グループ本社で唯一明かりが灯っている部屋があった。


 その部屋は御柴克也の仕事部屋であり、そこで克也は黙々と作業をしていた。


 鳳グループトップが凶弾に倒れたというのに、動揺することなく黙々と書類に目を通している自分の父を、父が座っている机を挟んで立っている巴は冷めた目で見ていた。


 娘を呼び出しておいて、「ちょっと待ってくれ」と、克也は書類に目を通しながら言ったまま、十分以上経過していた。


 すぐに父の前から立ち去れるように立ったまま待っている巴だったが、いい加減ウンザリしていた。


「……帰ってたんだ、海外出張から」

「……ああ」

「まだ呼び出した理由を話さないの?」

「……ああ」

「話聞いてるの?」

「……ああ」

「……バカ」

「……ああ――あっ……」


 娘の声に適当に反応していた克也だったが、ついつい『バカ』と言われて反応してしまったことに数瞬の後に遅れて気がついた。


 娘に謀られた克也は小さくため息を漏らして自分の作業を中断させた。


「お前を呼び出したのは俺たちに協力してもらうためだ」


「何をするつもりなのかわからないけど、小父様が生死の境をさまよっているというのに、どうして仕事なんてできるのよ」


「大悟が倒れている今だからこそ、大悟の代わりにできることをする。それだけだ。そんなことよりも、早く話を進めるぞ。こっちにも予定があるんだ」


 娘の冷めた視線をまったく気にしていない様子で、克也は話を進める。


 予定があると言っている父に、だったらさっさと話をはじめればいいだろうと文句を言いそうになるが、無駄話はしないでさっさとこの場から立ち去りたいので巴は堪えた。


「お前には今回大悟が話した、天宮家と煌石についての話を調べてもらう」


「……どうしてそんなことをしなければなないの?」


「信用できないからだ」


 村雨や人質のために真実を話した、昔からの友人である大悟を信用していない様子の父を、巴はハッキリとした嫌悪感と不信感を抱いていた。


 自分に協力するつもりがない娘の様子に、克也は小さく嘆息をした。


「……今回の件、お前にも責任の一端があるのは理解しているな」


 平然と塞がっていない傷口を抉ってくる父親に、巴は不快感を露わにするが、それでも、事実であることは変わりがないので何も反論はできずに、頷くことしかできなかった。


「今回の件に関して少しでも罪悪感があるのならば、お前はアカデミーのために行動した村雨の意志を継ぐべきだ」


 巴の心の中で燻っていた炎が、父の言葉によって僅かに大きくなった。


「それで? ……小父様の言った話を調べ直して、何をするつもりなの」


 真実を話した大悟を信頼している様子で純粋な疑問を口にする娘に、克也は影のある表情で仄暗い感情が見え隠れする笑みを浮かべた。


「鳳グループ内にいる裏切者は、大和だけではないと思っている。それを調べるためにも、今回の騒動の発端である天宮家や無窮の勾玉について詳しく調べる必要がある」


 断言する父の言葉に、巴も同感だった。


 頭の良い大和なら、自分自身が立てた計画を余裕で実行できるが――今回の一件で、誰にも疑われることなく村雨が警備員の振りをしてパーティーを占拠したこと、厳重なセキュリティと破ったこと、そして何よりも、新型ガードロボットを操る装置があったということだった。


 今回の件には多くの専門知識や、セキュリティシステムやガードロボットを支配できる装置を作る高い技術力、そして、当日の警備状況を把握して村雨たちに付け入る人物が必要であり、大和一人では今回の騒動を実行に移すのは難しいのではと巴は考えていた。


 考えられるとするならば、大和以外にも鳳グループ内に裏切者いることだった。


「お前も理解していると思うが、今の鳳グループは信用できない。だから、お前は鳳グループの人間の言葉は信じるな――もちろん、俺も含めてだ」


「……小父様の言葉も信用するなということね」


「アイツは昔から隠し事が多かった。今回のこともそうだ。アイツは長年の付き合いの人間に煌石のことを一言も言わなかった。そんな奴を信頼できると思うか?」


 父と大悟が古くからの友人であるとことを知っている巴は、友人を心から信用していない父のことを心底失望するようにため息を漏らして、背を向ける。


「鳳グループのことを信用していないのは理解できるけど、まさか友達の小父様までも疑っているとは……元々見損なってたけど、さらに見損なったわ」


 そう吐き捨てて、すぐに父から離れようと部屋を出ようとする巴。


 心底自分に失望している娘の様子に、克也は自嘲を浮かべると――「待て」と、娘を呼び止めた。呼び止められた娘は立ち止まるが、振り帰ろうとはしなかった。


「協力するのかしないのか、どっちなんだ?」


「……乗り気じゃないと言っておくわ」


 協力する気のない娘の態度にやれやれと言わんばかりに小さく嘆息する克也だが、すぐに口角を微かに吊り上げて、嫌らしい笑みを浮かべた。


「協力するか否かはお前の判断だが――お前の行動が村雨の意思を継ぐことになって、アカデミーのためになる、それは確実だ」


 自分の中で燻っている炎を上手く煽るような父の言葉に、僅かにだが確実に巴は揺らいでいたが、今は答えを出さずに無言で部屋から出て行った。


 巴が出て行ってすぐに、萌乃薫が入ってきた。


 上手く娘を焚きつけたと確信して不敵な笑みを浮かべている克也の様子に、ウットリとしながらも、萌乃は小さく嘆息した。


「相変わらず人を焚きつけるのが上手いわね、克也さんは」


「単純なバカ娘だ、まったく……」


「扉越しから聞いてたけど、あんなことを言えば、巴ちゃんは絶対に関わってくるわよ? 巴ちゃんを利用するってことは、あなたたち親子はまた仲が悪くなるわよ」


 からかうようだが諭すような萌乃の言葉に、克也はまったく気にしていなかった。


 娘を利用することになっても、克也は微塵も後悔はしていなかった。


「簡単に利用されるあのバカ娘が悪い」


「ホント、克也さんは悪い子――というか、大人げないわねぇ」


 平然と言い放った克也の言葉に、萌乃は呆れ果てながらも、克也の心意気に心を奪われている様子だった。


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