第8話


 いよいよここまで来た……

 ――もう、後戻りはできない。


 村雨、そして、彼の仲間である戌井たちは、鳳グループ本社を警備する警備員の服を着ており、上層階のセキュリティを管理して、パーティー会場の様子を映し出しているモニターが無数あるセキュリティルームにいた。


 セキュリティルームに向かうため、邪魔をする数人の警備員を気絶させて拘束して、ガードロボットも数台破壊して、目的地であるこの場所に到着した。


 決して戻れぬ場所まで来た村雨は、自分がやろうとしている事件の大きさに、微かに身体が震えていた。覚悟を決めているにもかかわらず、武者震いではなく、恐怖や不安や緊張のせいで身体が震えている自分に、村雨は心の中で思わず自嘲してしまう。


「どうした、村雨。大丈夫か?」


「――ああ、ありがとう。大丈夫だ……すまない」


 自身の気持ちを察して声をかけてくれた戌井に、村雨は感謝の言葉を述べると同時に、気を遣わせてしまったことへの謝罪の言葉を述べた。


 ポケットの中から御使いに手渡された、ハッキング装置である立方体の黒い塊を取り出す。彼の手の中にある装置を見て、戌井は不安げな表情になる。


「ここまでは御使いの言う通り、順調に来ることができた。だが、完全に奴らを信用してもいいのだろうか」


「今は信じるしかない。途中で裏切られたなら、その時は為すべきことをするだけだ」


 不安げな面持ちの戌井に向けて力強く微笑む村雨は、励ますような言葉を言って、さらに付け加えようと思ったが――確証がないことなので、心の内に止めた。


 今回の計画について話し合った御使いと――先月の事件の後すぐに『彼女』と一緒に自分と接触して、自分を焚きつけた人物とは別人だと村雨は感じていた。


 計画について話し合った御使いは、ほんの僅かだが村雨は信じることができた。


 それは自分に対して気遣い、そして、僅かな迷いがあったからだ。


 もちろん、自分たちを利用している可能性も十分にあるが、それでも多少は信用できた。


 しかし、あくまで村雨の主観なので、心の内に止めることにした。


「そうだったな……すまない、これからという時に弱音のようなことを言ってしまって」


「気にするな、戌井。不安なのはみんなも――それに、俺も同じだ」


 ずっと固い表情を浮かべていた村雨だが、脱力したような笑みを浮かべて戌井――そして、仲間たちに自分の両手を見せた。


 仲間たちに見せた村雨の両手は微かに震えていた。


「正直、俺は怖いし、不安だし、何よりも卑怯だ」


 自嘲を浮かべて、村雨はため息交じりにそう言い放った。


「本来なら、今回の騒動は俺一人だけで実行に移すつもりだった。だが、俺は君たちを巻き込んでしまった――いや、君たちを利用するつもりで巻き込んだ……あの時、まだ何も知らなかった君たちに俺がやろうとしている計画と、目的を説明したあの時から」


 本来は今回の騒動は村雨一人で行うつもりだった。


 計画を実行すると決めてすぐに村雨は、実行を移した後に仲間たちを混乱させないために、自分が行おうとしている計画とその目的を話した。


 この時、村雨はすべてを話せば必ず仲間たちは自分に協力してくれるだろうと思っていた――想像通り、すべてを話すとすぐに仲間たちは協力すると言い出した。


 仲間を巻き込みたくない気持ちも確かに存在していたが、それ以上に、彼らの力を借りれば計画の成功率が格段に上がると思っていたからだ。


「打算的な行動で大勢の仲間を巻き込んでしまった俺は、君たちが思うような清廉潔白な人間じゃない、ただの卑怯者だ」


 自分が狡猾であると正直に告白した村雨は自己嫌悪に苛まれながらも、仲間たちの顔を真っ直ぐと見つめて、目をそらそうとはしなかった。


「今からやろうとしている行動は俺たちが正しいと思っても傍目から見れば間違っているし、いつ御使いに裏切られるかわからないし、何よりも無駄かもしれない。そう考えたら、今にもすべてを投げ出して逃げ出したくなりそうになっている、臆病者だ」


 自分の情けない本性を曝け出し、本音を隠すことなく吐露する村雨だが、仲間たちは誰一人として笑うことも、利用されて怒りを覚えることも、情けない村雨の姿に不安になることもなく、真剣な表情で無様な彼の本音を聞いていた。


「だけど、間違っていたとしても、行動を起こし、真実を明らかにすることによって今のアカデミーにとってプラスになると信じている」


 力強く宣言すると同時に村雨の身体を震わせていた恐怖と不安と緊張が消滅して、自然と震えも止まっていた。


 村雨たちの計画の目的は、『鳳』が隠している真実を公表することだった。


 しかし、何も考えずに騒げば噂程度に話が広がるだけで、簡単に揉み消されると思ったので、アカデミー外部から多くの人やマスコミが多く集まるこの日を選んだ。


 そうすれば、今のアカデミーの状況を少しでも良くできると村雨は思っていたからだ。


 ――だが、それだけが理由ではなかった。


 自分を信じている仲間のために、村雨は正直に自分のどす黒い感情を見せる。


「理由はそれだけじゃない。俺は正直、鳳に対して怒っているし恨んでいる。先月の事件で、学生連合にすべての責任を擦り付けて、学生連合を潰したからだ。名ばかりとなった学生連合を潰すのが、俺たち――そして、何よりも巴さんの意思だったが――俺は許せなかった。俺たちのすべてを無駄にした鳳グループが」


 御柴巴が学生連合を率いていた頃に発生した鳳グループ本社占拠未遂事件で、学生連合は事実上解散状態になったが、学生連合の名を騙って暴れたい連中が集まっていた。


 事件の責任取って学生連合を辞めさせられた巴に頼まれ、村雨は学生連合が消滅するその時まで名ばかりとなった学生連合をまとめていた。


 巴のようなカリスマ性がないと自分でも十分に理解していたが、それでも村雨は彼女の意志を継ぐ学生連合のメンバーの協力を得て必死にまとめてきた。


 人をまとめるだけではなく、実力主義が台頭しているアカデミーで、イジメられている実力のない輝石使いを助けたりして、微力ながらも村雨たちは彼らの力になっていた。


 だが――この前の事件ですべての責任を学生連合に擦り付けた鳳グループのせいで、裏切者というレッテルを張られてしまった。


 巴が去って、学生連合の名を騙りたいだけの連中ばかりが集まって、名ばかりとなった学生連合に不名誉な称号を与えられるのは仕方がないと思っていたが――今まで努力していた仲間たちに不名誉な称号を与えられるのが村雨には我慢できなかった。


「これは俺個人の、鳳グループへのささやかな復讐も兼ねている。だから、俺は君たちが思っているような人間じゃない。もしも迷っている人がいるなら、今ならまだ間に合う――すぐにここから去るんだ」


 仲間のために村雨はあえて自分の汚いところ曝け出し、突き放すように冷たくそう言い放つが――誰一人として、立ち去ろうとする者はいなかった。


 わざとらしく冷たく発した村雨の言葉、そして、誰一人として立ち去らない様子を見て、戌井はフッと笑みを浮かべて、村雨の手の中にあるハッキング装置を手に取った。


「村雨、僕を含めてここにいる全員、君を信じていて覚悟を決めている。今更水臭いぞ」


 呆れ果てている戌井の言葉に、同調するように村雨の仲間たちは力強く頷いた。


「前にも言ったと思うが、僕も含めてここに集まった全員、村雨――君の味方だ。それに、これからという時に君がそんな情けなくてどうするんだ、まったく……」


 深々と嘆息した戌井は、村雨に代わってハッキング装置をセキュリティルームのPCの上に置いた瞬間――パーティ会場を映し出していたモニターに一瞬だけノイズが走り、装置が微かに赤く発光する。


 これで、上層階のセキュリティは掌握して、厄介なシステムの作動を阻み、警備用ガードロボットを意のままに操れることができるようになった。


「何から何まですまない、戌井……」


「だから、謝らないでくれ。ほら、次は君と僕が考えた計画を実行しよう」


 御使いを抜きにして村雨と自分が考えた計画通りに、戌井は手慣れた様子でセキュリティルームのコンピューターを操作してエレベーターの機能を停止させ、警備用ガードロボットを非常階段に集中させ、不測の事態に備える。


 準備は万端、後はタイミングを見計らってパーティー会場に向かうだけだった。


「さあ、行こう村雨。君の信念を貫くために」


「……ああ!」


 ……もう迷いはない。

 俺を信じてくれる仲間たちのために。

 そして、正しいと思うことをするために。


 奮い立たせる戌井の言葉と、自分を信じてくれて立ち去ろうとしない仲間たちの姿に、村雨の身体を震わせていた恐怖と不安と緊張が消滅して、自然と震えも止まっていた。


 そして、改めて覚悟を決めた村雨は、信念を貫くため、仲間のために動きはじめる。


 それが、すべてのためになると信じて。




――――――――――――





 幸太郎は走っていた。


 パーティー出席者から白い眼で見られようが、関係なく必死に走っていた。


 必死のあまり不格好で、躓きそうになりながらも、幸太郎は全力疾走する。


 負担の能天気な態度を一変させ、幸太郎はギリギリまでに追い詰められた表情だった。


 雷鳴のような低い轟音が耳に届いてくる。


 同時に、身体の内側を抉るような痛みが走る。


 波のように引いては押し寄せる痛みに堪えきれずに、幸太郎は立ち止まってしまう。


 このまま挫けてしまいそうになるが、ここで痛みに屈してしまっては大惨事に――というか、今まで積み上げたものが崩れ去ると想像して、幸太郎は再び動きはじめる。


 憔悴しきった表情の幸太郎は息を乱して壁伝いに歩いていた。


 満身創痍の状態の幸太郎は、慎重に――主に下半身に力を入れて目的地へと歩いていた。


「うぅ……トイレ……トイレはどこ……」


 目的地――トイレへと目指す幸太郎。さすがに山のように持った料理を二皿一気にかっ込めば、誰であれ腹がおかしくなる。


 ビッグバンが起きそうになって顔を青白くさせている幸太郎。タイムリミットは近い。


 だが、パーティー会場があるフロアが広すぎるので、中々トイレに辿り着けずにいた。


 間に合うか間に合わないかの瀬戸際になり、危機的状況にもかかわらず、憔悴しきっていた幸太郎の表情は穏やかになり、腹――ではなく、頭がなぜかスッキリしてくる。


 厳しい修行の末に悟りの道へと辿り着いた僧侶の如く、穏やかな表情を浮かべて幸太郎はトイレを目指していた――相変わらず、下半身に力を入れて歩いているが。


「……随分と派手なことをしているみたいだな」


「ちょ、ちょっと、ダメよ。落ち着きなさいよ、ね?」


 オアシスまでもう少しのところで、幸太郎の耳に激情を抑えた声と、それを必死で制止させる聞いたことのある声が届いた。


 腹痛で苦しかったが、気になったので声のする方へ視線を向けると――


 ……薫先生? それと、鳳さんのお父さん?

 あの人は――……誰だろう。


 聞いたことのある声の主・萌乃薫が、だらしないボサボサの髪で皺だらけのスーツを着崩して、鋭い目つきをした若々しい外見の男を制止させていた。


 若い男の視線の先には、年齢不詳の外見であり、長めの髪をオールバックにした、冷たい雰囲気を見に纏う、鳳グループトップであり、麗華の父・鳳大悟がいた。


 大悟は自分に敵意と激情を宿した瞳を向けてくる男の視線から逃れることなく、冷え切った目で見つめ返した。


「……何とか言ったらどうた、大悟」


「お前には関係ない」


「ふざけるな!」


「二人ともやめなさい! ね? お願い」


 感情を感じさせない表情の大悟と、そんな彼を今にも殴りかかりそうな雰囲気の男の間に、慌てて萌乃は入ったが、二人の間の空気が変わらず一触即発の状態のままだった。


「お前たち、何をしている」


 萌乃ではどうすることができなかった空気を、絶対零度の冷たい声と同時に現れた壮年の男が打ち破った。


 短く刈り上げた髪型をした、神経質そうな細面の壮年の男――アカデミーの教頭である草壁雅臣くさかべ まさおみが登場して、大悟から彼に男は敵意を向けた。


 草壁の登場にさらにヒートアップする男に、萌乃はウンザリしたようなため息を漏らす。


「なぜここにいる……お前には大悟に任された仕事があるはずだ」


「それはお前らがよく知ってるだろ」


 意味深な笑みを浮かべて挑発的な態度の男を、草壁は軽蔑するような目で一瞥すると、すぐに興味が失せたように視線を外した。


「大悟、そろそろ時間だ。急ぐぞ」


「わかった――……お前との話は後回しだ」


 草壁の言葉を聞いて、腕時計で時間を確認した大悟は、男に背を向けて草壁とともにこ」の場を去ろうとする。


 自分の前から去ろうとする大悟を「待てよ」と呼び止めて、大悟の肩を掴もうとする男だが、大悟に触れようとする手を草壁は掴んだ。


「大悟は仕事中だ。今はお前の相手をしている暇はない。萌乃、この男を追い出せ」


 冷徹な表情の草壁は萌乃にそう命令をするとともに、掴んでいた男の手を乱雑に放す。


 容赦のない草壁の命令に、萌乃は「……わかったわ」と不承不承従う。


「悪いけどここは一旦頭を冷やして、ね? お願いだから」


 静かに怒る男の肩を、萌乃は愛撫するように触れようとするが、男は萌乃に触れられる前に、大悟から背を向けて立ち去る。


 同時に、大悟と草壁は立ち去った男とは逆方向に向かって歩きはじめる。


 男は痛む腹を押さえながら様子を窺っていた幸太郎の前を横切った。


「あ、ちょっと待ってよ。せっかく戻ってきたんだから、私と一緒に過ごしましょうよ」


 男の後を追う萌乃。途中幸太郎の存在に気づいた萌乃は、挨拶代りにウィンクをして、忙しない様子で男の後を追った。


 ……何だったんだろう。

 良くない雰囲気だったんだけど……

 何となく、仲良さそうに見えた。


 自身の目の前で起きた緊張感のある出来事が気になっている幸太郎だが――


 本来の目的を忘れていた幸太郎に喝を入れるかのように、腸が活発化をはじめる。


 大惨事までのカウントダウンが十秒を切ってしまっていた。


 持てる力をすべてストッピングパワーに回して、トイレまで全力疾走する。

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