第34話
事件から一週間後――大量のお菓子を詰め込んだ袋を持った刈谷は特区内にある医療施設を訪れていた。
特区内には囚人が怪我を負った場合や、病気を患った場合に備えて、囚人専用の入院施設が存在しており、刈谷はある囚人が入院している病室へと向かっていた。
病室に向かう刈谷の足取りは重く、表情は緊張で強張っていた。
何度もここに向かうのを躊躇い、ここに来るまで何度したのかわからないため息を深々と漏らした刈谷は、とうとう目的地へと到着してしまった。
病室のネームプレートの名前には、『嵯峨隼士』と書かれていた。
目的地へと到着しながらも、病室の扉を開けるのを躊躇う刈谷。
このまま手に持った食べ物を詰め込んだ袋だけ置いて逃げるように立ち去ろうとすら思っている刈谷だが――覚悟を決めて、扉を勢いよく開いた。
窓一つない病室には、ボーっとしているがよく見ればそれなりに整った顔立ちをしている青年・嵯峨隼士がいた。
ベッドの上で呑気に頬杖をついて漫画を読んでいる嵯峨の頭には包帯が巻かれていた。
「あ、久しぶり、ショウ」
去年の事件が起きてから、一度も会わなかった親友が現れたのに気づくと、何の感動もない様子で淡々とした様子で嵯峨は刈谷に挨拶をしてきた。
久しぶりだというのに淡々とした挨拶をする嵯峨に、相変わらずだと思うとともに、去年から何一つ変わっていないようで呆れていた。
「……お前は少しくらい変わってほしかったよ」
何一つ変わっていない様子の嵯峨に、脱力するように深々とため息を漏らして近くにある椅子に座った。
「事件は終わったんだってね。お疲れ様」
「もう知ってたのかよ」
「うん。美咲さんから聞いたんだ。お見舞いに何度か来てくれたからね」
「そういや、銀城って特区の看守長だったな。知り合いだったのか?」
「特区にいる頃は話が合ったんだ」
「頭のネジがぶっ飛んだ同士お似合いだな」
「ショウに言われたくないんだけど」
「うるせぇ、バーカ」
久しぶりに軽口を叩き合い、刈谷はここに来るまでの緊張感はもう忘れてしまっていた。
ひとしきり話し終えると、「それで――」と、嵯峨は本題に入る。
「突然どうしたの」
「気が向いたんだよ」
「一年間も気が向かなかったの?」
人の気も知らないで平然と痛いところついてくる嵯峨に、刈谷は段々苛々してくる。
「うるせぇな。これが欲しくねぇのか? ああ?」
「あれ、それお菓子? くれるの?」
「……ほらよ」
「いやぁ、嬉しいなぁ。たまに無性に食べたくなるんだよね」
持ってきた大量のお菓子を詰め込んだ袋を刈谷は嵯峨に差し出すと、嵯峨は嬉々とした顔でスナック菓子の封を開けて、さっそくボリボリと音を立てて食べはじめた。
「ショウも食べる?」
「……ああ」
特区にぶち込まれているのを忘れるくらい呑気な様子の嵯峨に、さらに刈谷は全身から力が抜けるような気がした。
しばらく、スナック菓子を咀嚼する音が病室内に響くだけの無言の状態が続き、スナック菓子を食べ終えた瞬間、刈谷は「……なあ」と、嵯峨に話しかけた。
「どうしてお前は多摩場たちと一緒に逃げなかったんだよ」
これを聞きたいがために、刈谷は覚悟を決めて嵯峨に会いに来た。
先日起きた特区内での脱獄騒動の時――嵯峨は一人だけ脱獄しようとする囚人たちの前に立ちはだかった。
結局、返り討ちにされて囚人の脱獄は防げなかったが、それでも嵯峨が引き止めたおかげで本来はもっと大勢いた脱獄囚の数を抑えることができた。
脱獄する絶好の機会にもかかわらず、脱獄の直前に裏切った理由を刈谷は聞きたかった。
脱獄の時、嵯峨隼士という男は何を思い、何のために脱獄をしなかったのかを。
それを聞けば、去年嵯峨を捕えてからずっと心の中で重しになっていた塊が、晴れるような気がしたからだ。
「気が乗らなかったから」
待ち望んでいた答えを、もったいぶることなく淡々とした調子で言い放つ嵯峨に、刈谷は理由を聞きたいがために、ここに来るまで何度も歩みを止めてしまいそうになった自分がバカバカしくなった。
「だって、ここで脱獄したらショウはまた僕を捕まえるよね? そうしたらまた僕はきっと、また後悔することになると思って気が乗らなかったんだ。あ、でも、ちょっとはここで活躍すれば、永久追放が取り消しにならないかなって、思っちゃった」
何一つ変わっていないと思っていたが、自分が『後悔』していることを素直に認めている嵯峨に、刈谷は安堵するとともに、心の中で抱えていた塊が軽くなったような気がした。
「……バーカ。そんなもんでお前の罪は消えねぇよ」
「だよねー」
軽い調子で言った刈谷の言葉に、嵯峨は楽しそうに笑った。
聞きたいことも聞けたので、刈谷はそろそろ帰ろうと椅子から立った。
「それじゃあ、俺はもう帰るぞ」
「早いね。もう帰るんだ」
「一応、面会時間が決められてんだよ」
それもあったが、これ以上嵯峨と一緒にいて話し続けてしまえば、出て行き辛くなってしまうと考えたので、刈谷は早々と立ち去ることに決めていた。
「また来てくれる?」
「約束はしねぇよ」
素直ではない態度を取る刈谷に、嵯峨は微笑む。
自分の返答に小っ恥ずかしくなった刈谷は、さっさと立ち去ろうとするが、「待って」と、嵯峨は慌てた様子で刈谷を引き止めた。
嵯峨に引き止められて、心底面倒そうに刈谷は振り返った。
「帰る前にキョウさんのことで話したいことがあるんだけど……」
嵯峨が『キョウさん』――嵯峨と刈谷、二人の共通の親友である大道共慈のことで話しがあると言ってきて、刈谷の表情が真剣なものへと変わる。
「……アイツがどうかしたのか?」
「実はまだ、これ誰にも言ってないんだよね。言ったらキョウさんが大変なことになりそうだから……だから、ショウにだけに話したかったんだ」
何か大道について重要なことを知っている嵯峨に、刈谷は動揺を抑えて、喉から振り絞った声で「聞かせろ」といった。
「脱獄の邪魔をして完膚なきまでボコボコにされた時なんだけど――キョウさんがいた」
どうして脱獄の時に大道がいたという疑問が刈谷にはわいて出てくるが、今は平静を装って、刈谷は嵯峨の話を黙って聞くことにした。
「意識を失いかけて、ボンヤリとしてたんだけど……キョウさん、傷だらけの僕を医務室まで送ってくれたんだ。キョウさん、全然似合ってない白い服を着て、せっかくのトレードマークのつるつる坊主頭をフードで隠してたよ」
「……そうか」
「キョウさん、あの時何してたか知ってる?」
「調べてみる……このことは誰にも言うなよ」
「うん、そのつもり」
御使いに関して何も知らない嵯峨だが――刈谷は、今の話を聞いて、大道が御使いと何らかの関わりがあると確信を持った。
今まで御使いのことは何もわからなかったというのに、ここに来ての衝撃の事実に、刈谷は驚愕するとともに、大道への怒りがわいて来るが、嵯峨に無用な心配をかけさせないため、それを必死で堪えて平静を装っていた。
しかし、それも限界に近く、さっさとこの場から刈谷は立ち去りたかった。
「ショウ――気をつけてね」
「……ああ」
刈谷から何かを感じた嵯峨は、去ろうとする刈谷に声をかけた。
自分を心配している嵯峨の声に、刈谷は振り返らず、爆発しそうな激情を必死で堪えて震えている声で応えると、刈谷は病室から出て行った。
そして、特区から出た刈谷は大道を探すためにアカデミー都市中を走り回った。
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