第25話

 訓練場等が立ち並ぶウェストエリア内で一際目立つほど巨大な、煌王祭等大きなイベントで使用される闘技場――


 闘技場の天井にある天窓から映る夕日は沈みかけており、闘技場内は広大な面積を誇る試合場は僅かな照明に照らされているだけで薄暗かった。


 薄暗い試合場内には複数台のカメラと大型のモニターがあった。


 そして、試合場の中央には人質にされた鳳グループ社員がいて、そんな彼らを武輝である巨大な鋏を持ったエリザから守るようにティアは立っていた。


 両手両足、そして、輝石でさえも奪っていないティアだが――力を失っていて何もできないので、エリザは嫌味な笑みを浮かべて彼女を眺めていた。


「――さて、そろそろかな……ティア、どう思う? 最初にお友達がやってくると思う? それとも、交渉係が来ると思う?」


 そう言いながら、エリザは妖艶な笑みを浮かべてティアに近づいた。


 ティアの目の前まで来ると、エリザはふいにティアの美しい銀髪を一房手に取った。


 そして――おもむろに手に取った一房の髪をエリザは愛おしげに撫で摩る。


 赤子を触るかのように優しく、恋人と触れ合うかのように情熱的に、官能的に触れた。


 触れながら、エリザは大きく息を吸い込んでティアの髪のにおいを嗅ぐ。


 髪を鼻に押しつけながら、何度もエリザは深呼吸をして、ティアの髪のにおいを全身の隅々まで行き渡らせる。


「たまらない……たまらないよ、ティア……やっぱりアンタの髪は最高だよ。巴の極上の髪でも、手入れがされていないけど芯がしっかりしていて滑らかな美咲の髪でも、アンタの髪には勝てやしないよ……」


 頬が上気しているエリザの表情は熱に浮かされたようにボーっとして恍惚に染まっており、発情しきった動物のように息を荒くしていた。


 涎に塗れた長い舌を限界まで突き出して、ソフトクリームを舐めるかのように美味しそうに、そして、ねちっこく、ティアの髪を舐め上げた。


 エリザの舌に舐られた一房のティアの髪は、エリザの唾液でいやらしく光っていた。


 涎で作られた糸がエリザの口まで引いており、その姿は扇情的であり、背徳的だった。


 ティアは動じることなく、抵抗することなくエリザの行為を受け止めていた。


 アブノーマルな行動で快楽に浸るエリザを見るティアの目は軽蔑に染まっていた。


 しかし、そんなティアの視線でさえもエリザは快楽になっているようだった。


「……満足か?」


「まだまだ……こんなもんじゃないよ――アンタのことをアタシはもっと辱めたい。アンタのその顔が屈辱と羞恥に満ちるのが見たいんだ……」


 整ったティアの頬を撫でるように触れたエリザは、まだ満足していないようだった。


 ふいに、エリザはティアが運動着として着ている、ノースリーブの上着についたファスナーに触れ、ゆっくりと、少しずつ、ファスナーを深い胸の谷間が露わになるまで降ろす。


「アンタの痴態が衆人の目に晒された時、アンタはどうなるのかな?」


「くだらん……そんなことのために、ここまでの騒ぎを起こしたのか」


 自分に対して歪んだ欲望をぶつけてくるエリザに、心底ティアはウンザリしていた。


 こんな状況になってもまったく折れることなく力強い光を宿しているティアの瞳に、エリザは気圧されながらも、ますます興奮していた。


「ここまで来るのに随分と回り道をしたな……連日の鳳グループ関連施設の襲撃、今日の爆破、そして、大勢の人質――お前たちのしていることはすべて時間の無駄だ」


「まあ、そうなるよねぇ……でも、仕方がないだろ? アイツらの計画だったんだからさ」


「……御使いか」


「そうだよ。その御使いって奴らは、アタシたちを特区から出す条件に、今の状況にしろって頼まれたのさ。言われなくたって、回りくどいことをしたってわかってるよ。まあ、アタシを捕まえた輝動隊を設立した鳳グループにちょっとした仕返しできたし、それ以上にアンタの気を引くことができたから、結果オーライだけどね」


 痛いところを突かれて、不満気な表情のエリザは忌々しげに御使いの名前を出した。


「でも、今日の爆発は三つ起きた――ってことは、多摩場の方も上手く行ってるってこと。ここからは回りくどいことなしのアタシたちの計画だよ」


 そう言って、意味深な笑みを浮かべるエリザ。


 まだ何か大事をするつもりのエリザをティアは睨んだ。


「何をするつもりだ」


「それを言っちまったら面白くないだろ? それに、信用してないけど一応御使いって奴らにも義理があるからね……アイツらのために言わないことにするよ」


 不承不承ながらそう言って、エリザは自身の計画を口にすることはなかった。


 会話が一段落すると同時に――日が完全に沈んだ。


 ティアの耳には闘技場の外で多くの人間が集まる音が聞こえてきた。


 おそらく、制輝軍が闘技場内を包囲しているだろうとティアは想像できた。


 そして――


 気をつけろ、セラ……


 制輝軍だけではなくセラもいるだろうと、ティアは何となく感じ取ると同時に、そろそろセラがここに向かってくるということが想像できた。




―――――――――――




 エリザが人質とともに立て籠もっている闘技場周辺に大勢の制輝軍が取り囲んでいた。


 闘技場周辺だけではなく、闘技場があるウェストエリアに続々と制輝軍が集まっていた。


 今のところ、闘技場内にいるエリザたち脱獄囚の動きはなく、大勢の制輝軍が取り囲んでいるというのに闘技場は不気味なほどの静けさに包まれていた。


 上からの指示で穏便に解決しろとのことなので、制輝軍は静かに闘志を漲らせながら、エリザたちの動きを待っていた。


 しかし、命令があればすぐにでも制輝軍たちは突入する気満々だった。


 ウェストエリアを埋めつくほどの制輝軍たちを率いているノエルは、闘技場前に設置された仮設テント内でホワイトボードに書かれた情報を眺めていた。


 ホワイトボードに書かれた情報は、闘技場の屋上にいるアリスが天窓から闘技場内部の様子を窺って得た情報だった。


 人質の数はティアリナ・フリューゲルを入れて十五人、それに対してエリザ率いる脱獄囚の数は十人、もしくはそれ以上とのことだったが――どこかノエルは不自然に思えた。


「ヤッホー☆ すごいことになってるね、ウサギちゃん」


 緊張感のある雰囲気をぶち壊すような呑気で軽薄な声が響くと同時に銀城美咲が現れた。


 今の状況を心底楽しんでいる様子の美咲を、ノエルは不愉快そうに一瞥して、すぐに彼女から視線を外した。


「あれれ? もしかしてウサギちゃん、ご機嫌斜め?」


「今忙しいので、無駄な会話は後にしてください」


「こんな時には場を和ますジョークが必要だよ♪」


「結構です」


 まともに相手をしてくれないノエルに、美咲は不満そうに頬を膨らませた。


 面白くない美咲はふいにノエルの視線の先にあるホワイトボードに視線を移した。


「これが闘技場内にいる悪い子たちの数?」


「アリスさんが集めてくれました」


「ふーん……随分少ないね」


「それに、拘留施設から脱走した多摩場さんの姿もありません」


 自分で言ってみて、改めてノエルは不自然だと感じていた。


 数少ない信用に値する存在であるアリスの情報は信じているが、美咲の言う通りエリザを含めた脱獄囚の数も少なく、多摩場の姿がなかった。


 もちろん、闘技場内のどこかにいる可能性もあるが、ティアに恨みがある人物が、人質として捕らわれて、何もできない彼女の前に現れないのが不自然でならなかった。


 思考するノエルだが――「ねー、ウサギちゃん」と美咲に話しかけられて思考の邪魔をさせられ、嫌なあだ名である『ウサギちゃん』と呼ばれて、不快そうにノエルは美咲を睨んで、呼びかけに応じた。


 軽い調子で話しかけられたが、美咲の表情はいつもと比べて若干真剣な表情をしており、ノエルのことを心配そうに見つめていた。


「多摩場君に負けちゃったんだって?」


「……負けてません」


 からかうような美咲の言葉に、無表情だがちょっとムッとした様子でノエルは否定した。そんな彼女の反応に、美咲は微笑ましく思いつつも表情はまだ真剣なままだった。


「胸を押さえて苦しんだって聞いたんだけど、どこか具合悪いの?」


「問題ありません」


「そっか……」


 自分のことはいっさい喋らないつもりのノエルに、僅かに落胆した様子で小さく嘆息した美咲はこれ以上深く尋ねることはしなかった。


 二人の話が一段落すると――闘技場周辺を囲んでいる制輝軍たちの警戒心が高まり、同時に大勢いた制輝軍をかき分けて風紀委員であるセラと幸太郎が現れた。


 制輝軍たちの警戒心を無駄に高めているセラが現れて、ノエルの纏う空気が一気に不機嫌になった。


「何の用でしょう」


「お願いです。ティアを――人質を助けるために協力してください」


 こちらに来てすぐに、単刀直入に用件を説明して、セラは頭を深々とノエルに下げた。彼女に続いて、幸太郎も「お願いします」と、軽い調子で頭を下げた。


 そんな二人を、ノエルは感情が宿っていない冷めた目で見下ろした。


「上から、穏便に済ますようにと命令されています。ご友人を人質に取られて冷静な判断力を失っているあなたは返って混乱を招く存在。迷惑です」


「それは重々承知の上です。――お願いします、ノエルさん」


 冷たく突き放されても、再びセラは懇願する。しかし、ノエルの意思は変わらない。


 そんな冷たいノエルに、「まあまあ、良いじゃない」と美咲が割って入った。


「おねーさんはセラちゃんたちに協力するのは賛成だと思うな。実際、最初から風紀委員と協力していれば、ここまで騒ぎが大きくなることはなかったと思ってるし――だから、どう? ウサギちゃん……今回の判断はどうするの?」


 挑発的でありながらも、どこか自分のことを試しているような美咲の言葉に、ノエルは忌々しく思いながらも、判断ミスを再びしてしまいそうになった自分を戒めた。


 美咲の言っていることは正しく、セラたちと協力することは良い機会だった――にもかかわらず、再び感情的になってしまった。


 そんな自分に戸惑いながらも、ノエルはすぐにその戸惑いを消した。


「……いいでしょう」


 その言葉に、ずっと頭を下げていたセラは明るい表情を浮かべて頭を上げた。


 安堵しきっている表情を浮かべているセラを見て、ノエルは再び胸の奥に説明できない不可解なものがわき上がったような気がしたが、すぐに消した。


「ですが、穏便に解決しろと指示があります。確実な手段がなければ協力できません」


「とは言いつつ、ウサギちゃんだってたくさんの制輝軍たちを動かして、派手に動き満々じゃないのかな?」


「余計な横槍は無用です。それで、何か策はあるのですか?」


 いたずらっぽく微笑みながら余計なことを言う美咲を黙らせて、セラたちに解決するための手段を尋ねると――


「それに関しては、僕が説明しよう」


 その声とともに、車椅子に乗った久住優輝が現れた。


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