第20話

 日付が変わる深夜――巴はセントラルエリア内にある高層ホテルの応接室で、眼下に映るアカデミー都市の景色を眺めながらある人物の到着を待っていた。


 深夜だというのにセントラルエリア周辺は多くの煌びやかな明かりが灯っており、幻想的な景色を巴は美しいと思いながらも、アカデミー都市を眺める彼女の目は憂いに満ちており、どこか寂しそうだった。


 気品溢れて大人びた普段の表情ではなく、儚げな少女のような表情で一時間以上巴はアカデミーの景色を飽きることなく眺めていた。


 そんな巴の隣に、一人の人物が立った。


「……美しいですね」


 巴の隣に立った人物――村雨宗太は、アカデミー都市の景色を眺めてそう呟いた。


 少し間を置いて、村雨の存在に気づいた巴は、儚げな少女の表情から普段と通りの大人な女性の表情に変えて、「ええ」と頷いた。


「……もしかして、俺は巴さんの休憩の邪魔をしてしまいましたか?」


「いいえ――大丈夫。さあ、話をはじめましょう」


 待っていた人物である村雨が到着して、巴はさっそく話をはじめる。


 しかし、話をはじめようとすると村雨は唐突に巴に頭を下げた。


「呼び出しておいて遅れてしまい、申し訳ありません」


「仕方がないわ――多摩場君を捕えて事件が大きく進展したんだもの。それに……何かあったのでしょう?」


 すべてを見透かしているような巴の視線に、降参と言わんばかりに村雨は弱々しい笑みを一度浮かべた後、力なく頷いた。


「ええ……脱獄囚の中核の一人であると考えられている多摩場が捕えられてすぐに、事態が好転の兆しを見せたことを感じ取った鳳グループの人間が、近いうちにもう一度学生連合の一斉摘発をすると報告をしに来て、その対応をしなければならなかったので……」


「その件については私に任せなさい……今回の騒動で学生連合が関わっていないという情報を必ず掴むわ」


「学生連合が関わっていない確証が、巴さんは何かあるんですか?」


 期待を抱いている様子の村雨の質問に、巴は申し訳なさそうに首を横に振った。


「まだ確証はないわ――でも、先日行った、学生連合が疑われるきっかけを作った取調べで、脱獄囚は学生連合と名乗る人間の協力を得たと言っていた……どうにもそれが腑に落ちないの」


「捕まれば必ず学生連合のことが疑われて自分にも被害が及ぶかもしれないのに、わざわざ自分から学生連合と名乗るのはおかしい――ということですね」


「ええ。今回の一件でみんなそれを確認する余裕はないようだけど、私は気になっているの……もしかしたら、学生連合は利用されているだけなのかもしれない――でも、単なる気のせいかもしれない。だから、あまり私の言葉を信用しないで」


「自分は巴さんを信じます!」


 突然声を張り上げて自分を信じると言った村雨に、驚きながらも巴は彼の熱い思いを感じ取って、嬉しそうに微笑んだ。


「学生連合を離れた身であるにもかかわらず、我々学生連合のことを案じていただいて、ありがとうございます、巴さん」


「君にすべてを投げ渡す形になった無責任な私が言う台詞ではないけど――君や、私の意思を継いでくれる人を守る責任が私にもあるわ」


 巴の言葉に深く感銘を受けた村雨は再び頭を深々と下げて「ありがとうございます」とお礼を述べた。


「お礼はもういいわ――それよりも、いい加減話の本題に入りましょう」


 巴のその言葉に村雨は力強く頷くと、彼が纏っている空気が一気に張り詰めた。


「今回の騒動、どうにも不自然に思えてならないんです――特に、鳳グループの動きが。最初から鳳グループの対応が早すぎるんです。特区から多くの囚人が脱獄すると、すぐに鳳グループ――いいえ、鳳大悟はすぐに教皇庁と接触して、事態の収拾を図るために、恩を作ってまで教皇庁に協力を求め、制輝軍を動かし、事件の指揮を執っている。そして、情報規制も早かった」


「確かに、言われてみれば……上辺だけの関係の教皇庁にわざわざ恩を作ってまで、大悟小父様が協力を求めるなんて、展開が早すぎるわね……いつもなら、重役たちを集めて長々しく会議を行うというのに」


 事件のはじまりを思い返してみると、確かに村雨の言う通り今回の事件、過去の大きな事件と比べて鳳グループの対応が早すぎて不自然であり、積極的に事件を取り組むあまりに焦りのようなものを巴は感じた。


 鳳グループトップであり、幼馴染の父である鳳大悟の思慮深い性格を巴は知っているので、村雨以上に不自然さを感じていた。


「それに加えて、まだ巴さんと同じく確証を得ていないにもかかわらず、学生連合が脱獄の手を貸したという判断を下した――間違っているかもしれないのに」


「確かに、色々と今回の事件の判断に限って、性急に感じるわね……わかったわ。私の方でも調べてみる……君はエリザたちをお願い」


 巴の指示に村雨は力強く頷き、話は終わった。


 漠然としない不安と嫌な予感を胸に抱きながら、巴と村雨は応接室から出た。




―――――――――――




「アネゴ、多摩場が捕まった」


「わかってるよ」


「どうやって助ける?」


「まだだって言ってんだろ?」


「準備、何か必要?」


「大丈夫だって言ってんだろ!」


「でも……」


「だーっ! もう! うっさいわね! 少し黙ってな!」


 多摩場を心配してしつこく話しかけてくる湖泉をエリザは一喝すると、湖泉は母親に起こられた子供のようにしゅんとした。


 そんな湖泉の様子、そして、多摩場が捕まったと聞いて暗い顔をしている脱獄囚の姿を見て、エリザはやれやれと言わんばかりにため息を漏らした。


 仕方がないので発破をかけようとすると――音もなく一人の人物が現れた。


 どこからかともなく現れた白い服を着た人物――『御使い』に、エリザ以外の人間は警戒心を高め、ある者は輝石を武輝に変化させようとしていた。


「アンタたち! 少し黙ってな!」


 勝手な真似をされる前にエリザは怒声を張り上げると、脱獄囚たちの張り詰めていた場の空気が一気に落ち着き、エリザは御使いに視線を移す。軽薄な笑みを口に浮かべているエリザだが、御使いを見つめる目は笑っておらず、攻撃的だった。


「アンタの言う通りにしたけど、多摩場はどうやって助けるんだい?」


「……準備は整えている」


 機械で加工された声で、事務的に御使いはそう答えた。


 多摩場が助けられるかもしれないということに、湖泉、そして、脱獄囚たちは安堵していたが――エリザは意外そうに御使いを見つめていた。


「こりゃ意外だね。アンタなら多摩場を見捨てると思っていたのに」


「こちらにも都合がある」


「へぇー……まあ、見捨てたら見捨てたで、アンタを脅して無理矢理助け出そうかなって考えてたんだけどさ」


 冗談で言ったつもりの一言で御使いの纏った空気が張り詰め、敵対心をエリザに向けた。


 静かに殺気立つ御使いに、エリザは愉快そうな笑みを浮かべて「冗談、冗談」とおどけると、御使いの纏った空気が元に戻った。


「それで? 揃えるものは揃えたのかい?」


「外にある――取り扱いには注意しろ」


「へぇー……かなりの大荷物で持ち運び注意のものもあったけど、アンタ一人でよく運べたねぇ……もしかして、アンタじゃなくて、なのかな?」


「……余計な詮索はするな」


 余計な一言で再び御使いの機嫌を悪くしてしまい、エリザはからかうような笑みを浮かべて適当に「ごめんごめん」と謝った。


「まあいいや。後はアンタ――いや、の言う通りにしておくよ」


 エリザの言葉を無視して、御使いは去ろうとする。


 去ろうとする御使いを、エリザは「待ちなよ」とふいに引き止めた。


 御使いを引き止めたエリザの目には、自分たちに協力してくれたことに関しての感謝は存在しておらず、不信だけが存在していた。


「アンタたちの指示に従った後は、アタシたちの好きにさせてもらうよ……利用するだけ、利用してポイ捨てってのは勘弁してくれよ」


 不信を隠すことをしないエリザに、御使いは何も言わずに消えるように立ち去った。


 御使いの気配が完全になくなると、エリザの表情が狂気を宿しはじめた。


「アンタたち! 明日すべてが終わって、すべてがはじまる! その前に度胸のない奴は足手まといだからさっさとここから立ち去りな!」


 怒声を張り上げてエリザはそう言い放つが、脱獄囚は誰一人としてこの場を立ち去ろうとしなかった。


 脱獄囚全員の表情に凶暴な光が宿り、ようやく大きく暴れることができる時がやってきて歓喜に満ち溢れ、その身を震わせていた。


「腰抜けが誰もいないとはいい度胸だよ、アンタたち! 度胸のある奴は好きだよ!」


 誰一人抜けることなく、飢えた獣のように殺気立つ脱獄囚たちを前にして、エリザは不敵な笑みを浮かべた。


「今まで誰もいない建物をチマチマ襲ってたけど、明日は存分に人相手に暴れられるよ! たまりにたまった鬱憤を吐き出す良い機会だ! アンタたち、明日は好き勝手にやりな!」


 自分たちを奮い立たせるエリザの言葉に、脱獄囚たちは返答の代わりに全身から凶暴で凶悪な殺気を放つことによって応えた。




――――――――――――




 制輝軍本部内にある拘留施設で多摩場は目が覚めた。


 大きく欠伸をしながら多摩場は時間を確認しようとするが、貴重品はすべて没収されたことと、ここが拘留施設であることを思い出して時間が確認できないことを思い出した。


 久しぶりにベッドというまともな場所で八時間以上眠れたので、多摩場の頭の中はさっぱりとしていて、目覚めもよかった。


 昨日刈谷との戦闘で負った傷もほとんど治っており、動くのに何も問題はなかった。


 昨日、多摩場の取調べが終わってから、まだ多摩場が何か情報を持っていると判断した制輝軍は、特区に収容する前に情報を引き出そうと拘留施設に彼をぶち込んだ――


 自分の今の状況に、多摩場は自然と笑いが出てしまった。


 今のところ、すべて思い通りになっていたからだ。


 あの信用できない御使いと名乗った人物の計画というのが気に食わないが、それでも、あまりに思い通りに人が動くので、滑稽に思って多摩場は笑いが止まらなかった。


 ひとしきり笑って満足した多摩場は、厳重なセキュリティが施された重厚な鉄の扉に視線を移した。


 後はこの扉が開けば、万々歳なのだが――あの御使いの計画なので、利用されるだけ利用されて切り捨てられる可能性もあった。


 それでも、信用しているエリザたちがいるので不安にはならなかった。


 そう思っていると、小腹が空いてきた。


 そろそろ朝飯の時間だと思っていると――


 食事が差し出される小さな窓から朝食――ではなく、制輝軍に捕まった時に没収された自分の持ち物一式、そして、エリザたちとの連絡手段が差し出された。


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