第18話

 全身から飢えた獣のような殺気を放ちながら、刈谷は大股で人気のない夜道を一人で巡回していた。


 ティアが力を失ってから、二日間徹夜で巡回している刈谷の目の下には深い隈ができており、元々悪かった人相がさらに悪くなっていた。


 夜遊び好きで徹夜には慣れているはずの刈谷だったが、気を張り詰めたまま徹夜でアカデミー都市中を歩き回っていたため、さすがに疲労しきっていた。


 だが――二日前に病院のベッドで眠っていたティアの姿、そして、過去に事件で戦ったことがあって因縁がある多摩場のことを思えば、休むことはできなかった。


 眠そうに大きく欠伸をしながら、睡眠不足でボンヤリとしている頭を覚醒させるため、コーヒーでも飲もうと自動販売機を探す刈谷。


 しばらく歩いて、自動販売機の前に到着した刈谷は、ポケットから小銭を取り出してコーヒーを買おうとしたが――手元が滑って小銭を落としてしまった。


 忌々しく舌打ちをして刈谷は小銭を拾っていると、誰かに百円玉を拾われた。


 百円玉を拾った人物を確認すると――自分が落とした百円玉を器用に指先で転がしている、口を大きく吊り上げて笑っているソフト帽を被っている多摩場街だった。


 突然現れた多摩場に驚くことなく、刈谷は抑えていた凶暴性をむき出しにさせる。


「よお、多摩場……それ、返せよ」


「特区にぶち込まれる前に、俺、お前に三千円近く貸してたよな」


「き、記憶にございますぇん」


「て、テメェ……持ち逃げするつもりだな……」


 厄介なことを記憶している多摩場に、刈谷はおどけて誤魔化した。


 そんな刈谷を殺意に満ちた目で睨む多摩場だが、すぐに勝ち誇った笑みを浮かべて、「それじゃあこれはもらっておく」と、刈谷が落とした百円玉をポケットの中にしまった。


「ふざけんな! 返せよ、俺のコーヒー代」


「それならさっさと返した三千円返せよ!」


「どうして脱獄囚のテメェに返さなきゃならねぇんだよ!」


「脱獄囚だって金が必要になる時はあるんだよ!」


「脱獄囚らしく奪えばいいだろうが!」


「脱獄囚に犯罪行為を煽ってんじゃねぇよ!」


 刈谷と多摩場――二人は低レベルの口論を繰り広げて、顔を近づけて睨み合っていた。


「女の尻を追っかけてばかりの狂犬とは名ばかりのチワワヤローが」


「ティアの姐さんの尻を追っかけて何が悪いんだよ。キュッて引き締まって、大きさも形もちょうどいいんだぞ。そんなこともわからねぇのか、バカヤロー」


「生憎、俺はティアリナよりもエリザの姐御派なんだよ。それに、ティアリナの性格、あれは面倒だぞ。気に食わねぇことがあると、すぐに機嫌が悪くなる自己中心的な女だ」


「相変わらず他人の性格を冷静に分析しやがって――だからお前はモテないんだよ」


「ハァッ? ふざけんな! 俺はお前よりもモテてたぞ! 軽い外見のくせして、純情一途で恋に恋しているロマンスピュアボーイが!」


「嘘ついてぇんじゃねぇよ! 女にモテるために色んな本を読んで、自分磨きに勤しんだ割には効果がない、残念無念空回りガリベンヤローが!」


 口では決着がつかないと判断した刈谷と多摩場は、自身の輝石に触れる。


「相変わらず気に食わねぇヤローだ、刈谷」

「こっちの台詞だよ、バカヤロー」


 刈谷と多摩場――二人は同じ位置にある、ベルトのバックルについた輝石を取り出し、武輝に変化させる。


 多摩場の武輝である両手に装着された鉤爪、刈谷の武輝であるナイフ――二人は同時に輝石を武輝に変化させた瞬間、思いきり頭突きをする。


 頭蓋骨同士がぶつかり合う固く、鈍い音が響き渡り、刈谷と多摩場はお互い一歩退いた。


 間髪入れずに鉤爪が装着された両手を広げながら、多摩場は刈谷に飛びかかる。


 刈谷は懐から特殊警棒を取り出して、武輝と武器の二刀流になる。


 多摩場は鉤爪を振うが、刈谷は屈んで回避。


 すかさず、もう片方の鉤爪を振って多摩場は攻撃を仕掛ける。


 多摩場の攻撃を刈谷は武輝のナイフで受け止めると同時に、片方の手で持った警棒を多摩場の脳天に思いきり振り下ろした。


 輝石の力をバリアのように全身に身に纏う輝石使いにとって、警棒の一撃は大してダメージは与えられていないが、牽制程度には役に立っていた。


 警棒の一撃に一瞬怯んだ多摩場に武輝のナイフを振う――が、多摩場は大きく身を後方に翻して回避すると同時に、光を身に纏う鉤爪から複数の光の衝撃波を発射する。


 刈谷は退くことなく、光の衝撃波を回避しながら多摩場に向かって疾走する。


 一気に多摩場と間合いを詰める刈谷だが、空中にいる多摩場は空を蹴って、刈谷の背後に回り込み、刈谷の背中を武輝である鉤爪で切り裂いた。


 身体を強化されている輝石使いには鉤爪で切り裂かれても傷にはならなかったが、それでも鋭い痛みが背中に走って刈谷は顔をしかめた。


 痛みを堪えて、刈谷は武輝を振いながら背後を振り返るが――多摩場は再び刈谷の背後に回り込み、再び背中を切り裂いた。


 怯む刈谷に向けて鉤爪から光の衝撃波を飛ばし、直撃した刈谷は吹き飛んだ。


 吹き飛びながらも刈谷は空中で体勢を立て直して、地面に着地した。


 背中の痛みに堪えながら、視線の先で余裕そうに笑って挑発している多摩場を見て、刈谷は忌々しく舌打ちをした。


「相変わらず小狡い戦い方しやがって……」


「スマートって言ってくれよ―それにしても、刈谷……この前久しぶりに会った時から思ってたんだけど、お前もしかして弱くなったか?」


「うっせぇな……最近運動不足だったんだよ。余計なお世話だっての」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべている多摩場に指摘され、最近までずっと身体を動かさず、行きつけのステーキハウスに入り浸って肉ばっかり食っていた自分を刈谷は恨んだ。


「このまま一方的じゃ面白くねぇ。お前はキレるとヒートアップしたな――……だから、いいこと教えてやるよ」


 狂気を滲ませた意味深な笑みを多摩場は浮かべた。


「俺たちが脱獄する時、ある誤算があったんだ」


「そいつはザマァねぇな」


 不測の事態があったと言う多摩場を、心底バカにする笑みを浮かべる刈谷だが――多摩場は気にすることなく、意味深な笑みを崩すことはなかった。


「脱獄する俺たちの中に、裏切者が出てきやがった――そいつは出口寸前で、俺たちの邪魔をしてきやがった。名前は思い出せねぇが、お前ならよく知ってんじゃねぇか?」


 多摩場の言葉に、思い当たる節があった刈谷はハッと息を呑む。


 そんな刈谷の反応に、多摩場は心底愉快そうに口を吊り上げた。


「お前ならよーく知ってると思うぜ……名前、何だったっけか」


嵯峨さが……」


 去年、大きな罪を犯して特区送りにされた親友・嵯峨隼士さが しゅんじの名前を口に出す刈谷。


 嵯峨の名前を出すと、裏切者の名前を思い出した多摩場は「そう、そうだよ、それそれ」と、気分良さそうに大きく高笑いをする。


「今更良い子ちゃんぶりやがって、よくわかんねぇ奴だったよ!」


 多摩場の言葉を刈谷は俯いて黙って聞いていたが――武輝と武器を持つ手はきつく握り締められていた。


「アイツのせいでもっと大勢逃げるはずだった人数が少なくなって、無駄にしつこいせいで逃げる時間も大幅に遅れちまったが何も問題はなかったよ! エリザの姐さんと、湖泉と、俺がちゃーんと処理した――」


 言い切る寸前――今まで黙っていた刈谷は一気に多摩場との距離を詰め、愉快そうに笑みを浮かべていた多摩場の顔面を、武輝をきつく握り締めた手で殴り、吹き飛ばした。


 殴り飛ばされた多摩場の勢いは地面に数回バウンドしてようやく止まり、大の字になって仰向けに倒れていたが――ケラケラと耳障りで、神経を逆撫でするような笑い声を上げて立ち上がった。


「そうだ、それだ! そうこなくちゃダメだよな!」


 嬉々とした声を上げる多摩場に、刈谷は無言で一気に間合いを詰めてきた。


 大きく身体を捻らすと同時に警棒を振う刈谷。


 大振りだが素早い一撃だが、大きく身を反らして多摩場は回避する。


 だが、次の武輝による攻撃は回避することができなかった。


 先程とは比べ物にならないほど、動き、攻撃の速度と重さ、すべてが向上している刈谷の攻撃をまともに受けて怯む多摩場。


 刈谷の攻撃は止まらなかった。


 怯んだ多摩場の脇腹に向けて警棒を振り、同時に武輝のナイフを振り下ろし、再び警棒による攻撃――その繰り返しで、刈谷は怒涛のラッシュを仕掛けた。


 回避する間も反撃する間も与えない、一気呵成の刈谷の攻撃に多摩場は手も足も出せずに、すべての攻撃を受けていた。


 雄叫びのような怒声を張り上げると同時に、刈谷は刀身に光を纏わせた多摩場へ向けてナイフを振う。


 強烈な一撃が直撃した多摩場は吹き飛び、受け身も取らずに地面に叩きつけられた。


 地面に突っ伏している多摩場に飛びかかって容赦なく攻撃を仕掛けようとする刈谷だが――突然空から飛んできた光弾に、咄嗟に刈谷は飛び退いて回避した。


「まったく、だらしがない奴だねぇ」


 呆れ果てている声を同時に、光弾を飛ばした張本人である、武輝である巨大な鋏を持ったエリザ・ラヴァレが現れた。


「ほら、多摩場。起きなよ――まったく、気絶してるようだね」


 倒れている多摩場に声をかけるが、気絶して何も反応しない彼にエリザは深々と嘆息した。


 自分の邪魔をしたエリザに、刈谷は無言のまま鋭い視線を向けて、全身から放った好戦的で攻撃的な殺気をぶつけた。


 野獣のような殺気を放つ刈谷だが、エリザは余裕な様子で妖艶に笑っていた。


「子犬ちゃんかと思ったら、中々の狂犬じゃないか……ティアの腰巾着のアンタが、アタシに勝てると思っているのかい?」


「多摩場と一緒にとっ捕まえてやるよ」


 自分以上の殺気と威圧感を放つエリザに一瞬気圧される刈谷だが、不敵な笑みを浮かべて武輝であるナイフの切先を向けた。


 自分に立ち向かう気満々の刈谷に、エリザはニッと歯をむき出しにして笑った。


 刈谷とエリザ――二人の一触即発の空気が流れるが――


「そこまでよ、エリザ」


 張り詰めた空気に澄んだ声が響くと同時に、武輝である穂先が十文字の十文字槍を持った女性――御柴巴が現れた。


「御柴のお嬢……」


 巴の登場に、刈谷は驚いていたが対峙するエリザから目を離そうとはしなかった。


 対照的に、エリザは巴の登場で刈谷の興味を失せたようで、ウットリとした熱に浮かされた表情で巴に寝っ視線を送っていた。


「久しぶりだねぇ、巴。アンタのその滑らかな濡烏の髪――ティアの次に好きだよぉ」


「……相変わらずのようね」


 自分の髪に執着を示すエリザに冷め切った刃のように鋭い視線を向ける巴だが――エリザはウットリとした表情で巴の髪を見つめたまま離さなかった。


 段々鼻息荒くなってきて興奮をはじめるエリザだが、肩を落として仰々しく深々とため息を漏らした。


「ティアの同等の力を持つアンタ、それと、それなりに実力のあるティアのオマケ――二人がかかりじゃ、さすがに分が悪いねぇ」


 そう言いながら、エリザは刈谷と巴に背を向けた。


「興奮しておきながらも冷静な判断を下すのはさすがだと思うけど……多摩場君を置いて、逃げるつもり?」


「人一人抱えてアンタたちから逃げられるほど、アタシはそんな自信はないよ。それに、遠くの方から大勢の足音が聞こえてきてるしね――それじゃあね」


「逃がさない!」


 逃げようとするエリザを追う巴だが――反応が遅かった。


 エリザに飛びかかって攻撃を仕掛ける巴だが、エリザは夜の闇に消えた後だった。


 すぐさま巴は周囲の気配を探るが、エリザの気配は感じられず、こちらに近づく大勢の制輝軍の足音だけが周囲にむなしく響き渡った。


 数分後、駆けつけた制輝軍によって気絶している多摩場は拘束された。


 制輝軍本部へと連行される多摩場だが――その前に、ちゃんと刈谷は多摩場に奪われた百円玉を回収した。


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