第17話

 ウェストエリアとノースエリアの境目付近にある、ティアが萌乃薫に借りている小さな訓練場に幸太郎と貴原はいた。


 椅子に座って幸太郎と貴原の二人は、激しい訓練をしているティアを見つめていた。


 ティアが丸太のように太い木刀を涼しい顔で素振りをしており、そんなティアに幸太郎は風紀委員と制輝軍が協力関係を結んでいるということを教えた。


 説明の最中、ずっとティアは素振りを続けていたが、素振りの勢いが落ちることも、疲れることもなく涼しげな顔でずっと素振りを続けていた。


 状況の説明を終えると、ティアは一旦素振りを止めて、大量のプロテインを溶かしたスポーツドリンクを口にした。


 ……村雨が出てくるとはな。

 学生連合も相当切羽詰まっているようだ。

 だが、学生連合が介入して人員がさらに増えた……事件の解決は早まるだろう。


 幸太郎の説明を聞いて、ティアは事件が早期決着することを確信していたが――


 胸の中にある不快感の塊は、幸太郎の説明を聞いている間も膨張を続けていた。


「御柴さんが学生連合を設立した人だったのは知りませんでした」


「……そうか、言っていなかったのか」


「あんまり御柴さんのことを知らないんですよ」


 御柴巴と出会って一月だが――つい最近になってティアと同級生で、麗華と大和と幼馴染であることを知っただけで、それ以外のことは今までまったく知らなかった。


 そんな幸太郎に、貴原は当然だというように鼻でせせら笑った。


「君のような役立たずの能無しを気にかけるほど、御柴さんは暇ではないということだよ」


「巴をお前のような下衆と一緒にするな」


 冷たく自分を睨んでそう吐き捨てたティアに、ティアが力を失っているということを知っている貴原は恐れず反論しようとするが、彼女から発せられる有無を言わさぬ威圧感に何も反論することができなかった。


 貴原を黙らせると、ティアは木刀を置いて幸太郎たちと向かい合うように座った。


「……巴は昔から正義感と、アカデミーを思う気持ちと責任感が人一倍強かった」


 昔を思い出すかのような遠い目をしたティアは、静かに巴のことを話しはじめる。


「高等部を卒業してすぐに巴は見聞を深めるため、アカデミーから出て行ったが――去年、アカデミーに制輝軍が進出してくると同時に戻ってきた。そして、体面をばかりを気にするアカデミーの上層部に失望し、徹底的な実力主義を掲げる制輝軍はアカデミーにとって悪影響しかないと判断した巴は学生連合を設立した」


 当時を思い出して、ティアは小さくやれやれと言わんばかりのため息を漏らした。


「大勢の人間を率いる高いカリスマ性を持っていた巴の周囲には、アカデミーに不満を持つ大勢の人間が集まった。しかし、アンプリファイアの出現で綻びが生じた学生連合は、暴走をはじめて鳳グループ占拠未遂事件を起こした」


「セラさんたちが解決したって聞きました」


 今はいない友人から聞いた風紀委員の活躍譚の内容が幸太郎の頭に過った。


「セラというよりも、麗華の活躍だろう。あの時、多少は卑怯な真似をしたが、自分以上の実力を持つ巴を麗華は見事一騎打ちで破り、学生連合の暴走を止めた」


 卑怯な真似をして巴に勝利を収めたということをティアは強調して言い放つ。


 気分良く高笑いをしながら、堂々と卑怯な真似をする麗華の姿が幸太郎の頭に過った。


「あの事件の後――巴は学生連合を率いていたにもかかわらず、暴走を抑えることができなかったとして、すべての責任を負わされてアカデミーから永久追放されるはずだった。だが、永久追放してしまえば学生連合の残党がさらに暴走すると考えた麗華は、永久追放の免除をして巴に恩を着せると同時に、風紀委員に所属させて自分の手足にした」


「鳳さん、御柴さんを助けたんですね」


「元学生連合のトップとして、学生連合の仲間から多くの情報を手に入れることができる巴を麗華は利用するつもりだが……結果的にはそうなるかもしれないな」


 呑気な幸太郎の感想に、ティアは冷笑を浮かべながらも、安堵しているようでもあった。


「そういえば、貴原君はどうして学生連合に入ったの?」


「フン、君に説明する義理はないが、この際君と僕との差を思い知らせるためだ。ちょうどいい。僕が入った理由は――」


 妙な期待をしている幸太郎を、貴原は心底侮蔑している嘲笑を浮かべ、気分良く心から見下している目を向けた。


「このバカモノがそんなことを考えているわけがない。そもそも、貴原が学生連合に入ったの巴が去った後だ」


「よ、よくご存じで……まさか――なるほど、僕の実力に注目していたというわけですか?」


「……勘違いもここまで来ると憐れだな」


 冷めた表情で吐き捨てたティアの言葉に、貴原の表情は屈辱に塗れて無言になった。


 貴原を黙らせると、ティアは冷え切った目を幸太郎に向けた。


「わざわざ風紀委員の現状の報告をしにここに来たわけではないな――セラに私を見張れと指示されたんだろう」


 嘘をつくことなく正直にティアの言葉に頷く幸太郎を、貴原は小さく「バカ!」と罵倒して、恐る恐るティアの様子を窺う。


 貴原の視線の先にいるティアは無表情で何を思っているのかはわからなかったが、身に纏っている空気がさらに冷たく、重くなったので不機嫌であることは何となく理解できた。


 不機嫌なティアから放たれる威圧感に貴原は怯えていたが、幸太郎は特に怯えている様子はなくジッとティアのことを見つめていた。


「……お節介な奴だ」


「セラさん、ティアさんのことを心配していますよ」


「わかっている。だが、余計なお世話だ」


「ティアさん、怒っています?」


「……別に怒ってはいない」


「怒ってますよね」


「だから違うと言っているだろう!」


 自分の心の内を見透かすような瞳を向けてしつこい幸太郎に、苛立ちを爆発させて怒声を張り上げてしまうティア。訓練場内にティアの怒声が響き渡り、室内が静まり返った。


 しばらく静寂が続いたが、ティアの諦めたような小さなため息が静寂を破った。


「……私はエリザを捕えなければならない責任がある」


「でも、今のティアさんだと難しいですよ」


「それでもだ。連続して鳳グループの施設を襲うエリザの目的は不明だが、奴は必ず私を狙う――その過程で、奴は多くの人を巻き込む。これ以上誰かを危険に晒す前に、エリザを捕まえなければならない」


「今はセラさんに任せた方がいいですよ」

 この男は相変わらず――……


 一々痛いところを突く幸太郎に、表情は変えなかったがティアは苦々しく思っていた。


 これ以上余計なことを言うなという意味を込めて、ティアは幸太郎に鋭い眼光を飛ばすが、幸太郎は臆することなく自分を見つめていた。


 ボーっとしていて何も考えていないような幸太郎の瞳だが――自分以上の威圧感を確かに感じたティアは一瞬気圧されてしまう。


「セラさんのこと、信じていないんですか?」


「信じているに決まっている」


 何気ない幸太郎の質問に、ややムキになってティアは答えた。


 その答えを聞いて、幸太郎は安堵したように微笑んだ。


「それなら、セラさんのことを信じて事件を任せましょうよ」


「だが――これ以上、セラには負担をかけたさせたくない」


 幸太郎にしか聞こえない、消え入りそうな声でティアはそう呟いた。


「私はセラに迷惑をかけ続けてきた。それに、優輝はあんな状態だ――だからこそ、私がしっかりセラを支えなければならない」


 自分に強く言い聞かせるようにそう呟いたティアの頭の中には、去年セラと四年ぶりに出会った時の記憶が過っていた。


 四年の間に心身ともに成長したのにもかかわらず、自分と久しぶりに会って小さな子供のように喜んでいた幼馴染の妹分を――拒絶した記憶が。


 ……四年間、私と優輝のためにセラは血の滲むような思いをした。

 私たちのためだけにセラは自分を鍛えること以外はすべて捨ててきた。

 友人を作ることも、遊ぶこともすべて放って、セラは努力をした。

 その間、私は復讐に燃えながらも、多くの人と出会って楽しんでいた。


 ――だから、これ以上セラに何かを抱えさせるわけにはいかない。

 私がしっかりしなければならないんだ。


「ティアさん、セラさんと優輝さんのことが大事なんですね」


「当然だ」


 幸太郎の言葉に迷いなく、ティアは頷いた。


「セラさんと優輝さんも、ティアさんのことを大事に思っていますよ」


「……そうだな」


 ……そうだったな。


 幸太郎の言葉に、ティアは自分の力が失ってから――いや、エリザたちが脱獄してから――いや、それ以前から忘れていた当然のことを思い出した。


 ……結局、私は当然のことを忘れて一人で抱え込んでいただけか。

 セラや優輝のためと思いながら、私は二人が何を思っているのかをしっかり理解していなかった。

 無様だ、そして、情けない……


 当然のことを忘れてしまいかけていた自分に、ティアは自嘲を浮かべるとともに、無理してセラたちの前で強がっていた今までの自分の態度を恥じた。


 胸の中に沈殿していた不快感の塊が軽くなったティアの表情が穏やかになる。普段とは違う表情のティアに、貴原は胸を高鳴らせ、思わず見惚れてしまっていた。


「……すまなかったな」


「どうしたんですか?」


「……礼を言う」


「どういたしまして?」


 凝り固まった自分を解してくれたことをまったく自覚していない幸太郎に、ティアは嘆息するが、その表情は変わらず晴々としていた。


 そんなティアのことをボーっとした表情で見つめながら――


「僕もティアさんのこと大事に思ってますから」


 自分を真っ直ぐ見つめながら何気なく発した幸太郎の言葉が、自分の心に染み渡り、胸の奥が自然と温まってくるのを感じた。


「あ、貴原君もティアさんのこと大事に思っているんじゃないんですか?」


「もちろん! ティアさんの美貌と力は、アカデミーに必要不可欠であり、宝ですよ」


 キザっぽく笑って幸太郎に同調する貴原に、温まっていたティアの胸の中が一気に冷めた。


 いつもの雰囲気に戻ったティアは丸太のような木刀を持ち、訓練場の奥から同じ形状の木刀をもう一本取り出した。


「良い機会だ……少し、稽古をつけてやろう」


「……訓練で疲れているんですけど」


 一日中訓練をして疲れているにもかかわらず、訓練に誘ってくるティアに心底幸太郎はげんなりしている様子だったが、ティアはやる気に満ち溢れていた。


 そんな幸太郎とは正反対な様子の貴原は、意気揚々と椅子から立ち上がった。


「ティアさん! そんな落ちこぼれよりも、私を選んだ方が有意義な時間を過ごせますよ」


「……ほう、貴原。いい度胸だ」


「聞けばティアさんは現在力を失っているらしいじゃないですか――僕ならば、ティアさんのための訓練ができると思いますよ」


 優越感に満ちたサディスティックな笑みを浮かべ、今までたまっていた鬱憤を晴らす気満々な貴原だが――そんな彼の態度に、ティアは不敵な笑みを浮かべていた。


「お前の腐れきった根性を叩き直す良い機会だ」


「なっ……い、いいんですか、そんなことを言っても……後悔しますよ?」


「お前にハンデをやろう……本当に厳しくなったら輝石の使用を認めてやる」


「御冗談を! むしろ、あなたにハンデを与えたいですよ」


「そうか……まあ、ハンデが欲しくなったらいつでも言え」


 力を失ってなお、自分を下に見ているティアに、貴原は苛立ちを覚えながらも余裕な態度を崩さなかったが――その余裕は数分後に打ち砕かれることになった。


 数分後――貴原はティアにボコボコにされる。


 様々なハンデをもらって貴原は挑むが、その甲斐なくボコボコにされる。


 幸太郎はボロボロに挑み続ける貴原の身を思って止めるが、幸太郎の制止を振り切り、貴原は挑み続け、最終的にはプライドを捨てて輝石を使用したが――呆気なく敗北した。


 プライドをズタズタにされた貴原を哀れに思いながらも、スッキリしていつも以上に明るい表情を浮かべているティアを見て、まあいいかと思った。




―――――――――――




 巡回を一旦切り上げたセラは、寮の自室に戻って浴室でシャワーを浴びていた。


 アカデミー都市中を歩き回って疲れた身体を癒すと同時に、頭をスッキリさせたかった。


 相変わらずエリザたちの行方はわからず、事態が一向に好転しないことに、鳳グループ側から麗華を通じて催促が来ており、今回の事件に関してかなり鳳グループは焦っているようにセラはシャワーを浴びながらも思っていた。


 ……催促して解決できたら苦労なんてしないよ。

 それに、あっちは情報を集めているだけで動いてないし……


 心の中で愚痴ると、少しだけセラはスッキリできた。


 それにしても……

 今回の事件、どこかおかしいような気がする。


 今回起きている事件に、セラは気になることがあった。


 それは、今回の件に関して、何度も事件早期解決の催促をしている鳳グループは、事件の解決にかなり焦っていること。


 囚人が脱獄してからずっと鳳グループに関係する施設を襲われているので、事件の早期解決を催促するのは無理ないかもしれないが、セラにはどこか妙に感じていた


 そんなことを考えながら、セラは胸の中でもう一つだけ気になること――というか、不安があった。


 ――それは、力を失ったティアのことだった。


 ティア、大丈夫かな……

 幸太郎君を傍に置いたから、無茶はしないと思うけど……


「入るぞ」


「……え、てぃ、ティア?」


 ティアのこと考えていたら、突然本人が風呂場に入ってきたので驚き、慌ててしまうセラ。


「……背中を流してやる」


「……う、うん。お願い」


 ティアが突然浴室に現れたことに驚きながらも、セラは彼女の言うことに従った。


 黙々とティアはセラの艶めかしく、滑らかな曲線を描く無駄な贅肉が一つもない背中を黙々と洗っていた。


 スポンジの上から伝わるティアの手の感触に、こそばゆい感覚を覚えながらも、気持ちが良く、頬を僅かに上気させてティアのスポンジの動きに身を委ねていた。


「逞しくなったな」


「え? そ、そんなに私、筋肉ついてる?」


 ふいに放った自分の言葉に、勘違いしているセラにティアは思わず口元を綻ばせた。


 後ろにいてティアの表情を窺うことができなかったセラだが――脱獄騒動以降、張り詰め続けていた彼女の纏う空気が、柔らかくなっていることに気がついた。


 もしかして……幸太郎君が?

 ……わからないけど、幸太郎君ならありえるかもしれない。


 柔らかくなった今のティアの態度が、幸太郎と関係があるのではないかとセラは思った。


 確証はなかったが、去年挫けかけていた自分を支えてくれた幸太郎ならば、ありえるとセラは思っていた。


「私はお前を、優輝を信じている」


「……私も、優輝も、ティアのことを信じてるから」


 優しい声音で放ったティアの言葉に、セラは頷き――


「それに、ティアを大事に思ってるから……優輝だって私と考えていることは同じだよ」


「そうだな……私もだ」


 セラの言葉に、ティアは口元を綻ばせて頷いた。


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