第15話

 訓練施設内にある医務室に幸太郎は、怪我をしたティアの腕を引っ張って、セラとともに医務室へと向かっていた。


 道中何度もティアに制止されるが、幸太郎はそれでもティアの手を放さなかった。


 怪我をするような訓練を行っていない幸太郎だが、授業で使われる訓練施設の医務室にいる医者は、かなりの診察眼と医療技術を持っていることで有名だった。


 嫁入り前のティアの身体に傷を残さないため、幸太郎ははじめて医務室の扉をノックして、勢いよく扉を開くと――


「いらっしゃ~ぁい」


 胃がもたれるほど甘ったるい猫撫でボイスの、スーツの上に白衣を着た一人の人物が現れた。その人物は長めの黒髪をリボンで結んでポニーテールにした、身長180以上ある長身で、非常に華奢だがしっかりした体型の美しい美女――ではなく、男性だった。


 ……かわいい。


 同性であるにもかかわらず、女性と聞き間違えるほどの甘ったるいボイスと、美顔に見惚れてしまう幸太郎。


「あら、珍しい患者が来たわね」


 白衣を着た医者は、幸太郎が連れてきたティアを意外そうに見つめると、ティアは保険医の視線から逃れるように顔をそらし、居心地が悪そうだった。


「お久しぶりです、萌乃もえの先生」


「お久しぶりね、セラちゃん。それで――ティアちゃん、今日はどうしたのかしら?」


「……別に」


 ティアから放たれる刺々しい空気と威圧感に、萌乃と呼ばれた医者は気にすることなく、彼女の様子を見てクスクスとかわいらしく笑い声を上げる。


「あらあら、今日は随分と機嫌が悪いようね。それに、珍しく怪我もしているみたい――それじゃあ、幸太郎ちゃん、ティアちゃんの治療をするわね」


 セラとティアの知り合いであり、自分の名前を知っている保険医を不思議に思いながらも、疑問は後回しにして「よろしくお願いします」と、ティアの治療を彼に任せた。


「フム……どうやら掠り傷のようね」


「わかっている」


 掠り傷という診断に安堵している幸太郎。そんな彼をティアは恨みがましく睨んでいるが、気づいていなかった。


「掠り傷とはいえ、舐めたらダメよ――消毒液を塗って絆創膏を貼るわね」


 そう言いながら、慣れた手つきでティアの怪我の処置をする保険医。


 ティアの怪我の治療を終えると、保険医は幸太郎に向けて笑みを浮かべた。


「私は萌乃薫もえの かおる――君のことはティアちゃんたちから聞いて知っているわよ、幸太郎ちゃん。よろしくね❤」


 チャーミングにウィンクをして、媚びに媚びた甘いボイスで萌乃薫という無駄にかわいい名前を名乗ると、幸太郎は「はじめまして」と頭を下げて挨拶をした。


「萌乃薫先生――すごくかわいい名前ですね」


「あらやだ、平然と落とし文句を言ってのけるなんて嬉しいわぁ」


 素直な感想を漏らす幸太郎を、萌乃は熱っぽい視線で見つめた。


「私の訓練場、上手く使ってくれているって優輝ちゃんから聞いてるわよん」


「もしかして、ティアさんが借りている訓練場の持ち主って先生なんですか?」


「そうよぉ。自分の家だと思って、じゃんじゃん使ってくれても構わないからね」


「ありがとうございます。それじゃあ、今度先生も一緒に訓練しますか?」


「あら、いきなりデートの誘い? ボーっとした顔に似合わずその強引さ、気に入ったわぁ。ねぇ、幸太郎ちゃん、私のことは下の名前で薫って呼んで?」


「薫先生?」


「んもう、『先生』は、いらないわ――でも、公私混同はダメよね……それでいいわ。それじゃあ、今度は先生の耳元で囁くように先生の名前を呼んでくれないかしら」


「わかりました、それじゃあ――薫先生……」


 耳元で自分の名を囁く幸太郎の声に、鼓膜から伝わる快楽に萌乃は身震いしていた。


 そんな萌乃のアブノーマルな反応を、セラとティアは冷めた目で見つめていた。


「それにしても――ティアちゃん、あなたが力を失ったという噂は本当なのかしら?」


 不敵な笑みを浮かべた萌乃の言葉に、医務室から出ようとするティアは立ち止まった。


 自分の言葉に反応したティアに、萌乃はすべてを得心したようで、小さく嘆息した。


「どうやら、本当のようね――……まったく、エリザも面倒なことをしたようね」


「萌乃先生、エリザさんの事件を知っているんですか?」


「もちろんよ、セラちゃん。私は鳳グループの人間だし、それに、エリザたちを捕えた当時の輝動隊に所属していたから、制輝軍にアドバイザーを頼まれて、協力してるの」


 自分も事件に協力しているとセラに説明する萌乃。


 萌乃の説明を聞いて、かつて輝動隊に所属していて、現在は保険医である変わった経歴を持つ彼を不思議そうに見つめていた。


 そんな幸太郎の視線に気がついた萌乃は、自慢するようにありがたみの薄い胸を張って、説明をしようとする――


「元・輝動隊隊長・萌乃薫。アカデミー設立から、三年前に大和にその座を受け渡すまでずっと隊長を務めていた」


「もう! せっかく乙女の秘密を暴露しようとしたのに!」


 自分の経歴を淡々と説明するティアに、プリプリと怒る萌乃。


 大和以前に輝動隊隊長を長く務めていた萌乃を幸太郎は驚いたように見つめていた。


「そんなことよりも、ティアちゃん――エリザには気をつけた方がいいわよ」


 プリプリとかわいらしく怒っていた萌乃だが、表情を真剣なものへと変えて、ティアに視線を移す。


「鳳グループに関連する施設を連続して襲う理由はわからないけど、エリザはしつこい女よ――最終的には必ずあなたを狙ってくる。気をつけなさい」


「今更そんなこと言われなくともわかっている」


「それなら、今回の一件から外れなさい。あなたがいなくともセラちゃんたちがいるし、祥ちゃんもようやく重い腰を上げたのよ――今は力を戻すことだけを考えて、エリザたちの事件はみんなに任せるべきじゃないの?」


「だが――」


「今のあなたは足手まといになるだけよ」


 ティアの反論を遮って萌乃は漢らしい口調を変えて厳しい事実を言い放つ。


 さっきまでの女々しい態度を一変させて、いっさいの容赦のない声で、事実を突きつけてくる萌乃に、ティアは何も反論することができず、無表情だが微かに動揺してしまっていた。


 足手まとい――今の自分がそうだと、自分自身がよくわかっているからだ。


 そして、萌乃の言葉に何も反論できないままティアは無言で医務室を去った。


 セラと幸太郎は世話になった萌乃に感謝と別れの言葉を述べて、ティアの後を追った。


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