第11話
「この役立たず!」
病院内にある応接室に、麗華の怒声が響き渡った。
怒りで顔を真っ赤にしている麗華はソファから立ち上がり、テーブルを挟んでソファの真ん中に座っている幸太郎に向けて怒声を張り上げていた。
怒声を浴びせられている幸太郎だが、どこ吹く風といった様子で呑気に眠そうに大きく欠伸をしており、それがさらに麗華を煽っていた。
麗華の隣に座っている巴は何も言わず、冷めた目で麗華を睨むように見つめていたが――怒りで回りが見えていない麗華は、彼女の視線に気づいていなかった。
「あなたがもっと役に立っていれば、こんな状況にはならなかったのですわ!」
麗華が言うこんな状況とは――ティアの力が失ってしまったということだった。
つい五分くらい前まで、幸太郎は巴にエリザに襲撃された状況を説明した。
その時は、不機嫌そうな顔を浮かべながらも、黙って幸太郎の話を聞いていた。
しかし、ティアの異変を伝えに来た医師の説明を聞いて、麗華の怒りが爆発した。病院内全体に響き渡るほどのはた迷惑な怒声を張り上げ、幸太郎を罵倒しはじめる。
「もっと早くあなたは応援を呼ぶべきでしたわ!」
「多摩場さんと湖泉さんが邪魔をして中々逃げ出せなくて」
「問答無用! あなたのせいでティアお姉様の力と、エリザさんたちの行方も見失ってしまいましたわ! ――まったく! せっかく事件が解決できるチャンスだったというのに! あなたのせいですべてが台無しですわ!」
言い訳する間すら与えずに幸太郎を責め続けて軽く息が上がっている麗華だが、まだ満足していない様子で怒声を張り続ける。一方の幸太郎はかなり飽きている様子だった。
「実力主義が台頭するアカデミー内であなたが目立てば、排斥されている実力のない者に勇気を与えると思い、あなたをアカデミーに戻したのにもかかわらず、あなたはこの一月の間まったく役に立っていませんわ! 少しくらい役に立ちなさい!」
「どうすればいい?」
「エリザさん率いる脱獄囚を捕える手段や、居場所を特定する等、考えるべきことはたくさんありますわ! ――まあ、あなたになんて私はもう期待はしていませんが!」
明らかに幸太郎を見下している麗華の言葉――だったが、そんな彼女の態度とは裏腹に、幸太郎の頭の中にはエリザたちを捕えるためにとある人物が浮かんでいた。
「大和君に協力してもらえないの?」
相手の数手先を読めるほど頭が良い大和なら、今の状況を打破できると考えての発言だったが、大和の名を出した途端、麗華の身に纏う空気が一変した。
相変わらず激しい怒りを身に纏っている麗華だが、大和の名前を聞いた途端、彼女の身に纏っている怒りが静かなものになり、そして――
「あんな奴の力なんて絶対に借りませんわ!」
この日一番の怒声――というか、絶叫に近い声を張り上げる麗華。
さっきまでと雰囲気が違う麗華の怒声に、麗華に怒られっ放しで飽き飽きしていた幸太郎は驚いてしまっていた。
怒声を張り上げた麗華の表情は俯いていて窺えなかったが、軽く息を乱している麗華の身体は微かに震えており、拳がきつく握られていた。
「見苦しいわよ、麗華」
今まで黙っていた巴は、抑揚のない冷え切った声音で放たれた言葉を麗華に吐き捨てた。
「今回の件で七瀬君にはいっさいの責任はない。今回の事件を指揮する者として、そして、大悟さんの娘として、大きな責任を感じて解決に焦るのは理解できる。でも、その焦りを誰かにぶつけて八つ当たりするのはお門違いも甚だしいわ。これからもそんな態度を取るつもりなら、この事件に関わるべきではない」
容赦のない巴の言葉に、麗華は俯いたまま何も反論しなかった。
「八つ当たりすることしかできない役立たずは必要ない、即刻消えなさい」
トドメと言わんばかりの厳しく、容赦のない言葉を吐き捨てる巴。
しばらくの沈黙の後、麗華は何も言わずに応接室から出て行ってしまった。
麗華が出てすぐに、巴は小さく一度呆れたようにため息を漏らすと、全身に纏っていた冷ややかな空気を柔らかいものへと戻して、幸太郎に向けて優しい笑みを浮かべた。
「ごめんなさいね、七瀬君。あの子、口は悪いけど根は悪い子じゃないから……」
「鳳さんに八つ当たりされるのは慣れていますから、気にしてません」
ストレート過ぎる幸太郎の言葉に巴は思わず苦笑を浮かべながらも、激しい八つ当たりをされてもまったく気にしていない幸太郎に、「ありがとう」と感謝をする。
「きっと……後であの子は君に八つ当たりをしたのを後悔すると思うわ」
あのプライドが異常に高い麗華が後悔する姿がまったく想像できない幸太郎だが、そんなことよりも、麗華と巴の関係について気になっていた。
「御柴さん、鳳さんのことをよく知ってるんですね」
「一応麗華、それと大和とは幼馴染で、昔輝石使いとしての稽古をつけていたの」
「それじゃあ、御柴さんって必殺技の名前を叫ぶんですか?」
「それは麗華だけ。昔からの悪い癖よ」
声高々に技名を叫ぶ麗華を思い出して深々と呆れたようにため息を漏らして答える巴に、幸太郎は「なるほどなー」と、呑気に納得していた。
そんな呑気な幸太郎をジッと巴は見つめて、「七瀬君」と、声をかけた。
「――君は大和のことをどう思っているの?」
意図がわからない巴の質問に幸太郎は戸惑いつつも、大和の顔を思い浮かべる――
何を考えているかわからず、打算的であり、あまり二人きりで喋った記憶はなかったが――何だかんだ言って、幼馴染である麗華のことを信じているとは思っていた。
本人はどう思っているかはわからないが、色々と事件でお世話になった幸太郎にとっては――
「友達だと思ってます」
迷いなく大和を友達だと言い切ってくれた幸太郎に、巴は嬉しそうでいて、安堵したような笑みを浮かべた。
「それならこの先――どんなことがあっても、大和、そして、麗華の友達でいてくれる?」
「そのつもりですけど……どうしたんですか?」
「何でもない。幼い頃から麗華たちのことを知っている身として、気になっただけよ」
意図がわからない質問を続けて、哀愁を漂わせている表情を浮かべている巴を幸太郎は心配そうに見つめるが、巴は弱々しい笑みを浮かべて強がって見せた。
「それじゃあ、私はこれから君の報告を制輝軍に知らせに行くわ。また明日ね」
話を終えて巴は部屋を出ようとすると――ふいに、幸太郎は「御柴さん」と呼び止めた。
「御柴さんのことも僕は友達だと思ってます」
「……私も七瀬君のことを友達だと思ってるわ」
特に心に響くような台詞を言ったわけではないが――幸太郎のその言葉が、巴にとってかなり心強いものに感じて、心の奥にまでその言葉が染み渡るような感覚に陥った。
心強い味方を得た気分になった巴は、そのまま意気揚々と部屋を出た。
―――――――――――――
「あー、しかし、久しぶりに外に出たらあんな化け物がいるなんてなぁ。セラって言ったっけ? 俺たち二人同時を相手にあの立ち回り――ティアリナクラスだぞ」
「かっこよかった」
「確かに、あのルックスなら、ティアリナみてぇにファンクラブがあるかもな」
「ちょっと、惚れそうになった」
「え? マジ? お前あんなのが好み? あれはやめておいた方がいいぞぉ」
「どうして?」
「物事を一人で抱え込んで、他人に弱みを見せないタイプと見た。ありゃ多分、人によっては構ってちゃんに見えて、面倒に感じる性格だぞ」
「なるほど、さすがは多摩場」
「女関係に関しては孤高の恋愛マスターの俺に任せな!」
「……孤高? 恋愛マスターなのに?」
「お前って鈍い割にはたまに鋭くなるよな」
脱獄囚が隠れている隠れ家――いつ見つかるかわからない状況に気が休まらず、極限までに張り詰めた緊張感に包まれている居心地の悪い空間だが、多摩場と湖泉の場違いなほど明るく呑気な会話が響いて緊張感が若干緩和されていた。
「エリザの姐御はあのセラって奴のことはどう思ってる?」
「中々きれいな髪をしてるけど、ティアには劣るね」
「い、いや、そんな話をしてるわけじゃ――まあ、いいんですけど」
髪のことしか眼中にない様子のエリザに、多摩場は呆れている様子だった。
多摩場との話を終えると、エリザはふいにダメージジーンズのポケットから緑白色の淡い光を放つ石を取り出して、宙にかざした。
「……アンタたち、このアンプリファイアってのをどう思う?」
「お使いだが小遣いだがそんな名前の奴が、切り札だって渡してくれた石でしたっけ?」
多摩場は特区から脱獄するために御使いが輝石を渡した時――自分とエリザと湖泉に渡した、輝石使いの力を増減させる力を持っていると説明された不思議な石のことを思い出す。
胡散臭いと思い、石の力を信じていなかった多摩場だが、エリザを圧倒しているティアに使ったら、一気に形勢が逆転した時のことを思い出し、御使いの説明したことが嘘ではなかったことを悟った。
心強い存在であると同時に――多摩場はどうも石の力をキナ臭く感じていた。
「切り札にはなるけど――力はリスクなしに得られるほど、都合良くないっての」
「俺、早く使ってみたい」
「俺はこいつと違って、何だかんだギリギリまで追い込まれたら使いますかね」
用心深い多摩場と、使用する気満々な湖泉――エリザはどちらかと言えば、多摩場寄りの考えを持っているが、どんな状況に陥っても彼のように使う気は毛頭なかった。
たとえ強大な力を持っていても渡したのがあの御使い――信用はできないからだ。
それに、ティアと戦うためにかりそめの力は必要なく、自分の力が何よりも重要だった。
自分の力でティアを跪かせて屈服させる――考えるだけでも全身に快楽の電気が走る。
なので、エリザにはアンプリファイアの力は必要なかった。
すっかりアンプリファイアに興味を失くしたエリザは、アンプリファイアを床に落とし、そのまま靴で踏みつけると――呆気なくアンプリファイアは脆くも砕け散り、緑白色に光る粒子となって宙に散った。
「そういえば、多摩場――準備はできてるのかい?」
「ああ、いつでも大丈夫ですよ。刈谷の奴も出てきたみてぇだし、やる気満々ですよ」
「アンタ、刈谷に追い詰められて捕まったんだっけ」
刈谷との因縁をエリザは口にすると――当時のことを思い出した多摩場の表情は憎悪と期待に満ち溢れ、飢えた獣のような凶暴な笑みを浮かべた。
ゾッとするような笑みを浮かべている多摩場を見て、頼りがいがあると感じたエリザは満足そうに、妖艶に微笑んだ。
「ええ……色々と因縁があるんですよ。それに、アイツを煽る奥の手がこっちにはあるんだ。そんなことよりも――」
凶悪な表情を浮かべていた多摩場だったが――急に脱力して、不安を抱いているじっとりとした目でエリザを見つめた。
「後のことは頼みましたからね……俺、御使いのこと信じてないんだから」
「アンタはただアタシのことを信じていればいいんだよ」
豊満な胸をドンと張るエリザに心強さを感じるとともに、改めて惚れ直す多摩場。
「ものすごいキュンとする言葉ですが、利用されてポイってのはごめんですからね」
「肝っ玉が小さい男だねぇ! 安心しな、アイツの好きなようにはさせないから」
「その言葉、信じますからね」
「アンタも、最初のバカみたいに欲出して深追いするんじゃないよ」
漢らしく笑うエリザに、多摩場の抱いている不安は若干だが解消した。
「多摩場のため、俺、頑張るから」
「……ありがたいんだけど、お前の場合はちょっと不安」
「どうして!」
「鈍いから」
一人、やる気満々な湖泉の様子に、多摩場は不安しか覚えなかった。
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