第15話
何事もなく午前中の授業が終わり、昼休みになった。
昼休みになると、空腹の極みにいる幸太郎はすぐにコンビニ弁当を食べはじめる――それが、昼休みの日常だった。
アカデミーの校舎には広い食堂と、コンビニ弁当よりも遥かに美味で豪華で格安に食べることができる学食があるが、学食を頼む人が多すぎて頼むまでに時間がかかるので、幸太郎はすぐに食べることができるコンビニ弁当を選んでいた。
今日も登校中にコンビニに寄って昼食を買おうと思っていた幸太郎だったが――
朝の訓練をさせるために起こしてきたティアによって幸太郎の日常が崩れた。
遅刻ギリギリになるまでウェストエリアにあるティアが友人に借りた訓練施設で鍛えさせられ、朝っぱらからの訓練で体力がなくなった幸太郎に登校中コンビニに寄る体力もなければ、まともに授業を受ける体力もなかった。
「だ、大丈夫か、七瀬」
「大丈夫……かもしれない」
昼休み――幸太郎は進藤とともに学食で買ったメロンパンを食べながら、生きる屍のような足取りで教室に戻っていた。
「ま、まあ、ティアさんにマンツーマンで指導されてるんだから羨ましいぞ」
疲れ果てている幸太郎をフォローするように進藤は明るく話しかけた。
「今年から訓練教官になったティアさん、指導は厳しいけど親身になって相談に乗ってくれるし、一人一人に合った訓練メニューを考えてくれるから評判良いんだぞ」
進藤の言う通り、輝石の力をまともに扱えない自分のために、ティアは厳しいが身の丈の合った訓練メニューを考えてくれて、本当に苦しくなった時は必ずティアは気遣ってくれるので、セラや進藤の言う通り、新米訓練教官のティアの評判が良いのに幸太郎は納得できた――納得できても、訓練が辛いのは変わらないが。
「それに、あのスタイル――普段は固い服装に身を包んでるけど、トレーニングウェアになった時に解放される、あの無防備な姿……ある意味ご褒美だ」
「ティアさんは……腋から胸にかけてのライン」
「随分とコアなところに突っ込んでくるな――まあ、いいじゃないの。ティアさんのトレーニングだったら、きっと七瀬のためになるって」
「そうなんだけど……ティアさん、柔軟運動する時に手伝ってくれるのは嬉しいんだけど、無防備なほど身体を密着してくることがから、たまに理性的に辛くなる時があって……」
「……何だか本気で羨ましくなってきた。クソッ!」
年頃の男らしい会話で盛り上がっていると、進藤は「そういや」と、ふと思い出したように幸太郎に旺盛な好奇心を宿した目を向けた。
「昨日、制輝軍と揉めたんだって? 風紀委員に復帰して早々よくやるよ――で、どうだったんだ? ネットだとセラが圧倒的力で制輝軍を一網打尽にしたとか、一睨みで制輝軍が負けを認めたとか、指先一つで制輝軍をダウンさせたとか、根も葉もない噂が出回ってんだ。七瀬、昨日セラと一緒にいたんだろ? 詳しいことを教えてくれよ」
「激闘はしなくて、白葉さんと美咲さんが仲裁したんだけど――」
焼きそばパンを食べながらの簡潔に昨日の説明をする幸太郎だが、突然の衝撃に食べていた焼きそばパンを床に落として、突き飛ばされた幸太郎は無様に尻餅をついた。
「お、おい、七瀬! だ、大丈夫か?」
「焼きそばパンは?」
突然廊下に尻餅をついた幸太郎に、狼狽しきった様子で声をかける進藤だが、尻を強打しただけで幸太郎は特に怪我はなく、落とした焼きそばパンを探していた。
「おっと、すまない……ぶつかってしまったようだ」
無様に尻餅をついた幸太郎に、嘲りと嫌味がたっぷりと込められた声が浴びせられる。
声のする方へ幸太郎は視線を向けると、そこには尻餅をついている自分を気分良さそうに見下ろして、紳士的だが嫌味なほどニッコリとした笑みを浮かべている貴原康がいた。
数人の取り巻きを連れた貴原の登場に、今まで幸太郎と楽しそうに会話をしていた進藤の表情が怯え満ちて、足が竦んで動けなくなってしまっていた。
「落ちこぼれ同士傷を舐め合うことは結構だが、廊下で突っ立ったまま長話とは、品がない上に邪魔なのだ――ただでさえ邪魔な存在だというのに……」
オブラートに包むことなくストレートな嫌味を吐き捨てる貴原に同調するように、周囲の取り巻きや、幸太郎たちを遠巻きで眺めている生徒がクスクスと笑っていた。
もちろん、笑っているだけではなく、不快に思っている生徒も何人かいたが、そう思っていても止めようとするわけでもなく、ただ見て見ぬ振りをしていた。
「少しは自分の身分を弁えたらどうなんだ?」
「それならどうしたらいいかな?」
情けなく尻餅をついたまま純粋な疑問をぶつけてくる、呑気で癪に障る態度の幸太郎に、貴原は苛立ちで顔を一瞬しかめるが、すぐに余裕そうな笑みで苛立ちを消した。
まるで、邪魔者はいないので思う存分痛めつけることができると言っているような、加虐心に満ち溢れた生粋のサディストな笑みを浮かべていた。
「簡単なことだ……お前たちのような価値のない弱者が校舎内を出歩くな。お前たちの居場所はこのアカデミーには存在しない。日蔭で傷を舐め合っているのがお似合いだ」
整った顔を軽蔑で歪ませた貴原は尻餅をついたままの幸太郎にそう吐き捨てた。
「セラさんはお前のようなゴミに等しい存在を随分と気にかけているが、それはただの同情、一時の気の迷いだ。お前はただの愛玩動物としか見ていない!」
徐々に熱を持つ自分に対する怨嗟の言葉の数々を吐き捨てる貴原に、幸太郎は尻餅をついたまま何も言わずに聞いていた。
「彼女は高い実力相応しい権力を持つべきなんだ! なのに、貴様は邪魔をしているんだ! セラさんを思うなら今すぐ――」
「あの――」
どす黒い感情のまま捲し立てている貴原を幸太郎が突然遮った。
「貴原君の足下に焼きそばパンがあるんだけど、拾ってもいい? 三秒ルールが……」
呑気な幸太郎の一言に理性の糸が弾けるような音が頭の中で響くと同時に、貴原の身体が勝手に動き出し、自分の足下に落ちている焼きそばパンを拾おうとしている幸太郎の顔面を蹴ろうとする。
激情のままに行動する貴原だが――
その行動は怯えたまま動かなかった進藤の拳が止めた。
きつく握り締めた進藤の拳は貴原の顔面を捕え、貴原は数歩よろけた。
突然の進藤の行動に殴られた貴原はもちろん、貴原の取り巻きや野次馬たちや、貴原の行動を不愉快に思いながらも見て見ぬ振りを決め込んでいた生徒たちも驚いていた。
「き、貴様ぁ――……ッ!」
強烈な一撃に痛々しく口元を腫らしながらも、貴原は怒りと憎悪に満ちた威圧感のある目を進藤に向けるが、自分以上の威圧感を放っている進藤に貴原は思わず息を呑んで黙ってしまう。
興奮で全身を震わせ、息を荒くしている進藤は貴原のことをジッと睨んでいた。
貴原を睨む進藤には、自分を痛めつけていた貴原への恐怖心はなく、自身の友達をバカにして暴力を振おうとした相手に対しての激しい怒りに満ちていた。
「傷を舐め合うお友達が増えて、随分と生意気になったもんだ――」
「うるせぇんだよ!」
貴原の言葉を遮るように、彼の顔面をもう一発進藤は殴って黙らせた。
「人を見下すことしかできねぇ奴が、他人の価値を決めてんじゃねぇよ!」
進藤の怒声に貴原が、そして、周囲が静まり返る。
焼きそばパンを拾うことに集中していた幸太郎だが、突然怒声を張り上げた進藤を驚いたように、そして、若干の憧れを抱いているように見つめていた。
「他人の価値を決められるほどお前はそんなに偉いのか? 強いだけで何もしないお前はそんなに偉いのか? ――そんなわけねぇだろ!」
勢いのまま自分の胸倉を掴んだ進藤に、貴原は気圧されていた。
「七瀬は俺の友達なんだ! 俺の友達の価値を勝手に決めてバカにしてんじゃねぇよ!」
言いたいことだけを言って、進藤は掴んでいた貴原の胸倉を乱雑に放した。
進藤のあまりの迫力に、完全に気圧されている貴原だが、それでもプライドがあるのか、激情と憎悪に満ちた目で進藤を睨み、ペンダントについた輝石を握り締める。
「言いたいことはそれだけか……それならば、この僕を殴った代償を払ってもらおう」
「上等だ! お前に好き勝手されるのはもうごめんだ!」
お互い輝石を武輝に変化させようとしていて、一気に場の空気が張り詰める。
全身から殺気を放つ貴原だが、進藤は恐れることなく真っ直ぐと貴原を見据えて、尻餅をついている幸太郎の前に庇うようにして立ち、輝石がついているバングルに触れる。
恐れずに立ち向かおうとする進藤に驚きながらも、余裕そうな貴原だが――今まで見て見ぬ振りを決め込んでいた生徒たちが自分に向けて非難するような目で睨み、全員が進藤の味方であると察した貴原は顔色を悪くする。
それでも貴原は退こうとはしなかったが、さすがに場が悪いと思った取り巻きたちに制されて、貴原は悔しそうに顔を歪めながらこの場を立ち去ろうとする――瞬間――
「ぬぅおぅ!」
素っ頓狂な声を腹の底から出して、貴原は盛大に後ろのめりに転んだ。
まるで、バナナの皮を踏んで転ぶ伝統芸のように、盛大に、コミカルに、そして無様に。
同時に、幸太郎の絶望に満ちた叫び声が木霊する。
「や、焼きそばパンが……」
盛大に貴原が転んだ原因である、彼の足下にある潰れた焼きそばパンを見て、幸太郎はガックリと肩を落とした。
派手に転倒した貴原は取り巻きたちの手を借りて立ち上がり、屈辱に塗れた顔で一人項垂れている幸太郎を睨んでいた。
凄んでいる貴原だが、そんな彼を周囲の野次馬たちがクスクスと笑っていた。
「クッ……覚えていろ!」
テンプレな捨て台詞を吐いて、貴原は取り巻きとともに足早にこの場から立ち去った。
貴原が立ち去り、昼食の一つを失って項垂れている幸太郎に進藤は手を差し述べた。
「あー、その……大丈夫か、七瀬」
「うん、何とか」
潰れた焼きそばパンを回収して袋に入れて、差し伸べられた進藤の手を掴んで幸太郎は立ち上がった。
「進藤君、すごいカッコよかった」
「か、からかうんじゃねぇっての」
自分の思ったままストレートに感想を口に出す幸太郎に、進藤は気恥ずかしそうに幸太郎から視線を外した。
視線を外すと、今度は周囲にいる野次馬たちの憧れに満ちた視線が自分に集まっていることに気づいて、進藤は気恥ずかしそうにこの場から逃げるように立ち去った。
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