第12話

 高等部校舎の地下のひんやりとした冷たい空気と雰囲気が漂う薄暗い廊下を抜けると、場違いなほど明るくポップな文字で『高等部専用特別研究室』と書かれたプレートがぶら下っている重厚な鉄の扉があった。


「……やっぱり戻ろうかな」


 ヴィクターの研究室を目の前にして今更怖気づいて後悔をはじめる進藤だが、そんな彼などお構いなしに幸太郎は気軽にノックして「失礼します」と重厚な鉄の扉を開いた。


 扉を開けた瞬間――クラッカーを鳴らして出迎えられ、そして――

「ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


 生で聞いたらもっとうるさい高笑いが幸太郎を出迎えた。


 笑い声の主である、不健康そうな顔つきをしている長身痩躯の白髪交じりのボサボサ頭に、薄汚れた白衣を着た黒縁眼鏡をかけた男――ヴィクター・オズワルドがニッコリとしながらも、狂気を孕んだ笑みを浮かべて幸太郎を出迎えた。


「その特に目立つことないモブZくらいの凡庸なその顔、間違いない! 久しぶりじゃないか、モルモット君! それに、有名人のセラ君もよく来てくれた!」


「お久しぶりです、博士。相変わらずマッドサイエンティストですね」


「ハーッハッハッハッハッハッハッ! そんなに褒めないでくれたまえ!」


 相変わらずハイテンションで出迎えてくるヴィクターに、楽しそうに挨拶をする幸太郎と、ついて来れずに戸惑った様子のセラと進藤。


 久しぶりの再会に喜ぶヴィクターだが、遅れて進藤の存在に気がついた。


「えーっと、君は――……モルモット二号君だな? ようこそ、我が研究室へ!」


「違うっての! 俺は進藤新!」


「ハーッハッハッハッハッハッハッ! 知っているとも知っているとも! 全生徒の名前と顔を私は把握しているのだ! 冗談だよ、モルモット二号君!」


 自分をモルモットとして見ているヴィクターに、進藤はセラの前で虚勢を張っているが、内心ではここに来たことを改めて激しく後悔した。


「新たなモルモットが増えて嬉しい限りだ! ちょうどいいので、新型ガードロボットの武装ついての意見が欲しいのだが、何かあるかな?」


「ロケットパンチ」

「え、えっと……それじゃあ、俺は変形機構」

「なるほど! 中々ためになるじゃないか! ちなみに、私は合体機構が好みだぞ!」


「――盛り上がっているところすみませんが、幸太郎君を呼び出して理由は何でしょう」


 さっそく話が脱線しているので、さっさとセラはここに来た用件を尋ねて本題に入ろうとすると、ヴィクターは大袈裟なリアクションでハッとした。


「おっと、再会の喜びで忘れていたよ! ――モルモット君、君はどうやらまた面白そうな面倒事に巻き込まれるようじゃないか ハーッハッハッハッハッハッハッ!」


「それほどでも」


「ハーッハッハッハッハッハッハッ! 褒めてはいないぞ!」


 本人に悪気はないが、他人事だと思って嫌味なほど豪快に、気持ちよく笑うヴィクター。


「制輝軍は君が風紀委員に入ったという情報を得て、君たちが何か大事を仕掛けてくるのではないかと思って、君たちの動向を注視しているようだぞ」


「……随分と情報が出回るのが早いようですね」


 笑みを消して少しだけ真剣な表情になったヴィクターの言葉に、セラは敏感に反応して周囲に刺すような緊張感を放ち、真っ直ぐとヴィクターを見つめる。


 場の空気が変わったことを察した進藤だが、幸太郎はよくわかっていない様子で、お互い真剣な表情で見つめ合っているセラとヴィクターを交互に見ていた。


「個人的に微妙な心境だが、アカデミー全体のことを考えれば私は君たちに協力したいのだよ……アカデミーは制輝軍が――いや、国が管理されるべきではないのだから」


 自嘲的な笑みを浮かべながら幸太郎たち風紀委員に協力する意志を見せるヴィクターを、セラは申し訳なさそうな、それ以上に悲しそうに見つめていた。


「博士、制輝軍のこと嫌いですか?」


「それはもちろんだ! 人が開発した監視システムとガードロボットを、開発者たる私の許可なく勝手に改造して使うような連中は大嫌いだ!」


 忌々しげにヴィクターが制輝軍の名前を出したことを気になった幸太郎は素直に疑問をぶつけると、ヴィクターはもちろんだと言うように力強く頷いた。


「それに――表向きはきれいごとを並べている組織だが、本来は十一年前に起きた『祝福の日』によって増えた輝石使いたちを管理・育成して、裏では国同士の争いを水面下で行うために設立された、国防のための組織だ。アカデミーは人間を育てているのであって、断じて兵士を育てているわけではない……そこには決定的な差があるのだ」


 むなしそうに遠い目をしているヴィクターは語気を強くして、まるでこの場にいない誰かに言い聞かせるようにそう言った。


「しかし、現段階の問題点は制輝軍の存在だけではない――これもある」


 おもむろにヴィクターは白衣の内ポケットから、円筒型の試験管を取り出した。


 試験管の中には緑白色に微かに光る小さな石があった。


 神秘的な光を放つ石に、幸太郎は思わず目を奪われてしまい、ボーっとしてしまう。


 なんだろう――……きれいで目が離せないんだけど……

 でも――


「先生、それはまさか……アンプリファイア……?」


 試験管の中で光る石に目を奪われている幸太郎だが、幸太郎の思考を邪魔するかのようにセラの慌てて驚いた声が響く。


「その通り。これが外部には薬とされているアンプリファイアの正体だ――この小さな欠片だけでも十分すぎるほどの力を得ることができるぞ」


 驚きと呆れた表情を浮かべているセラの質問にヴィクターはニッコリとした笑みを浮かべて力強く頷いた。頷くヴィクターに、セラは呆れ果てた様子で深々とため息を漏らす。


「アンプリファイアは持っているだけでも犯罪。最悪、アカデミーから永久追放されることになるかもしれないんですよ」


「いやぁ、すまないすまない。ちょっとした出来心で」


「出来心の一言で済む問題ではありません」


 呆れている様子のセラの注意に、ヴィクターはいたずらをして叱られた子供のように苦笑を浮かべておどけた。


「まあ、安心したまえ。私は鳳グループと教皇庁からアンプリファイアの調査と研究をしているだけだ。使用するつもりはもちろんのこと、売人から買ったわけではない」


「それを聞いて安心しました……それで、何か詳しいことはわかったのでしょうか」


「わからない――ということがわかったよ。ハッキリとした力の計測もできない、破壊もできない、どこかから来たものなのか――現在の科学では解明できない不可思議な物体だ……まあ、強いて言うのならこれは――いや、憶測を述べるのはやめよう」


 お手上げだと言うように、ヴィクターは肩をすくめてため息を漏らす。


「力を得るためにわけのわからないものを使う人の気がしれないな、まったく……」


 悪気なく、ただアカデミーの現状を憂いたヴィクターの愚痴に、不快感を露わにした進藤は、静かな怒りが込められている目で真っ直ぐとヴィクターを力強く睨んだ。


「みんな現状を何とかできない自分に不安で怖いんだ。だから、追い詰められたら、間違いだとしても誰だって救いの道に逃げ込みたくなりますって……アンタみたいに色々持っている奴にはわかんねぇよ」


 進藤の言葉ですぐに自分の失言に気がついたヴィクターは、すぐに「すまない」と謝り、何も理解していなかった自分を嘲るような笑みを浮かべた。


「確かにその通りだ、モルモット二号君……配慮に足らない言葉だったようだ」


「あ、い、いえ、俺の方こそすいません……偉そうなこと言って」


「偉そうなことを言ったのは私だ。私は結局何も理解していなかったのだからな……――しかし、実力主義の思想が跋扈する今のアカデミーでも、君のような気概がある生徒がいて私は安心したぞ! ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


 良いことを言って教師らしい雰囲気を放つヴィクターだったが、最後の高笑いがすべてを台無しにした。


「さて、アンプリファイアのおかげで簡単に力を得られるようになった――君はどうするのかな、モルモット君」


 意地の悪い笑みを浮かべて、ヴィクターはアンプリファイアが入った試験管を幸太郎に投げ渡し、幸太郎は慌ててキャッチした。


 緑白色に淡く光るアンプリファイアをしばらくボーっと眺めていた幸太郎だったが、やがて、飽きたように大きく欠伸をして試験管をヴィクターへと投げ返した。


「いらないです」


 アンプリファイアを使う気がいっさいない様子で、幸太郎はそう答えた。


 幸太郎の答えを聞いて、ヴィクターはさらに口を吊り上げて嫌らしく笑う。


「これを使えば君でも輝石を武輝に変化させることができるかもしれないぞ?」


「でも、危ないって聞きました」


「そうだな。この僅かな欠片だけでも強大な力を得ることができるが、心身に重大な影響を与える。しかし、モルモット二号君の言った通り、人は追い詰められればどんなものでも縋って手を出す……君は極限状態になってもそう言っていられるかな?」


「強くなるなら、セラさんたちみたいになりたいです」


 自分の周りにいる友達の圧倒的な実力を目の当たりにして、そんな友達の強さに憧れを抱いている幸太郎にとって、アンプリファイアで力を得て強くなっても、本当の意味で強くならないだろうと感じていた。


 そう感じているからこそ、幸太郎はいっさいの迷いなくそう答えた。


 そんな幸太郎の様子にヴィクターは満足そうな笑みを浮かべた。


「力のない自分を恨む時が来ても、その考えは変わらないままかな?」


「変わらないです」


 ビクとも動かない幸太郎の固い意思に、ヴィクターは心底愉快そうに笑った。


「だが、間違った力でも、力というものはあって困るものではない。それが極限状態なら尚更だ。そうだろう? モルモット二号君」


 突然話を振られて困惑している進藤の反応を楽しそうに眺めながら、ヴィクターは白衣のポケットの中からあるものを取り出し、幸太郎に差し出した。


 白銀に煌めく銃だが、引き金を引けばレーザーが発射されるそうな未来的なデザインをしているため、一見するとオモチャのようだった。


 見覚えがあるものと比べたら大きさやデザインが少し異なるが、差し出された銃を見て幸太郎の表情は明るくなった。


「約束の代物、そして、君の新たな力だ――受け取りたまえ」


 輝石を武輝に変化させることができない幸太郎にとって唯一の武器であり、電流とともに衝撃波を発射する非殺傷衝撃発射装置――通称・ショックガンをヴィクターから幸太郎は受け取った。


 かつて自分の使っていたものと比べて、デザインはもちろんのこと、若干コンパクトになり、重さも軽くなっており、容易に片手で扱える重さになっていた。


「君のか弱い筋力を考慮に入れて、片手撃ちできるように極力反動を抑制するようにした。だが、その分衝撃波の威力が落ちてしまい、一撃必殺の威力はなくなってしまった。しかし、衝撃波と同時に発射する電流の威力が上がっているので、マイナスは僅かだ。約束通り君の要望にはすべて応えたぞ! 喜びたまえ!」


 新たに開発したショックガンの性能を声高々に自慢げに語るヴィクターだが、カッコイイ片手撃ちの方法を模索している幸太郎の耳には届いていなかった。


「そういえば、いくつか問題があるのだ。まずは、威力を弱くしているので、去年のように銃の弾丸の威力をすべて消せて一命をとりとめるという無茶な真似はできないこと。それと、軽量化にも成功したため、発射時の衝撃に銃身がぶれてしまうことがある! ま、数撃てば問題ない!」


 思い出したかのように重要な注意事項を説明するヴィクターだが、もちろん幸太郎は聞いているわけなく、片手でカッコよく撃つ振りをしながら生返事を繰り返していた。


 そして、片手で持った銃を斜め横にして構えるのが一番カッコイイと幸太郎は判断した。


「ありがとうございます、博士」


「礼には及ばん。君には大きな恩があるのだからな! それで思う存分に活躍したまえ! そうだ! 今後のために使用後の感想をレポートにまとめてもらおう! できれば、使用後には身体検査をしたいのだが、いいだろうか」


「いいですよ」


「即答して了承とはさすがは優秀なモルモット君だ! ハーッハッハッハッハッハッ!」


 幸太郎を実験動物と見なしているヴィクターと、実験動物にされているにもかかわらず嬉しそうに新たな武器を眺めている幸太郎の呑気な様子に、セラと進藤は呆れたように揃って深々とため息をついた。


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