第10話

 放課後の風紀委員本部――本部内には、巴、サラサ、セラ、そして――テーブルに突っ伏してピクリとも動かない幸太郎がいた。


 巴は幸太郎とテーブルを挟んで向かい合うように座っており、テーブルに突っ伏している彼を厳しい目で見下ろしていた。


 室内の空気は巴が放っている威圧感のせいで、張り詰めていた。


 場の空気が張り詰めている理由は、幸太郎が答えを決めたということからだった。


 これからのアカデミーに関わるかもしれない決断をするために、今日ここに集まったが――幸太郎はテーブルに突っ伏したまま何も言わなかった。


 そんな様子の幸太郎に、巴は呆れて失望したようにため息をついた。


「……時間を置いて考えろと言ったのに、こんな短時間で選択するとは――優柔不断でないことは称賛するけど、君が思っている以上に君の決断は重要、そして、君の身にとって危険であることを、十分に理解しているの?」


 挑発するようだが、試しているようでもある巴はそう吐き捨てる。


「……それで、君はどうするつもりなの?」


 何も答えない幸太郎に対して、苛立ちを募らせている声音で巴は尋ねる。


 相変わらずテーブルに突っ伏したまま何も答えない幸太郎だが、答えを口に出す代わりにテーブルに突っ伏したまま、協力するという意味で弱々しくサムズアップをする。


 幸太郎の返答に、巴は呆れたように深々とため息を漏らした。


「セラさん、七瀬君に一体何があったの?」


「ちょっとティアの訓練に熱が入り過ぎたみたいで……」


「ティアの……? いくらなんでもやり過ぎよ!」


「でも、健全な精神は宿りました」


 ニッコリとしながらも、有無を言わさぬ凄味のある笑みを浮かべているセラに、何か薄ら寒いものを感じた巴は「そ、そう」と、これ以上何も突っ込まないことにした。


「しかし、これでは話にならない……後日改めて――」


 厳しい訓練に体力を消耗しきっている幸太郎の状態では、まともに話しをすることができないと判断した巴は、話を切り上げて解散しようとしたが――

 巴の話に割って入るかのように、風紀委員本部の扉がノックされた。


 数回のノックの後、「どなたでしょう」と巴が扉に向けて尋ねると、「失礼します」と一人の男子生徒が本部に入ってきた。


 中途半端に伸ばした髪型の男子生徒のそれなりに整っている顔には、いくつか擦り傷があり、歳相応の活発さと爽やかさがあるが、自分に自信がなさそうな表情をしていた。


 男子生徒は風紀委員本部に入ってすぐに巴の存在に気づいて驚いた様子だったが、すぐに我に返って巴たちに向けて「どうも」と軽く会釈をして挨拶をした。


 挨拶してきた男子生徒に見覚えがない様子の巴とサラサだが、その男子生徒と同じクラスであるセラは、彼に向けて柔らかな笑みを浮かべた。


「進藤君、怪我はもう大丈夫ですか?」


「あ、ああ、もう大丈夫。大した怪我じゃなかったし」


「そうですか……それはよかったです」


 自分を心配してくれて、大した怪我ではないということを知って安堵してくれたセラの優しさに触れ、男子生徒・進藤は照れたように頬を赤らめた。


「その……ここに七瀬がいるって聞いてきたんだけど――大丈夫か?」


「う、うん……明日確実に筋肉痛になるけど、大丈夫」


「ほ、ホントに大丈夫か? 身体から変な音鳴ってるぞ」


 進藤の声に反応して、ギシギシと身体中の骨を軋ませながら幸太郎は上体を起こした。


「それよりも、大した怪我じゃなくて――」


「俺のことよりも、七瀬――その――……」


 幸太郎の話を遮って、進藤は突然幸太郎に向けて深々と頭を下げた。


「今日はありがとうな……七瀬がいなかったら、俺はもっとひどい目にあってた」


 心の底からの感謝を言ってから進藤は頭を上げると、晴々とした表情を浮かべていた。


「七瀬のことは根も葉もない噂も含めて色々知ってるけど……正直、すごいよ……まともに戦えないのに、あの貴原に立ち向かおうとするなんて」


 自分を助けるために貴原と立ち向かった幸太郎に感銘を受けている進藤だが、幸太郎は戸惑ったような表情で苦笑を浮かべていた。


「貴原君に立ち向かったのはセラさんとティアさんだけど」


「確かにそうだけど、俺を助けてくれたことには変わりないだろ?」


「あの時の進藤君傷だらけだったから、保健室に連れて行かなきゃって思ったから」


「それでもすごい勇気だ」


「そう言われると何だか照れる――でも、僕が決めたことだから気にしないで」


 自分が傷つくかもしれない状況だったというのに、気にしないでと簡単に言い放った幸太郎を進藤は憧れの眼差しで見つめ、おもむろに幸太郎に手を差し出した。


「俺は進藤新しんどう あらた……よろしくな、七瀬。このお礼は必ずするから」


「別に気にしないでいいんだけど……よろしくね、進藤君」


 差し出された進藤の手を幸太郎は握って、進藤はきつく幸太郎と握手をした。


 二人の様子を黙って見ていた巴は、幸太郎に対して見直したと言っているような視線を向けた。


「……何があったのかはわからないけど、どうやら私の知らない間に君は自らトラブルに首を突っ込み、分不相応な無茶をした結果、進藤君を救ったようね」


「ほとんどセラさんとティアさんのおかげですけど」


 見直してくれている巴に、照れながらも幸太郎は自嘲を浮かべて事実を言った。


 事実を語っても、巴はさっきまで堅かった表情を一変させて、幸太郎に対して温かい目と優しく、柔らかな表情を浮かべて首を横に振った。


「そうかもしれないけど、君の勇気が進藤君を助けるための重要な鍵になったのよ」


「何だか照れます」


 巴の言っていることはよくわからなかったが、取り敢えず褒められていると感じた幸太郎は照れ笑いを浮かべた。


「昨日も言ったように、今のアカデミーの状況を打破するために必要なのは力じゃない。君が今日進藤君に見せた勇気が必要なの」


 巴は頼りがいがないほど華奢で薄い幸太郎の胸板を指差した。


「七瀬君、君に改めてお願いする……私たちに協力して」


 ソファから立ち上がって改めて巴は幸太郎に頭を下げて協力を求めた。


 昨日から答えは何一つ変わっていない幸太郎は、「いいですよ」と軽い調子で頷いた。


 相変わらず軽い調子で重要なことを決めた幸太郎に、巴は呆れつつも心強いと思っている様子で微笑み、セラに目配せをした。すると、セラは棚の中から風紀委員の証である赤と黒のラインが入った腕章を取り出し、幸太郎に差し出した。


 絶対に守り抜く――そんな強い意志を宿している瞳でセラは幸太郎を見つめて、幸太郎はその気持ちに応えるように頷いて、差し出された腕章を受け取った。


「それを受け取ったら、君は日常には戻れない……大きな争いに巻き込まれることになる」


「ドンと任せて」


「その意気は結構。でも、一人で勝手に無茶をするのだけはやめて。無茶をする時は、私を頼りなさい。アカデミーのためなら私は全力で君をサポートするから」


 巴の誓いに続いて、威圧するような目で幸太郎を睨むように見つめているサラサも頷く。


「俺だって……七瀬には恩があるんだ。風紀委員が何をするのかはわからないけど、情報収集なら得意だから、できる限りの協力はするよ」


 恩がある幸太郎のために進藤も協力を申し出た。


 多くの仲間たちに囲まれて、いよいよ風紀委員の活動が再開する――が……


「もう、限界……」


 糸の切れた人形のように、再び幸太郎はテーブルに突っ伏した。


 ティアの特訓という名の苦行による疲労に、いよいよ体力の限界を迎える幸太郎。


 餅のように全身をテーブルにのっぺりと突っ伏して、締まりのない表情をしている幸太郎に、先行きの不安を感じて全員呆れながらも、表情は柔らかかった。




――――――――――




 すっかり日が暮れ、夜の闇が空に広がる頃――


 セラは巡回を切り上げて、寮へと帰っていた。


 今日は晩御飯を余分に作って、普段の食事をコンビニの弁当で済ましている不摂生な幸太郎にお裾分けでもしようかと思っていると――

 寮であるマンションの近くに、見知った人物が立っていることに気がついた。


 その人物はティアが暮らすマンションの一室――明かりがついている幸太郎の部屋を不服そうで、悔しそうでありながらも、どこか安堵しているような顔で眺めていた。


 寮を眺めたままその場から一歩も動かないその人物に、セラは呆れたようなため息を小さく漏らして、その人物に近づいて「鳳さん」と話しかけた。


 寮の前にいる人物――鳳麗華にセラは話しかけると、セラに気づいていなかったのか麗華は素っ頓狂な声を上げて驚いた。


「ちょ、ちょっとセラさん! 唐突に話しかけないでくれます?」


「もしかして幸太郎君に会うためにここに?」


「ち、違いますわ! たまたま通りかかっただけですわ! この高貴なる私がわざわざあんな凡骨凡庸ポンコツ男に会いに行くなど絶対にありえませんわ!」


 見え見えの本心を隠して慌てて否定する麗華の素直じゃない態度にセラは呆れるが、火に油を注がないために余計なことは言わずに「はいはい」と軽くスルーした。


 まだ落ち着きを取り戻していない麗華だが、「そ、それよりも!」と話題を替え、無理矢理不敵な笑みを浮かべて余裕な態度を取り繕った。


「私の計画が上手く行っているようで何よりですわ」


「すべては鳳さんの掌の上、ですね――……今のところは」


 幸太郎が帰ってきてから今日まで、すべてが麗華の思い通りになっていることに、セラは安堵をしながらも、どこか不満気で不安そうな表情を浮かべていた。


 自分自身で納得しながらも、まだ幸太郎を危険に巻き込み、利用することに罪悪感を覚えているセラだが、そんな彼女の気持ちを見透かしたように麗華はフフンと笑う。


「あの何の役に立たない男でも、ようやく役に立つ時が来たのですわ! 無茶をすることだけが取り柄のあの男も本望、そして、私の役に立てるのを光栄に思っているでしょう!」


 罪悪感を覚えているセラとは対照的に、幸太郎を利用することにまったくの躊躇いがない麗華は、偉そうにふんぞり返って気分良さそうにしている。そんな彼女に呆れたような視線を送りつつも、セラは彼女を心配しているような視線で見つめていた。


「操り人形男が風紀委員に入った次は、いよいよ計画の本番ですわ!」


 ビシッと音が出る勢いセラに向けて指を差し、力強く麗華はそう宣言する。


「立ち向かうべきは、頭の中が筋肉の方々が揃う制輝軍、学生連合の名を借りた愚かな野蛮人の集団――敵は多く、油断大敵ですわ! もちろん、わかっていますわね、セラさん!」


「も、もちろん承知の上です……あの、す、少し落ち着いてください……」


 近所迷惑になりそうなほどの力強く大きな声を発する麗華に、圧倒されっ放しのセラ。


 圧倒されながらもすべてを承知しているセラに、麗華は「ならば結構!」と、相変わらず無駄にうるさい大きな声を出して満足そうに頷いた。


「それよりも、セラさん……アンプリファイアの件は一体どうなっていますの?」


 満足そうな表情から真剣なものへと変えた麗華は、風紀委員が情報を集めている近日アンプリファイアが大量にアカデミー都市内に拡散されるかもしれないことについての話をするが――その話を持ち出され、セラは申し訳そうな表情で「すみません」と謝った。


「まだ巴さんが得た情報のみで――詳しいことは不明です」


「アンプリファイアは謎が多すぎるので情報が少ないのは仕方がありません。引き続き情報収集をお願いしますわ」


 情報がまだないことに麗華は肩を落として焦っている様子だが、それを無理矢理抑えてセラに情報収集を頼むと、セラは力強く頷いた。


「それでは、これで失礼しますわ!」


 セラが頷いたのを見て満足したのか、丁寧に頭を下げて、無駄に優雅にターンして軽い足取りで帰ろうとする麗華。


 この場を立ち去ろうとする麗華に向けて、ふいにセラは「鳳さん」と呼び止めた。


 呼び止められた麗華は立ち止まったが、振り返ろうとはしなかった。


「……私たちの本当の敵は誰なんでしょう」


「そんなもの決まっていますわ! 今のアカデミーに根付く、悪しき思想ですわ!」


 迷いなく断言した麗華に、セラは小さく首を横に振って、「すみません」と一言謝った。


「言い方が悪かったようです……鳳さんの敵は誰なんでしょう」


「……同じようなことを何度も聞かないでいただけます?」


 同じことを聞き返してきたセラに、麗華は呆れた声でそう返した。


 しかし、麗華が返答に一瞬だけ逡巡したことをセラは見逃さなかった。


「今の鳳さんは去年一人で勝手に突っ走って暴走した私と同じに見えます」


「私はあそこまで過激にはなりませんわ」


「何を考えているのかわからない分、性質が悪いですが」


 呆れたようなため息交じりに言い放ったセラの嫌味に、痛いところを突かれた麗華は降参だと言うようなため息を小さく漏らした。


「私には立ち向かわなければならないがあるのですわ」


「その責任は一人で立ち向かわなければならないんですか?」


「お気遣い感謝しますが、責任というものは一人で背負うべきもの。無用な気遣いですわ」


「一人で背負って重くないんですか?」


 差し出された手を強がって振り払う麗華の態度に、悲痛なほど強い覚悟を感じ取ったセラは何も言えなくなってしまった。


 セラが沈黙して、麗華はやれやれと言わんばかりにため息をついて肩をすくめた。


「まあ、確かに私一人ではどうにもならないこともありますわ――そのために、あなたはもちろん、頼りたくない相手を頼っているのですわ……――ですので、私は決して一人でいるわけではありませんわ」


 不承不承で恥ずかしそうに言い放った麗華の言葉に、一人で突っ走っているわけではないと感じ取った「……そうですか」と、セラは安堵の息を漏らした。


「満足していただいたようなので、これで本当に失礼しますわ」


「……幸太郎君が鳳さんに会いたがっていますよ」


「ドレイクから聞きましたわ……まあ、頭の片隅には置いておきましょう」


 素っ気なくそう言って、麗華は足早にセラの前から去った。


 誰にも頼らないで一人で戦っている麗華の背中を心配そうに眺めながら、セラは麗華に対して何もできない自分の不甲斐なさを感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る