第二章 勇気ある行動

第9話

 昨日自宅から運ばれてきた運動着であるジャージを着ている幸太郎は、訓練施設等が立ち並ぶウェストエリアにある屋外訓練場内を走り回っていた。


 始業式の翌日の今日、朝から午後まで夏休みで鈍った身体を動かすための訓練だった。


 他のクラスメイトたちは各自グループになって様々な訓練を行っているが、相変わらず輝石を扱える素質はあっても輝石を武輝に変化させることができない幸太郎は、訓練教官に訓練メニューを渡されてそれを自主的にこなすだけだった。


 戻ってきて初っ端からの訓練に、夏休みで鈍りきった幸太郎の身体はまだ走って三十分も経っていないというのに、もう限界が訪れていた。


 適当に休めと言われているので、幸太郎は立ち止まって休もうかと思っていると――

「も、もうやめてくれ……こ、降参だよ」


 憔悴して怯えきった声がどこからかともなく聞こえてきた。


 クラスメイトたちが訓練している場所からだいぶ離れた位置から聞こえる恐怖に染まったその声に、ただ事ではないと感じた幸太郎は、声のする方へと小走りで向かう。


 向かった先には、地面に両膝を突いて、傷だらけで怯えきった表情の男子生徒を、武輝を持った数人の男子生徒が囲んでおり、全員幸太郎のクラスメイトだった。


 怯えている男子生徒を囲んでいる男子生徒の中に、幸太郎は見知った顔を見つけた。


「まったく……せっかく特別訓練を君に施してやっているというに、もう終わりかい? 情けないなぁ、それでも君は栄光あるアカデミーの輝石使いなのかな?」


 武輝であるサーベルを手にしている貴原康はサディスティックな笑みを浮かべて、両膝を突いている男子生徒を見下ろしていた。


 貴原以外の男子生徒は、両膝を突いて傷だらけの男子生徒を見て、助けるわけもなくただ下卑た笑みを浮かべて楽しんでいる様子だった。


「さあ、早く輝石を拾うのだ。訓練はまだまだこれからだ」


「そ、そんな……もう、俺は――」

「僕たちは君のために自分の訓練時間を割いて、君の訓練に付き合っているんだ。君のような何の価値のない弱い輝石使いのために――さあ、進藤君、早く立ち上がるんだ」


「……た、頼むからもうやめてくれよ」


 貴原は進藤しんどうと呼んだ、両膝を突いている男子生徒の胸倉を掴んで無理矢理立ち上がらせたが、心身ともに疲弊しきっている進藤はすぐに尻餅をついた。


 情けなく尻餅をついた新藤を見て、貴原たちは下卑た笑い声を上げる。


「君のような実力のない輝石使いがアカデミーの汚点となるのは、アカデミーを愛する僕にとって我慢できないんだ……さあ、訓練再開だ!」


 貴原の周囲にいる男子生徒たちは、尻餅をついた進藤を無理矢理立ち上がらせ、落ちていた輝石がついたバングルを拾って無理矢理彼に持たせた。


 戦意喪失している進藤に対して無理矢理訓練を行わせようとさせる今の状況に、見ていられなくなった幸太郎は、恐れることなく貴原たちに近づいた。


「大丈夫?」


 自分たちのやっていることに後ろめたさがあるのか、突然の声に驚いている貴原たちだが、声の主が幸太郎であることに気づき、貴原たちは新しいオモチャが来たと言わんばかりに淀んだ笑みを浮かべた。


「おやおや、七瀬君……もしかして、君も僕たちと訓練をしたいのかな? ――いや、何も言わなくていい。向上心溢れる君なら僕たちと訓練をしたいだろう。ちょうどいいところだ、進藤君はもう限界みたいだからね」


 悪意に満ちた満面の笑みを浮かべている貴原は勝手に話を進めているが、幸太郎は貴原よりも傷だらけの進藤が気になっていて、貴原を見てはいなかった。


 自分の存在を気にも留めていない様子の幸太郎に、貴原は一瞬だけ苛立ちで顔を歪ませるが、すぐにニッコリとした笑みを浮かべた。


「遠慮しないでくれ、力を持つ者として君たちのような人間のために力を貸すのは当然の義務であり、責任だ。――そうだ、基礎体力をつける訓練だけで飽き飽きしていた君のために、実戦に近い訓練を行おうじゃないか……ここにいるみんなで仲良く、ね……」


 嫌らしい笑みを浮かべた貴原の言葉を合図に、男子生徒たちは進藤から幸太郎に標的を変え、幸太郎を囲んで逃げ道をなくす。


 進藤を無理矢理立たせていた男子生徒は、進藤を突き飛ばして貴原の隣に立つ。


 受け身も取れないほど消耗しきっている進藤は地面に突っ伏した。


「さあ、これから訓練をはじめようじゃ――」


 訓練という名の私刑を開始しようととした貴原だが、貴原の話など聞いていない様子の幸太郎は地面に突っ伏した進藤に近づいて、膝をついて「大丈夫?」と声をかけた。


「や、やめろ……俺に構うな……逃げろ……」


「その前に保健室行かないと」


 自分に構う幸太郎を、自分を放って逃げるようにと促す進藤だが、幸太郎は忠告を聞くことなく進藤の怪我の具合を確認していた。


 自分の状況をまるで理解していない幸太郎に、貴原は張り付いた笑みを消して、下衆な本性を前面に出した冷酷な表情を浮かべた。


 そんな貴原のことなど気にも留めていない幸太郎は、倒れている進藤に肩を貸して立ち上がらせた。


「随分と余裕な態度だ……すぐにでもその余裕な態度を――」


「ごめんね、貴原君。そこどいてもらえる?」


 自分を無視して進藤とともにこの場から立ち去ろうとする幸太郎に、貴原はもう我慢の限界を超え、激情のまま手にしていた武輝であるサーベルの切先を幸太郎に向ける。


「調子に乗るなよ……」


 どす黒い感情を宿す眼光を飛ばす貴原を、恐れることなく幸太郎は見つめ返した。


「せっかくの力を手にしておきながら、お前らのように輝石の力を上手く扱えない輝石使いなんて、アカデミーに存在する価値なんてないんだよ」


「……ごめんね。今何の話してるんだっけ」


 呑気な様子で放たれた幸太郎の言葉は、僅かに残っていた貴原の理性を吹き飛ばした。


 武輝を大きく振りかぶって、そのまま貴原は幸太郎に向けて振り下ろす――

「……何をしているんですか?」


 しかし、貴原の凶行をどこからかともなく響いてきた声が止めた。


 静かな威圧感が込められているその声は、一気に貴原を平静に戻し、貴原の凶行を止めることなく下卑た薄ら笑みを浮かべて取り巻きの男子生徒たちの笑みを消した。


「何をしていたのか、聞いているのですが?」


 周囲を圧倒するほどの威圧感を放つ声の主――セラは、武輝である片手で扱えるサイズの剣の柄をきつく握り締め、研ぎ澄まされた刃のような視線で貴原たちを睨んでいた。


 セラの登場に貴原以外の男子生徒たちは息を呑み、今すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動に駆られていたが、一歩でも動いたら斬ると言わんばかりのセラの眼光と、放たれる殺気にも似た威圧感がそれを許さなかった。


 張り詰めた緊張感が周囲を支配しているが、一人だけ呑気な様子の幸太郎はセラの登場に、「セラさん、ちょうどよかった」と、表情を明るくさせて呑気な声を上げた。


「……怪我はありませんか、幸太郎君」


「僕は大丈夫だけど、進藤君はダメそう」


 幸太郎が無事で安堵の表情を浮かべるセラだが、傷だらけの進藤の様子を見て、再び貴原たちに鋭い視線を向けた。


「何度も何度も……懲りませんね、あなたは」


「また、ですか……セラさん」


 周囲を震え上がらせるほどのセラの眼光を一身に受けても、余裕な態度を崩さない貴原。


 鋭い眼光を飛ばして静かに怒っているセラとは対照的に、貴原はセラに向けてキザっぽい笑みを浮かべて余裕そうにカッコつけていた。


「相変わらず怒った顔も素敵だが、私たちは力ある者の義務として進藤君の訓練をしていただけですよ? ……少々熱が入り過ぎてしまいましたが」


「傷ついている進藤君を見る限り、訓練とは言い難いですが?」


「少し熱が入っただけで、音を上げる進藤君にも問題はあると思いますよ」


「幸太郎君にも同じことが言えますか?」


「みんなで仲良く訓練をしようとしただけですよ」


「……ふざけるな」


 ドスの利いた声を上げるセラに、貴原は呆れ果てたように深々とため息を漏らす。


「セラさん、これ以上私を失望させないでくれないかな? 前にも言いましたが、あなたは私と同じ持つべき者……あなたには相応の権利がある」


「権利を持つ前に果たすべき責任がある」


 ああ言えばこう言うセラに、何を言っても無駄だと感じた貴原は、わざとらしく深々とため息をついて肩をすくめる。


「まったく……これ以上は本当に失望してしまいそうだ」


「失望したらどうなる」


「……どうなると思いますか?」


 余裕な態度を崩すことない貴原と、静かに怒るセラの間に一触即発の空気が流れる。


 二人が発している威圧感に、貴原の取り巻きたちは息を呑みながらも、数では勝ると思ってセラを囲み、輝石を武輝に変化させた。


 複数の相手に囲まれた危機的状況だが、セラはいっさい表情を変えない。


「さあ、あなたはこの状況でどうしますか?」


 余裕に満ち溢れた笑みを浮かべている貴原だが――

 力強い一歩を踏み込むと同時に居合切りの要領で、セラは武輝である剣を振う。


 幸太郎の目には映らぬ速さで振られたセラの剣。


 甲高い金属音が響き渡ると同時に、宙に複数の武輝が舞い、地面に落ちて輝石に戻る。


 セラを囲んでいた貴原の取り巻きたちの武輝は、セラの一振りで弾き飛ばされた。


 圧倒的な実力差を見せつけられ、貴原の取り巻きたちは情けなく小さな悲鳴を漏らす。


 一方の貴原は、取り巻きたちと違い、セラの一撃を自身の武輝で受け止めていた。


 目にも映らぬセラの一撃を受け止めた貴原を見て、彼もかなりの実力者であると幸太郎は悟った。


「さすがはセラさん……素晴らしい一撃だ」


 余裕そうな笑みを浮かべている貴原だが、額に冷や汗が一筋流れていた。


 セラは何も言わずに貴原を睨み続ける。


 セラと貴原、二人の間の緊張感が極限まで高まろうとしたその瞬間――

「そこまでだ」


 二人を諌めるようなクールな声が響くと、二人の間にティアが割って入った。


 突然のティアの登場に貴原たちは驚いているが、セラは何も反応をせずに貴原を睨み続けていた。


 静かに闘志を漲らせるセラにティアは冷めた視線を向けた。


「退け、セラ」


「彼らは大勢で進藤君を痛めつけ、幸太郎君を傷つけようとした……退く気はない」


「理解しているなら、今は争うことよりもやることがあるだろう――大丈夫か、進藤」


 ティアの言葉に怪我人の進藤を放って、激情に身を任せていたことに気づいたセラは、一気に平静を取り戻し、貴原から離れて武輝を輝石に戻した。


 唐突にティアに話しかけられた進藤は、呆気に取られて緊張した面持ちで頷いた。


 ティアは新藤の全身をジッと見つめ、彼の手足に触れて骨に異常がないことを確認した。


「特に目立った怪我をしていないようだな……セラ、進藤を保健室に」


「わかったわ……大丈夫? 進藤君」


「……あ、え、えっと……ひ、一人で大丈夫だから!」


 幸太郎に代わって進藤に肩を貸そうとするセラだが、顔を紅潮させた進藤は怪我をしているにもかかわらず、逃げるようにこの場から走り去った。


 怪我をしているのに無理をして走り去った進藤を心配そうに眺めているセラだが、ククッと嫌味のように笑った貴原を、セラは怒気が溢れる目で睨んだ。


「進藤君、元気そうで何よりですよ」


 明らかな挑発をする貴原を睨むセラの視線は鋭さを増すが、それ以上に冷え切ったティアの目に、さすがの貴原は息を呑んで黙ってしまった。


「貴原康――かつて輝動隊の入隊が確定しているほどの力を持ちながらも、腐った性根のせいで入隊取り消しになったというのに……前以上に腐りきっているな」


「……む、昔の話です」


「輝動隊の入隊を取り消され、輝士団の入団試験にも挑戦したが失敗――その後、大人しくしていたが、つい最近堕落しきった学生連合に所属。……そこまで他人に自分の力を誇示したいとは、滑稽を通り越して無様だな」


 古傷を抉るようなティアの一言一言に、貴原の表情は屈辱に満ち溢れていたが、鋭く尖った氷柱のような目で睨んでくるティアに貴原は何も言い返せなかった。


「失せろ」


 ティアの迫力に圧倒されて息を呑む貴原だが、取り巻きがいるので表情に出すのは押さえて「行くぞ」と、取り巻きを連れて無言でこの場から去った。


 離れ行く貴原たちの背中に、セラとティアは揃って鋭い眼光を飛ばしていた。


 貴原たちの背中が見えなくなり、ようやく張り詰めた場の空気が柔らかくなった。


 自身を落ち着かせるようにセラは一度軽く深呼吸をすると、幸太郎に向けて怒っているような、呆れているような目で見つめた。


「無茶は程々にと昨日言ったばかりだというのに……」


「諦めろ。自分の気持ちのまま、後先考えないで行動するこの男に何を言っても無駄だ」


「何だか照れます」


 照れたように笑う幸太郎に、褒めていないと言わんばかりにセラとティアの二人は小さく呆れたようにため息を漏らした。


「それよりも、どうしてティアさんがここに?」


 高等部とは関係ないティアがこの場にいることに、幸太郎はようやく疑問を持った。


「そうか、言っていなかったか……私は訓練教官の資格を取った」

「ティア、最年少で教官の資格を取ったんです。それに、教え方も上手くて評判良いんですよ」


「……まだ未熟だがな」


 親友の快挙に自分のことのように喜ぶセラと同じように、幸太郎も「すごい、ティアさん」と素直に感心して喜び、拍手を送った。


 そんな二人の反応に相変わらず自分に厳しいストイックでクールな反応を示す無表情のティアだが、若干声が照れで上擦っているようだった。


「教官たちに頼んで、今日から私は訓練教官の補佐としてお前たちの訓練を担当することになった。以後、よろしく頼む――特に幸太郎」


 訓練教官補佐のティアは、ふいに幸太郎に向けてサディスティックな冷たい光を宿す目を向けると、幸太郎は背筋に冷たいものが走って嫌な予感がした。


「相変わらず、資質はあっても輝石を武輝に変化させることができないお前に、私はつきっきりで、訓練を行おう……もちろん、毎日、寮でもだ」


「遠慮します」


 やる気満々なティアとは対照的に心底げんなりしている幸太郎は、迷うことなく即断りを入れるが、ありがた迷惑なことにティアのやる気は消えることはなかった。


「遠慮するな、私はお前を非凡な輝石使いとして成長させることを約束しよう」


 自信満々な様子で豊満な胸を張って宣言するティアに、再び断りを入れようとする幸太郎だが――あることに気がついて、それも悪くないと思ってしまっていた。


「ティア、幸太郎君には幸太郎君のペースがあるんだから、程々に」


「承知の上だ。だが、今までと同じペースでは意味がない」


「そうだけど……ティアの場合は段階をいつもすっ飛ばすから」


「チマチマと一段階ずつ上げても無駄に時間が過ぎるだけだ」


「幸太郎君は私たちと違うのよ」


「お前は幸太郎に甘すぎる」


「ティアは必要以上に厳しすぎるの。もっと幸太郎君のことを考えてあげて」


「本当に幸太郎のことを考えるのなら、必要以上に甘すぎるのもどうかと思うがな」


 幸太郎の訓練について、意見が反発しているセラとティアは徐々にヒートアップして、お互い退かないまま二人は睨み合い、一触即発の状態になっていた。


 そんな二人を制止するわけでもなく、幸太郎は鼻の下が伸びきった状態でセラとティア――正確には、二人の肢体を眺めていた。


 訓練ということで動きやすく、いつもより生地と警戒心が薄くなって、無防備な服装の二人に、幸太郎の目は釘づけになっていた。


 薄手のシャツと黒のスパッツを履いているセラは、艶めかしい臀部のラインがクッキリと露わになっており、汗を吸収して僅かに透けているシャツには、彼女の滑らかな肌と黒のスポーツブラが透けて見えて、甘美な汗のにおいとともに扇情的な雰囲気を放っていた。


 一方のティアは幸太郎に――いや、男にとってはかなり目に毒であり、ノースリーブのぴっちりとした黒い上着と黒いズボンという普段から強調されている大きな双丘と、臀部が無防備にも強調されている服装であり、ノースリーブの上着の腋から胸にかけてのラインに幸太郎はセラ以上に目を奪われ、心の中で幸太郎はガッツポーズをした。


 邪な気持ちをいっさい隠さない、露骨すぎる視線を二人の何も知らない美少女に向けている幸太郎は、ある意味漢として堂々としていて尊敬すべきものがあった。


 そういえば、訓練ならきっと接触することが多くなるかも――

 だけど、きっと訓練は厳しいに決まってる……

 漢の道を取るか、ここで逃げて安寧の暮らしを得るか……

 気分的には訓練は勘弁してもらいたいけど――否ッ! ここは、漢としての道を!


 一人心の中で盛り上がり、一大決心をして漢の格を上げた幸太郎だが――自身の露骨すぎる視線にセラとティアの二人が気づいていることに、気づいていなかった。


 一人幸せそうに鼻を伸ばしている幸太郎を、絶対零度の目で二人は睨んでいた。


 ――そして、地獄の訓練がはじまる。


 地獄の訓練メニューをティアに言い渡された幸太郎に対して何もフォローすることなく、セラは立ち去った。


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