第5話

 高い天井に吊られたシャンデリアが深い夜の闇から美しく照らす部屋に、麗華と大和が向かい合うようにしてソファに座っていた。


 不機嫌そうな表情の麗華とは対照的に、温めのミルクティーを飲んでいる大和はソファに深々と腰掛けて不敵で余裕な笑みを浮かべていた。


 余裕がない状況で四苦八苦している麗華にとって、大和の余裕な態度が癇に障り、忌々しげに敵意の満ち溢れた目で睨んでいた。


「夜更かしは美容の敵なので、用件を済ましてさっさと帰っていただけます?」


「夜更かしは僕たちの年頃にとって楽しいものなのに勿体ないなぁ」


「余計なことはいいので、さっさと本題に入りなさい」


 苛立って声を荒げる麗華に、大和は嫌味のようにニヤニヤと笑って、「わかったわかった」と言って、話を進める。


「君の切り札がアカデミーに戻ったよ」


「……フン! 経緯はどうであれ、約束は守ったようですわね」


 大和の報告に麗華は若干嬉しそうでありながらも不満気な表情を浮かべていた。


 そんな麗華の表情を見た大和の口角が楽しそうに吊り上がった。


「ゲームを楽しくするための努力は惜しまないよ」


「しかし、今の状況でよく彼を戻せましたわね」


「まあ、当然のように邪魔は入ったんだけど、問題ないよ」


「どんな汚い手段を使ったのかはこの際問い詰めることはしませんわ」


「それはありがたいかもね」


 意味深な笑みを浮かべる大和に、麗華は怒りが込み上げて来そうになるが、今は余計な力を使っていられないので、それをグッと堪える。


 爆発寸前の怒りを必死に堪えている麗華を見て、大和は気分良さそうな笑みを浮かべる。


「それにしても――まさか、あの七瀬幸太郎君が君の切り札とは……正直最初に君の口からその名前が出た時耳を疑ったよ。まあ、面白い人ではあるけど」


 明らかに幸太郎を下に見ている大和の態度に、今まで苛立っていて余裕がなかった麗華の表情にはじめて余裕が生まれて、不敵な笑みを浮かべた。


「切り札――正直、そう判断していいのかわたくしにはわかりませんわ。私自身、彼に対して期待も何もしていませんから」


 自嘲を浮かべた麗華の言葉を理解できない大和は首を傾げた。


「せっかくのチャンスなのに、もしかして君はそれをふいにしたのかい? それなりに苦労したのに、僕は使えない駒を戻したのかな? 勘弁してよ、もう」


 自分の苦労が無駄に終わってしまったと思い込んでいる大和は、おどけた態度を崩すことはしないが麗華を非難し、呆れているような目で見つめた。


 呆れ返っている大和だが麗華は不敵な笑みを薄らと浮かべていた。


「まあ、あなたの言葉を否定するつもりはありませんわ。ただ――」


 麗華は真っ直ぐと大和を見つめた。自分の判断が決して間違っていないと信じ、大和を射抜くような鋭く力強い目をしていた。


 そんな麗華の目に一瞬気圧される大和だが、すぐに口角を吊り上げる。


「――あなたも、私も……彼を扱えることはできませんわ」


「なるほど……そこまで言うのなら、楽しみにしておこうかな」


 妙に自信がある様子な麗華に、大和は楽しそうな笑みを浮かべてそう呟いた。


 話が一段落すると、大和は軽快に立ち上がって両手を広げた。


「さあ、これでようやくはじまる――ルール無用の時間無制限、どちらが倒れるかまで終わらない、楽しいゲームが!」


 興奮した面持ちで嬉々とした大きな声を上げ、大和はゲームの開始を告げる。


 ゲームのはじまりを告げる大和の表情を、麗華は冷ややかでありながらもどこか陰のある表情で浮かべて見つめていた。


「……負けるつもりはありませんわ」


 淡々と麗華は宣言して、逃げるように大和から視線を外した。


「僕もだよ、麗華」


 麗華の言葉に、大和は不敵な笑みを浮かべてそう宣言する。


 大和の言葉には相変わらず嬉々としていたが、どこか陰があった。




 ―――――――――――




「――きて……起き――て……起きて――さい……」


 心地良い睡眠に身を委ねて夢の世界にいる幸太郎を、外界から呼ぶ声が届いた。


 睡眠の心地良さを手放したくない幸太郎は、外界から届く声に耳を塞いだ。


「起きて――さい――……起きて――ください」


 だが、耳を塞いでも徐々に外界からの声が大きくなる。


 それでも負けずに幸太郎は声を遠ざけるために耳を強く塞いだ。


「起きてください、幸太郎君……仕方がありませんね……」


 諦めてくれたのか外界からの声は突然遠のき、ようやく止んだが――

「起きなさい!」


 鼓膜を破らんばかりの怒声が響き渡ると同時に、全身に衝撃が走った。


 何度呼んでも起きない幸太郎に業を煮やした声の主である制服姿のセラは、人一人寝ているにもかかわらず、自身の細腕で幸太郎が眠っている敷布団を軽々と、思いきり引っぺがした。


 一瞬の浮遊感の後に床に叩きつけられ、さすがの幸太郎も目を覚ましてフラフラと起き上がった。だらしなく大きく口を開けて欠伸をしながら立ち上がる幸太郎をよそに、セラはせっせと布団をきれいに畳んだ。


「……セラさん、おはよう?」


 眠り目擦りながら、どうして家にセラがいるのかという疑問がボンヤリとしている頭の中であったが、戸惑いながらも取り敢えず幸太郎は挨拶をすると、セラは「おはようございます」と優しい笑みを浮かべて挨拶を返してくれた。


 朝日に負けないくらいの眩しく、気持ちの良いセラの笑みを見て、徐々に頭が覚醒してきた幸太郎は携帯の時計を見ると、本来起きる予定だった時間よりも一時間近く早かった。


「テーブルの上に朝食を置いておいたので、制服に着替えたらそれを食べてください」


「……まだ眠い」


 少しだけ恨みがましく幸太郎はそう呟くと、セラは諭すような目で彼を見つめた。


「口喧しく言うつもりはありませんが、早めに起きて遅刻をしないことも重要ですよ」


「ぐうの音も出ない」


「それに、幸太郎君は一度遅刻して痛い目を見ているんですから、戻ってきた初日から遅刻してしまったらまた悪い意味で有名になってしまいます」


 去年、アカデミーの入学式に遅刻してしまった幸太郎を心配してくれてのセラの一言に、幸太郎は感謝をして、素直にセラの言葉に従った。


 取り敢えず納得した幸太郎を見て、「理解していただけたのなら幸いです」と言って安堵したような笑みを浮かべてセラは部屋から出た。


 セラが寝室から出て、すぐに幸太郎は制服に着替えてリビングにへと向かった。


 セラが座っている椅子と、テーブルを挟んで向かい合うようにして幸太郎は座り、テーブルの上に置かれているサンドウィッチを腹の音を響かせながら食い入るように見つめた。


「セラさんが作ってくれたの?」


「昨日の夕食で食材を使い過ぎてしまって、簡単なもので申し訳ありませんが……」


「さっそく、いただきます!」


 ガツガツと擬音が出る勢いで、幸太郎はセラの手作りサンドウィッチを口に運ぶ。


 卵サンドにツナサンド、ハムサンドを次々と口に運ぶ幸太郎の姿を、セラは微笑ましく見つめていた。


 すぐに食べ終えた幸太郎は「ごちそうさまでした」とセラに深々と頭を下げた。


「見ていて気持ちの良い食べっぷりでしたが、よく噛んでゆっくり食べてくださいね」


「普通に美味しかった。コンビニのサンドウィッチよりも普通に美味しかったよ」


「……少し気になる感想ですが、まあいいです」


 興奮した面持ちで『普通』という言葉を強調する幸太郎に、セラはモノ申したい気持ちがあったが、諦めたように深々と嘆息して何も言わなかった。


「食べ終わったようですし、そろそろアカデミーに向かいましょうか」


「昼ご飯を買いたいから途中コンビニ寄っても良い?」


「今日は始業式のみで午前中で終わるので、慌てて昼食を買わなくても大丈夫ですよ」


「そうなんだ。それなら、お昼はどこかで食べよ……どこにしようかな」


 頭の中にインプットされたアカデミー都市の地図上にある、美味しい飲食店を思い浮かべながら、どこで食べようかと考えている幸太郎。


 セラは複雑そうな表情を浮かべて、申し訳なさそうに「ちょっといいでしょうか」と話しかけて、昼食のことを考えている幸太郎の思考を中断させた。


「お話をしたいことがあるので学校が終わったら、昼食の前に風紀委員本部に来ていただけないでしょうか?」


 申し訳なさそうに頼んでくるセラに幸太郎はすぐに頷いた。


 幸太郎が頷いたのを見てセラは「ありがとうございます」と感謝を述べて、安堵していたが、その表情は若干暗いものだった。


 だが、セラはすぐに表情を明るくさせて椅子から立ち上がった。


「それでは、アカデミーに向かいましょうか」


 そう言って、セラは主人公とともに部屋を出てアカデミーへと登校する。


 久しぶりのアカデミーへの登校、それも、セラと一緒の登校に、幸太郎はようやく自分の状況を理解することができて、思わず心の中でだらしない笑みを浮かべてしまった。


 朝、異性に起こされて、手作りの朝食を用意してくれていて、一緒に登校するという男であるならば誰もが夢見て羨むシチュエーションに、幸太郎は小躍りしたい気分になった。




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