第3話
一人で暮らすには十分すぎるほどの広さを持つ、冷房の利いたキッチンが一体化したリビングにあるソファの上で幸太郎は仰向けに横になっていた。
基本的な生活必需品のみの殺風景の部屋がノエルに紹介された、今日から幸太郎が暮らすことになるアカデミーの寮の一室だった。
横になりながら、ふいに幸太郎は壁にかけられている、明日から自分が着る白を基調としたアカデミー高等部男子専用の制服に視線を移した。
アカデミーに戻ってきたんだ……戻ってきたんだけど――
何だかなぁ……
つい数時間前まで自宅で夏休み最後の日を堪能していたのにも関わらず、今自分がアカデミーにいるということに、幸太郎は実感できなかった。
もしかして、今ここは昼寝をしている自分の夢の中かもしれないとちょっとカッコつけた感じで思ってみたりしたが、空腹を告げる腹の音に現実に引き戻された。
……お腹も空いたし、コンビニでも寄ろう。
ついでに散歩もしよう。
コンビニで晩御飯を買うついでに、アカデミーに戻ってきたのを実感するために近所を散歩することに決めた幸太郎はソファから起き上がり、部屋から出ようとすると――インターフォンが鳴り響いた。
アカデミーに戻ることは急遽決まったことのようだったので、まだ自分が戻ってきていることは誰も知らないだろうと思い、幸太郎は不思議に思いながら玄関の扉を開けて、突然の訪問者を出迎えると――幸太郎がよく知る少女が立っていた。
ショートカットの髪型で、かわいいというよりも美しい外見の長身の少女。
少女は幸太郎を見て、目を見開いて何かを堪えている様子だった。
少女のことを幸太郎はよく知っていた。
相変わらず――いや、去年よりも美しさに磨きがかかった少女を忘れるわけがなかった。
アカデミー都市内にいる輝石使いの中でトップクラスの実力を持ち、トップクラスの容姿を持つ同級生の少女。
ずっと苦しみ続け、何度も躓きそうになりながらも決して諦めることをしなかった強さを持つ少女――扉の前に立つ少女との思い出が一気に頭の中で溢れ出てくる幸太郎だが、今は思い出に浸るよりも先に言うべきことがあった――
「セラさん、久しぶり」
目の前にいる少女――セラ・ヴァイスハルトに向けて、短くも、様々な思いを込めて幸太郎は挨拶をした。
幸太郎の短い挨拶に、目を見開いたまま込み上げる何かを抑えていたセラは脱力したように肩を落とし、気が抜けたようでいて晴々とした笑みを浮かべた。
「お久しぶりです、幸太郎君」
喜びに満ちた笑みを浮かべてセラは久しぶりに会う幸太郎に挨拶をした。
「立ち話もなんだし、中に入って。来たばかりで部屋に何もないけど」
「それなら、隣……私の部屋なので、そこでゆっくり話しませんか?」
「セラさんの部屋隣なんだ」
「はい……そう頼んでおいたんです」
「じゃあお邪魔します」
緊張しているような声音で自分の部屋にセラは幸太郎を招く。
異性の部屋に入るチャンスに幸太郎は、セラの部屋に迷わず向かうことに決めた。
さっそくセラは幸太郎を隣の自室へと案内して、自室の玄関の扉を開けた。
「セラさんのにおいがする」
「……だから、それやめてください」
「でも、良いにおいだよ」
「からかわないでください、もう……」
玄関を入って開口一番、鼻をヒクヒクさせながらの幸太郎の一言に、セラは恥ずかしそうに頬をほんのりと紅潮させ、さっさとリビングにあるソファに彼を座らせた。
「今飲み物を用意します」
幸太郎を椅子に座らせたセラは、エアコンをつけて小走りでキッチンへと向かった。
セラが離れて、幸太郎は興味津々の様子で不躾に異性の友人の部屋を見回していた。
幸太郎の部屋と同じ間取りだが、必要なもの以外何も置いていない殺風景な幸太郎の部屋と違い、観葉植物や落ち着いた色のカーテン、様々なキャラクターの小物等が置かれている、歳相応の少女っぽさと明るさと温かみを持っている部屋だった。
ふいに幸太郎はリビングの壁に目立つようにかけられた写真に視線を移した。
幼い頃のセラと、二人のセラの幼馴染が仲睦ましく写っている写真だった。
そして、その横には最近撮られたセラと、二人のセラの幼馴染が昔の写真と同様仲睦ましく映っている写真がかけられていた。
最近撮られた写真を見て、幸太郎は心からの安堵の息を漏らし、去年自分のしたことが間違いでなかったことを改めて実感した。
「お待たせしました」
「ありがとう、セラさん」
キッチンから二人分のお茶を持ってきたセラは、幸太郎の前にキンキンに冷えたお茶を置いて幸太郎の隣に座った。今幸太郎が座っているソファとテーブルを挟んで向かい合うようにしてソファが置いてあるが、あえてセラは幸太郎の隣に座った。
セラが注いでくれたお茶を喉が渇いていた幸太郎は一気に飲み干した。
「あ、あの……まだ飲みますか?」
「もう大丈夫。ごちそうさま、セラさん」
「飲みたくなったらいつでも言ってください。そうだ、何かお菓子でも食べますか?」
「夕飯近いし、そんなに気を遣わないでも大丈夫。それよりも、ごめんねセラさん。何かお土産を持ってくべきなんだけど、戻ってくるのが急すぎて何も用意できなくて」
「急すぎる話というのは知っているので、気にしないでください」
「最近はまってるお菓子でも買うべきだったんだけど……」
「あ、え、えっと、どんなお菓子なんでしょうか」
「美味しいお菓子」
「……そ、そうですか」
会話を繋げようとセラはしたがすぐに会話を途切れ、幸太郎とセラの間に沈黙が続く。だが、すぐに意を決したようにセラは一度大きく深呼吸をして幸太郎を見つめた。
幸太郎を見つめるセラの視線はかなりの気合が入って力強い鋭いものだが、隠し切れない緊張が確かに存在していた。
突然見つめてきたセラを幸太郎は少し驚いたように見つめ返した。
緊張のせいで全身に無駄な力が入り過ぎているセラだが、幸太郎に見つめられてすぐに脱力したような笑みを浮かべた。
「すみません……何を話したらいいのかわからなくなってしまって……」
再会の喜びで頭が真っ白になった自分を自嘲するセラと、幸太郎も同様の笑みを浮かべた。
「僕も」
「そうですか……同じですか……」
正直にセラと同じ気持ちだと言った幸太郎に、セラは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「本当は――本当はたくさん話したいことも言いたいこともあったんです」
自分を落ち着かせるようにゆっくりとセラは話をはじめる。
そんなセラを幸太郎はジッと見つめながら、黙って彼女の話を聞いていた。
「それに、勝手なことをした幸太郎君に対して怒りも覚えていました」
「今も怒ってる?」
「はい、もちろんです――というのは冗談ですよ、冗談」
恐る恐る自分の機嫌を尋ねてきた幸太郎に冗談を言って、セラはいたずらっぽく笑う。
「正直――……今となってはもうどうでもよくなってしまいました」
そう言って、セラは心の底から安堵したようなため息ついて、座っているソファに深々と腰掛け、セラは様々な温かい感情が入り混じった優しい瞳で幸太郎を見つめた。
「こうしてまた幸太郎君に会えた――もう私はそれで十分です。言いたいこともたくさんあったけど、今はもうどうでもいい……ただ、私は――」
セラは一拍子置いて、幸太郎に対してずっと言いたかった、一つの言葉を出した――
「ずっと、あなたに会いたかった……」
短い言葉だがセラの胸の中にある様々な思いが込められており、溢れ出しそうになっている気持ちを必死で抑えているせいで若干声が震えていた。
十分なほどセラの気持ちが伝わった幸太郎は、彼女の気持ちに応えるために真っ直ぐと見つめ返した。
「僕も」
短く淡々とした言葉だが、幸太郎の本心からの一言だと悟ったセラの瞳は潤みはじめた。
幸太郎の言葉に感極まったのか、セラは瞳を潤ませたまま幸太郎をジッと見つめていた。
そんなセラを幸太郎はジッと見つめ返して、お互い見つめ合ったまま沈黙が続く。
……あれ? もしかしてこれ、良い雰囲気?
潤んだ瞳でセラに見つめられ、幸太郎は今の雰囲気が良いことに気がついた。
ここはガツンとカッコイイ一言を言うべきか……
そ、それとも、ここは漢らしくガバッと……
どうしようかな……
考えあぐねている幸太郎の思考を邪魔するかのように、玄関から来客を告げるインターフォンが鳴り響いてセラは我に返り、甘酸っぱい雰囲気は呆気なく消し飛んだ。
「え……あ、え、えっと……あ、あの……し、失礼します!」
慌てて逃げるようにセラは幸太郎の前から立ち去り、途中何度か素っ頓狂な声を上げて躓きそうになって玄関へと向かった。
離れるセラの背中を眺めながら、幸太郎は一生に一度しかなさそうな土壇場で優柔不断になってしまった自分に激しく後悔した。
立ち直れずに一人項垂れている幸太郎をよそに、一分もかからないうちに平静を取り戻したセラはリビングに戻ってきた。
リビングに戻ったセラの後ろには幸太郎がよく知る二人の人物がいた。
一人は両手に様々な食材が溢れるほど入ったスーパーのビニール袋を持った、クールな雰囲気を纏う、凛々しく美しい顔立ちをしているが冷たさと温かさを持っている表情に、自身のスタイルを際立たせている黒い軍服のような堅苦しい服を着ている銀髪セミロングヘアーの女性――ティアリナ・フリューゲル。
もう一人は車椅子に座っており、どこか幼さが残る顔立ちをしているが精悍さも見え隠れしている細身の体躯をしている長めの黒髪の青年――
二人ともセラの幼馴染であり、幸太郎の友人でもあった。
「ティアさん、それに優輝さんもお久しぶりです」
セラの時と同じく、久しぶりに会ったというにもかかわらず簡素で淡々とした幸太郎の呑気な挨拶に、優輝とティアは脱力してしまった。
だが、すぐに相変わらずの態度の幸太郎に、二人とも思わず微笑んでしまった。
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