第29話

 ――事件から二日後の夏休み初日。


 輝士団、輝動隊の抗争はひとまず一段落して、アカデミー都市に平穏が戻った。


 今回の騒動の真実であるファントムのことに関しては伏せられており、輝士団と輝動隊を傷つけた久住優輝の正体は、久住優輝の偽者となっていた。


 釈然としない者もいるが、ひとまずは事件の収束に安堵し、収束したばかりの今の状況をわざわざ壊そうとする人間は誰一人としていなかった。


 事件が終わり、いよいよ夏休みが訪れた。


 夏休みに入ったというにもかかわらず制服姿の幸太郎、珍しくスーツを着て身なりを整えているヴィクター、フォーマルな服装のリクトの三人は、鳳グループ本社内にある大型エレベータに乗っていた。


 これから向かう場所にリクトはもちろん、ヴィクターも珍しく緊張感のある面持ちをしていたが、幸太郎は相変わらず呑気な様子でエレベーターから一望できるアカデミー都市の景色を食い入るように見つめて感嘆の声を上げていた。


「それにしても――……モルモット君、君はあれから何か体調の変化はないのかな?」


「昨日病院で精密検査を受けて健康だと言われたので心配しなくても大丈夫です。昨日、博士もそれで納得したじゃないですか」


「確かにそうだが……」


 健康をアピールするかのように、華奢な腕を曲げて小さな力こぶを作る幸太郎だが、ヴィクターは納得していない様子で唸り声を上げていた。


 リクトと協力して優輝を治療している時――リクトの首に下げているペンダントについたティアストーンの欠片が青白く光る度に、それに呼応して幸太郎の身体から青白い光が放っていた。


 その光景を見ていたヴィクターは幸太郎の身体に何か異常があるかもしれないとして、事件から一夜明けた昨日、病院で精密検査を受けたが何も問題はなかった。


「昨日からしつこく聞いて申し訳ないが、リクト君……君はあの時、いつもと違う感覚に襲われなかったかな?」


「すみません……何度も思い返しても、あの時は無我夢中だったのでわかりません……手応えも何もなく気づいたら優輝さんが目を開けていた、本当にそれしかわからないのです」


 何も思い出せなくて申し訳なさそうに頭を下げるリクトに、ヴィクターは柔らかな笑みを浮かべて「気にするな」と言った。


「前にも言ったが、モルモット君の力が周囲に気づかれれば、君や君の周囲の人間が面倒な争いに巻き込まれる。周囲に不審に思われないよう、前に約束した通り精密検査は行わないつもりだ。君たちが久住優輝君を助けた際にいた、ドレイク君にも固く口止めしておいた。彼ならば、口外する心配はないだろう」


 幸太郎を安心させるようにヴィクターはそう言うと、タイミングよくエレベーターが止まり、扉が開いた。


 目的地である最上階へ辿り着くと、ヴィクターとリクトの表情が引き締まった。


「これから向かう場所では君は久住優輝君のことも含め、不用意なことを口に出すな。……不用意な発言をしてしまえば、その分君の友人たちに飛び火をすると思いたまえ。無論、君が救おうとしているティア君や、久住優輝君にもだ」


 ここに来ても依然として呑気で緊張感のない様子の幸太郎に、ヴィクターは厳しい口調で彼に言い聞かせた。


 幸太郎が頷くのを確認したヴィクターは満足そうに頷き、エレベーターの先にある、重厚な扉の先にある鳳グループ本社にある大会議室へと向かう。


 幸太郎は心の中で気合を入れて――ティアと優輝を救うために、ヴィクターとリクトともに会議室へと入った。


 ヴィクターが一度大きく扉をノックして「失礼します」と普段の様子では考えられないほど真面目な口調で一言挨拶してから会議室へと入った。


 会議室に入った瞬間、幸太郎たち三人は大勢の人間に出迎えられた。


 会議室の左半分は鳳グループの幹部役員たちが、彼らと向かい合うようにして右半分には教皇庁の幹部である枢機卿たちがいて、その中央に幸太郎たち三人は立たされた。


 アカデミーでも強い権力を持つ人間たちから放たれる重苦しいほどの重圧が襲いかかると同時に、視線が一気に幸太郎たちへと集まる。


 会議室内にいる人間は、幸太郎たちを招かれざる客のような明らかに歓迎していない目で睨むように、値踏みするように見つめていた。


「……ようやく来たか」


 中央にいる幸太郎たちと向かい合うようにして、机に座っている、一際強い威圧感を放っている整った顔立ちをした細面で、長めの黒髪のオールバックにしたスーツを着た年齢不詳な外見の男性が、感情をいっさい感じさせない冷え切った声で幸太郎たち三人を出迎えた。


「さっそく、話をはじめましょう」


 男の右隣に座る、リクトと同じ髪の色である栗毛のロングヘアーを三つ編みに束ねた、年齢不詳な外見のスーツを着た美女――リクトの母であり、教皇庁トップであるエレナ・フォルトゥスもまた、感情をいっさい感じさせない冷え切った声で幸太郎たちを出迎えた。


 厳しい目を向けてくるエレナと、彼女の隣に座る男に、さすがの幸太郎も緊張してきたのか、思わず息を呑んでしまった。


「ヴィクター、話があるというから教皇庁との話し合いの合間を縫って、こうして、君に話をさせる時間を作ったが――……連れがいるというのは聞いていないな――エレナ、君の息子がいるようだが、君はこのことを知っていたのか?」


「いいえ――……リクト、どうしてあなたがここにいるのですか?」


 エレナの隣に座る、彼女と同じくらいの威圧感を持つ壮年の男はそう言いながら、ヴィクターの後ろに立つ幸太郎とリクトに冷めた視線を向けた。


 そして、息子であるリクトがここに来ることを知らなかったエレナは、不機嫌そうな目を息子に向けた。そんな母の視線にリクトは逃げ出したくなる気持ちでいっぱいになるが、それをグッと堪えて母であり、教皇であるエレナに立ち向かう。


「エレナ様――……僕が、いいえ、僕たちがここに来た理由は、あなたたちが下そうとしている、その場凌ぎの浅はかな決断を止めるためです」


 緊張で若干声が震えながらも、教皇であるエレナに向けてキッパリと自分の意見を言い放ったリクトの言葉に教皇庁側の人間が騒めいた。


「まあ、そこにいる少年の言う通りですよ――大悟だいごさん」


 リクトに続いて、ヴィクターの言葉に鳳グループの人間は騒めき、エレナの隣にいるヴィクターが『大悟さん』と呼んだ人物――鳳麗華の父であり、鳳グループ現トップの鳳大悟のヴィクターたちを見つめる視線がさらに冷え切ったものになった。


「もしかして鳳さんのお父さん? はじめまして、七瀬幸太郎です」


「……話を続けてくれ、ヴィクター」


 初対面である麗華の父親・鳳大悟に向けて幸太郎は呑気に自己紹介をすると、ヴィクターとリクトは呆れ果て、幸太郎の突然の自己紹介に不意を突かれながらも、大悟は彼を無視して話を進めるようヴィクターに命じた。


「少年――リクト君の言っていることがわからないあなたじゃないはずだ。今回の騒動の発端であるティアリナ・フリューゲル、久住優輝の処分の件だよ」


「その件についての処分は決定事項だ」


「厳しすぎるとは思わないのかな? 永久追放というのは」


「妥当な判断だ――いや、本来ならば数年特区送りにされてもおかしくはなかった。こちらもそれなりに譲歩したつもりだ」


「責任を擦り付けたの間違いだろう」


 機械的に発せられる大悟の譲歩という言葉に、ヴィクターは呆れ果てたように、意地の悪そうな笑みを浮かべた。


 鳳グループトップの人間に対してあまりに無礼な態度と言葉に、鳳グループ側から非難を食らうヴィクターだが、本人はどこ吹く風の様子でまったく気にしていなかった。


 ヴィクターと大悟の話をボンヤリと聞きながら幸太郎はここに来た目的を思い返した。


 事件が終わってすぐに狙いすましたかのように教皇庁と鳳グループの人間が現れて、戦いでダメージを負ったセラたちは病院に運ばれ、簡単な治療を受けた後、セラ、ティア、優輝は取調べを受けることになった。


 そして、昨日の夕方――取調べを終えたセラたち三人はアカデミーから処分を食らうことになった。


 関係者とはいえこの騒動を止めようとしたセラの処分は特になかったが、今回の騒動を引き起こした原因であるティアと優輝に関しては、アカデミーから永久追放されるという処分が下った。


 この処分に不服な麗華は即刻処分を取り下げるように動き出そうとしたが、麗華は鳳グループの人間に軟禁状態にあって動けなかった。


 だからこそ、幸太郎は動いた。


 永久追放になれば、二度とセラとティアと優輝はお互い会えなくなってしまい、四年間必死になって頑張ってきたセラの努力が無駄になってしまうと思ったからこそ、幸太郎は動いた。


 そして、ヴィクターとリクトに協力を求め、事件が終わってから連日行われている教皇庁と鳳グループの会議に乱入することになって、今に至る。


 絶対にセラさんとティアさんと優輝さんを離れ離れにさせない……

 友達同士が二度と会えないなんて、絶対に嫌だ。


 幸太郎は永久追放の処分が下り、二度と友人である刈谷と大道に会えなくなってしまう嵯峨のことを思い浮かべながら、今この場所に立っていた。


「上手く隠蔽したようだが、今回の一件は四年前の死神・ファントムが引き起こしたこと――これはまあ、誰も予想ができなかったから仕方ないとして、ここまで騒ぎが大きくなったのは今回の一件に積極的に関わろうとしないで、静観していた鳳グループと教皇庁の責任が大きい……体面を気にする大人の事情をアカデミーの生徒にすべて擦り付けるのは、私は遺憾に思うよ。多少のダメージを負ってでも、ここは二人を庇うべきだ」


「ヴィクター先生の言う通りです。それに、ティアさんと優輝さんの二人は多くの人に慕われています。四年間ファントムが優輝さんを演じていたとしても、優輝さんの存在は絶大です。混乱している輝士団と輝動隊をまとめ上げることができるのはこの二人が適任です。今二人を追放すれば、混乱を治めるどころか逆効果になる。ですから、せっかくファントムの存在を隠蔽したんですから、ここはファントムが四年間築いてきた優輝さんの信頼を利用するべきです」


 ヴィクターとリクトの意見に、室内は静まり返った。


 全員、二人の意見を正しいと思い何も反論できなかったが、納得していても、お互いの組織の体面を気にしている人たちにとってそれを認めるわけにはいかず、一部の人間はあからさまに不満そうな面持ちをして、どう難癖をつけてやろうか必死に考えていた。


 そんな組織の体面しか考えない人間を見透かしたように、ヴィクターはニンマリと意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「今回、ファントムが久住優輝を監禁していた場所にあった機器は、いくら輝士団団長ともいえど、協力者がいなければアカデミー都市内で簡単に揃えられる代物ではなかった――つまり、ファントムの息がかかった人間かこの中にいるかもしれない」


 ヴィクターの一言に周囲は騒めき立ち、身内に疑いの目を向けるヴィクターに対して非難が噴き出すが、ヴィクターは薄らと笑みを浮かべながら話を続ける。


「久住優輝に扮したファントムは輝士団団長として四年間ずっと教皇庁の、アカデミーの深部にいたのだ。教皇庁内、いや、鳳グループ内にファントムの息がかかった裏切者がいるかもしれないな」


 嫌らしく笑みを浮かべたヴィクターの一言に、難癖をつけようとする人間がぱったりといなくなった。下手に何か言えば、裏切者だと疑われる恐れがあったからだ。


 室内に沈黙が訪れ、後はトップ二人の言葉を待つのみになった。


 しばらくの沈黙ののち、沈黙はエレナによって破られた。


「……あなたたちの言いたいことは理解できました」


 母が理解してくれてリクトの表情は明るくなるが、まだ話は終わっていなかった。


「しかし、外部にはアカデミーの自浄作用を見せることも重要です。今回の一件で誰も責任を取らないというのは示しがつきません。確かに二人には厳しい処分でしょうが、もう外部にも二人が関わっているということが知れ渡っています。それを考慮した上で、ティアリナ・フリューゲル、久住優輝の両名を永久追放することを決定しました」


 淡々といっさいの感情を込めることなく、エレナは言ってのけた。


 理由はどうであれいっさいの情を与えるつもりのない母に、希望が見えた途端にどん底に突き落とされ、リクトは何も反論できず、悔しさで拳をきつく握った。


「不満ならば、誰かが責任を一挙に受けることになるが――お前たち誰かが責任を取るか? この場で今すぐ責任を取れるのか?」


 感情が込められていないが挑発的な物言いの大悟に、自分が責任を取ってアカデミーから去る決断をこの場でしなければならないことに、ヴィクターは答えに窮してしまう。


「お前たちの気持ちは伝わった。しかし、大を得るために小を捨てなければならないこともある――確かに二人を手放すのは惜しいが、これは仕方がないことだ。最初は混乱するだろうが、まだアカデミーにはカリスマがある人間はたくさん存在している。すぐにこの状況に慣れるだろう」


「その通り。何も反論がなければ会議の邪魔です。即刻ここから立ち去りなさい」


 冷たく突き放す大悟とエレナ。


 巨大な組織のトップである二人からはいっさいの情は感じられず、これ以上何を言っても無駄だという固い意志があり、話はもう聞かないという態度があった。


 室外から警備員が複数現れ、幸太郎たちを室内から出て行かせようするが――


「いいですよ」


 幸太郎の呑気な声が会議室内に響き渡り、室内は一瞬静まり返った。


 何気なく放った様子の幸太郎の声に、この場にいる全員の視線が彼に集まった。


「僕、全部の責任取ります」


「ちょ、ちょっと! 幸太郎さ――」


 責任を一挙に受けるつもりの後先考えていない様子の幸太郎をリクトは制止させようとするが、ヴィクターによって口を塞がれて制された。


 周囲からは幸太郎のような凡人が責任を取っても意味がないという非難に溢れる、エレナと大悟は自分が責任を取ると平然と言ってのけた幸太郎を威圧感がたっぷり込められ、脅すような、試しているような視線を向けた。


「意味を理解して言っているのか?」


「もちろんです」


 大悟の質問に幸太郎は力強く、後悔をまったくしていない様子で頷いた。


「責任を取るということは……今すぐ、あなたはアカデミーを去らなければならないということになりますが、それでよろしいのですか?」


「よろしいです」


「……リクトたちともう二度と会えなくなっても、ですか?」


 感情は込められていなかったが、エレナはリクトを気遣っているような様子で再度幸太郎に確認する。しかし、彼の決意は鈍ることはなかった。


「モルモット君――七瀬幸太郎君は、この場にいる全員が知っての通り、アカデミー創立以来の落ちこぼれ。彼に責任をすべて押しつければ、アカデミーの重要戦力を確保することができる! 彼に責任を押しつける理由の後付けは任せるが、彼にすべてを押しつければアカデミーは何の痛手は追わずに済んで、周囲の対面を保てるというわけだ!」


 反論しようとするリクトの口を押さえ、ヴィクターは普段と変わらぬハイテンションな様子で、幸太郎に責任を押しつけることに賛成の意志を見せた。


 自分に協力してくれたヴィクターに幸太郎は小さく頭を下げると、ヴィクターは幸太郎にしか聞こえない声で「すまない」と謝った。そんな彼の謝罪の言葉が耳に入ったリクトは大人しくなった。

 

 ヴィクターの言葉に周囲が騒めき立ち、彼の言葉に賛同するかのような言葉がちらほら出はじめた。


 両組織のトップである大悟とエレナは、お互い顔を合わせることはしなかったが、横目でチラリとお互いを見て目配せをした。


「……わかりました」


 騒がしくなっている会議室内にエレナの凛として澄んだ声が響き、室内は水を打ったように静かになった。


「アカデミーのリスクを最小限に抑えるため、ティアリナ・フリューゲル、久住優輝の両名の責任を七瀬幸太郎に移し、彼を退学処分とすることに賛成します」


「退学処分だが実質永久追放と同じ扱いとして、今後アカデミー及びアカデミー関係者に接触することは禁止。処分は今から施行する――尚、この判断は後日行われる会議で、より厳しいものになる可能性があるということを覚悟しておくように」


 エレナに続いて大悟も幸太郎にすべての責任を押しつけることに賛成した。


 トップ二人の意見と、純粋な利益を考えた結果、誰も反論することはしなかった。


「以上で話は終わりだ――教頭、彼の寮の部屋にあるものを即刻運び出す用意をしてくれ」


 話が終わると、大悟は幸太郎たちに興味を失くしたように、近くに座っている、壮年の男の教頭に指示を出した。


 教頭は幸太郎に対して何か物言いたげで怒っているような視線を浮かべていたが、大悟の言葉に頷いた。


 幸太郎は満足そうな笑みを浮かべ、リクトとヴィクターは複雑な笑みを浮かべて会議室を後にした。

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