第四章 長い夏休みのはじまり
第28話
幸太郎に支えられて立っている久住優輝は全身で激しく息をして、疲労しきっている様子だったが、力強い目でファントムを睨んでいた。
「ここで十分だ……ありがとう、俺のわがままでここまで連れてきてもらって」
「ちゃんと立って歩けますか?」
「ああ……目覚めたばかりの時と比べれば、だいぶよくなったよ……後は大丈夫、危ないから離れているんだ……最後の決着は自分がつける」
肩を貸してくれた幸太郎に感謝をしながら、優輝は彼から離れて自分一人の力で立ち、最後の決着をつけるため、フラフラとおぼつかない足取りで歩いていた。
「ゆ、優輝……」
セラとティアはフラフラ歩いている本物の久住優輝に声をかけ、駆けつけようとするが、ファントムとの戦いで消耗しきった二人の身体は思うように動くことができなかった。
声をかけた幼馴染の二人に向けて、優輝は二人がよく知る――四年前と何も変わらない優しい笑みを浮かべた。
リクトと幸太郎が起こした奇跡で目覚めた優輝だが、体調は万全とは言えず、数十分前に目覚めたばかりの優輝は立ち上がることすらできなかった。
だが、今の状況を聞いた優輝はそれでもセラとティアを助けると言って、リクトたちの心配する声を無視して、意地でも輝士団本部へ向かおうとした。
絶対に諦めない意志を優輝から感じた幸太郎は、何も言わずに彼に協力することに決めて歩けない自分の肩を貸した。リクトたちは諦めが悪いそんな二人を見て、自分たちでは止められないと思い、自分たちも協力することにした。
幸太郎たちの協力を得てここまで来た優輝はファントムと対峙するため、目覚めた時からずっと肩を貸してくれた幸太郎から離れて一人で歩きはじめるが、何度も転びそうになっていた。
それでも転ばないように優輝は一歩ずつ慎重に歩いて、床に落ちているチェーンにつながれている輝石を拾った。
優輝が拾った輝石に自分の意識を集中して、輝石を武輝に変化させようとするが、ぼんやりと光るだけで武輝に変化することはなかった。
「クッ――武輝が……出せないのか……」
輝石を武輝に変化することができない優輝を見て、驚愕の表情を浮かべたまま固まっていたファントムは堰を切ったように笑い声を上げた。
「どうやって目を覚ましたかはわからないが、どうやら輝石を武輝に変化させることができなくなっているようだな!」
「何もかもをお前に奪われたからな……それを返してもらう」
声を出すのやっとの状態で心身ともにボロボロになっているにもかかわらず、依然として強い光を宿している優輝の目を向けられ、ファントムは圧倒されるが、すぐに忌々しさと憎悪の感情に支配されてそれを吹き飛ばした。
徐々に、確実に、優輝の手の中にある輝石は強い光を放ちはじめていた。
すべてを返してもらうと言い放った優輝に、彼からすべてを奪ったファントムは得意気な笑みを浮かべると、自身の周囲に光の刃を発生させた。
「それなら……奪い返してみろ! 何もできない今のお前の力で!」
発生させた光の刃を一斉に発射させる。
一斉に迫ってくる光の刃に優輝は身体が反応しても動くことができなかった。
セラたちも満身創痍で動くことができないでいた。
反応できても動けない今の自分の身体に歯噛みする優輝だが、庇うようにして彼の前に武輝である盾を持ったリクトが飛び込んできて、光の刃はリクトの盾ですべて防がれた。
リクトに続き、優輝の前に武輝である籠手を両手につけたドレイクも立つ。
「相手も相当のダメージを負っている……四年間のお前のすべてをぶつけてやれ」
「そのために――僕たちは少しでも時間を稼ぎます!」
「……すまない」
自分が決着をつけると言っておきながら、会ったばかりのリクトとドレイクに、時間稼ぎを頼まなければならない状況に申し訳なさと歯痒さを覚えながらも、優輝は自分の輝石に精神を集中させ、武輝に変化させることに専念する。
優輝が輝石を武輝に変化させるまでの時間を稼ぐために、リクトとドレイクはファントムに向けて飛びかかる。
「雑魚どもが! 邪魔をするなぁああああああああ!」
忌々しげに怒鳴り声を上げ、ファントムは大鎌を力任せに大きく一度薙ぎ払って、自分に襲いかかるリクトとドレイクの二人を迎え撃つ。
ファントムが武輝を薙ぎ払った衝撃に体勢を崩しそうになるリクトだが、それをグッと堪えて一直線にファントムに向かう。
リクトが間合いに入ってきた瞬間、ファントムは武輝である大鎌を思いきり振うが、リクトは自身の武輝である盾でそれを防いだ。
満身創痍の身とは思えぬほどのファントムの一撃に、リクトは吹き飛ばされそうになるが歯を食いしばってそれを堪える。
堪えるリクトだが、ファントムは力任せにリクトの武輝を弾き飛ばそうとしていた。
「周囲に感化されるだけで自分から何も変えようとしない奴が! 俺の邪魔をするな!」
「そうかもしれない――でも! 僕は僕の意志であなたに立ち向かっている! 怖いし、逃げ出したいけど……それでも僕はここにいる! あなたから僕の友達を守るために!」
凄まじいファントムの力に押されるリクトだが、今の自分の気持ちを高らかに叫び、自分に気合を入れるとともにファントムを押し返した。
押し返すと同時に、両手につけた籠手に光を纏わせたドレイクが襲いかかる。
「四年前……お前と出会ってから俺の運命は変わった……」
「あの時、ボディガードを務めていた男か! 覚えているぞ! 為す術もなく、一撃で倒されたあの時の無様な姿も!」
「無様でも俺は守り続ける……俺が守るべき大切な人間を!」
普段は冷静なドレイクは感情を露わにして、四年前に戦い、敗北したファントムと今改めて戦い、自分の想いを吐き続けて一気呵成の連撃を仕掛ける。
ドレイクの攻撃を紙一重で回避し続けて反撃を仕掛けるファントムだが、リクトによってそれを止められる。
セラたちと戦って満身創痍の身で限界以上の力を引き出しているファントムは、思うように動かない自分の身体を忌々しく思い、苛立ちながら武輝を振った。
自分のために時間稼ぎをしてくれているリクトとドレイクの姿を見ながら、優輝は強い光を放っているのに輝石を武輝に変化させることができない自分に、ファントムと同様に苛立ちを覚えていた。
そんな優輝の横から好奇心旺盛な笑みを浮かべたヴィクターが登場して、強い光を放ちながらも武輝に変化しない輝石を興味深そうに眺めていた。
「さあ、時間稼ぎは二人に任せて、我々は彼のサポートをしようではないか!」
「取り敢えず、どーしましょうか」
ヴィクターに続いて、幸太郎も優輝の輝石を眺めながら、呑気な様子で考えていた、
「フム……ここまで輝かせられるということは、何か肉体的な影響があるとは思えんな」
「優輝さん、輝石の使い方覚えてますか?」
「モルモット君、それは旧育成プログラムを行っていた人間に対して失礼だろう」
「でも、ずっと眠ってたんだから、寝ぼけてるんじゃ?」
「こういう場合は肉体ではなく、精神的な影響による一時的なエラーだろう。輝石は輝石使いの感情に強く呼応するということは、過去の研究で実証されている」
「それじゃあ、ヒッヒッフーって呼吸をして気分を落ち着かせましょう」
「それだけでは解決しないほど、彼が持っている精神的な問題はかなり深いものだ」
ヴィクターの精神的な問題という言葉に優輝は反応する。
「君は四年もの間、ファントムに惨たらしい拷問を受け続けていた……いくら君が強靭な精神力を持っていても、潜在的なトラウマを抱いているだろう。その影響で君は無意識にトラウマの対象であるファントムとの戦いを忌避しているのではないかな?」
冷静に自分を分析するヴィクターの言葉を遮って反論したかった優輝だが、今は反論する気力は残っておらず、黙って聞いていることしかできなかった。どこか心の中で思い当たる節があったからこそ反論できないところもあったからだ。
四年間――途中一年くらいの記憶は抜けているが、四年間もファントムに監禁され、彼が嫌味のようにティアやセラたちの近況を告げていた。
記憶がない時でも、薄らと意識がほとんどない自分にファントムは話しかけ続けていた。
四年前から、どんなことがあっても諦めないで心までは絶対に屈しないと誓った。
どんな辛いことがあっても、セラとティアを思い浮かべながら優輝は耐え続けていた。
だが――四年間のことを思う浮かべる度にファントムの姿が脳裏にチラつく。
抗い続けていた存在が、悪夢のように優輝の頭に過る。
すると、優輝の手の中にある強い光を放っている光は一瞬だけ弱くなった。
ヴィクターの言う通り、もしかしたら自分はファントムに対して恐れを抱いているのかもしれないと、優輝は認めそうになったが――
「それは違うと思います」
突然、思い立ったように幸太郎はヴィクターの意見に反論した。
「ほほう……的外れな意見を繰り返しているモルモット君にしては、随分断定的な口調ではないか」
「優輝さんは自分の意志でここまで来たんです。まともに動けないのに、無茶を承知でセラさんとティアさんを助けるためだけに。そんな人は怖がってなんかいません」
「だが、現に仇敵と対峙しながらも彼は輝石を武輝に変化させることができないのだ」
「それは……その――ヒッヒッフーって、呼吸をして落ち着かせれば大丈夫です」
「それはある意味、スッキリさせる方法だろう」
適当な幸太郎の助言に従って、優輝はヒッヒッフーと呼吸をして四年間ずっと心の奥底で抱いていた強い気持ちを思い出す。
何気なく放たれた様子の幸太郎の言葉に、優輝は自分が何のために四年か耐え続けていたのか、わかりきった答えを改めて再確認させた。
優輝の手の中にある輝石は一際強い光を放ち、周囲を照らしはじめる。
「そうだ……そうだった……俺はファントムを倒すことだけを考えていたんじゃない」
歩くのもやっとだった様子の優輝は、ドレイクとリクトを圧倒しはじめているファントムにゆっくりとしながらも力強い歩調で近づいた。
近づいてきた優輝に気づいたファントムは、傷だらけになりながらも抵抗を続けるドレイクとリクトを、思いきり武輝を振って発生させた風圧で吹き飛ばした。
リクトとドレイクは傷だらけになりながらもまだ立ち上がろうとするが、後は任せろというように優輝に手で制されて、激しく息を上げて大の字になって床に倒れた。
全身に禍々しい赤黒い光を身に纏い、力を漲らせながらも、息を乱しているファントムは、こちらに近づいてくる優輝を歓喜と憎悪が入り混じった瞳を向けた。
「俺の目的は昔から変わらない……俺は――俺は!」
優輝の力強い言葉に呼応するかのように、彼の手の中にある輝石が眩いほどの光を放つと同時に、輝石は優輝の武輝である刀へと変化した。
輝石の力が全身に纏い、一時的ながら優輝の身体に力が戻ってくる。
しかし、優輝は今の力が四年前に最後に輝石の力を使った時と比べてだいぶ落ちていることに気づいていた。
だが、それでも優輝は持てる力をすべて振り絞り、ファントムに立ち向かう。
「俺の目的はただ一つ。セラとティアを――俺の守りたい人を守るだけだ……それだけでいい……それができれば、お前に奪われたものなんてどうでもいい!」
「なぜ貴様は……なぜ貴様は俺に抵抗を続ける! なぜ貴様はそうも――」
すべてを奪われたのにもかかわらず、それをどうでもいいと吐き捨てる、自分にないものを持っていて理解ができない優輝にファントムはヒステリックな怒声を張り上げる。
「俺の友達を傷つけたお前は絶対に許さない!」
「お前を倒して今度こそ俺は俺という存在を手に入れる……今度こそ! お前のすべてを奪ってやる!」
静かに優輝は一歩を踏み込んで、真っ直ぐとファントムに向かって疾走する。
ファントムは激情とともに全身に纏っている赤黒い光が膨れ上がり、暴力的な力を周囲に撒き散らしながら、優輝に飛びかかって大鎌を振り上げた。
優輝とファントム――それぞれの間合いに入った瞬間、二人は武輝を振り下ろす。
振り下ろすと同時に二人の身体は交錯する。
一瞬の沈黙が周囲に訪れるが、すぐにその沈黙は崩れた。
優輝が武輝を手放し、武輝が輝石に戻ると同時に床に突っ伏したことによって。
優輝が倒れたことに、赤黒い光を身に纏っているファントムは歓喜の笑い声を上げようとするが――自身の中で何かがひび割れるような音が響くとともに、ファントムが身に纏っていた赤黒い光は持っていた武輝とともに急に消えた。
赤黒い光が消えると同時に、自身の中でひび割れるような音が連続して響き渡った。
その音は武輝を握っている手から響いていることに気づいたファントムは、おもむろに自身の手を見た。
「これは……これは……」
異音が響き続ける自身の手を見たファントムは、自身の手がガラス細工のようにひび割れていることに気づき、手のヒビはあっという間にファントムの全身に広がった。
「俺は――……俺は……俺は消えるのか……」
砕ける音とともに、足がガラスのようにバラバラになったファントムは床に崩れ落ちた。
「俺は……俺は、自分の存在を得られぬまま、消えてしまうのか……」
自分の最期を悟ったファントムは絶望の表情を浮かべるが、すぐに堰を切ったように大声で笑いはじめた。目的を果たすことができなかった自分を自嘲するようでいて、この場にいる全員を嘲るような笑い声だった。
消えそうになりながらも哄笑を上げ続けるファントムを、幸太郎に肩を貸されて立ち上がった優輝は憐れむような目で見つめていた。
「お前の勝ちだよ、久住優輝……お前の粘り勝ちだよ、クソ」
「俺の勝ちではない……この場にいる全員の勝利だ」
「……どうしてこんな時に目が覚めるんだよ……後もう少しで、すべての復讐が終わったのに」
「俺が来ても来なくても、結果は変わらなかった……セラとティアは……いや、この場にいる二人の友達たちの力でお前は倒されていた」
「雑魚どもが束になっても無意味なのに……なあ、どうしてお前は目覚めたんだよ……卑怯じゃないか――……お前ばっかり何もかも……」
「俺にもわからない……ただ、青い光に導かれた……その光に導かれて、俺は目覚めた」
「青い光――……そうか、そういうことか――……」
自分が目覚めた理由をよくわかっていない優輝だったが、『青い光』という言葉に、ファントムはドレイクに手を差し伸べられて立ち上がったリクトを見て、すぐに得心した。
そして、欠片だけでは意味がないとはいえ、ティアストーンの欠片をリクトに渡したことを後悔した。
しかし、すぐにファントムは疑問が浮かんだ。
「だが……あのガキの力では――まだ……いや、待て……まさか……」
何かに気づいたようにファントムは優輝に肩を貸している幸太郎に視線を移した。
「……いや、だが――……ま、まさか……!」
幸太郎に視線を向けていたファントムは疑念に満ち溢れている様子だったが、すぐに何かに気づいたように驚愕すると、堰を切ったように笑いはじめた。まるで、完全に敗北を認めたというそんな笑みだった。
「この場にいるお前ら! 最後の俺の言葉だ、よく聞け!」
笑い続けながら、ファントムは声を張り上げた。声を張り上げた衝撃で、全身に入っているヒビがさらに広がって今にも砕け散りそうになっていた。
「これから先、間違いなくアカデミーには大きな変化が訪れる! どんなに抗い続けても、決して避けることができない大きな変化が貴様らに襲いかかる! お、お前たちはどこまで――ど、どこまで、そ、その変化に――……立ち向かうことができる――か……な? ……――」
最後まで言い切ることなく、全身に広がったヒビはファントムの身体を砕いた。
砕けたファントムの身体は光の粒子となって周囲に散った。
ファントムの存在はもうこの場から――この世界から消滅した。
四年前、多くの輝石使いたちにトラウマを残し、四年間セラとティアと優輝を苦しみ続け、四年後になっても多くの人間を裏切った死神・ファントムは消え去った。
怨嗟が込められた意味深な言葉を吐き捨てて、砕けたガラス細工のように消えた彼の姿を、この場にいる全員は呆然と眺めることしかできなかった。
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