第24話

「……開かないね」

「そうですね」

「お腹も空いたね」

「僕もです」

「どうしようか」

「どうしましょう」

「ちょっと眠くなってきた」

「少し横になりますか? ……膝枕しますよ」

「リクト君の膝枕気持ちよさそう」

「……た、試してみますか?」


 アカデミー都市内にあるファントムが暮らしている家の地下に隠された、よくわからない機器が多く立ち並び、中央に置かれた蛍光色の液体が入っている水槽の光だけで照らされた薄暗い地下室内に閉じ込められた幸太郎とリクトは体育座りをして雑談を交わしながら、部屋の出入口である重厚な鉄の扉を眺めていた。


 鍵がかかっているため開けることができない重厚な鉄の扉を、幸太郎はリクトと一緒にこの部屋から出るために、叩き、蹴り、押して、引いて、舐めて、引っ掻き、愛撫するように優しく撫で、語りかけ、開くように念じ――後半よくわからないことをして、考え得る限りありとあらゆることを試してみたが、結局扉はビクともしなかった。


 扉を開けるために激しく動き回ったので、休憩と考えるのを兼ねて幸太郎とリクトは鉄の扉と向かい合うように体育座りをしていた。


「……幸太郎さん、何か考えつきましたか?」


「全然。リクト君は?」


「……すみません」


「気にしないでいいのに」


「いえ……僕はここに来て、まったくセラさんや幸太郎さんの役に立っていません……四年前の『死神』がいて、僕はただ怖くて立ち尽くすことしかできなかった……」


「それなら僕も同じ。ファントムさん、何だかストーカーみたいな感じがして怖かったし気持ち悪かったし。あれはきっとセラさんとティアさんの隠し撮り写真を部屋に貼ってニヤニヤしながらワイン片手に眺めて、友達もいないね」


「よ、容赦ないですね」


 恐怖のあまり何もできなかった自分に自己嫌悪を覚えているリクトだったが、特に幸太郎は気にしていない様子で自分も同じであると言った。


 幸太郎の一言に少しリクトは救われたような気がして、ファントムに対して抱いている失礼な印象に思わず吹き出してしまった。


「だから気にしないで。それに、謝るのは僕の方」


「どうしてですか? あんなに必死でここから出ようとしたのに……」


「その時はね。でも、休んでる時は別のこと考えてた」


「……セラさんのことですか?」


「うん……セラさん、大丈夫かな」


 開かない扉を見つめながら、幸太郎はファントムとともに出て行ったセラのことを思い浮かべて心配の声を漏らした。


 緊張感と焦燥感のないボーっとした締まりのない表情の幸太郎だが、どことなくいつもの彼とは雰囲気が違うことをリクトは敏感に察知して、彼が本気でセラのことを心配しているのだろうと感じた。


 幸太郎の気持ちを察したリクトは、そっと彼の肩を撫でるように優しく触れた。


「大丈夫ですよ、幸太郎さん……麗華さんがいるんです、きっと何とかしてくれます」


「そう言われると安心できるけど、鳳さんが周りを気にしないで暴走すると思うと複雑」


 自分を気遣ってくれたリクトの一言に、幸太郎は安堵しきったような笑みを漏らすと、大きく欠伸をして立ち上がり、軽いストレッチをしてから扉の前へと向かった。


 幸太郎に続いて、彼を手伝うために自分の意志でリクトも立ち上がって扉の前へ向かう。


「当たって砕けろ戦法で行こう」


「な、何をするつもりなんですか?」


「タイミングを合わせて僕とリクト君が同時に扉に向かって体当たりをする。そうすることによって、扉に衝撃が二重に伝わって威力も倍率ドン。一度じゃダメかもしれないけど、何度も同じことを繰り返せば、扉内に残って蓄積された衝撃は徐々に扉の内側を押し出し、空気を入れた風船が膨らむように、蓄積された衝撃が扉の体積を膨らませて、衝撃に耐え切れなくなった扉は爆発音とともに破片が残らないほど砕け散る――よし、これで行こう」


「……な、なるほど」


 意味不明で、どうしてそうなったか皆目見当もつかない、不可能奇妙のよくわからない独自の理論を熱弁する幸太郎の有無を言わさぬ勢いに押されて、リクトはそれに従う。


 扉から距離を取り、二人三脚を行う要領で肩を組んで、「せーの」の幸太郎の合図とともに、同時に駆け出し、扉に向かってタックルをする――


 身体がぶつかったとは思えないほどの爆発音が響き渡り、重厚な鉄の扉にぶつかり、全身の骨が軋むような衝撃が全身を駆け巡り、二人は顔をしかめる。


 タイミングを合わせたタックルをしても重厚な鉄の扉はビクともしなかった。


 再び、二人はタックルを仕掛けようとすると――突然、今までどんなことをしても何も反応することなく、ビクともしなかった扉が部屋の外側に向かって倒れた。


「やった、大成功」


「え、ええ? せ、成功しちゃったんですか?」


 砕け散りはしなかったが、それでも扉が壊れたことに幸太郎は自慢げに胸を張って、成功するとは思わず驚いているリクトに向けてサムズアップをした。


「何が大成功なのかは知らないが――よくやってくれた、水月君」


「ヴィクター先生! それに……沙菜さん」


「安心したまえ。彼女は味方だ――今のところは、だが」


 壊れた扉の外から現れたヴィクターの登場にリクトは安堵の息を漏らすが、武輝である杖を携えた水月沙菜も一緒に現れ、少し複雑な表情を浮かべて警戒する。だが、今のところ沙菜は味方であるというヴィクターの一言で、リクトの警戒をほんの僅かだけ緩んだ。


「それにしても、博士と水月先輩はどうしてここに?」


「裏方に徹すると言っただろう? 私はアカデミー都市内の監視システムを作った人間の一人。離れていても、アカデミー都市内に設置された監視カメラや徘徊しているガードロボットに備えているカメラを使って君たちの動向をずっと見ていたのだ」


「博士ならアカデミー都市中を盗み見れるんですね」


「少々癇に障る表現だがまあいい! どうだ、私に頼って正解だっただろう! ハーッハッハッハッハッハッハッ!」


 大層機嫌が良さそうに、得意げに高笑いをするヴィクター。


「それでここにいる水月君は、久住優輝が君たちをここに案内するまでの映像を見せて、自分の目で確かめたいことがあると言ってついて来たのだ……ちなみに、この部屋の扉は彼女の武輝の力で開いたのだ」


「あ……そうなんですか」


「我々が来たからにはもう安心するのだ! それに、先程あのお嬢様のボディガードであるドレイク君から連絡が来たのだが、彼もここに来るそうだ!」


 ヴィクターと幸太郎が話している傍らで、武輝を輝石に戻した沙菜はおぼつかない足取りで、憧れの人物が暮らす家の地下に隠された室内を呆然とした表情で見回していた、


 自分の知らない久住優輝の一面がこの室内の前面に現れていて、沙菜はショックを隠し切れない様子だった。そんな彼女の視界に室内の中央の椅子に座ったまま項垂れている白髪交じりの頭をした一人の人物が映ると、すぐにその人物が誰であるのかを理解することができた沙菜は慌ててその人物に駆け寄った。


「ゆ……優輝さん! 優輝さん! しっかりしてください! 優輝さん!」


 悲痛な叫び声にも似た声で沙菜は椅子に座ったまま項垂れている久住優輝の名前を呼ぶが、言葉にならない呻き声を上げるだけで優輝は顔を上げて反応することはなかった。


 自分の声に反応しない優輝に、沙菜は彼の身体を自身の両手で揺さぶって何度も、何度も声をかけ続けるが、彼は何も反応を示すことはなかった。


 室内に響き渡る沙菜の悲痛な声に、信じていた人物に裏切られる辛さを過去の事件で知っているリクトはいたたまれなくなって彼女に近づいた。


「沙菜さん……残念ですが、その……僕たちが四年間見続けていた優輝さんは偽物だったんです……今、沙菜さんが声をかけているのが本物の優輝さんです」


「そ、そんな……そんなことありえません!」


 四年間優輝の近くにいて、彼の背中を追い続けていた沙菜は、四年間の思い出を否定され、声を荒げてリクトが告げた残酷な真実を否定した。


「本当なんです! 四年間僕たちを騙し続け、四年間本物の優輝さんに凄惨な拷問を続けていたのは――四年前の事件で倒されたはずの『死神』・ファントムだったんです!」


「嘘です……そんなこと嘘だ!」


「ま、待ってください! 沙菜さん!」


 真実を絶叫するような声で否定し、リクトの制止を振り切って沙菜は部屋から走り去った。


 沙菜が去って室内に静けさが戻った。


「……ということなんですけど。博士、そこにいる優輝さん大丈夫ですか?」


 閉じ込められて、ここから出る方法を考えている間、幸太郎は何度か優輝に話しかけた。


 しかし、セラが話しかけた時のような反応は示さず、ただ言葉にならない呻き声のようなものを発しただけの優輝を心配している幸太郎は、ヴィクターなら彼の状態がわかるかもしれないと思い、期待を込めて質問をした。


 幸太郎の質問にヴィクターは何も答えず、ただ黙々と室内の設備を興味深そうに眺め、しばらくすると感心したように何度も頷き、今度は白衣の胸ポケットに入っていたペンライトを使って優輝の身体の隅々を舐め回すかのように診ていた。


 数分間じっくり優輝の肢体を確認すると、やがて、ヴィクターは諦めたように小さくため息を漏らし、申し訳なさそうな視線を向けて、躊躇いながらも意を決したように残酷な事実を告げる。


「何をしたのかはあまり想像したくはないが、複数ある注射痕から察するに何らかの薬物による中毒、そして、過度な精神的ストレスによって重度の精神崩壊を起こしている」


 逡巡しながらも、ヴィクターは事実を口に出す。


「期待を裏切って申し訳ないが、私個人の医療的な知識が乏しいとはいえ……これでは奇跡でも起きない限り久住優輝という人間は戻ってこないだろう」


 躊躇いながらもヴィクターはキッパリと助かる見込みはないと宣言した。


 残酷な事実にリクトの表情は暗くなるが、幸太郎は特に気にしている様子はなく、ただ、安堵の息を漏らしていた。


「助かる見込みはあるんですね」


「何を言っているんだ、君は……医療の専門的知識には乏しいが、廃人も同然な彼の姿では再起は無理だ……久住優輝という人格が粉々に壊されてしまっているのだ。助かったとしても、彼の人格は二度と戻ってこないだろう」


 申し訳ない気持ちを抑えて正直に優輝の状態を宣言したのにもかかわらず、希望を失っていない幸太郎に、ヴィクターは呆れ果てていた。


「『奇跡でも起きない限りって』言ってたじゃないですか」


「希望を持たせてしまって申し訳ないが、それは言葉のあやというものだ」


「意外に博士って現実的ですね」


「その言葉は少しばかりショックだぞ、モルモット君」


 今のヴィクターの様子に、まったくの悪気がなく正直な意見を述べる幸太郎に、ヴィクターは力のない苦笑を浮かべた。


「セラさんは四年間ずっと友達のティアさんと優輝さんのために諦めないで必死に頑張ったんだから、僕だってセラさんのために諦めないで頑張りたい」


 自分に、そして、ヴィクターとリクトに言い聞かせるように幸太郎はそう呟きながら、リクトに近づき、おもむろに彼の首にかけられたペンダントについているティアストーンの欠片に触れた。


 煌石を扱える資質を持つ者しか輝かせることができない、煌石・ティアストーンの欠片が、幸太郎の手の中で青白い光が弱々しく明滅する。


「奇跡に縋ることしかできないなら、僕は縋っている奇跡に一番良い結末を求めたい」


 決して諦めることなく、希望を失うことなく、奇跡を信じ続ける幸太郎の力強い一言に反応するかのように、手の中で光るティアストーンの欠片が強く光った。


「幸太郎さん、もしかして――……わかりました」


 幸太郎の手の中で力強い光を一瞬だけ放ったティアストーンの欠片を見て、リクトは彼の意図を理解し、力強く頷いて彼に協力することをリクトは決めた。


「クククッ――ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ! なるほど、そうか! なるほど! 確かに、!」


 リクトに遅れて幸太郎の意図に気づいたヴィクターは、堰を切ったように笑いはじめた。


「確かにモルモット君の言う通り、ついさっきまでの私は現実的過ぎた! 常に夢想家であれという私のモットーを忘れていたよ!」


 優輝の容態を告げた時の暗い雰囲気とは正反対の、いつものような高笑いをして機嫌が良さそうなヴィクター。


「いいだろう! モルモット君――いや、七瀬幸太郎君! 君が起こそうとしている奇跡を私に見せてくれたまえ! ハーッハッハッハッハッハ!」


 ヴィクターは笑いながら、白衣のポケットの中から懐中時計を取り出し、それを幸太郎に投げ渡した。


 懐中時計には輝石が埋め込まれており、幸太郎の手の中で切れかけの電球のように弱々しい光を放っていた。


「前にも話した通り、私も一応輝石使い。これで準備は整った! さあ、私に見せてくれ! ――『あお奇跡きせき』の再現! いや、それ以上の奇跡を!」


 ヴィクターの期待を一身に浴びている幸太郎は、力強く頷いた。


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