第16話

 セラと沙菜の戦いが終わると、すぐに幸太郎たちが慌てた様子で実験場に入ってきた。


 幸太郎たち三人が入ってきてもセラは反応することなくただ立ち尽くしていた。


 ヴィクターとリクトは倒れて気絶している沙菜に駆け寄り、治療をすると言って別室に運び、大した怪我をしていないセラは幸太郎に連れられて研究室へ戻った。


 幸太郎に従うままセラは研究室のソファに座り、幸太郎は彼女の隣に座る。


 隣に座ったまま暗い表情を浮かべているセラに幸太郎は呑気に話しかけるが、彼女は生返事ばかりで幸太郎の話の内容をまったく耳に入れていなかった。


 ただセラは考えていた――ティア、優輝、沙菜、自分のことを。


 そして、考える度にしないと決めていた後悔に押し潰されそうになった。


 後悔に押し潰されそうになるセラの脳裏に過るのは、先程戦った沙菜の姿だった。


 ……私は立ち止まれない。

 水月先輩の姿を見て、私は忘れていた自分の想いを思い出した。

 ――だから、もう止まれない。


 重くのしかかってくる後悔に立ち止まりそうになりながらも、立ち止まってはならないと自分に言い聞かせるようセラは心の中で何度も反芻し、自身を無理矢理奮い立たせる。


 徐々にセラの表情に力が戻り、同時に彼女の瞳に力強い光が宿った。


「――ということなんだけど、セラさんはどう思う?」


 光を宿したセラの瞳に突然幸太郎の顔がドアップに映った。


 現実に戻ってきたセラは、視界に広がる幸太郎の表情に少し驚いていたが、すぐに我に返り、一拍子遅れて反応する。


「え、えっと……わ、私はなんでもいいと思いますが……」


「セラさん、話聞いてた?」


「……す、すみません」


 さすがの幸太郎でもセラが適当に話を合わせたことに気づき、セラは言い訳しないでただ頭を下げて謝った。


「どんな水着が好きなのかって話になって、セラさんはどんな水着が似合うのかって話になって、個人的には雰囲気替えて大胆なビキニにが似合うって話になって、セラさんは自分でどんな水着が似合うのかって意見を求めたんだけど……セラさんはどう思う?」


「ほとんど水着の話ばかりだったんですね……」


「まだセラさんと鳳さんの水着姿を見てないから」


 隠すことなく下心を見せる幸太郎にセラは呆れたように深々とため息をつくが、普段と変わらぬ幸太郎の様子に若干の安らぎを感じ、安堵したような微笑みを浮かべていた。


 そんなセラの表情に若干の陰があるように見えた幸太郎は、心配そうに彼女を見つめた。


「大丈夫? セラさん」


 心配そうに自分を見つめて声をかけてくれる幸太郎にセラは感謝をしながらも、彼の顔に痛々しく残る痣や傷口に貼られている絆創膏を見て、申し訳なさそうでいて、辛そうな表情を浮かべて、おもむろに彼の頬に貼られている絆創膏にセラはそっと触れた。


「すみません……私のせいで怪我をさせてしまって……」


「突然触られて照れるけど、怪我はもう大丈夫」


 自分のせいで怪我をしたことを気にしていることはない幸太郎に、セラは幾分救われたような気がしたが、彼に怪我をさせてしまったことによる怪罪悪感はますます増長した。


「セラさんの方こそ、どこか怪我してない?」


「……心配してくれてありがとうございます」


 自分の決めたことに従って行動した結果、自分がどんな目にあってもまったく後悔しておらず、自分よりも他人の心配をする幸太郎に、セラは羨ましさと憧れを抱いてしまう。


 前に散々、幸太郎のその性格が危険だと言って拒絶したことのあるセラだったが、今だけは後悔しないために精一杯の行動をする幸太郎にセラは強い憧れを抱いた。


 そんな幸太郎と、後悔に押し潰されそうな今の自分を比べてしまったセラは、無言のまま暗い表情を浮かべて、生まれそうになる後悔を必死で押し殺そうとしていた。


「セラさん、疲れてる?」


 幸太郎のその言葉に、セラは一拍子遅れて取り繕ったような笑みを浮かべるが、明らかにその笑みは空元気で無理をしているのは一目瞭然だった。


 無用な心配をさせないための笑みを浮かべていたが、心の内を見透かすような目で幸太郎に見つめられ、セラは諦めたように小さくため息をついて自嘲的な笑みを浮かべた。


「そうですね……疲れたのかもしれません」


 投げやり気味にセラは幸太郎の言葉を認めると自嘲的な笑みを消した。


 すべてを見透かしているような幸太郎に、思わず自分のすべてを吐露して甘えたい衝動に駆られるがセラはそれを必死に堪える。


 巻き込んでしまった挙句に怪我までさせてしまった幸太郎に、これ以上自分のせいで負担を負わせたくなかった。


 だが、そう思っていても今のセラには自分を上手くコントロールできなかった。


 心では幸太郎に甘えたくないと思っていても口が勝手に開いて言葉が出てしまった。


「……少し、話を聞いてくれませんか?」


 幸太郎は嫌な顔一つせず、「いいよ」とセラの頼みを二つ返事で快諾した。


 ほぼ無意識に言葉が出てしまい、すぐにはぐらかすつもりだったセラだが、幸太郎の返事を聞いて、今まで抑えていた自分の気持ちが一気に決壊してしまった。


 ……私は最低だ……

 巻き込みたくないのに……傷つくのを見たくないのに……

 七瀬君の優しさに甘えて、私は性懲りもなく彼を巻き込もうとしている。


 しかし、自己嫌悪に陥ってももうセラは自分の気持ちを抑えられなかった。


「四年間、私はすべてを犠牲にしてきました……アカデミーにいるというティアや優輝を追うために……少しでも二人の背中に近づくためにすべてを犠牲にしてきました」


 話しはじめるセラに、幸太郎はお菓子を食べる手を止めて話を聞くことに集中していた。


「学校に行っても、学校生活を楽しむことも友達を作ることも遊ぶこともなく、ただ、二人のために強くなるため、自分を磨くことしか考えていませんでした」


 周囲に目を向けることなくただ一人で無我夢中だった当時の自分を思い出しているのか、セラは自嘲的な笑みを浮かべていた。


「二人は私の大事な親友で、どうにかして元の関係に戻りたかった……そのためならどこまでも強くなれたし、何だってできた」


 頭の中に自分と戦っている最中の沙菜の姿が過った。


 強烈な一撃を食らっても諦めることなく立ち向かい、動くことができなくなっても戦意を失うことなく、ただ一人の人物のために強くなり、傷だらけになっても戦い続け、どんなことになっても信じ続け――自分に大切なものを思い出させてくれた水月沙菜の姿を。


 沙菜の姿を見て、セラは自分が昔抱いていた気持ちを思い出した。


 優輝への憎しみで忘れていた、アカデミーに入学する前には持っていた確かな気持ちを――去ってしまった友達と元の関係に戻りたいという強い気持ちを。


 思い出すと同時に、今まで捨ててきたことが全部頭の中に過って不安と後悔で押し潰されそうになった。


「本当は……本当は学校を楽しみたかったし、友達もいっぱい作って遊びたかったし、修行以外のことだってたくさんしたかった! でも……二人のことだけを考えていた私はすべてを捨てたんです――……だから、怖いんです」


 自分がしたかったことを叫び声にも似た声で隠すことなく赤裸々に言った後、消え入りそうで震えた声で「怖い」と呟いたセラ。それは、四年前から今までずっとセラが抱いていながらも、心の隅に隠していた感情だった。


「残酷な真実に、今まで犠牲にしてきたことや努力のすべてが無意味になって、後悔に押し潰されて何もできなくなる自分が怖いんです……」


「それでも、セラさんは立ち止まれないんだよね?」


 今まで黙って話を聞いて幸太郎は思ったことを口に出した。


 親友のために自分のすべてを犠牲にして、それが無意味になって後悔に変わるのを何よりも恐れているセラだが、それでも彼女の目には強い光が宿っていた。


 昔の気持ちを思い出したからこそ、もうセラは立ち止まれなかった。


 幸太郎の言葉にセラは力強く頷いた。


「でも、四年間、ずっとティアさんと優輝さんのことだけ考えて、自分のことなんて考える暇もないから疲れたよね」


 お菓子を食べる手を再開させて、幸太郎はセラに向けてそう言った。


 物を食べながらという、適当に言っているような言葉だが、その一つ一つが四年間相手のことだけを考え、自分のことをすべて犠牲にして生きてきたセラを労るような優しさが含まれていた。


 スナック菓子を食べながら、幸太郎はセラのことをジッと見つめてきた。


「僕を見て、セラさん」


 有無を言わさぬその言葉に、セラは恐る恐る幸太郎を見つめる、


 幸太郎を見つめるセラの表情は、不安に押し潰されそうな少女の顔しており、普段大人びて凛としている彼女からは想像もできないほどの弱々しい表情だった。


 決して折れることも揺らぐこともない強い光を宿している目で真っ直ぐ見つめてくる幸太郎に、セラは惹きつけられるように彼のことを見つめてしまい、胸の奥から熱い何かが込み上げてくるのを感じた。


「僕も、鳳さんも、リクト君も、多分大和君も博士も――みんなセラさんの友達だし、セラさんにはたくさんの友達がいるんだから、少しは僕たちを頼って」


「でも……これは私が決着をつけなければならないんです。だから周りを巻き込め――」

「セラさん、嵯峨さんの事件が終わった時、僕に言った言葉覚えてる?」


 自分の話を遮った幸太郎の言葉に、セラは一か月前に解決した事件のことを思い出すが、自分の言った言葉を思い出すことができなかった。


 思い出せないセラのことを察したのか、幸太郎は呆れたようにため息をついた。


「一人じゃできないことだってあるから自分を信じて頼って、そう言ったんだよ? ……だから、セラさんも少しは人に頼って甘えてよ。どんなことをしたって僕はセラさんのことを信じ続けるし、ずっと味方だし、傍にいるからドンと任せて」


 自分の思っていることを着飾ることなく淡々とした調子で言って、頼りなさそうな薄い胸板を得意げに張る幸太郎に、泣き笑いの表情を浮かべたセラは、ふいに自身の頭を幸太郎の肩に乗せてしまった。


 しっかりしなければならないと自分でも思っているセラだが、今だけはこうして寄り添うように幸太郎の肩に頭を乗せて、一休みしたかった。


「すみません……重いかもしれませんが少しの間、こうしていてもいいでしょうか」


「ちょっと重いけど、別にいいよ」


「……あ、ありがとうございます」


 申し訳なさそうに、照れたように、そして、少しだけ甘えたように懇願するセラに、幸太郎は特に気にすることなく二つ返事で了承した。


 しばらくセラは自分の頭を幸太郎の肩に預けたまま、何も言わずに休んでいた。


 四年間、苦しくても躓いても、休むことなくずっと走り続け、ようやく張り詰めていた気を静め、休むことができたセラの表情は穏やかなものであり、普段の大人びた雰囲気とはまったく違う、少女のような表情を浮かべていた。


 もうちょっと……もうちょっとだけ、休ませてもらおう……

 そうすれば、また私は進むことができる。

 今度は道を違えることなく……だから、今はもう少し……


 完全に自分に身を委ねているセラに、健全な青少年たる幸太郎の表情は若干緊張で固くなり、照れでほんのりと頬を紅潮させていた。


 自身の肩に頭を乗せているセラの柔らかそうな髪を撫でそうになるが、下手に彼女に触れてせっかくのムードを台無しにさせることを恐れてその衝動を堪えた。


 何かで気を紛らわせることにした幸太郎は、スナック菓子に手を伸ばそうとすると――

「セラさん、汗臭い」


 自分に寄り添うセラからほんのりと香る汗のにおいを敏感に察知して、思ったことを口にした。


 体臭を指摘されたセラは素っ頓狂な声を上げて、慌てて頭を上げて幸太郎から離れた。


「あ、す、すみません……い、一応研究所内にあるシャワーを浴びて汗を流したのですが……朝からこの研究所の掃除をしていたので……」


 羞恥で顔を紅潮させて慌てて言い訳をするセラに幸太郎はただただ思ったことを口にする。


「それじゃあ服とか下着とか変えてないの?」


「ち、違います! い、一応服と下着は――って、何を言わせるんですか!」


 デリカシーのない発言をする幸太郎に、セラは羞恥で顔を真っ赤にさせて恨みがましい視線を送るが、当の本人は自分の失言に気づいていない様子だった。


 あまりのデリカシーのなさに、幸太郎の心強さを改めて感じて見直し、彼に対して思わず甘えてしまった自分が間違いだったのではないかとセラは思いはじめてしまう。


「ハーッハッハッハッハッハッ! 随分と青春しているではないか!」


 そんな二人の空間に割って入ってくる、大層楽しそうなヴィクターの笑い声。


 セラと幸太郎は笑い声が聞こえる方へ視線を向けると高笑いをしているヴィクターと、二人の様子を若干の嫉妬と羨ましさが含んだ目で見つめているリクトがいた。


「君が抱いている疑問に答えよう! この私は恥を忍んで女性の下着(純白)を購入し、高等部にある予備の制服を持ってきたのだよ!」


「よ、余計なことを言わないでください!」


「……白なんだ」


「そ、そんなにジロジロ見ないでください!」


 幸太郎の抱いている疑問をわかりやすいように詳しく説明してくれたヴィクターにセラは声を荒げて抗議をするが、ヴィクターはどこ吹く風の様子で機嫌よく笑っていた。


 下着の色まで詳しく教えてくれたヴィクターに感謝しながら、幸太郎はセラの上半身から下半身にかけて舐め回すような視線で見つめた。


「それでは本題に入ろう……セラ君、君はこれからどうするつもりだ?」


 機嫌が良さそうに高笑いを浮かべていたヴィクターだったが、雰囲気を一変させて、試すような口調でセラにそう尋ね、彼女に対して批判的で厳しく、鋭い視線を向けた。下手なことを言えば一気にヴィクターは敵対する雰囲気を醸し出していた。


 一気に緊張感が高まるセラとヴィクターの間だったが、セラは特に緊張している様子はなく、ただ、真っ直ぐと迷いのない力強い覚悟を宿した目でヴィクターを見つめた。


 セラの瞳には若干の迷いが確かに存在していたが、激情に支配されていない理性的な光を宿し、それ以上に前に進もうとする強い意志が存在していた。


「彼ともう一度会って話しをします」


「彼――久住優輝君と話すつもりかな? ……性懲りもなくまた後先考えない物理的な話し合いをするつもりなら、すぐに輝士団をここに呼ぼうじゃないか」


「ただ、真実を確認するだけです」


「それが残酷なものであっても?」


「……覚悟の上です」


 残酷な真実が頭に過り、それに怯えながらも力強く答えたセラにヴィクターは無言のまま何も反応せず、彼女のことを脳天から爪先までジッと舐め回すように見つめていた。


 セラとヴィクターの間に沈黙が続いたが、すぐにヴィクターは「ハーッハッハッハッハッハッ!」と、豪快な高笑いで沈黙と自身の纏っている緊張感を破った。


「中々面白いことになってきたじゃないか! いいだろう、私も協力しよう! この私が協力するということは、アカデミー内のシステムとアカデミー都市中に徘徊するガードロボットが君の味方になるということだ! これほどまでに心強い味方は存在しないだろう! 光栄に思うのだ! ハーッハッハッハッハッハッハッ!」


 得意げに高笑いをするヴィクターに、ありがたいのか迷惑なのかよくわからなくなってしまうセラは、ただ複雑な表情で愛想笑いを浮かべることしかできなかった。


「……すみません、博士。ここまで巻き込んじゃって」


 協力を自ら申し出たヴィクターに、幸太郎はソファから立ち上がって深々と頭を下げた。


 だが、すぐにヴィクターは幸太郎の肩を何度も叩いて「気にするな!」と言った。


「君と私の仲だ。そんなことを気にするな! ハーッハッハッハッハッハッ! それに、私は前線に赴くつもりはない! 非戦闘員としてここでサポートに徹するだけだ!」


「それなら、僕はセラさんと一緒に行動します」


「で、でも、リクト君が動いてしまえば……」


 サポートに徹すると断言したヴィクターに続き、リクトも協力を買って出た。


 自分に協力してくれるのはありがたいが、ヴィクターだけでも申し訳ないのに現教皇の息子であり次期教皇最有力候補のリクトを巻き込んでしまえば昨日のような混乱になってしまうと思ったセラの表情は暗かった。


 だが、リクトは一歩も退く気はない様子でセラを見つめた。


「幸太郎さんと同じで僕もセラさんの味方です……まだまだ未熟で役に立てる機会は少ないかもしれませんが、できる限りの力で精一杯協力します。それに、僕がいればセラさんを追う治安維持部隊は不用意に手を出すことができません」


 そう言って、リクトは頭を深々と下げた。


「だから、お願いします……僕もセラさんに協力させてください」


 リクトの熱意は十分に伝わるが、それでもセラは中々了承できない様子だった。


 複雑な表情を浮かべて答えを出せないセラに、「セラさん」と幸太郎が話しかけてきた。


「僕たちを頼って、セラさん」


 淡々として短い幸太郎の言葉だったが、セラの心を後押しするのには十分だった。


 一瞬の逡巡の後、セラは妙に緊張した様子で幸太郎たち三人に頭を下げた。


「……お、お願いします」


 緊張して震えながらも安堵しきった声でセラは三人に懇願した。


「ドンと任せて」


 頭を下げて協力を求めるセラに、幸太郎は力強く頷いた。


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