第14話

 とある場所にあるヴィクターの秘密研究所。


 昨日まで一か所以外、足の踏み場もないほどガラクタで溢れ返っていた研究室が、今では見違えるほどきれいになっていた。


 きれいになっているのは昨日から匿われているセラと、学校を終えて着替えもせずに彼女の様子を窺いに来たリクトのおかげだった。


 手持無沙汰で大人しくしているよりも身体を動かしたかったセラは気を紛らわせるため、そして、気が張って眠れなかったため、昨日から寝ずに掃除をしていた。


 そんなセラを気遣ったリクトは研究所に到着してすぐに掃除の手伝いをした


 二人の力を合わせたら、あっという間に室内は片付いた。


 秘密研究所の主であるヴィクターは必要なものとそうでないもののガラクタを二人に伝えただけで、手伝うことをしないで昨日から別室で自分の研究に没頭していた。朝になれば高等部校舎に向かい、学校が終わって戻っても、研究という言い訳を盾にして手伝わなかった。


 ヴィクターが必要だというガラクタをすべて部屋の隅にまとめて置いたセラは、シャツの胸元のボタンを一つ開けてソファに座って背もたれに深く寄りかかった。


「こっちも終わりました。お疲れ様です、セラさん」


「お疲れ様です、リクト君。わざわざ手伝っていただいてありがとうございました」


「気にしないでください。あれだけ荒れているのを見たら、誰だって掃除したくなります」


 床のモップ掛けを終えたリクトも、セラの隣に座って深々とソファに腰かけた。


「掃除の手際が良かったですね。よく、掃除をしているんですか?」


「使用人の方々からは気にしないでくれと言われるんですが、母さんから日常生活で基本的なことは人に頼らずに自分でやりなさいと昔から言われていて、それを実践する母さんの姿を昔から見てきたので、それで僕も母さんを倣って普段から掃除などの基本的なことは自分でしているんです」


「きょ、教皇であるエレナ様が家事をする姿は想像できませんね……」


 和気藹々とした様子でリクトと雑談を交わしているセラだが、その表情は若干暗く、リクトに対して申し訳なそうな表情を浮かべていた。


 雑談が途切れて二人の間に沈黙が流れる――すると、セラは意を決したようにリクトを、申し訳なさそうでいて、懇願するような視線を向けた。


「リクト君……やはり、次期教皇最有力候補、教皇エレナ様のご子息のあなたが、今の私に関わってはいけません」


 突き放すような口調でありながらもリクトに対して気を遣っているセラの忠告だったが、彼女の心中を察しているリクトは気にすることはしなかった。


「二か月前、セラさんたちは僕を救ってくれました。僕はその恩返しをしたい。それ以上に、今のセラさんを放っておくことはできない」


「そのお気持ちはとてもありがたいですが、昨日あんなことをしてしまった私に関わってしまえば、リクト君や、あなたのお母様の立場も悪くなってしまう……それに、今ここにいることをあなたは教皇庁の誰かに報告しましたか? もし、報告せず、勝手にここに来たのならば、昨日と同様に無用な混乱を招いてしまう……どうかご理解ください、リクト君」


「今更水臭いことを言わないでください。僕がここにいるのは恩返しの意味と、セラさんを守ろうとした幸太郎さんことを思ったからという理由もありますが、それ以上に僕は自ら進んで、自らの意志で少しでも役に立とうと思って、ここにいるんです……僕の立場とか母さんとかそんなの関係ありません」


 いっさいの後悔も迷いのないリクトの決意と力強い光を宿した目に、セラは羨ましさを覚え、巻き込んでしまったリクトに対しての罪悪感が胸を絞めつけた。


「それに、輝士団と輝動隊の争いを止める気がない教皇庁と鳳グループのせいで刻々と悪くなる一方の今の状況には、教皇庁と鳳グループの意向を無視して自由に動けるセラさんたち風紀委員の力が必要なんです」


 セラたち風紀委員の力が今の事態を解決するために必要不可欠だと力強く宣言するリクトだが、力強い意志を宿していた彼の表情は徐々に暗くなってくる。


「本来ならば僕も鳳さんのように、少しでも今の状況をよくするために自発的に行動するべきですが、今の僕の立場では――いえ、今の僕の力では何の役にも立てず、逆に周囲を混乱させるだけになってしまう……すみません、頼りなくて」


 思っているだけで何もできない自分自身の不甲斐なさと悔しさに、リクトは拳をきつく握り締め、身を震わせる。


 そんなリクトの頭をセラは優しく撫で、きつく握り締めているリクトの手を自身の手で優しく包むと、セラの優しさに触れたリクトは泣き出しそうな顔を向けてきた。


「あなたは自分が弱いと思っている――でも、それは大きな間違いです。リクト君、あなたは強い人だ。あの事件の時と比べてあなたは見違えるほど強くなった」


「でも……今の状況を変えるだけの――いえ、幸太郎さんたち友達の役に立てる力を持っていなければ、強くなった意味なんてありません」


 必死に強くなろうとして努力しても、まだセラたちに遠く及ばず、役に立たない自分に自己嫌悪と悔しさがわいているリクトに、セラは優しく微笑む。


「自分がどうして強くなりたいと思ったのか、その明確な理由を持っていれば人はどこまでも強くなれると――昔、私は師匠から教わりました」


 強くなろうとしているリクトの姿に自分の昔の姿をセラは重ねて、師から教わった言葉をそのまま彼に伝えた。


「リクト君には自分が強くなりたいと思う明確な理由を心の中に持っています――でも、足りないものがあります」


「足りないもの――ですか? 教えてください! それは一体――……いえ、すみません……それは、自分で考えなければならないことですよね」


 必死な表情でセラに詰め寄って自分に足りていないものを尋ねようとしてリクトだが、すぐに落ち着きを取り戻して恥ずかしそうな苦笑を浮かべた。


 自分の力で自分の足りないものを探そうとするリクトの姿に、将来確実に強くなりそうな彼の姿に嬉しさも覚えながらも、若干の対抗心が芽生えた。


「大丈夫です。リクト君なら簡単に見つけることができます、それに――それを自分で見つけることができれば、リクト君は今よりも強くなることができる」


 セラの言葉に、徐々にリクトの表情に明るさと力強さが戻ってくる。


 そして、強くなりたいと純粋な気持ちを抱いた表情でリクトはセラに質問した。


「セラさんがどうして強くなろうとしたのか、教えていただけないでしょうか」


「……それは――……」


 リクトの質問に、セラは言葉を濁した。


 自分がどうして強くなろうとし――昔、修行をしていた時にセラは何度も考え、そして、考えた末に見つけた確固たる自分の出した答えがあった。


 そのためだけに強くなり、そのためならなんでもできた。


 絶対に忘れることはないだろうと思っていた自分の決意と答え。


 しかし――それを口に出そうとした時、セラは言葉が出なくなった。


 頭の中でその言葉を引き出そうとするが、引き出そうとすると、頭の中でノイズが走ったような靄がかかり、言葉が出せなくなってしまっていた。


 どうして……どうして、言葉が出ないんだ……

 アカデミーに来た時には持っていたのに……どうして……


 焦燥感を覚えるセラだったが――そんな彼女の思考を邪魔するかのようにどこからかともなく「ハーッハッハッハッハッハッ」と大きな高笑いが響いてきた。


「ハーッハッハッハッハッハッ! 青春しているようじゃないか、二人とも!」


 高笑いとともに、籠っていた部屋から現れるヴィクター。


「おぉ! 午前中の段階で随分片付いているとは思っていたが、まさかここまで片付いたとは思わなかったよ! ご苦労、ご苦労! ハーッハッハッハッハッ!」


 足場がないほどにガラクタで溢れ返っていた研究室が本来持っていた広さと快適さを取り戻したことに、ヴィクターは気分良さそうに笑いながら踊るような軽快なステップを踏んで室内を歩き回り、ソファに座っているセラとリクトに近づいた。


「そんな君たちに朗報だ。自由の身となったモルモット君がここに向かっているぞ」


 ヴィクターの報告に、昨日から掃除をしながらずっと幸太郎のことを心配していたセラは心の底から安堵の息を漏らし、リクトは一日千秋の思いで想い人を待っていた乙女のような表情になる。


「一時間程前にモルモット君から詳しい場所を尋ねる連絡があったのだ。モルモット君の乏しい理解力を考えれば、もうすぐここに到着するだろう」


「い、一時間程前って……言ってくれれば、幸太郎さんを出迎えたのに……」


 幸太郎から連絡が来たの一時間前だと知ったセラは呆れ、リクトは口を尖らせた。


「ハーッハッハッハッハッハッハッ! 場所を覚えてもらうには他人に案内をするよりも実際に自分の頭と足を使った方がその場所がどこにあるのか身体に染みつくのだ! 決して研究に集中して後回しにしていたわけではないぞ!」


「笑って誤魔化さないでください、ヴィクター先生」


「そう怒らないでくれ、リクト君――ほら、噂をすれば……」


 リクトの不満を適当に流して研究所入口を指差すと、不安なそうな面持ちの幸太郎が入口の扉を半開きにさせて研究所内を見回し、研究所内にヴィクターたちがいることを確認すると安堵の表情を浮かべ、半開きにしていた扉を勢いよく開いて研究所内に入ってきた。


 幸太郎の両手にはたくさんのお菓子等が詰まったコンビニのビニール袋が握られていた。


「関係者以外立ち入り禁止の看板があったから不安だったけど、やっぱりここでよかったんですね」


「連絡から一時間――まあ、想像通りだが、個人的には想像を裏切ってほしかったところだ。我が研究所へようこそ、モルモット君」


「ノースエリアにあるホームセンターの地下にあるなんて誰もわからないし、気づきませんよ。これ、コンビニで買ったお菓子です」


「おお、気が利くではないか! 感謝をするぞ、モルモット君」


 お菓子等が詰まったコンビニのビニール袋を幸太郎に差し出され、歓喜するヴィクターは袋から板チョコを取り出して、すぐにパクリと咥えた。


「それにしても良い場所にあるだろう? 秘密研究所の中ではすぐに実験器具を揃えるのに適しているホームセンターがあるから気に入っているのだよ」


「許可取ってるんですか?」


「それについては心配無用だ! どういった経緯でここを手に入れたのか説明したいところだが、その前に君は私よりも話さなければならない相手がいるだろう? 選手交代だ」


 和気藹々と雑談を交わしているヴィクターだったが、それを中断させて、ソファに座ったまま、幸太郎と目を合わせないように俯いているセラを指差した。


「セラさん……行きましょう」


 座ったままのセラに手を差し伸べるリクトだが、差し伸べられた手を掴むことなくセラは自分で立ち上がり、俯かせていた顔を上げて幸太郎を見つめた。


「セラさん、元気?」


 セラに向けて幸太郎は笑みを浮かべての短い一言。短い一言ながらも幸太郎は無事セラに会えて嬉しい気持ちと、安堵する気持ちが短い一言の中にたくさん詰め込まれていた。


 顔に痣が無数あり、絆創膏も貼っていて痛々しい外見にもかかわらず、自分に向けて笑みを浮かべる幸太郎にセラは込み上げた何かを堪えた。


 だが――ここで、突如として部屋の空気が張りつめた。


「……まったく、モルモット君、君は本当に次から次へと面倒なものを持ち込んでくれる」


 ため息交じりにそう呟いたヴィクターは、億劫そうでありながらも警戒している視線を幸太郎に向けた。


 それと同時に、セラの全身から威圧するような空気が放たれ、敵意が込められた目で幸太郎を睨んだ。


 リクトも緊張と怯えが混同している様子だったが、それでも警戒心を高めた視線を幸太郎に向けていた。


 三人の空気が一気に変わったことに首を傾げる幸太郎だが、「後を追って正解でしたね」と突然背後から声が聞こえてきたので、振り返ると――

「あれ? 水月先輩」


 幸太郎の背後には冷たい表情をしている水月沙菜が立っていた。


 セラたち三人は幸太郎ではなく、彼の背後にいる沙菜に向けて鋭い視線を向けられていた。


 リクトやヴィクターもいるが沙菜の視界にはセラしか入っておらず、眼鏡の奥にある目でセラを鋭く睨んだまま離さなかった。


「七瀬君が自由になれば必ずあなたと接触すると思っていました」


 感情がまったく込められていない冷淡な口調でそう言うと、沙菜はポケットの中からチェーンにつながれた輝石を取り出した。


 同時にセラも――沙菜と同じ形をしたチェーンにつながれた自身の輝石を取り出した。


「別室に実験場がある――物理的な話し合いをするならば、そこでお互い納得するまでしたまえ」


 これから起きることが避けられないと察したヴィクターは、二人を制止することなく、ただ肩をすくめて諦めたように、ため息交じりに二人に提案した。


「……だそうです、場所を変えましょう」


 沙菜の提案にセラは無言のまま頷いた。


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