第12話
「少しは落ち着いたかね?」
「……ありがとうございます」
「少々ものが溢れていてこの研究室は狭いが、別室にシャワーもあってそれなりに快適だ。好きに使いたまえ。心身ともに疲弊している君には休息することが先決だ」
広い研究室だが、複数台のPCやモニター、よくわからない機械や、電子基板、絡まった様々な色のコードで溢れ返る中、壁際の一か所だけ片付けられてソファやテーブル、冷蔵庫とテレビが置いてある生活スペースがあった。
そのスペースにあるソファに腰かけている心ここにあらずといった様子のセラは、マグカップを手に自分に話しかけてきたヴィクター・オズワルドの声に、ピクリと反応する。
座ったままヴィクターを上目遣いでセラは見つめると、ヴィクターはニッと優し気でありながらも、狂気を宿した笑みを浮かべる。
「さて、しばらく研究で忙しくて別室にいたのだが……やはりリクト君はいないようだな」
「はい。あまり納得していない様子でしたが、帰らせました」
「賢明な判断だ。さっきまで君はリクト君を人質にとって逃亡した凶悪犯として、アカデミー内でお尋ね者だったのだ。君が凶悪犯だと周囲に知らしめれば自ずと鳳麗華に、彼女から鳳グループに責任が飛び火する。少しでも今の状況で自分たちの権力を得るために躍起になっている教皇庁は、君を凶悪犯に仕立てた。しかし、戻ったリクト君が君の身の潔白を証明したのか、君が凶悪犯だということは情報が錯綜したための誤報になったよ」
「……そうですか」
さらに自分の友達に迷惑をかけてしまったことに、セラの表情は暗くなる。
ヴィクターと会話で今自分が置かれている状況をセラは再確認する。
あの後――幸太郎の携帯からかかってきたヴィクターの電話を出ると、リクトは今自分たちが置かれている状況を説明して、どこか隠れる場所がないかと尋ねた。
そして、相変わらずの高笑いの後、ヴィクターはセラたちがいる位置から近い場所にある、ノースエリアの秘密研究所の場所を教えた。
秘密研究所とはヴィクターがアカデミー都市のどこかに勝手に建てた研究所のことであり、どこにあるのか、いくつあるのかはヴィクターにしかわからなかった。
セラたち風紀委員は一度とある事情で訪れたことがあるが、目隠しをされているのと同等の状況だったのでどこにあるのかはわからなかった。
ヴィクターの案内でリクトとともに秘密研究所に向かい、面白いからという理由と、これでますます幸太郎に恩が売れるからという理由でセラは匿われた。
匿われて数時間、リクトはセラの傍から離れなかったが、リクトが一旦教皇庁に戻らなければさらにアカデミー内が混乱するとセラが説得して、不承不承ながら研究所から出た。
「疲れているだろう、これでも飲みたまえ。そして、感想をくれたまえ」
「……ありがとうございます」
「ささ、ググッと一気に」
テーブルの上に置かれたマグカップの中には、蛍光ピンクに光る怪しい飲み物が入っていた。一応感謝をするセラだったが手はつけなかった。
「そうだ、先程あのお嬢様に君がいるこの場所を教えておいた。そろそろ来る頃だろう」
「鳳さんが……そうですか……」
ここに麗華が来て、自分のせいで今の事態をさらに混乱させてしまって何を言われるのだろうと想像して、セラの表情は暗くなった。
「しかし、君が我が秘密研究所に来て数時間、事態はさらに混乱を極めているようだ。極めつけは……これだ――」
おもむろに、ヴィクターはテーブルの上に置かれたリモコンでテレビをつけた。
すると、テレビには輝士団団長・久住優輝の姿が映っていた。
「これはつい先程、アカデミー都市内にあるすべての街頭のモニターや、寮内のテレビに映し出されたアカデミー都市内限定の放送だ。アカデミーで行われるイベントを映し出す時に使われる回線を使って放送したようだ」
ヴィクターはそう説明すると、テレビに映っている優輝はカメラを真っ直ぐと見据えた。
迷いがなく覚悟を決めているようで、他人を惹きつけるような力強い目をしていた。
『突然の映像に驚いているだろうと思うが、今アカデミー都市内で起きている状況を解決するために、少しだけ話を聞いてほしい』
そう言って、優輝は頭を深々と下げた。
『知っている者も多いと思うが、今、アカデミー都市内では輝士団、そして、輝動隊が衝突寸前になっている……その理由は知っての通り、輝動隊であるティアリナ・フリューゲルが俺を襲い、ティアを返り討ちにしたからだ』
その時の光景が頭に過ったのか、一瞬だけ優輝は辛そうな顔を浮かべるが、すぐに元に戻して話を再開させる。
『だが、真実は違う! ティアは襲ったのではなく呼び出して私闘を申し込んできた。それを受けた結果が……今の状況だ――だから、ティアは卑怯にも襲いかかってきたわけではない、決して、ティアは卑怯な真似はしていない! それだけは、理解してくれ……』
ティアが卑怯な真似をしていないと強調し、それを信じてくれと懇願する優輝からは、テレビの画面越しにでも必死さが伝わってきていた。
『私闘を申し込んだ側にも責任はあるが、それ以上に、それを受けた自分にも責任がある……だから、今回の騒動の責任はすべて――』
「もう結構です」
優輝の必死の訴えに苛立ちしか覚えなかったセラはテレビを消した。
「ティア君が久住君を襲ったという、教皇庁にとって都合の良い内容をわざわざ否定したのだ……おそらくこの放送は教皇庁に許可を取ってないだろう」
「……そうですか」
「……まあ、今の君には必要ない情報だったか」
そうだとしても、私の決心は何も変わらない……何も……
ヴィクターの推測を聞いても、セラは優輝への感情は何一つ変わらなかった。
「しかし、覚悟を持って打ち明けたのだろうが、これは――……」
「失礼いたしますわ!」
ヴィクターの思考を中断させるように突然、研究所入口の扉が壊れる勢いで開かれ、鳳麗華が現れた。
麗華の登場に、「……鳳さん」と麗華の名前を呟いて、セラはソファから立ち上がった。
麗華はガラクタがたくさん落ちていて足の踏み場がほとんどない床を気にも留めることなく真っ直ぐとセラを睨みながら近づいた。
セラを睨む麗華の目は激しく怒っているようであり、心底失望していた。
「あなたには心底失望しましたわ」
「……すみません」
セラの前まで来ると麗華は感情を抑えた低い声で短くセラを非難した。
短くも、その一言には今麗華がセラに対して抱いているすべての感情が込められていた。
麗華の非難にセラはただ自分の非を認めて謝罪することしかできなかった。
「人質にされていると言われていたリクト様が戻ってきたことによって、厳戒態勢は解かれましたが、それでも鳳グループは体面を保つため輝動隊にあなたを捕えるようにと命令を出しましたわ……状況は何も変わらず、アカデミー都市内であなたはお尋ね者ですわ」
無駄な感情がいっさい込められていない淡々とした口調で麗華はセラが今置かれている状況を説明した。
「七瀬さんも七瀬さんですが……無駄に力がある分、感情に任せたまま勝手な行動をされると一番迷惑なのはセラさんの方でしたわね」
冷たくそう言い放ち麗華はジッとセラを睨む。
麗華に睨まれてセラは耐え切れずに目を伏せてしまいそうになったが、それを堪えて、ただ「……すみません」と謝って麗華を見つめ返した。
……鳳さんが怒るのは当然だ。
感情に任せた勝手な行動をして事態をさらに混乱させた……それに、七瀬君も……
自分を庇った幸太郎の姿をセラは思い出し、胸の奥で何か締めつけられる痛みが走り、我慢していた感情が溢れそうになるがそれを必死に堪える。
二人の間に無言で気まずい空気が流れるが――「いい加減にしてくれたまえ」の、ヴィクターの心底呆れた様子の一言が沈黙を打ち破った。
「人を咎めることよりも先にやるべきことがあるはずだ」
教師であることを思い出せるかのような厳しい口調のヴィクターに、今するべきことを思い出した麗華は呆れたようにため息を漏らし、セラからヴィクターへと視線を移した。
「口頭でこの秘密研究所の場所を説明したからわかり辛かっただろう」
「問題ありませんわ……しかし、あなたが協力するとは思いませんでしたわ」
「まあ、これも縁というものであり、モルモット君の機転のおかげだ」
ヴィクターはポケットの中からおもむろに幸太郎の携帯を取り出して麗華に見せた。
「それは、確か七瀬さんの携帯ですわね」
「その通り! モルモット君はセラ君のポケットに自分の携帯を忍ばせていたのだ! 私が連絡すると見越して!」
「フン! 機転も何もただの運が良い偶然ですわ」
「そうでもないのだ! あのモルモット君には赤点免除の代わりに研究所の掃除を夏休み中にさせようと思っていたのだ。そのために今日、スケジュール確認の連絡をするつもりだったのだが、時間通りに連絡が来なかったのだ。痺れを切らして連絡したら出たのは彼女だったというわけだ」
「……フン! まあ、凡骨凡庸役立たずの七瀬さんにしては考えましたわね」
「まあ、モルモット君がそこまで考えていたのかどうかはわからんがね――とまあ、今はそんなことよりも状況を聞こうじゃないか!」
手をポンと叩いて、ヴィクターは話を一気に替えた。
「リクト君がモルモット君から聞いたと言っていたが、君は輝動隊隊長とともにこの事態を解決するために動いているらしいじゃないか! それで、何か進展はあったのかね?」
「これと言って進展はありませんわ……正直、無駄骨に近かったかもしれませんわね」
嵯峨隼士との会話を思い出し、麗華は疲れ果てたようにため息をついた。
そして、麗華はヴィクターとセラに、今日の自分の行動を話す。
大和はこの事態を治めるための鍵が特区にあるとして、最近起きた大きな事件の犯人たちに話を聞くべきだとして特区に向かい、一か月前の通り魔事件の犯人・嵯峨隼士に話を聞いたと説明した。そして、結局は無駄に終わったと。
「――結局、これと言って新しい情報はありませんでしたわ」
「過去の事件を調べ直すのは結構だが、本当にこの事態を収束させる鍵が特区にあるのだろうか甚だ疑問だ……正直、私はあの輝動隊隊長・伊波大和は信用できないのだ」
大和が信用できないと言ったヴィクターに、麗華は否定も肯定もしなかった。
麗華もヴィクターと同様、大和を信用できないと思っているからこそ反論しなかった。
だが、それでも麗華は――
「大和の判断は昔から間違いはありませんわ」
「……付き合いの長い君の意見を尊重し、私はこれ以上何も言わないことにしよう」
「そうしていただけるとありがたいですわ」
取り敢えずは納得してくれたヴィクターに麗華は安堵の表情を見せた。
そして、ふいに「そうでしたわ」と、何か思い出したかのように麗華は声を上げた。
「この騒動が起きる前に、ティアさんは嵯峨さんに面会に向かったそうですわ」
「……ティアが? そんなことはじめて聞きました。一体何のために……」
「嵯峨さんは一度ティアさんに不可解なことを聞かれたと言っていましたわ」
今まで麗華に対しての罪悪感で黙っていたセラだったが、ティアの名前が出た瞬間、罪悪感も忘れて真っ先に麗華に食いついた。
いきなり食いついてきたセラに、麗華は呆れたような視線を向けると、セラは慌てて「す、すみません……」と謝罪をしてすぐに居住まいを正した。
コロコロと態度を変えるセラに、麗華は思わず加虐心がくすぐられてつい意地悪したい気持ちになるが、それをグッと堪えて話を続ける。
「ティアさんは嵯峨さんにこう聞いたそうですわ――『死神は生きていると思うか』と……死神を倒したあなたなら何か心当たりはあるのではありませんか?」
「死神を? ――なるほど、君が……」
ティアの質問の意味を麗華は四年前に死神を倒した張本人であるセラに尋ねる。
死神を倒した人物は、四年前の事件を多くの輝石使いたちに思い出させて恐怖心を煽られるという理由で秘匿されており、今目の前にいるセラがその秘匿されている人物であることに驚いているヴィクターをよそに、セラはティアの言葉の意味を考えていた。
どうしてそんなことをティアは聞いたんだろう……
あの時、ティアは目の前ですべてを見ていたはずだ。
それに、ファントムの最期だって……
考えていても答えが出なさそうなセラの様子に、麗華は諦めたようにため息を漏らす。
「……やはり、嵯峨さんと話したのは無駄だったようですね」
「すみません……でも、よく知っていましたね、四年前のことを」
「事前に七瀬さんから聞いていましたわ。さすがの私も最初に聞いた時は驚きましたわ。お父様から何度か死神を倒した人物について尋ねましたが教えてもらえず、ほんの一部の極僅かな人間にしか知らない情報でしたので。それがまさか、私が風紀委員として選んだあなたが倒したとは……まあ、あなたを風紀委員に選んだ私の目に狂いはなかったというわけですわね! オーッホッホッホッホッホッホッホッ!」
得意げに胸を張って気分良さそうに高笑いをしている麗華だが、そんな彼女とは対照的に、死神を倒したことを得意気に語るわけでもなくセラの表情は依然と暗いものだった。
「でも、結局はティアと……優輝の力があって倒したんです。私一人では倒すことはできなかった。二人の協力を得て、私は決定打を与えることができたんです――だから、正確には『私』ではなく『私たち』が死神を倒したんです」
「随分と謙遜しますのね。もっと自慢してもよろしいのに」
「一人ではどうにもならなかった相手ですから……だから、他の人に説明する時は『私たち』が倒したと言っているんです。すべてを話せば無駄に周囲を騒がせるだけと、師匠やティアに言われているので……まったく、ティアも自分から黙っていろと言ったのに……」
ブツブツと小声で文句を言っているセラに、麗華は「ティアさんではありませんわ」と、ティアのフォローをする。
「私は七瀬さんからその話を聞いたのですが、彼は優輝さんから話を聞いたらしいですわ」
「……優輝が七瀬君に?」
優輝と幸太郎の名前を出した瞬間、セラの表情はさらに暗くなり、無言になり、微かに刺々しい空気を放っていることに麗華は気づいた。
優輝に対して激しい怒りを抱き、幸太郎に関しても罪悪感を覚えているセラに対して、二人の名前を軽々しく口に出したことに、麗華は地雷を踏んでしまった思った。
「ま、まあ、明日になったら七瀬さんは輝士団の拘束から解かれるので、問題はありませんわ! 明日は七瀬さんが戻ったらゆっくり今後のことを考えますわよ!」
慌てて麗華は不器用なフォローをするが、セラは心ここにあらずといった様子でボーっとしていて、一拍子遅れて麗華のフォローに反応した。
「……七瀬君、大丈夫でしょうか」
「あの能天気男を心配するだけ損ですわ」
冷たくそう吐き捨てる麗華だったが、ほんの僅かなら幸太郎のことを心配しているようであった。
……七瀬君。
そんな素直ではない麗華とは対照的にセラは自分のことを庇ってくれた幸太郎のことで頭がいっぱいになっていた。
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