第10話

 教皇庁からだいぶ離れても、リクトはセラの手を引っ張って走っていた。


 必死に走っているが、二人を追いかける人は誰もおらず、行き交う通行人たちはセラの手を引っ張って走っているリクトを不思議そうに見つめていた。


 リクトに手を引っ張られているセラは、なすがままの状態で彼に手を引っ張られていた。


 教皇庁があるセントラルエリアからそれなりに距離が離れているノースエリアの境目に到着して、ようやく気が落ち着いたのか、リクトは立ち止まった。


 軽く息が上がっているリクトとは対照的に、まったく息が上がっていないセラは顔を俯かせて暗い雰囲気を漂わせていた。


「こ、ここまで離れればひとまずは大丈夫でしょうか……」


 追手がいないか周囲を見回し、誰もいないことを確認したリクトは安堵したように深々とため息を漏らし、全力疾走して軽く上がっていた息を整える。


「セラさんを匿う場所を探さないと……セラさんの部屋はきっと輝士団の人たちにマークされて使えないだろうから……この後は何も考えてない、どうしよう……」


 後先のことを何も考えず、ただ勢いのままにセラを連れて教皇庁本部から逃げ出した自分の無計画さと、先行き不安な状況にリクトの表情に陰りが差し、縋るような視線をセラに向けるが、彼女は相変わらず俯いたまま何も考えていない様子だった。


「セラさん……セラさん!」


「え……あ、はい、何でしょうか」


 リクトの呼びかけに一拍子遅れて反応するセラ。


「勢いでセラさんを連れ出して教皇庁から離れたまでは良いんですが……これから先は何も思いつかなくて……ど、どうしましょう……」


「……リクト君、あなたはすぐに教皇庁に戻るべきです」


 不安そうな表情でオドオドしているリクトにこれからのことを質問されるセラだが、落ち着いた――というよりも、諦めた様子で即答する。


 そんなセラの返答に「ど、どうしてですか!」と、リクトは納得していない様子だった。


「リクト君は教皇・エレナ様のご子息で、教皇庁次期最有力候補です。立場を考えれば今リクト君がしている行動の結果、事態はさらに混乱する可能性もあります」


「そ、それならこれからセラさんはどうするつもりなんですか!」


「……機を見て、私は輝士団に出頭します」


 投げやりな様子のセラの答えに、リクトは批判的な目で彼女を見つめる。


「さっきも言ったはずです! 今セラさんが捕まってしまえば、もっと事態は悪くなると」


「ですが、優輝の意見も一理あります。今はお互いの組織の不満を煽るべきではありません。私自ら出頭することで仇討ちは無意味だということを周囲に証明させて、不満が少しでも軽減されるかもしれません……」


「確かにそうですが……セラさん、自暴自棄になっていませんか?」


 自暴自棄になっていると指摘され、セラは無言のまま否定も肯定もしなかった。


「しっかりしてください!」


 無言を肯定と見なしたリクトはセラの肩を掴んで、自暴自棄になっている彼女に喝を入れるように声を荒げた。


 セラを見つめるリクトの目は怒っているようでもあり、懇願しているようだった。


「これでは、幸太郎さんの想いが無駄になってしまいます!」


 自分を庇って負傷した幸太郎のことを思い出し、セラは辛そうに目を伏せる。


 幸太郎の名前が出た途端、目を伏せて逃げ出しそうな気持ちでいっぱいになるセラを見透かしたように、リクトは「セラさん!」と、怒気を含んだ声で彼女の名前を叫ぶ。


 セラはおずおずと、怯えきっている少女のような表情でリクトを見つめた。


「幸太郎さんはセラさんのために……事件のことは麗華さんに任せて、幸太郎さんはセラさんのためだけに行動しているんです」


「七瀬君……私のなんかのために……」


 幸太郎が自分のためだけに行動しているということを教えられ、セラは若干の照れと心強さを覚えるが、それ以上に不安と罪悪感が自分に重くのしかかる。


「僕は幸太郎さんの気持ちに応えるため、前に僕を助けてくれたセラさんたちに恩返しをするため――それ以上に友達のために! 僕はこうして後先考えない行動をしています!」


 力強くそう宣言して、リクトはセラの肩を掴んでいた手を放して、深々と頭を下げる。


「でも、僕のことなんてどうでもいいんです! ――自分の身を犠牲にしてでもあなたを守った幸太郎さんの想いは無駄にしないでください」


 ……七瀬君や鳳さんだけじゃない。リクト君も私のことを心配してくれている……

 そんな人たちの気持ちを私は裏切ってしまった……


 力強い目で自分を見つめながら懇願してくるリクトに、セラは心強さを覚えると同時に、強い罪悪感を覚え、リクトの視線から逃れるようにセラは目をそらした。


「……わかりました、リクト君に従います」


 顔を俯かせて、消え入りそうな声でセラはリクトに従うことを了承する。


 セラが自分に従ってくれることに安堵の息を漏らすリクトだが、顔を俯かせているセラの表情は自分自身への怒りと苛立ちに満ちていた。


 ……私は最低だ。

 裏切った人たちの罪滅ぼしをするわけでもなく、私は助かろうとしている。

 そして、あわよくばまた自分勝手な行動をしようと考えている。

 私は最低だ……


 自分勝手な行動を反省し、後悔しながらも、セラは優輝への憎しみが消えない自分に嫌悪と苛立ちを抱く。


「取り敢えず、今は隠れる場所を探しましょう。セラさん、どこかしばらくの間隠れられる場所に心当たりはありませんか?」


「……そうですね」


 リクトの質問を考えているセラだが、いいアイデアが中々見つからなかった。


 それでも、セラは諦めずに深く考えていると――思考を邪魔するかのように、スカートのポケットの中が突然激しく震え、集中していたセラは「ひゃっ!」と、素っ頓狂な声を上げて、慌てた様子でポケットの中で激しく震える物体を取り出した。


 ポケットの中で震えていたのは携帯電話だった。


 教皇庁に乗り込む際、不必要なものは携帯を含めてすべて置いてきたので、自分のポケットの中に携帯が入っていることにセラは驚く。


「……それは、幸太郎さんの携帯? どうしてセラさんが……」


「わ、私も見当が――もしかして、あの時に――……」


 セラが取り出した携帯を一目見て幸太郎のものであると気づいたリクト。


 セラは自分を庇った幸太郎を抱き起した時の光景が頭に過り、その時に自分のポケットの中に幸太郎が携帯を忍ばせたのではないかとセラは推測する。だが、推測しても幸太郎の目的がわからなかった。


「どなたから連絡が来ているんですか?」


「……私たちの担任、ヴィクター・オズワルド先生のようです」


「ヴィクター先生? そういえば、あの時……」


 リクトは自分と幸太郎が話している最中、「あ、でも博士――」と言って、慌ててポケットの中から何かを取り出そうとして、セラが現れたことを思い出す。


「と、取り敢えず出た方がいいのでしょうか……」


「ど、どうなんでしょう……でも、幸太郎さんにとって何か重要な連絡なら、今の幸太郎さんの状況を説明した方が良いと思います……連絡に出なかったら後が怖そうですし」


「そ、そうですよね……人体実験とかされそうですからね……」


 不穏なことを口走りながらセラはヴィクターからの電話に出ると――

『ハーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!』


 受話器から気分良さそうなヴィクターの高笑いが響き、セラは思わず通話を切りそうになるが、それを堪える。


『連絡が遅いじゃないかモルモット君! 今日は赤点免除の代わりに、夏休み中に課した各エリアに隠されている秘密研究所の清掃についての話し合いをすると言ったではないか!』


 豪快な高笑いの後、ヴィクターの文句が受話口から響いてきた。




―――――――――――




 輝士団本部内にある取調べ室――


 昨日、風紀委員の一人であるセラに事情聴取をした取調べ室に今度は幸太郎がいた。


 幸太郎の側頭部には乾いた血で貼りついているガーゼ、顔には痛々しい痣が複数あり、口元には乾いた血がこびりついて、鼻の片方の穴には丸めたガーゼが詰め込まれていた。


 セラを庇った時に負った怪我もあるが、怪我のほとんどはリクトとセラを追いかけようとした輝士団や警備員たちを少しでも足止めした結果負ったものだった。


 逃走幇助をした幸太郎は軽い治療の後に両手首に結束バンドのような手錠をかけられ、そのままの状態で取調べ室まで向かい、取調べ室の椅子に座らされた。


 狭く、薄暗い取調べ室の空間で幸太郎以外には、幸太郎と大きな机を挟んで向かい合うようにして座っている輝士団団長の久住優輝、彼の隣の椅子に座っている水月沙菜、そして、二人から一歩引いて椅子に座らず立っている大道共慈がいた。


 主に沙菜が事情聴取を進め、残りの二人は彼女と幸太郎の様子を黙って見ていた。


 沙菜主導の取調べを受けてもう一時間近く経つが、どうして教皇庁に来たのか、どうしてセラを助けたのか、事件について何か知っていることはあるのか――等の質問は、幸太郎は隠すことなく正直に答えたため、事情聴取はスムーズに進んだ。


 怒り心頭の沙菜の取調べは厳しいものだったが、スムーズに進み過ぎて、もう質問することがなくなり、取調べ室内は沈黙が流れていた。


 呑気で締まりのない顔を浮かべながら、次の質問を待っている幸太郎に沙菜は複雑そうな表情を浮かべながらも鋭い視線を向けていた。


「……取り敢えず、事情聴取は終わりです」


「お疲れ様です。迷惑かけて本当にすみませんでした」


「わかっているのなら、金輪際こんなことはしないでください」


 反省していなさそうな幸太郎に沙菜は強い苛立ちを覚えるが、幸太郎のペースに乗せられないよう小さく深呼吸をして気分を落ち着かせる。


「もう帰ってもいいんですか?」


「あなたは輝士団団長を襲った犯人の逃走を幇助しました。処分が決まるまで輝士団内にある拘留施設に入ってもらいますので、しばらくは帰れません」


「一日三食ちゃんと出ますか?」


「いい加減にしてください!」


 自分の置かれた状況をまったく理解していない幸太郎に沙菜は我慢の限界が訪れた。


 苛立つ自分の感情をぶつけるように、沙菜は机を思いきり殴りつけて幸太郎を睨む。


 過去の事件で沙菜は幸太郎に重傷を負わせてしまったことがあるため、多少の負い目と遠慮はあったが、今の沙菜は激しく怒っており、遠慮なく幸太郎を威圧していた。


「沙菜、落ち着くんだ」


「す、すみません……」


 そんな沙菜を落ち着かせるように、優輝は彼女の肩に優しく触れた。


 優輝に肩を触れられ沙菜はウットリとした表情で頷き、一気に平静に戻った。


 沙菜を落ち着かせた優輝は幸太郎に視線を移す。幸太郎に対して呆れているような、怒っているような、それでいて感謝をしているような目を向けた。


「幸太郎君。君も理解しているだろうが、現在セラは非常に危うい立場にいる」


 今まで取調べを大道とともに黙って見ていた優輝がはじめて幸太郎に話しかける。


「俺を襲ったということだけじゃない。教皇庁は、教皇エレナ様の息子であるリクト様がセラを連れて逃げたという事実を周囲に隠すため、セラがリクト様を人質に使って逃げたことにするつもりだ」


 セラが置かれている厳しい現状を説明する優輝の口調は重く、顔も俯き加減で暗い雰囲気を放っていた。そんな優輝を幸太郎はジッと見つめていた。


「不用意なセラの行動で輝士団の緊張はさらに高まり、輝動隊との小さな諍いも現段階でかなり増え続けている。このままでは収拾がつかなくなって、最悪な事態になる」


「どうにかなりませんか?」


 幸太郎の質問に優輝は難しい表情を浮かべ、拳を悔しそうにきつく握り締める。


「今はできる限りの最善を尽くす――これだけしか言えない」


「そうですか」


 幸太郎の質問が終わり、再び沈黙が訪れる。


 だが、すぐに「質問いいですか?」と、幸太郎が優輝に再び質問をする。


「ティアさん、元気ですか?」


「命に別条はない。今は眠っているがすぐに目を覚ます」


「よかったです。ティアさんとは会えませんか?」


「悪いがそれはできない」


「そうですか……最後にもう一つ質問良いですか?」


「ああ、構わない」


「襲われたとしても、どうしてティアさんと戦ったんですか? ティアさんは優輝さんの友達なんですよね? それなのにどうしてですか?」


 何気なく核心を突いてきた幸太郎の質問に優輝は押し黙ってしまう。


 辛そうな、悲しそうな表情を浮かべ、その表情を隠すように優輝は顔を俯かせる。


 そんな優輝を見ても、特に幸太郎は気にすることなく質問を続ける。


「逃げるって手もあったのにどうして逃げなかったんですか? 説得はしたんですか? したならどんな説得をしたんですか? それと――」


「もういい加減にしてください!」


 純粋な疑問をぶつけ続ける幸太郎を遮るように沙菜の怒声が響き、座っていた椅子が倒れるほど勢いよく沙菜は立ち上がって両手で机を殴りつけた。


「それなら、ティアさんこそどうして団長を襲ったんですか? どうして、ボロボロになるまで戦い続けたんですか? 輝士団団長を襲うことがどんなことなのか、わかっていたハズなのに、どうしてこんなことをしたんですか? どうして……どうして、幼馴染である優輝さんを――」


「もういい、沙菜」


「団長ばかり辛い思いをするのは納得できません!」


「もういいんだ」


 怒っているが、それ以上に嫉妬をしているかのような沙菜は、叫び声にも似た怒声で幸太郎に反論させない勢いで一気に捲し立てて質問攻めをする。


 徐々にヒステリックになる沙菜だが、そんな彼女を優輝は制す。


 落ち着きつつも沙菜は憎悪を宿した力強い目を幸太郎に遠慮なく向ける。


「気を悪くしてごめんなさい、水月先輩、優輝さん」


 言い過ぎたと思った幸太郎は沙菜と優輝に深々と頭を下げて謝る。


 すると、沙菜はバツが悪そうな顔になってソッポを向いた。


 刺々しく、重苦しい雰囲気だった室内が幸太郎の謝罪で若干和らいだ。


 すっかり毒気が削がれた沙菜を見て、ずっと辛そうな表情を浮かべていた優輝に安堵が戻ってくるが、すぐにそれは消え、意を決したように「幸太郎君」と幸太郎に話しかけた。


「君の質問だが……仕方がなかったんだ」


 深くは答えず、幸太郎の質問に短く「仕方がなかった」と答える優輝。


 短い言葉だったが、言葉の端々に深い悔恨が見え隠れしていた。


「すべては俺の責任だ。だからこそ、俺はすべての決着をつけなければならない」


 自分に言い聞かせるようにそう言うと、今までずっと辛そうな顔を浮かべていた優輝の顔に強い覚悟の光が宿る。


「ティアやセラのことは俺に任せてくれ」


 呟くような声だが迷いがなく、自分に言い聞かせるように、そして、幸太郎やこの場にいないセラやティアに宣言するように力強くそう言った。


 そして、優輝は席から立ち上がり、部屋を出ようとする。


「これで事情聴取は終わりだ。すまないが、君はしばらくここに拘留することになる……だが、その前に――沙菜、共慈さん、怪我の治療をしっかりさせるために幸太郎君を医務室に案内してあげてくれ」


 そう言い残して、優輝は部屋から出て行った。


 取り残された沙菜と大道を見つめて、幸太郎は椅子から立ち上がって軽く頭を下げる。


「医務室の案内よろしくお願いします」


 締まりのない表情で緊張感のない幸太郎はそう言って頭を下げ、沙菜と大道は呆れたように小さくため息を漏らした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る