第8話

「久住優輝!」


 教皇庁本部のエントランスに輝士団団長・久住優輝の名前を叫ぶ怒声が響き渡る。


 その声の主は高等部女子専用の制服姿のセラ・ヴァイスハルトだった。


 自身の武輝である剣を握ったセラは多くの輝士団に囲まれた久住優輝に向かい合うように立っていた。


 セラが武輝を持っていることに気づいた人は悲鳴と怒号を上げ、優輝を囲む輝士団と周囲の警備員はすぐに輝石を武輝に変化させてセラを囲んだ。


 数十人以上に囲まれ、数だけ考えれば圧倒的不利な状況だが、セラは表情一つ変えず、目の前にいる久住優輝だけを憎悪と殺意が込められた目で睨んでいた。


「……セラ」


 憎しみを込められた目でセラに睨まれ、その視線から逃れるように目を伏せ、辛そうな表情を浮かべている優輝はセラに震えた声で声をかけるが、セラは何も応じない。


 口を開く代わりに、自身の手に持つ武輝の切先と、敵意と殺意を優輝に向けるセラに高まっていた緊張感がさらに高まり、彼女を囲んでいる輝士団と警備員たちは息を呑む。


 優輝に鋭い眼光と武輝の切先を向けながら、セラは昨日から今までの自分を振り返る。


 ……昨日からずっと考えていた。

 でも、友達が心配していても、心配する友達を裏切っても、もう止まれない……


 激情を抱いているセラだが、不思議と彼女は内心では冷静だった。


 理由を考えると、すぐにセラは答えを出した――優輝はまた自分たちを裏切ると思っていたからこそ、その姿を想像できたからこそ冷静でいられたことに。


 四年前から、そして、再び優輝と出会った時から、こうなるのは予想ができた。


 だからこそ、セラは自分でも驚くほど冷静でいることができた。


 本来なら、優輝の家を襲撃することと、多少無理してでも輝士団本部か教皇庁本部を襲撃して優輝の居場所を問い詰めようと考えていたが、冷静でいられたことによってどうにかして関係のない多くの人を巻き込む行動を自制できた。


 昨日までの自分の気持ちを思い返し、改めてセラは覚悟を決めた。


 今にも飛びかかりそうなセラに、彼女を囲む多くの警備員と輝士団は緊張感が高まるが、そんな彼らを優輝は手で制し、恐れることなくセラに近づいてきた。


「……セラ、どうしてここに……」


 沈痛な面持ちの優輝の質問に、セラの頭の中に水月沙菜の言葉が蘇る。


『無駄です。優輝さんは今あなたでも簡単には手を――』


 取調べを終えた時、セラが優輝の居場所を尋ねた時に言った沙菜の言葉と、その時の彼女の表情――まるでヒントを与えて挑発しているような笑みを浮かべていた。


 沙菜の言葉を参考にして、セラは優輝の居場所を推理した。


 鳳グループ本社、輝士団・輝動隊本部、教皇庁本部、特区、グレイブヤード――様々な場所がセラの頭の中で浮かんだ。


 鳳グループに関連する場所は除外して、一部の人間にしか入れない場所も除外――残る場所は教皇庁に関連する施設、その中でも攻め入るのは難しい場所――


 輝士団本部には多くの実力者がいるが、それ以上に教皇庁の中でも枢機卿や教皇等教皇庁の中でも重要人物たちが集まる教皇庁本部の方がもっとも攻め入るのが難しいのではないかと思ったセラは、根拠が乏しいが教皇庁本部に優輝が匿われていると判断した。


 教皇庁本部に入る輝士団の学生たちの団体に紛れてエントランスに侵入するために制服を着て、エントランス内で身を隠しながら警備の隙を慎重に伺い、教皇庁本部内部に侵入しようとしていた。


 しかし、中々警備が隙を見せずにそれができなかった。


 だが、ここで事態が一気に急転した。


 優輝が突然複数の輝士団団員に囲まれて、エントランスに現れたからだ。


 願ってもない好機に、セラは激情のままに行動して今に至る。


「……お前の気持ちは理解できる。だが、今の状況を見てくれ」


 武輝を持った多くの警備員、輝士団に囲まれている周囲の状況を見るように促す優輝だが、優輝への憎悪しか抱いていないセラには周囲を気に留めることはなかった。


 ……お前の気持ちは理解できる?

 ――そんなの……そんなの!


「ふざけるな」


 優輝の一言にセラは自身の中にある憎悪と激情の炎が激しく滾ったのを感じた。


 セラの短い一言の中に自身への激しい怒りと憎悪、そして拒絶が含まれていることに気づいたのか、優輝の表情はさらに暗くなり、今にも崩れ落ちそうになっていた。


「仕方がなかったんだ」


「四年前と同じ言い訳だな」


「今は落ち着いてくれ。お前もわかっているだろう、今のアカデミーの状況を」


「わかってる……優輝がまたティアを傷つけて、私たちを裏切ったことも含めて全部!」


 怒声を張り上げ優輝に向けた武輝である剣を薙ぎ払うように振う。


 怒りに任せて思いきり薙ぎ払った剣は凄まじい風を生み、優輝を含めてセラを囲む武輝を持った警備員や輝士団たちは吹き飛ばされそうになるがそれを堪える。


 目の前で剣を振られ、薄皮一枚切れた優輝の頬に一筋の少量の血が流れたが、優輝はそれを気にして拭き取ることはしなかった。


「それについては後で必ず説明する! だから今は落ち着いてくれ! 教皇庁に匿われていた俺が出てきたのは少しでもこの状況を治めるためだ! この状況でお前がティアと同じ感情に任せた行動をしてしまえば事態はさらに混迷を極めることになるんだぞ!」


「信用できるはずがない」


「仕方がなかったんだ……あの時、ティアを止めるには――」


「四年前のように、力づくで止めるしかなかった?」


「……すまない」


 その言葉に優輝は何も言い返せず、ただ謝罪の言葉を述べることしかできなかった。


 もういい……もういい――

「もう、あなたの言い訳は聞き飽きた」


 今にも泣き出しそうな顔をセラは優輝に向けた瞬間――

 セラは武輝を持つ手に力を込め、大きく一歩を踏み込もうとする。


 ティアと戦ったことを仕方がないの一言で終わらせ、ティアのことよりも混乱しているアカデミーのことを心配している優輝にセラはもう激情を抑えることができなくなった。


 セラは怒りのままに優輝に飛びかかろうとした。


 優輝はセラが自分に向けて飛びかかろうとしていることを察しており、セラに向けて辛そうであり、諦めたかのような視線を向けて何も抵抗することはなかった。


 激情に従い、力強い一歩を踏み込もうとした瞬間――

「セラさん」


「……七瀬君」


 武輝を持った警備員や輝士団をかき分けて七瀬幸太郎が現れ、セラと優輝の間に立ち、優輝に飛びかかろうとしていたセラの動きが急停止する。


 遅れてリクトも登場するが、セラと優輝を交互に見て息を呑み、ただ二人の様子を不安そうに見つめることしかできなかった。


 幸太郎の姿と、相変わらずの呑気そうな声で自分を呼ぶ彼の声に、優輝への激情に支配され、周囲を気にも留めなかったセラは反応し、失いかけていた理性を取り戻して動きを止めた。


 自身を囲む警備員や輝士団の人間に恐れを抱かせるほどの優輝への激しい怒りと憎悪に満ち溢れている険しい表情のセラだが、幸太郎は恐れることなく彼女をジッと見つめた。


 幸太郎の登場に驚きながらも、自分をジッと見つめる彼の視線から逃れるように、セラは俯き、武輝を持っている手が微かに震え、彼女の中にあるものが揺らぎはじめる。


「そこをどいてください」


 無理矢理抑え込んでいる感情が噴き出しそうになるが、それを必死に堪えて、震えた声でセラは幸太郎に命令するように言った。だが、幸太郎はセラの前に立ったまま動かない。


「アイスでも買って食べながら一緒に帰ろうよ、セラさん」


 相変わらずの幸太郎にセラは睨んで凄んで見せるが覇気はなく、強がっているのは一目瞭然で、まるで今にも泣きだしそうな少女のような表情だった。


「そこをどいてください、七瀬君――……お願いだからそこをどいて!」


 慟哭にも似た怒声を張り上げるセラだが、幸太郎はセラの前から動くことなく、ただ彼女に向けて柔らかい笑みを浮かべて手を差し伸べた。


「一緒に帰ろうよ、セラさん」


「彼の言う通りだ……今は大人しく退いてくれ、セラ」


 手を差し伸べる幸太郎の一言に、セラは思わず差し伸べられた手を掴みそうになる――しかし、寸でのところで優輝の声が消えかけていた激情を再燃させる。


「幸太郎君! 下が――」


 失いかけていたセラの闘志が再燃したことにすぐに察知した優輝は、咄嗟に幸太郎に注意を促す――しかし、幸太郎はセラに向かって飛びかかった。


 突拍子のない幸太郎の行動にセラはもちろん、この場にいる全員不意を突かれる――

 しかし、セラはすぐに幸太郎の瞳に映る、自分の背後で今にも武輝である大槌を振り下ろさんとする巨漢の輝士団の姿に気づいた。


 すぐに背後を振り返るセラだが、振り下ろされた武輝は目前に迫っていた。


 咄嗟に回避行動を取ろうとするセラだが、気づいた時にはもう遅かった。


 しかし、幸太郎が飛びかかったことで、セラは幸太郎に庇われる形で床に突っ伏した。


「何をしている! 攻撃の許可はした覚えはないぞ!」


「七瀬君……七瀬君!」


「幸太郎さん! 幸太郎さん! しっかえいしてください!」


 優輝の怒声が響くと同時に、今まで不安そうに状況を見つめていたリクトははじめて大声を出して幸太郎の名を叫び、彼と同じくセラも幸太郎の名を叫ぶが、返事の代わりに小さな呻き声が彼の口から洩れた。


 直撃コースの攻撃は幸太郎が飛びかかったことでセラは無事だったが、幸太郎は違った。


 セラの胸元に顔を埋めている幸太郎の表情は至福のものではなく苦悶の表情を浮かべ、側頭部には血が流れていた。傷口は深いものではなく、傷口が頭だったために血が派手に出ているだけだが、傷の具合を確認する余裕はセラにはなかった。


「……リクト君、七瀬君をお願いします」


「セラさん、一体何をする――」


 リクトの言葉を無視して、幸太郎を彼に任せて立ち上がった瞬間、何の予備動作もなくセラは幸太郎に攻撃を仕掛けた輝士団団員に向けて思いきり武輝を振う。


 怒りのままに振られた鋭く、素早いセラの攻撃は輝士団団員には――届かなかった。


 セラの武輝の刃は輝士団の眼前で急停止した。


 眼前の刃に輝士団団員は恐怖で腰を抜かして尻餅をついた。


 激情のままにセラは攻撃を仕掛けたが、寸前で理性が戻った。


 攻撃を仕掛けた瞬間、自身を制止させるようにスカートの裾を弱々しい力だが、今自分が出せる精一杯の力で幸太郎に掴まれたからだ。


「……七瀬君」


「セラさん……ダメだって」


「喋らないで……お願いですから無理をしないでください……」


 セラは怒っているが辛そうな、複雑な感情と迷いを抱いている表情で幸太郎を見つめると、幸太郎は怪我の痛みを明らかに堪えているが、それでもセラを安堵させるような、弱々しくも力強いニッコリとした笑みを浮かべた。


 その笑みを見て、セラは自分を支配していた激情が徐々に治まり、手にしていた武輝が弱々しく発光した後にチェーンにつながれた輝石に戻った。


 それと同時に、セラから放たれていた殺気に尻込みしていた輝士団たちは、我に返った様子で武輝を強く握り、セラに対して強い敵対心と警戒心をぶつける。


「セラ、悪いが今のお前は危険だ……捕まってもらうぞ」


 自身の武輝である刀を手にした優輝は感情を必死に押し殺した声でセラにそう告げた。


「今は治安維持部隊同士が全面衝突寸前の状況をどうにかしなければならない。その後で、お前の話をちゃんと聞いて、ティアの情状酌量を上に求める……だから頼む、今は大人しくしてくれ」


 ……そんなこと、わかってる……でも――


 優輝の言葉に、沸々と怒りが再燃しはじめるセラだが――「ちょっと待ってくださいよ!」と、彼女の代わりに床に座って幸太郎を介抱しているリクトが怒声を上げる。


「今のアカデミーを治めるために何をするのかはわかりませんが、今の状況でセラさんを捕えてしまえば、ティアさんの友人であるセラさんが優輝さんに仇討ちを仕掛けたとして、輝動隊側の士気が悪い意味で上がります! ――それに、セラさんはあなたの友達なんでしょう? それなのに、どうして簡単に捕まえるって言うんですか!」


「リクト様の仰る通りですが――輝士団団長として、私情を挟むことはできない……今セラを見逃してしまえば、輝士団団員たちの不満も無駄に煽ってしまうことになる」


 リクトの訴えに優輝は辛そうに目を伏せながらも判断を曲げなかった。


「リクト様、そこをどいてください」


「できません」


「あなたの今の行動がどれほどエレナ様の頭を悩ませるのか、考えてください」


「それでも――僕は友達を守る!」


 断固として譲らない強い意志が込められた双眸で優輝を睨むリクト。


 しばらく睨んだままの状態が続いていたが、ふいにリクトは自身の手の中にいる苦悶の表情を浮かべている幸太郎を見つめ――リクトは力強く頷いた。


「……すみません」


 幸太郎にしか聞こえないほどの呟くような小さな声で、リクトは幸太郎に向けて謝罪の言葉を述べ、彼の身体をそっと丁寧に床に置いて立ち上がった。


 立ち上がった瞬間、リクトはセラの手を掴み――そして、周囲を囲む輝士団と警備員たちをかき分けて、この場から立ち去ろうとする。


 突拍子のないリクトの行動に不意を突かれる輝士団と警備員たちだが、セラを連れて逃げようとする教皇の息子を無理矢理制することはできなかった。


 しかし、それでも追いかけることをした、一人の輝士団の男が躓いて無様に倒れた。


 輝士団の男は足元を見ると、今まで苦悶の表情を浮かべて倒れていた幸太郎が、不敵な笑みを浮かべて自分の足に絡みついていた。


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