第6話

 二時間目の授業が終わり、幸太郎は大きく欠伸をして身体を伸ばした。


 授業といっても、夏休みが目前に迫っているので一学期の授業はほとんど終わっており、授業は一学期目の総復習を簡単にするだけで、今日から授業は短縮日課で午前中に終わる。


 普段よりもだいぶ早く学校が終わるので、早めの昼食にありつけることに幸太郎は喜び、何を食べようかと考えていた。


 しかし、ふいに視線に入った空席に、昼食のことを呑気に考えていた幸太郎の表情に若干の陰りが差した。


 ……セラさん、今日学校来ないのかな。


 幸太郎の視線の先にある空席はセラの席だった。


 入学してから今まで無遅刻無欠席のセラだが、彼女は学校に来ていなかった。


 朝のHRの時に担任であるヴィクターもセラがまだ来ていないことに驚いていた。


「セラさん、まだ来ていないみたい……今日は来ないのかな」

「セラ、大丈夫かな。やっぱり、昨日のことが……」

「それはそうよ。ティアさんって、セラさんの友達なんでしょ?」

「だから昨日、セラが輝士団に連行されたのか。でも、あれって、ティアさんが……」

「ああ、そのせいで輝動隊と輝士団の連中、昨日からかなりピリついてるらしいぞ」

「昨日、アカデミー都市のあちこちで輝士団と輝動隊の喧嘩があったんだってよ」


 セラの友人たちも全員何か訳があっての遅刻だろうと判断していたが、二時間目の授業が終わっても学校に来ないので遅刻ではないと判断し彼らは口を揃えて、セラのことを心配していた――それは幸太郎も同じだった。


 幸太郎は昨日、自分の前から逃げるように立ち去ったセラのことを思い浮かべ、おもむろに携帯を取り出して画面を見る――今日、セラが学校に来ていないことに心配した幸太郎は、彼女に「大丈夫?」と短い文章のメールを送ったが、返信はない。


 ……大丈夫かな、セラさん。


「……ちょっと、七瀬さん」


 頬杖を突きながら昨日のセラの姿を思い浮かべながら幸太郎に、柔らかく、穏やかそうでありながらも、確かな棘と静かな怒りが込められた声で麗華が話しかけてきた。


 幸太郎は声をかけてきた麗華に視線を向けると、彼女は幸太郎の席の前で腕を組み、仁王立ちをしていた。


 幸太郎に話しかけた麗華の声は穏やかそのものだったが、仁王立ちしている麗華は怒りのオーラを全身に身に纏っていた。


「どうしたの、鳳さん」


 明らかに怒っているにも関わらず、幸太郎は平然とした様子で麗華に話しかけた。


 そんな幸太郎に向けて、一度ニッコリとした眩しいくらいの笑みを浮かべた後――

「どうしたもこうしたもありませんわぁあああああああああああ!」


 幸太郎の前にある机を思いきり殴りつけるとともに、高等部の校舎中に響き渡りそうなほどの麗華の怒声に、幸太郎はもちろん教室内にいるクラスメイトたちは耳を塞いだ。


 僅かに残った理性で、興奮した自分を鎮めるために麗華は何度も深呼吸をして平静を取り戻し、ようやく落ち着いた麗華は怒りの炎が滾る双眸で幸太郎を睨む。


 呑気な幸太郎もさすがに怒りに満ち溢れた目で麗華に睨まれて、息を呑んでしまった。


「何度も連絡しても無駄でしたので、ドレイクに命令してセラさんが暮らしている寮に向かわせましたが、セラさんは部屋にいないとのことですわ! セラさんを制することが重要であると、私は三歩歩いたらすぐに忘れるような鳥頭――いいえ、それ以下の空っぽのあなたの頭に刻み込むように強調しましたわ! 忘れたとは言わせませんわ!」


 激情のままに捲し立てて、ビシッと音が出る勢いで幸太郎を指差す麗華。


「セラさんから信頼を得ている以外、何の取り柄もない足手まといで役立たずの凡骨凡庸凡人のあなたでも簡単にできると思ったからこそ、セラさんのことを頼んだのですわ!」


 麗華の言葉に幸太郎は再び昨日のセラの様子を思い浮かべる。


 辛そうで、怒っているようで、何かを決心した様子のセラ。


 そして、ギリギリ聞こえるほどの小さな声で一言「すみませんと」謝って自分の前から逃げるように立ち去ったセラのことを。


「昨日の段階で輝士団と輝動隊同士の小競り合いが普段の倍以上! あっという間に激化しましたわ! 現在、輝士団と輝動隊は完全に抗争状態! こんな状況でセラさんが余計なことをすれば事態はさらに最悪になりますわ!」


 治安維持部隊同士がぶつかり合うことによって発生するアカデミー都市内の大規模な争いを不安視するからこそ、セラを制止できなかった幸太郎に麗華は激昂していた。


 そんな麗華を傍目に幸太郎はセラのことしか考えていなかった。


「それなのにあなたは――……まったく! セラさんもセラさんですわ! こんな状態で余計なことをすれば、どんなことになるのかわからない方ではありませんのに!」


「鳳さんはセラさんを止められた?」


「そ、それは……」


 何気ない純粋な幸太郎の疑問に麗華は痛いところを突かれてバツが悪そうな顔になるが、「シャーラップ!」の怒声で誤魔化した。


「と、とにかく、授業が終わったら、すぐにドレイクと同じようにあなたもセラさんを探しなさい! わかりましたわね! これ以上不始末をするのであれば、今度こそ風紀委員をクビにしてやりますわ! いいですわね! 返事をしなさい!」


「ドンと任せて」


「どの口がそれを言いますの! どの口が! ――まったく!」


 痛いところを突かれた麗華は動揺を隠すように怒声を張り上げてそう宣言して、ドスドスとうるさい足音を立てて幸太郎の前から去った。


 麗華が幸太郎の前から去ると同時に、三時間目開始の鐘が鳴る。


 幸太郎は呑気に次の授業の準備をしながら、セラのことを考えていた


 セラのことを考えながら、幸太郎は頬杖を突きながら授業を受けていたため、授業の内容はまったく耳に入らなかった。




―――――――――――




 一日の授業が終わり、幸太郎はさっさと帰り支度をして高等部校舎を出ようとしていた。


 短縮日課で午前中に授業は終わり、朝までは今日の昼食は何にしようかと考えていた幸太郎だが、今はセラのことだけが頭でいっぱいだった。


 授業が終わってすぐに、幸太郎は麗華の命令で一足先にセラのことを探していた、麗華のボディガード兼使用人であるドレイク・デュールに連絡をした。


 ドレイクは午前中各エリアを回ってセラを探し回ったが、探し出せなかったこと言って、自分はこのまま各エリアを虱潰しに回り、幸太郎にはセラがいそうな場所を推理してそこに向かってくれと命令した。


 幸太郎はドレイクに従い、セラが向かいそうな場所を考えてさっさと高等部校舎を出ようとしていると、校門前にいる人物に「よお、幸太郎」と、フランクに話しかけられた。


 幸太郎に声をかけた人物は、胸元が大きく開いた派手な柄のシャツとテカテカ輝いている合成皮革のパンツ、金に染めた髪をオールバックにした軽薄そうな青年・刈谷祥かりや しょうだった。


 刈谷は幸太郎よりも年上であり、輝動隊に所属している刈谷は隊内でもトップクラスの実力を持ち、容赦なく相手を追い詰める戦い方に、敵味方双方に『狂犬』と呼ばれて恐れられている青年だった。


 そんな肩書きを持つ刈谷の前を横切る高等部校舎の生徒たちは、目を合わせないようにして俯きながら早歩きで彼の前を横切った。


 しかし、幸太郎だけはフレンドリーに声をかけてきた刈谷に、恐れることなくトタトタと早歩きで彼に近づいて、「こんにちは、刈谷さん」と挨拶をした。


「どうしたんですか、刈谷さん」


「まあ、ちょっとお前に会って話をしたくてな」


「わざわざ暑い外で待たなくても呼び出してくれればすぐに向かいましたよ」


「ま、すぐに終わるからこっちから出向いた方が無駄な時間を費やさなくてもいいと思ってな。……それに、今はお互い色々と忙しいからな」


「それなら、僕も刈谷さんに話したいことがあったんです」


「そいつは都合が良いな……それで、話は何だ?」


「やっぱり、水中訓練に参加できませんでした……」


 普段と比べてかなりシリアスムードで緊張感を身に纏っている刈谷を前にして、幸太郎は肩をガックリ落として、水中訓練に参加できなかったことを報告した。


 突然水中訓練の話を出されて思いきり面を食らって呆れる刈谷だが、すぐに元の調子に戻り、憐憫の視線を幸太郎に向けて肩に優しくポンと手を置いた。


「そいつは……気の毒だったな」


「刈谷さんが言ってた、『ドキッ! 水着美女だらけの水中訓練(ポロリもあるよ)』……何度も訓練教官の人を説得したんですが……」


 俯いた幸太郎は歯噛みして、拳をきつく握り締める。


「もうちょっと……もうちょっとだったんです……もうちょっとで説得できたのに……」


「幸太郎、俺はお前に言ったはずだ……漢の性として、水中訓練には参加しろと」


「わかってます……でもっ!」


 水中訓練に参加できなかったことに強い後悔を抱いている幸太郎に、厳しい表情を浮かべた刈谷はあえて何もフォローせずに、厳しく叱りつけるような鋭い視線を向けた。


 幸太郎を睨むように見つめる刈谷の視線は鋭く、厳しいものだったが、どこか温かいものであり、肩を落としている幸太郎に対して励ますようであった。


「確かに水中訓練は厳しい。輝石を扱える能力が皆無のお前では最悪の場合大事に至る可能性がある。訓練教官がお前を訓練に参加させなかったのは仕方がねぇ」


「そんなの百も承知で覚悟の上です」


「想いを伝えるのは言葉だけじゃねぇ」


 刈谷の言葉に幸太郎は何かに気づいたようにハッとする。


「漢には――いや、人間には自分を犠牲にしてでも行動してやり遂げなければならねぇことがある。お前はそれをやったのか? ――いや、お前は自分を完全に犠牲にすることはできなかった。どんなに覚悟していてもどこか心の内でストッパーが発動したはずだ。おそらく、教官を説得した時、女子たちの白い視線にお前は耐え切れなくなったはずだ」


 自身の心の内を見透かされ、幸太郎は反論せずにただただ悔しそうに拳をきつく握った。


 刈谷の言葉は事実だからこそ、幸太郎は自分の未熟さ、薄っぺらな覚悟に後悔をした。


「すべてを犠牲にした時こそ見えてくるものが、気づくものがある……半端な覚悟じゃ、迷いが生じ、結果残るのは後悔だけ――それを忘れるんじゃねぇ、幸太郎」


「……心に刻みます」


 刈谷の言葉を心で理解した幸太郎は、今の彼の言葉を永遠に自分の中に大切に記憶するため、一字一句漏らさずに心に刻んだ。


「夏休み、水着が見たいがために鳳さんとセラさんをプールに誘って断られましたが……また挑戦します」


「その心意気やよし! そして、俺も混ぜろ!」


「もちろんです」


「よし! そうと決めれば新しいカメラ買うぞ! いい商売を思いついた!」


 幸太郎は刈谷の頼みに力強く頷き、それに感激した刈谷は幸太郎と固い握手を交わす。


 二人の間には強い絆と友情が生まれ、それが熱気となって周囲に放たれた。


「あ、それで、刈谷さんの話って何ですか?」


「あ、悪い悪い、熱中してて話を忘れてた」


 本来の目的を思い出した刈谷はわざとらしく咳払いをすると、刈谷は幸太郎に向けて静かな怒りが宿っているが、どこか幸太郎のことを試しているような視線を向けた。


「お前は味方だ?」


 質問の意図がわからない幸太郎は首を傾げる。そんな彼の反応に、刈谷は苦笑を浮かべて「悪い、言葉が足りなかったな」と謝った。


「あの時どんな状況だったのか、誰が喧嘩を吹っ掛けたのかなんて興味はねぇ……ただ、ティアの姐さんと久住優輝がぶつかった結果――輝士団と輝動隊は抗争寸前。昨日から何度も俺は小競り合いを止めてる。本当は俺も混ざって輝士団の連中を潰したいんだけどな」


 冗談っぽく言っているが目は本気で、刈谷は獰猛な笑みを一瞬だけ浮かべて、すぐに軽薄そうな笑みに戻した。


「俺は正直言って、昔のことを含めて、詳しい説明を俺たちにしねぇ輝士団の連中を気に入らねぇと思ってるから、気が向いたら俺は輝士団を潰すためにいつでも動くつもりだ」



 軽薄そうに笑いながらそう言っている刈谷だが、目は笑っていなかった。


「ティアの姐さん、大和、一応輝動隊は鳳グループも関係してるから、お嬢もいる俺たち輝動隊側――それとも、大道、お嬢と同じで教皇庁も関係してるからリクトがいる輝士団側――二つに分かれてるアカデミー内で、お前はどっちの味方だ?」


 普段は軽薄そうな笑みを浮かべて適当な冗談を言っては、輝動隊の仕事をサボっている大雑把な性格の刈谷は常に軽い雰囲気を身に纏っているが、今の彼は違った。


 自分の質問にいっさいの冗談とその場凌ぎの嘘は許さず、下手なことを言えば今からでも幸太郎の敵になりそうなくらい、獰猛で冗談が通じない真剣な雰囲気を身に纏っていた。


 一気に刈谷の雰囲気が変わり、道行く高等部生徒たちは息を呑んで関わらないように彼を横切る早歩きのスピードを上げる。


 一方の幸太郎はそんな刈谷の雰囲気の変化を気にも留めることなく、「ああ、それなら」と、特に深く考えていない様子で彼の質問に答える。


「セラさんの味方です」


 淡々とした口調で、短くそう答えた幸太郎を刈谷はジッと睨むように見つめる。


 鋭い視線で刈谷に睨まれても、幸太郎は特に動じることなく彼を見つめ返した。


 しばらく見つめたまま、二人は黙っていて沈黙が続いていたが、すぐに降参の意を示すように刈谷は深々とため息をつき、背を向けて幸太郎の前から去ろうとする。


「あれ、話したいことってそれだけですか?」


「ああ、そんだけだ」


 刈谷の話が終わったことに、幸太郎は拍子抜けしている様子だった。


「……セラは多分、教皇庁本部にいるな」


 背を向けたまま、幸太郎にしか聞こえないくらいの声量でセラの居場所を刈谷は教えた。


 唐突の助言に幸太郎は思わず聞き返そうとするが、それを無視して刈谷は続ける。


「今、久住は教皇庁本部に匿われてる――……俺がセラの立場なら事件の張本人と直接会って話をする。自分の友達が関わってんだ。どんなに無茶でも無理だとわかってても――周りに止められてもな」


「ありがとうございます、刈谷さん」


 何かを思い浮かべている様子で刈谷は幸太郎に助言をすると、刈谷は振り返らずに幸太郎の前から立ち去った。


 遠のく刈谷の背中には、どこか哀愁が漂っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る