第2話
小さく鼻歌を囀りながら、セラは寮の自室で夕食の準備をしていた。
今日の夕食はトンカツであり、セラは豚ロース肉を肉たたきで軽く叩いて、包丁で筋を切り、塩コショウを軽く振りかけて味をつけていた。
これから来る親友のために夕食の準備をしていると、インターフォンが鳴った。
今日は随分早いな……
そう思っていると、玄関から「入るぞ」と聞き慣れた冷淡な声とともに、一人の人物が入ってきた。
「今日は随分早いね、ティア」
「……ああ」
セラは部屋に入ってきた夏真っ盛りで暑そうな軍服のような堅苦しく、この時期には暑苦しい服を着ている人物――ティアリナ・フリューゲルに視線を向ける。
ティアは銀髪セミロングの長身の大人びた女性で、相変わらず冷ややかな雰囲気を身に纏っているが、笑顔で出迎えたセラを見て少しその雰囲気が和らいだ。
「お風呂の準備は終わっているから、先に入ってくれば?」
「いや、今はいい」
「夏場でそんな服だから汗だくだと思うけどいいの?」
「問題ない」
暑苦しい服装をしながらも涼しげな顔で問題ないと言い放つティアに、若干呆れながらもセラは飲み物を差し出すと、ティアはそれを一気飲みした。
「もうちょっと夕食に時間はかかるけど、いい?」
「……準備をしているところ悪いが、今日の夕食は遠慮する」
淡々としているが申し訳なさそうに発したティアの言葉に、セラは夕食の準備を一旦中断させてティアを見つめた。
普段と変わらぬクールな様子のティアだが、いつもより表情が強張り、険しくなっているようにセラには見えた。
「……どうしたの、ティア」
その質問には答えずティアはリビングへと向かい、彼女の後にセラは続いた。
リビングにある椅子にティアは座ると、彼女と向かい合うようにセラも座った。
セラはいつもと様子が若干違う親友を問い詰めるように、心配するように見つめるが、ティアはその視線から逃れるようにして視線をそらした。
しかし、すぐにティアは意を決したようにセラを見つめ返した。
「……アカデミー生活は楽しいか?」
明らかに話をすり替えたティアに不満気に思いながらも今は深く聞くことなく、取り敢えずセラは「……ええ」と頷いた。
「そうか……風紀委員はどうだ?」
「人数が少ないから上手く立ち回ることができないことがあるけど、順調かな?」
「麗華や七瀬の調子はどうだ?」
「七瀬君は相変わらず。でも、自分にできることを精一杯やろうとしてる……あ、この間の期末考査で赤点を取ったせいで鳳さんにすごく怒られてた」
「噂は聞いている。赤点を取った教科の数が前代未聞であると……不名誉な称号が新たに増えたようだな」
「本人は気にしていないようだけど……」
「ただでさえ評判が悪いというのにまた評判を落とすとは……まったく、一度私が本気で一から叩き直した方がいいかもしれんな」
周囲の評判が下がる一方の幸太郎に心底呆れているティアに、セラは苦笑を浮かべながらも何もフォローはしなかった。
「鳳さんも相変わらず、自分の目的のために必死みたい」
「無理もないだろう……あのお嬢様はアカデミーの中枢にいる人物の中でも、自分の保身や体面よりもアカデミーの未来を真面目に考えている数少ない人間の一人だ」
「……そ、そうなの?」
麗華に対して過大評価気味なティアに失礼ながらにもセラは疑問を感じてしまった。
確かに、鳳麗華という人物は思慮深く、計算高い一面があり、それらをたまに見せるのはセラも良く知っている。
しかし、『アカデミーの支配者になる』という目標を熱く語る麗華には、様々な理由があるだろうが、それ以上に自身の支配欲求を満たすものがあるとセラには感じていた。
自分のよく知る麗華についてセラは考えていると、「……セラ」と、ふいにティアが話しかけてきた。話しかけられ、思考を中断してセラは彼女に視線を向ける。
視線の先にいるティアは話しかけたセラを見ていなかった。
ティアの視線の先には窓際に飾られている一枚の写真があった。
数年前――何もかもが順調だった時に撮った一枚の写真。
セラとティア、そしてもう一人の親友が写っている一枚の写真だった。
「覚えているか? お前が昔、輝石を失くした時のことを……あの時のお前は泣きそうな顔をしていたな」
チェーンにつながれた自身の輝石を取り出して唐突に過去の話を持ち出したティアにセラは思わず驚いてしまう。ずっとティアは過去の話を進んでしようとはしなかったからだ。
驚きながらもセラは頷き、ティアの輝石と同じチェーンにつながれた自身の輝石をポケットから出し、遠い目でその輝石を眺めた。
忘れるわけない……忘れられるわけがない……
だって、あの時のことがあって、私は二人と打ち解けることができたんだ。
あの時のことがあって、私は二人を親友だと思いはじめたんだ……
だから――
「忘れるわけない」
「そうだな……私もだ」
自分に言い聞かせるようにそう言い放ったセラに、ティアは微かに目を細めた。
「友情の証、だったか……」
唐突に小さくフッと笑ったティアは椅子から立ち上がった。
ティアが呟いた『友情の証』という言葉にセラは懐かしむと同時に、彼女から覚悟のようなものを感じ、自身の中に説明できない不安が渦巻きはじめる。
ティアは部屋を出ようとするが、セラは咄嗟に「待って」と呼び止めた。
呼び止められたティアは振り返ることはせずに立ち止まった。
「……今日のティア、何だか変だよ」
「少し昔を懐かしんでしまっただけだ」
「何かあったの?」
「お前は何も心配しなくてもいい」
渦巻く不安が確かなものになったセラは不安な面持ちでティアから話を聞こうとするが、彼女は深くは何も答えるつもりはなかった。ただ、普段と比べて幾分優しく、柔らかな声音でティアはセラの質問に淡々と答え、足早に部屋を出ようとしていた。
逃げるように立ち去ろうとするティアの腕を咄嗟にセラは掴んだ。
「待って、ティア! お願いだから、何かあるなら私に言って! 私は何でも相談に乗るし、何でも協力もする! ……だから、少しは私に頼って……」
今にも泣きだしそうな表情をセラは浮かべて、ティアの背中に縋るような声をぶつけた。
一瞬の沈黙の後、ティアは振り返った。
振り返ったティアの表情は普段と変わらぬ冷たささえも感じるほどクールなものだが、その表情には優しさと固い決意、そして怒りのようなものが含まれていた。
そんなティアの顔をセラはジッと見つめていると、彼女の表情が徐々に軟化して、おもむろにセラの頭にポンと手を置いた。
「今日の夕食は遠慮すると言ったが撤回しよう……楽しみにしている」
そう言って、自身の腕を掴んでいるセラの手を優しく解き、部屋を出るティア。
ティアの言葉に幾分安心したセラは、彼女の後姿を黙って見送ってしまった。
だが、それは一時的なもので、再び不安が芽生える頃には渦巻いていた不安がさらに大きくなってしまっていた。
部屋を出る時、最後にティアが聞こえるか聞こえないかの声で発した言葉がセラの中にある不安を増長させていたからだ。
『すまない、セラ』
部屋を出る時、確かにティアは聞こえるか聞こえないかの声で謝った。
その言葉がセラの頭から離れることはなく、不安を増長させていた。
ティア……大丈夫だよね……
不安が残るセラだが、その不安を無理矢理押し殺して夕食の支度を再開させる。
夕食を食べると言ったから、きっとティアは戻ってくる――そう自分に言い聞かせて。
きっと、お腹を空かして帰ってくる。
だから、私はティアのことを信じて待っていよう。
……そうだ、今私がティアのためにできることをしよう。
心の中で何度もそう言い聞かせて、セラはティアのため、そして、自分の気を紛らわせるために夕食の支度をする。
だが――結局、ティアが帰ってくることはなかった。
――――――――――
輝石の力で生み出した
白銀に煌めくティアの銀髪は埃で汚れきっており、ティアが来ている軍服のような服はボロボロで露出した肌からは血が滲んでいた。
ティアが立ち上がらないことを確認すると、手には自身の武輝である刀を手にしたまま、優輝は倒れているティアに近づく。
優輝の整った顔立ちはすり傷だらけで、憔悴しきっていた。
「……残念だ、ティア」
地に伏したまま動くかないティアに向けて優輝は心底落胆したようにそう言い放った。
そして、倒れているティアの傍らにある、チェーンにつながれたティアの輝石を拾った。
「友情の証、か……」
感情を押し殺した抑揚のない声でそう呟くと、手にしたティアの輝石を握り締めた。
握り締めたティアの輝石、そして、自身の手にした武輝を地面に向かって、激しく渦巻く感情のままに叩きつけるようにして投げ捨てた。
優輝の手から離れた武輝はすぐにティアと同じ形をした、チェーンにつながれた輝石に変化して、ティアの輝石とともに地面に叩きつけられた。
力任せに投げ捨てられても、チェーンにつながれた二つの輝石は傷一つ、チェーンもバラバラになることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます