第32話

 事件から二週間後――


 二週間経過して、多くの輝石使いにトラウマを残している四年前の事件を真似た事件を起こした嵯峨によって、混乱と恐怖が広がっていたアカデミー都市内にようやく平穏が戻った。


 平穏を取り戻したのは幸太郎も同じだった。


 嵯峨を捕まえた幸太郎に一時多くの生徒たちが集まって一躍人気者になった。


 だが、多くの生徒は嵯峨と対峙した時の話を聞いてあまりにも緊張感がない説明だったので信憑性がなくなり、今ではセラとティアと麗華が嵯峨を捕まえたということになっていた。


 そうなってしまって少し思うところがあった幸太郎だが、そんなことよりも、麗華の風紀委員活動停止処分がようやく解かれたのですぐに気にならなくなった。


 風紀委員の活動を再開させた幸太郎は、放課後になって二週間ぶりの風紀委員本部のソファで横になってリラックスしていた。


 本部の建物が建っている二つの治安維持部隊とは違って、校舎内の空き教室を使っている風紀委員の本部は明らかに規模が小さく、主に麗華の私物でたくさんになっている風紀委員本部内だが、幸太郎にとってはかなり居心地が良く、処分が解かれてイの一番に本部内に入った。


 二週間ぶりの本部内をソファで横になりながら、感慨深げに室内を眺めていた。


 しばらくボーっとしていると、扉が勢いよく開かれてセラと麗華が入ってきた。


「ちょっと、七瀬さん! この本革のソファの上にだらしなく横になるなと言ったはずですわ!」


 入ってきた瞬間、麗華はソファに横になっている幸太郎に怒声を張り上げ、それに驚いた幸太郎は慌てて身体を起き上がらせた。


「ごめんね、忘れてた」


「ソファで横になるのは禁止! ソファの上に食べカスを落とすのは禁止! ソファの上に足を乗せるのは禁止、というかあなたはソファに座るのは禁止ですわ、禁止! ――まったく、何度言えばわかりますの!」


 腕と足を組んで、テーブルを挟んで幸太郎の対面にあるソファに座る麗華、後に続いてセラは麗華の隣に座った。


「まあまあ、せっかく七瀬君の処分を解いたんです。今日くらい大目に見てあげましょう、鳳さん」


「そうやってセラさんは七瀬さんを甘やかすから、彼はつけあがるのですわ!」


 麗華を落ち着かせようとするセラだったが、麗華の怒りの矛先が幸太郎をフォローするセラに代わってしまった。


 セラの甘い態度を叱責する麗華――そんな二人を尻目に、何かを考え込んでいる様子の幸太郎は、ふいに「鳳さん」と、怒りに満ちている麗華に空気を読まずに話しかけた。


「気安く私の名前を呼ばないでいただけます!」


 麗華の怒りにさらに油を注ぐような呑気な調子の声で話しかけられ、鬼のような形相でセラから対面に座っている幸太郎に視線を移す麗華。


 憤怒の表情を向けられても幸太郎は動じることなく、ただジッと麗華のことを見つめていたが、どことなくいつもと比べて意気消沈している様子だった。


 いつもの幸太郎の様子と何となく違うことに気づいた麗華の怒りはどこかに消え、彼をじっとりした目でジロジロ睨んで、話しはじめるのを待っていた。

 

 かなり気になっている様子だったが、麗華は決して自分から声をかけることはしないで、腕を組みながら素直ではない態度を取っていた。


「嵯峨さん、永久追放されるの?」


「ええ……教皇庁と鳳グループが下した決定条項。覆ることはありませんわ」


「もしも――もしも……もしもだけど……」


 もしもという仮定の言葉を再三強調させる幸太郎――頭の中には、嵯峨、大道、刈谷の三人の顔が浮かんでいた。


「もしも……鳳さんがアカデミーの支配者でも、同じ判断をする?」


「当然ですわ」


「そうだよね」


 若干の期待が入り混じった幸太郎の質問に、麗華は迷いなく冷たい口調で即答した。


 嵯峨に対していっさいの同情をしていない麗華の答えに、幸太郎は特にショックを受けることなく、その答えをしっかりと受け止めたが、どことなく落胆しているようだった。


「身勝手極まりない理由で多くの人を襲い、アカデミー都市内を不安と恐怖に陥れた嵯峨さんの行動は言語道断、決して許されませんわ。そんな方に私はいっさいの慈悲も同情もしませんわ」


 落胆している幸太郎をさらに追い詰めるように、厳しい言葉をぶつける麗華だが、幸太郎はその言葉を反論することなく受け止めた。


「七瀬君……嵯峨さんは自分が決めたことに忠実に従って行動しました。その結果の処分に彼は後悔はしていないでしょう――あなたが気にすることはありません」


 麗華と同様、キッパリと言ったセラにも嵯峨に対してのいっさいの憐れみは存在していなかった。


 厳しいセラの言葉がまるで自分に言っているように聞こえ、彼女の言葉の一つ一つが自分に深く突き刺さるように幸太郎は感じた。


「この結末に後悔をしていますか?」


「……うん」


 すべてを見透かしたようなセラの言葉に、一瞬の間を置いて幸太郎は小さく頷いて素直に認めた。


 刈谷に嵯峨が永久追放されることになってから、幸太郎は胸の中が靄のようなものにつつまれた気分がして、その靄が時折痛みとなって胸を絞めつけていた。


 すぐには理解できなかったが、その気持ちを理解するのに時間はかからなかった。


 ――それが、後悔であると気づくのには。


「……四年前、私も同じ気持ちになりました」


 呟くように、躊躇いがちにそう言ったセラの表情は辛そうであり、自嘲的だった。


「最良の結果を求めるため、周囲の制止も聞かずに無茶をして自分ができる限りの力を使って最善を尽くした結果……私は己の無力さと不甲斐なさに苛まれ、強い後悔を覚えました。結局どんなに息巻いても、一人ではどうにもならないことがあります――今の七瀬君なら理解できるはずです」


 諭しているようだが、厳しい口調で放たれるセラの言葉を十分に理解できるからこそ、幸太郎は黙っていることしかできなかった。


 セラの話を聞いていると、幸太郎は胸を絞めつけるような後悔の痛みが徐々に弱まったような気がした。


 そして、セラが話終えると同時に意気消沈気味で若干の陰りがあった幸太郎の表情に普段通りの明るさが戻ってきた。


 その表情を対面にいるセラと麗華に向けた。


「やっぱり、ごめんね」


 迷いが完全に晴れたような清々しい表情を浮かべて、突然謝って沈黙を打ち破った幸太郎を、セラと麗華は不思議そうに見つめていた。


「セラさんと鳳さんが僕を心配してくれる気持ちを無駄にするけど、やっぱり気持ちは変わらない」


「わ、私は別に心配していませんわ! 私のことよりも、セラさんの思いを無駄にするつもりですの? 結局開き直っているだけで、あなたは何も変わっていませんわ! ……それではいずれ、あなたも嵯峨さんになりますわよ」


 開き直っているような幸太郎の決意を聞いて、麗華はテーブルを思いきり叩いて激昂し、心底失望して、突き放すような冷ややかな目で幸太郎を睨んだ。


「根っこは同じだけど、僕は嵯峨さんみたいに友達を犠牲にしない」


「そうだとしても、あなたの行動は周囲の方たちを不安にさせるだけですわ」


「一人になっても、ですか? ……一人では何もできないと理解しているのに」


 皮肉たっぷりの言葉を麗華は吐き捨て、拒絶するかのように冷酷とも思える冷たい目で睨んで質問してくるセラ。


 臆することなく幸太郎はセラを見つめ返して力強く頷いた。


「もう後悔したくないから」


 幸太郎が放った一言――淡々として短い言葉ながらも、揺らぐことのない意思と決意が宿っていた。


 幸太郎の頭の中には、嵯峨、刈谷、大道の姿が浮かび、いずれ一人の友人が永久に欠ける姿、友達同士が離れ離れになる姿を想像した――一週間前、刈谷に嵯峨が永久追放されると知ってから、ずっとこの姿を想像し続けていた。


 想像する度に、胸が絞めつけられる痛みとともに後悔が襲ってきた。


 想像する度に、友達とずっと会えなってしまった嵯峨に同情していた。


「みんなからわがままだって、自己満足だって、何もできないからって、危険だからって言われても、後悔しないために僕は僕ができる限りの最善を尽くす――僕はそう決めた」


 これがセラと麗華に拒絶された時から、セラの言葉を受けて改めて自分が後悔していると思い知った末に幸太郎が出した、二人にかけるべき言葉の答えであり、決意だった。


 セラと麗華の二人に向かって宣言するかのような力強い幸太郎の言葉に、二人は深々と諦めたようなため息を同時についた。


「もう結構ですわ」


 呟くように放たれた麗華の言葉は心底ウンザリしているようだったが、彼女の表情は失望していたものから、不承不承ながらも納得しているようなものになっていた。


「それなら……私たちを信じて頼ってください」


 信じろと強調して言ったセラの表情は、呆れながらも慈愛に満ちていて、母性的な笑みを浮かべていた。


 そんな二人の態度に、幸太郎は胸を締めつけるような痛みを放っていた靄のようなものが徐々に薄まってくるような気がした――


 だが、消える寸前に嵯峨と大道と刈谷の三人の姿が浮かび、完全には消えなかった。


「まったく、無駄な時間を過ごしましたわ! 早く巡回に向かいますわよ! 七瀬さん! 休んでいた分、バシバシと働いてもらいますわ! それに、あなたにはもう遠慮しませんわ!」


 そう宣言して、麗華は勢いよくソファから立ち上がり、大股開きで扉まで歩き、壊す勢いで思いきり扉を開いて本部を出る。


 相変わらずの高慢で上から目線の言葉だったが、宣言通り麗華にはもう幸太郎をいっさい気遣う様子はなかった。


「……さあ、行きましょう。七瀬君」


 ソファからゆっくりと立ち上がり、セラはまだ座ったままの幸太郎に手を差し伸べる。セラも麗華と同様、幸太郎を気遣い、心配する様子はもうなかった。


 幸太郎は力強く頷き、セラの手を掴んだ。


 消えぬ胸の痛みを抱えながら、幸太郎は再びセラと麗華とともに歩きはじめる。




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