第26話

 大和がティアの連絡を受けて三十分後――現場の隊員たちの指揮を終えたティアが輝動隊本部戻って、大和たちがいる会議室へと到着した。


 大和はタブレットPCの液晶から目を離さずに戻ってきたティアに「やあ」と短く声をかけ、幸太郎は一人うねり声を上げて何かを考えていてティアに気づいている様子はなく、麗華だけは恋する乙女のような表情を浮かべて小走りでティアに駆け寄って出迎えた。


「ティアさん、お疲れ様ですわ! 嵯峨さんと交戦したそうですが……怪我はしていませんわね! さすがですわ、ティアさん!」


「あ、ああ……嵯峨の実力自体は大したことはなかった。すまない、奴をかなり追い詰めたのだが、結局逃げられてしまった」


「気にしないでもよろしいですわ! ティアさんが無事で何よりでしたわ……」


 頬をほんのりと紅潮させた麗華は、ティアの手に優しく触れて上目遣いで見つめた。


 ストレートに伝わる麗華の熱意に、常にクールで動じないティアも圧倒されており、困惑して、麗華から逃れるように大和に視線を移した。


「それよりも大和、これからどうする」


「弱っていることは十分に承知で、今すぐにでも叩くべきだとは思ってるんだけど――居場所がわからないんだよね……今、彼が考えてるみたいだけど」


 そう言って、大和は幸太郎を指差した。


 幸太郎は相変わらず考えている様子で、机に突っ伏してうねり声を上げていた。


「……ああやってずっと考えているのか?」


「嵯峨君と似ている幸太郎君なら、彼が残した言葉の意味を探せるかと思って考えてもらってるんだけど……まあ、無理だろうね」


 必死に思案している幸太郎を見て、大和はまったく期待していない様子で、嘲笑さえも浮かべていた。


「しかし、嵯峨君の言ったはじまりの場所……候補は何か所かあるんだけど、彼が言うはじまりの意味がわからないんだ。それさえわかれば――って、ティアさん?」


 ティアは大和の話を無視して、考え中の幸太郎の傍に寄った。


 そして、ティアが近づいていることもわからないくらい集中して考えている幸太郎に、ティアはそっと肩を撫でるように触れた。


 一拍子遅れてようやく幸太郎はティアが自身の傍らにいることに気がつき、大きく欠伸をしながらゆっくりと顔を動かしてティアに笑みを向けた。


「ティアさん……嵯峨さんと戦ったって聞いたんですけど、怪我はありませんか?」


「ああ、問題ない」


「セラさんも戦ったって聞いたんですが、大丈夫でしょうか」


「それも問題ない。セラが後れを取るような相手ではない」


「そうですか……優輝さんからセラさんが四年前の死神を倒したって聞いたんで、無茶をしていないかと思って心配で……」


 優輝の名前を出した瞬間、ティアは露骨な嫌悪感を示し、不機嫌そうな表情になった。


 四年前の死神をセラが倒したということを聞いて、驚いている麗華と大和をよそに、幸太郎は明らかに不機嫌になっているティアに恐れることなく話を続けた。


「嵯峨さんってティアさんから見て、刈谷さんや大道さんの言う通り僕に似ていました?」


 幸太郎の質問にティアは一瞬の逡巡の後「ああ」と、短い言葉で認め、「だが――」と、付け加えた。


「第一印象だけだ……私は嵯峨のことを深く理解していないから、何とも言えない」


「そうですか――やっぱり、あそこなのかな……」


 嵯峨の説明を聞いて幸太郎は何か思い立った様子で立ち上がったが、根拠がなくて自信がないのかすぐに首を傾げて再び椅子に座った。


「ティアさん、相手にすることはありませんわ! きっと無駄ですわ!」


「どうした……何か気づいたことがあるなら言ってみろ」


 期待をまったくしていない麗華の言葉を無視して、ティアは自信がなさそうな幸太郎の隣に座って、普段の冷たい声音からは信じられないほど温かな声で彼を安堵させるようにして話しかけた。


 ティアの言葉を受けて、一瞬考えた後幸太郎は自分の思ったことを話しはじめる。


「多分だけど……嵯峨さん、刈谷さんの監禁事件が起きたウェストエリアにある輝士団専用の訓練場にいるんじゃないかと思って……根拠はないんですけど」


「そうか……よく考えてくれた。頑張ったな」


「根拠とかそんなの全然ないんですけど……何だか照れます」


 口元を微かに緩ませて微笑んだティアは幸太郎の頭を撫でた。


 撫でられた幸太郎は照れたように、そして、気持ちがよさそうな顔を浮かべていた。


 そんな幸太郎に、麗華は嫉妬の炎で狂ったような視線を送っていた。


「フム――……さっきティアさんから報告があった事件のことか……ちょっと待っててね」


 幸太郎の思いつきに興味を抱いた大和は、タブレットPCで何かを調べ始めた。


 そして、すぐに「あ、それわかったよ」と、大和はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。


「治安維持部隊専用の訓練施設はウェストエリア内に何か所かあるけど、その事件の現場はここだね」


 そう言って、大和はタブレットPCに映し出された訓練施設の外観の写真を幸太郎たちに見せた――その場所は、つい最近幸太郎が訪れた場所であった。


 そこは、


 場所がわかったティアは、さっそく嵯峨が待っているかもしれない場所へと向かうために外に出ようとしたが、「ちょ、ちょっと待ってください!」と、麗華が呼び止めた。


 そして、麗華は幸太郎に向けて疑いの目を向けた。


「七瀬さん! その判断に根拠はありますの? 根拠は!」


「ごめんね、鳳さん。正直、根拠はないんだけど――ただ、自分がもしも嵯峨さんの立場で、自分がはじまった場所を考えたらそこかなぁって」


「そんなものは推理とは言えませんわ! そこへ向かうよりも、現在サウスエリアにいる人員を各エリアに向かわせて嵯峨さんを探すのが最優先ではなくって?」


 幸太郎の判断に根拠がないため納得できない麗華は自分の意見を大和に述べると、大和は複雑な顔を浮かべていたが、すぐに意地の悪そうな顔になった。


「そうだね、それじゃあ麗華の言う通りにしよう――それで、ティアさんはウェストエリアの訓練施設へと向かってね」


「了解した」


「ちょ、ちょっと、ティアさん! この凡人の言うことを信じますの? 大和! あなたもそれでよろしいのですの?」


 根拠のない幸太郎の推理通りに動こうとするティアと大和に信じられないといった様子の麗華だが、ティアは迷いなく大和の指示に従い、大和も特に気にしていない様子だった。


「嵯峨君がどこに潜伏しているのかわからないんだ。各エリアを虱潰しに探すよりも、ここは嵯峨君と近い性格の幸太郎君の推理に従ってみようじゃないか。それとも、麗華は嵯峨君がどこにいるのか想像ができるのかな?」


「そ、それは……その……」


「ほら、反論できない。それじゃあ、決まりだね。よろしくね、ティアさん」


 麗華が反論できないことをいいことに、トントン拍子で大和は話を進めた。


 悔しそうに、そして、恨みがましそうに麗華は幸太郎を睨んでいた。


 さっそくウェストエリアに向かおうとするティアだが、思い立ったかのように立ち止まり、麗華を見つめた。ティアに見つめられ、麗華の頬はほんのりと赤く染まった。


「嵯峨を逃がすことはできない。大和、鳳のお嬢様を連れて行くぞ。戦力は多い方が良い」


「わ、私がティアさんと……も、もちろんよろしいですわ! この鳳麗華、ティアさんのために存分に力を振いますわ!」


「あ、ああ……頼もしいな……」


 突然のティアの提案に、ティアが若干引き気味になるくらい怪気炎を上げる麗華だったが、大和の顔は複雑そうで、許可しかねている様子だった。


「確かに、セラさんたちは出張ってるし、僕は一応この作戦の指揮を執ってて指示をしなくちゃダメだから簡単には動けないし……うーん……どうしようかな……」


「何を迷っていますの? あなたらしくないですわ! この私の力とティアさんの力があれば、紛い物の死神など一網打尽! 快刀乱麻に解決ですわ!」


「たまに忘れるけど、一応君は鳳グループトップの御令嬢で、アカデミー内でも重要なポジションにいる人なんだけど……」


「鳳グループトップの娘である私だからこそ、黙って見ていることはできませんわ!」


 ああ言えばこう言い返して、気炎を上げる麗華の様子に、大和は諦めたように小さくため息をついた。


「わかった、わかったよ……昔から、君は自分が決めたことを曲げないで、僕の制止をいつも振り切るからね……まったく、君も幸太郎君のことを言えないよ?」


「失礼ですわね! 高貴で気品溢れる高潔で誇り高いこの私を、七瀬さんのような何の変哲もない村人A的ポジションの凡人と一緒にしないでいただけます?」


「ムッ……でも、ぐうの音も出ない」


 容赦ない麗華の言葉にムッとする幸太郎だが、ほとんどが事実なので反論できなかった。


 不承不承ながら認めた大和を見て、さっそく麗華はティアとともに目的地へと向かおうとするが、そんな二人の後に幸太郎もチョコンと続いた。


 さりげなくついて来ようとする幸太郎に気づいた麗華は、ティアの腕に自身の腕を絡ませて、自身の周囲に小うるさく飛び回る羽虫を見るような目で睨んだ。


「嵯峨さんに会いたいと思ってるんだけど……やっぱりダメ?」


「……あなた、昨日どうして私たちがあなたに叱責した理由をわかったいますの?」


 危険であるにもかかわらず、自分自身を狙っている嵯峨と直接会うと平然とした様子で言ってのけてついて来ようとする幸太郎に、麗華は呆れ果てて怒りもわき上がらなかった。


 呆れ果てながらも幸太郎の提案をすぐに却下する麗華。ティアは黙ったままだったが、麗華の意見には同意を示しているようで幸太郎をフォローすることはしなかった。


 だが、大和だけは「それいいかもしれない」と言って、心底愉快そうな顔を浮かべて、幸太郎が嵯峨と会うことに肯定的だった。


「僕は幸太郎君がついて来ることに賛成だね」


「待て大和……さすがに七瀬をついて来させるのは危険だ。本来の目的を無視しているくらい七瀬に執着している嵯峨は、七瀬と会ったら何をするかわからないぞ」


「ティアさんの言う通りですわ! 他人の気持ちも理解しないで無茶ばかりする足手まといをついて来ても意味がありませんし、面倒が増えるだけですわ!」


「ぐうの音も出ない」


 大和の意見をすぐに否定する麗華とティアに、言葉通り幸太郎はぐうの音も出なかった。


 しかし、大和は予想通りの反応を示す二人を見て、クスリと意味深な笑みを浮かべた。


「確かに二人の意見はもっとも――だけど、嵯峨君のような人は力だけで倒すことはできない。きっと、自分の目的を達成するために、彼はどんなことをしてでも危機から脱する……わかるだろう、ティアさん」


「確かにそうかもしれないが……それでも、やはり危険すぎる」


「危険は幸太郎君も承知の上だよ――そうだよね?」


 腹に一物抱えていそうな笑みを浮かべて、幸太郎に問いかける大和。


 大和の問いかけに、幸太郎は力強く頷き、その反応を見て大和は満足そうに微笑む。


「もう逃がすわけにはいかないんだろう? なら、情報を餌にするんじゃなく、実際に幸太郎君自身を向かわせて餌にして嵯峨を逃がさないようにすればいい……少し危険だろうけど、君や麗華がいるんだから大丈夫でしょ? それに、もしものことがあれば連絡してくれればセラさんたちや、最悪僕もそっちに向かう準備をするから……ね?」


 大和の説得に上手く言いくるめられそうになるティアだが、すぐに麗華が「ちょおっと待ったぁ!」と大声を上げて間に入った。


「ティアさんが許しても、私が許しませんわ!」


「はいはい……でも麗華、七瀬幸太郎君が愚者か、そうでないのか見極めるちょうど良い機会だし、それに上手く行けば風紀委員の評価が鰻登り……悪い話ではないと思うけど?」


「い、今は関係ありませんわ! 彼を巻き込むのは危険だと判断しているのですわ!」


 口では幸太郎のことを気遣っている麗華だったが、明らかに風紀委員の評価が鰻登りという大和の甘言に乗せられている様子だった。


 しかし、それでも麗華は完全には乗せられることはなく、名声が得られるという甘言から逃れるために大和から幸太郎へと視線を移すと、幸太郎が自身をジッと見つめていることに気がついた。


 いっさいの迷いも曇りもない、覚悟を決めたような目をしている幸太郎に、一瞬頼りがいがありそうに見えてしまい、麗華はすぐに頭を振って否定する。


「鳳さん、早く事件を解決しよう」


 急かすようでいて、麗華を諭すような幸太郎の短い言葉。


 その言葉を受けて、降参の意を示すように諦めたように麗華は深々とため息を漏らした。


「不本意ながら、あなたの言葉には同感ですわ――……いいでしょう、存分にあなたを利用させてもらいますわ! その代わり、勝手な真似はしないこと、それと、私たちの傍から絶対に離れないこと、わかりましたわね?」


 自身の覚悟を決めるように、そして、幸太郎の釘を刺すように放った麗華の言葉に、幸太郎は力強く頷いてそれを了承した。


 幸太郎が頷いたのを見て、麗華は当然だというように大きくフンと鼻を鳴らした。


「まったく、素直じゃないなぁ麗華は」

「素直じゃないよね、鳳さん」


「シャラーップ! 余計なことは言わずにさっさと行きますわよ!」


 意地の悪い笑みを浮かべて口に出した大和と同時に放たれた幸太郎の素直な感想に、麗華は激昂しながら幸太郎の首根っこを掴んでズルズルと引きずって、会議室を出た。


 やれやれと言わんばかりに小さくため息をついて、二人を追いかけようとするティア。


 そんなティアに、ふいに大和は「ティアさん」と呼び止めた。


「……麗華のこと、よろしくね」


「案ずるな」


 へらへらとした笑みを消して、真剣な顔で放たれた大和の一言に、ティアは力強く頷いて、部屋から出て行った。


 室内で一人になった大和は、誰もいないことを良いことに、机の上に行儀悪く寝そべり、気分良さそうに鼻歌を囀りながらタブレットPCを慣れた手つきで操作しはじめた。


 パスワードでロックされたファイルを大和は開いて、液晶の画面に映し出されたのは、数人の名前と顔写真だった。


 セラ・ヴァイスハルト、ティアリナ・フリューゲル、久住優輝、嵯峨隼士、そして――二か月前のグレイブヤード侵入事件の犯人である北崎雄一きたざき ゆういちの名前と顔写真を大和は無表情で眺めていた。


「……何もしなくても、アカデミーの終わりは近そうだ」


 嘲笑を浮かべての大和の一言が、誰もいない室内に響き渡った。

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