第二章 それぞれの過去の傷跡

第10話

 大道の病室の前に幸太郎たち風紀委員は立っていた。


 事件の犯人についての大道の説明が終わると、麗華は幸太郎に「話がありますわ」と有無を言わさぬ静かな威圧感を込めた口調で呼んで、病室から出て今に至る。


 病室から出て十分経つが、話があると言った張本人である麗華は何も言わずに黙ったままで、セラに至っては冷たい目で幸太郎を睨んでいた。


 二人の沈黙の空気に耐え切れず、沙菜は大道から聞いた話を輝士団たちに知らせると言って、逃げるように立ち去った。


 場の空気をあまり読まない幸太郎でさえも、押し黙っている二人から発せられる肌を刺すような刺々しい空気に、自分のせいでこうなってしまったという気まずさと申し訳なさ、そして緊張感で自分から話を切り出せずにいた。


 しかし、このままでは話が進まないと思い、怒られるのを覚悟で口を開こうとする――


 その瞬間、幸太郎は胸倉を掴まれ、力任せに思いきり壁に背中を叩きつけられた。


 背中に伝わる衝撃に、幸太郎は思わず顔をしかめた。


「せ、セラさん! お気持ちはわかりますが、落ち着いてください!」


 幸太郎の胸倉を掴んでいるセラを制止する、明らかに動揺しきっている麗華の声が響く。


 突然のセラの行動に、ただ目を丸くして幸太郎は彼女を見つめることしかできなかった。


 セラは冷たい表情だが、幸太郎に向けられている目には激情が静かに燃えたぎり、悲しそうで、失望しているようであり、それ以上に心配しているようだった。


「どうして……どうして、あなたは勝手な真似をするんですか?」


 相手を責めるような厳しく、抑揚のない声で幸太郎にセラはそう問いかけた。

平静を保とうとしているが、抑えきれない感情が溢れているセラの声は震えていた。


 そんなセラから必死な想いを感じ取った麗華は、制止することをやめて、セラの様子を見守ることにした。


「私と鳳さんは本当にあなたのことを心配しています。だからこそ、四年前の凶悪な死神の犯行を真似ているこの事件からあなたを遠ざけた……あなただって、それがわかっていたはずです……なのに、どうして……」


 潤んだ瞳を向けられ、幸太郎は胸が締めつけられるような気分になって、何も言えなくなってしまったが、目だけはそらさずに自身を見つめるセラを見つめていた。


「あなたの気持ちはわかります。友達である刈谷さんが襲われて、あなただって犯人に怒りを覚えていた……危険だという理由で、その感情を私たちが無理矢理抑え込んでしまったことは、あなたからすれば納得ができないことです。でも――」


 爆発しそうな感情を抑えるように、幸太郎の胸倉を掴むセラの力が強くなる。


「私は――私たちは心配なんです……あなたの自分の決めたことに忠実過ぎる性格が」


 徐々にセラの言葉は弱々しくなってきたが、幸太郎を見つめる目だけは強いままだった。


「自分の決めたことに、逆境に陥っても諦めずに立ち向かうあなたは立派で頼れる存在です。そんなあなたを私は尊敬して、見習っています……でも、同時に不安なんです……」


 消え入りそうな弱々しい声で「不安」と言ったセラに、幸太郎の胸がチクリと痛んだ。


「あなたのその性格や行動はいずれ、自分自身の破滅を招きます。私はそれが怖い……友達のあなたがこの前の事件のように傷つくのが怖いんです……」


 胸倉を掴んでいた手を不安と恐怖に満ちた表情をしているセラは放した。


 今までに見たことがないセラの表情に、幸太郎は罪悪感で胸がいっぱいになってきた。


「私はアカデミーに入学して、七瀬君や鳳さんに出会えてとてもよかった。二人と過ごす日々はとても楽しいし、二人から学んだことがたくさんあった」


 心から幸太郎と麗華と出会えたことをよかったと言っているセラだが、そう言っている彼女の表情はとても辛そうで、不安でいっぱいだった。


「でも、七瀬君が無茶をするのを見ていると、私はあなたと出会ったことを後悔してしまう時があります――……友達が傷つくのを私はもう見たくない……」


 そう言ってセラは俯き、黙ってしまった。


 俯いているセラに麗華は近づいて、彼女の肩を優しく撫で、幸太郎を見る。


 普段麗華は幸太郎を小馬鹿にしている目で見ているが、今の麗華は違った。


 小馬鹿にするわけでもなく、麗華は真っ直ぐと真剣な目を幸太郎に向けていた。


 その目は純粋に心配する気持ちと、幸太郎を厳しく非難しているようだった。


「セラさんの言っていることは、大方私も認めますわ……七瀬さん、あなたの決意がいかに立派であろうとも――実力が伴っていなければ、それは無意味ですわ」


 冷たささえも感じるほど、感情を感じさせない突き放すような麗華の声音と言葉。


 自分の決意が無意味なものであると言われて幸太郎は否定したくとも、事実を否定することができなかった。


 三人の間に沈黙と暗い空気が流れる。


 幸太郎にはセラと麗華が自分から遠ざかっているように感じた。


 困難な事件を二度も乗り越えたというのに、二人との間に大きな隔たりが見えていた。


 正しいと思って今まで行動していた自分を振り返り、幸太郎ははじめて今までの自分の行動に疑問と後悔が浮かぶ――が、それを頭の中で必死に霧散させた。


 暗く、深い闇に沈みそうになった自分の心を自力で救い上げ、今まで黙っていた幸太郎は力強い光を宿す目で、暗い面持ちをしているセラと麗華を見つめた。


 自分の思っていることを幸太郎は口に出そうとする――


 しかし、いざ口に出そうとしたら、今の二人に言うべき言葉が見当たらなかった。


 かける言葉が見当たらずにやきもきしていると、幸太郎はこちらに近づいてくる足音に気づいた。そして――


「……お前たち、何をしている」


 ふいに感情の抑揚のないクールな聞き覚えのある声で話しかけられた。


 三人は声のする方へ視線を向けると、そこにはティアリナ・フリューゲルが立っていた。


 三人の間に不穏な空気が流れているのを察知したティアは、自身の親友であるセラに顔を向ける。


「何があった」


「別に……。ところで、どうしてティアがここに?」


 何があったと聞かれたセラは、バツが悪そうな顔をして話題をすり替えた。


 痛いところを突かれて、それを隠すようにすぐに話題をすり替えたセラに呆れながらも、ティアは深く追求することなくここに来た理由の説明をはじめる。


「お前たちに会いに来たんだ。……今回の事件、四年前と同じ轍を踏まないため、早い段階で鳳グループと教皇庁が協力し合い、早期解決のため輝動隊と輝士団の合同捜査を行うことになった」


「それだけなら連絡してくれればいいのに」


「刈谷の見舞いに向かうついでだ。それに、伝えるのはそれだけではない……輝士団と協力すると決まり、すぐに情報交換が行われた。そして、事件の犯人が嵯峨隼士という男、そして、七瀬が狙われていると聞いた」


 ティアは嘆息しながら幸太郎を見ると、幸太郎はお茶を濁すように苦笑を浮かべた。


「まだ漠然としていないが、嵯峨を捕えるために七瀬を作戦の一部にするかもしれないとのことで、作戦が決まるまでしばらくの間私が七瀬の警護につくことになった。それを伝えに来た」


「……ティアさん。作戦を考案し、指揮を執るのは――大和やまとですわね」


「ああ。大和が作戦を考案と指揮して、輝士団団長である久住優輝が嵯峨を捕えるための部隊を動かすということになっている」


 輝動隊隊長、そして、麗華の幼馴染である伊波大和いなみ やまとが作戦の考案者であり、指揮者であると聞いて麗華は忌々しげに、そして苛立ったように歯噛みした。


 一方のセラは、幸太郎が作戦の一部になると聞いて明らかな不愉快を露わにしている。


「待って、ティア! 七瀬君を作戦の一部にするのは危険よ!」


「まだ漠然としていないと言ったはずだ」


 作戦に幸太郎を利用することに反対して大声を上げるセラを、ティアは心底呆れたように見て、億劫そうにまだわからないと返答した。


 幸太郎が嵯峨を捕えるための作戦に利用すると聞いて、明らかに苛立ち、動揺している麗華とセラを見て、ティアは深々とため息を漏らす。


 呆れたような、失望したような、そんなため息だった。


「お前たちは少し頭を冷やせ」


 ため息交じりのティアの厳しい一言。


 その一言は、今のセラと麗華を沈黙させるには十分な威力だった。


 ティアの言葉に反論できない二人は悔しそうに拳をきつく握っている。


 そんな二人を放って、ティアは幸太郎に視線を向ける。


「帰るぞ、七瀬。こいつらは無視して構わない」


「……え? あ……はい……」


 ティアに無理矢理手を引かれて、幸太郎はセラと麗華から離れた。


 力強くティアに手を引かれながらも、幸太郎は振り返って申し訳なさそうに二人を見つめた。


 幸太郎が振り返っても、二人は彼と目を合わせることなかった。


 徐々に離れる二人。


 幸太郎は二人との心の距離も離れるような気がして、複雑な顔をしていた。


 二人の姿が視界から消えるまで、二人にかける言葉を探していたが、結局何も見つけることはできなかった。



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