第8話


 朝、幸太郎は自分の席に座って眠そうに大きく欠伸をしながら、担任であり、変人であり、自他ともに認めるアカデミーの天才、ヴィクター・オズワルドの到着を待っていた。


 死神は相変わらず捕まっていない様子で、昨日もまた新たな被害者が出たという話でクラスは騒がしくなっていた。


 四年前のことはわからないけど、これ以上事件が続いていたら、リクト君の言う通り、確実に四年前と同じでパニックになりそうだ……


 死神の事件の話でクラスメイトは持ち切りで、不安と恐怖に支配されている教室内の空気を感じ取り、幸太郎は不安を覚えていた。


 しかし、その不安は突然勢いよく開かれた扉に気を取られて、すぐに忘れてしまった。


 勢いよく扉が開かれると同時に教室に入ってきたのは、幸太郎たちクラスの担任である、薄汚れた白衣を着て、ボサボサ白髪頭の長身痩躯の黒縁眼鏡をかけた男、ヴィクター・オズワルドだった。


 担任の登場にクラスメイトたちは雑談を中断して、すぐに各々の席に戻った。


 出席簿を持ったヴィクターは神妙な面持ちで、教卓の前まで歩いた。普段なら、毎日欠かさず朝の目覚まし代わりになる、麗華のものと勝るとも劣らない高笑いをしながら教室に入るが、今日はそれがなかった。


 いつもと様子が違う担任を、クラスメイトたちはもちろん、鈍感な幸太郎でも気づいた。


「諸君、おはよう。さっそく出欠を取ろうではないか――と、言いたいところだが、今日はその前に報告があるのだ。諸君、落ち着いて静聴したまえ」


 有無を言わさぬ威圧感を放つヴィクターに、生徒たちは思わず息を呑む。


「今日は平時通りの授業であったが、会議のために今日の授業は午前中に終わり、授業の時間も短縮されることになった。授業終了後、諸君は即刻帰るように。帰宅後の外出も禁止。禁を破った場合、後々に処罰が下るということを頭に入れておくのだ」


 急遽半日授業で短縮授業になったことにクラスメイトたちは嬉しがるよりも、一週間前から発生している事件が理由になっているとすぐに気づいて騒めき立つ。


 クラスメイトたちは口々に事件の話をしており、不安で騒がしくなっている教室内の状況にヴィクターは苦々しい顔になる。


 騒がしい中、「質問よろしいでしょうか」の冷ややかな声に水を打ったように教室内は静かになった――ヴィクターに質問を申し立てたのは鳳麗華だった。


 麗華もヴィクターと同様、いつもよりも神妙な面持ちをしていた。


 質問を麗華に求められ、ヴィクターは想像通りだと言うように薄い笑みを浮かべ、そして、小さく億劫そうにため息を漏らした。


「急遽授業の編成が変わったのは、一週間前から発生している事件の影響ですの?」


「残念だがその質問には答えられない」


「なぜですの? 急な授業の編成が変わったことについて深く説明をしなければ、余計に恐怖と混乱を招くことになりますわ?」


「もっともな意見だが……まあ、本当は言ってはならないんだが、箝口令が敷かれているのだよ――これはアカデミー学園長、つまり、君の父親の命令だ」


「……わかりましたわ」


 自身の父親の命令で箝口令が敷かれていることに、麗華は明らかに不満そうな顔をしながらも、それ以上深く質問することはなかった。


 箝口令が敷かれているということに、麗華の言う通りクラスメイトたちは過去の死神が起こした事件を思い出しているのか、全員不安な面持ちをしていた。


 麗華の追及を逃れることができたが、彼女の表情と同様ヴィクター自身の表情も不満に満ち溢れている様子で、しばらく思案した後「まあいいか」と呟いて、一人で納得した。


「箝口令が敷かれたことまで言ってしまったのだから、この際諸君らに不安を植え付けないために正直にぶっちゃけてよう! その方が私もスッキリする! ハーッハッハッハッハッハッハッ!」


 静かな威圧感を放っていたヴィクターだったが、その雰囲気を高笑いととも一気に消す。


 相変わらずのうるさい高笑いにクラスメイトたちは辟易しながらも、いつも通りの雰囲気の担任に戻り、少しの安堵感を得ていた。


「昨夜、輝士団の大道共慈という青年が襲われたのだ」


 大道共慈――ヴィクターがその名前を出した瞬間、幸太郎は目を見開いて驚いた。


 幸太郎も驚いていたが、彼の周囲のクラスメイトたちも同様に驚いており、口を揃えて輝士団の中でもトップクラスの実力を持つ大道が襲われたという事実に驚き、そして彼を襲った犯人に恐怖を抱いた。


 騒めき立つクラスメイトたち――そんな中、幸太郎は一人黙々と考えていた。


 刈谷さんと大道さんが続けて襲われた……

 ティアさん曰く、大道さんはこれから戦いに行くようだと言っていた。

 それに、大道さんが帰る前に言った、『過去と決着をつかなければならない』。

 今回の犯人は四年前の死神じゃなくて、やっぱり刈谷さんと大道さんの知り合いなのかな?


 徐々に、幸太郎は今回の事件の犯人について確証を持ちはじめていた。


「彼は先日襲われた輝動隊の刈谷祥と同じく、かなりの実力者。輝動隊と輝士団、両組織の実力者が襲われ、いよいよ教皇庁と鳳グループは今回の事件を本気で捜査する気になったようだ。今まで本腰を入れずに、呑気に解決するのを傍観していたのを君たち生徒や外部に悟られないよう、対面を気にして大道君が襲われたという事実を隠していたのだ……君たちの不安と恐怖を無用に煽らないためという御大層な大義名分でね」


 ヴィクターの厳しい一言に、アカデミー学園長であり鳳グループトップの父を持つ麗華は苦々しい顔つきになりながらも、擁護はしなかった。


「巨大な二つの組織が本気を出した以上、事件解決まで秒読み段階だということだ――話は以上。諸君、出欠を取るから横隔膜から声を出して、ハッキリと返事をするのだ!」


 巨大な二つの組織が事件の捜査に本気を出したということを知り、安堵するクラスメイトたちだったが、それでもまだ不安と恐怖は完全に拭えていなかった。


 そんな中、幸太郎はボーっとした表情で頭の中で整理した自分の考えをまとめていた。


 ……昨日のこと、鳳さんとセラさんに伝えよう。

 怒られるかもしれない――というか、絶対に怒られるな。


 幸太郎は麗華に怒鳴られるという確実に訪れる未来を想像し、心の中で大きく嘆息した。




―――――――――――――




 早々に午前中の授業が終了し、一日の授業が終わる。


 午前中に帰れるということに、クラスメイトたちは誰一人喜んでいる様子はなかった。


 幸太郎は帰る前に、麗華とセラに昨日ティアと一緒に調べたことを教えようと、彼女たちを見る――セラは相変わらず多くのクラスメイトたちに囲まれ、友達のいない麗華は相変わらず不機嫌そうな顔を浮かべて一人でいた。


 事件が発生して不安な友人たちの精神的フォローをしているセラは話しかけ辛いと思った幸太郎は、麗華から先に昨日のことを報告することにした。


 そう決めて、さっそく幸太郎は麗華に近づこうとすると、赤いマントを羽織った数人の輝士団が教室内に入ってきた。


 突然入ってきた輝士団に、クラスメイトたちは驚いていた。


「と、突然失礼します……七瀬幸太郎君に用があります」


 緊張した面持ちで言った、二つ結びの髪型に、眼鏡をかけた少女。


 地味な印象の少女だが顔立ちはよく見れば整っている。しかし、ほとんどの人は彼女の顔には目は向かないだろう――最初に関心を得るのは彼女のその豊満な胸だ。


 クラスの中――いや、アカデミー都市内でも屈指のスタイルを持つ少女は、その豊満な身体を輝士団の印である赤いマントで隠しているが、隠れていない。


 男子の欲望の眼差し、そして、女子からの驚愕の視線を受けているのに少女は、恥ずかしそうに俯いていた。


「水月先輩、こんにちは……何か用ですか?」


「あ、ど、どうも、お、お久しぶりです、七瀬君」


 少女――幸太郎の一年先輩である水月沙菜みづき さなに呼ばれて、幸太郎は麗華に報告するのを中断して彼女に小走りで近づいて気軽に声をかけた。


 幸太郎に声をかけられて沙菜は恥ずかしそうに、それでいて、気まずそうに挨拶をした。


 沙菜は小さく深呼吸をして気を落ち着かせて、話をはじめる。


「共慈さんがあなたにお話があるそうです」


「襲われたって聞いたんですが、大丈夫なんですか?」


「はい。意識不明でしたが、ついさっき目が覚めました。手ひどくやられたようですが、骨や内臓に異常はありません」


 大道の容態を淡々と説明した沙菜に、どうして自分が大道に呼ばれたのかという疑問が浮かぶよりも先に、犯人に襲われた大道の無事を知って安堵していた。


「これから、共慈さんが入院している病院へ向かいますので、ついて来て――」

「ちょおっとお待ちなさい! 私がいない間に、勝手に話を進めないでいただけます?」


 沙菜の言葉を遮って、麗華が突然間に入ってきた。


 突然話に割り込んできた麗華を見て、沙菜は頬を紅潮させて明らかな怯え、そして、苦手意識を表情に出し、自身の豊満な胸を腕で隠した。


 そんな麗華に続いて友人たちとの会話を中断してきたのか、セラが現れて沙菜から幸太郎を庇うようにして、彼の前に立った。


 セラの登場に、沙菜はセラに対して敵対心と警戒心が混ざった目で睨む。沙菜に睨まれたセラは戸惑った様子でぎこちない笑みを浮かべた。


「あの……それで水月先輩、輝士団の方々が七瀬君に何か用ですか?」


「鳳さんやあなたには関係ありません……私はただ共慈さんに頼まれて、七瀬君を呼び出しただけです。あなたたち風紀委員は呼んでいません」


 おずおずとした様子で尋ねたセラを、冷たく沙菜は突き返した。


 セラが質問しても何も答えてくれないだろうと察した麗華は、意地の悪い笑みを浮かべて沙菜を見つめる。見つめられた沙菜は小さく悲鳴を上げる。


「一応、七瀬さんはギリギリ風紀委員ですわ。輝石の力を満足に扱えぬ劣等生である彼が、どうして事件の被害者である大道共慈が呼び出しましたの? 今回の事件を調査している風紀委員としては、気になるところですわね……それで、どうしてですの?」


「それは、その……わ、私は何も聞かされてません……な、七瀬君なら知っていると……」


「あ、ちょうどよかった。多分それは……」


 両手をワキワキと動かして沙菜の肢体を隅々まで舐め回すように見つめながら質問する麗華に、かつてのトラウマを思い出した沙菜は全身を恐怖で震わせながら、縋るような目で幸太郎を見つめた。


 昨日のことを話すタイミングを見つけた幸太郎は、さっそく昨日ティアと一緒に大道と会ったこと、彼と会ってわかったことをすべて説明した。


 そして、大道が自分を呼んだのは事件の犯人についてかもしれないと話した。


 幸太郎の話に、麗華たちは大人しく、そして、興味深そうに聞いていた。


 だが、すべてを説明し終えた――その瞬間――

「――っの! 愚か者!」


 教室内、いや、高等部校舎中に響き渡る麗華の怒声。


 今まで大人しく話を聞いていたのが嘘のような凄まじい声量の怒声。


 鼓膜を破る勢いの声量に、幸太郎以外の面々は思わず耳を塞いでしまった。


 耳を塞ぐのに遅れた幸太郎は一瞬聴覚がなくなってしまった。


「昨日私はあなたに勝手な行動は禁ずると言いましたわ! あなたのその耳は飾りですの? その前にあなたは言葉が理解できる頭を持っていますの? それは飾りですの?」


「そ、それについてはごめんな――」

「シャラーープッ! 謝罪も言い訳も聞きたくありませんわ! せっかくの私の気遣いを台無しにするなんて、もう我慢なりませんわ! そんなにひどい目に遭いたければ、この私があなたを切り刻んでやりますわ!」


 幸太郎の想像通り――いや、それ以上に、激怒している麗華。


 ブローチに埋め込まれた輝石を取り出して、武輝に変化させようとする麗華に、さすがに危険を感じた数人の輝士団が麗華を取り囲んで落ち着かせる。


 取り囲まれた麗華は怒鳴り声で何かを叫んでいるが、もはや野獣の叫び声のようで、何を言っているのかまったくわからなかった。


「水月先輩、鳳さんたちも連れて行ってもいいですか?」


「し、仕方がありませんね……」


 ここで連れて行かなければもっと荒れるだろうと判断し、沙菜は幸太郎の提案を呑んだ。


 さっそく病院へ向かう準備をはじめる幸太郎。


 そんな幸太郎をセラは何も言わずに冷ややかな目で見つめていた。


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