第7話

 リクトの迎えの車である、黒のセダンの後部座席に乗り込んだ幸太郎は、シートに深々と腰掛けて、疲れたように大きく欠伸をした。


 リクトは大きく口を開いて欠伸をしている幸太郎を微笑ましく見つめ、バックミラーで幸太郎の様子を見ていた運転手は明らかに不快な顔をしていた。


「すごく疲れているようですね。お疲れ様です、幸太郎さん」


「あ、ごめんね。だらしなくて」


 リクトの言葉に、失礼なことをしてしまったと感じた幸太郎はすぐに謝るが、リクトは気にしていない様子だった。


「気にしないでください。こうして自然体でいてくれた方が僕は嬉しいですから」


「でも、せっかく車に乗せてもらって、お礼もなく欠伸をするのは失礼だから。改めて、今日は色々とありがとう、リクト君。運転手さんもよろしくお願いします」


 改めてリクトにお礼を述べ、運転手に向けて挨拶をする幸太郎。バックミラーで幸太郎の様子を見ていた運転手の表情はいまだに険しいものであったが、幾分か柔らかくなった。


「そういえば、幸太郎さんの暮らしている寮に向かうのははじめてですね」


「確かにいつもファミレスばかりだからはじめてだね。今度は僕の部屋に来る? 何なら泊まってよ」


「ほ、本当ですか?」


 リクトにとって魅力的な幸太郎の提案に、興奮を隠し切れない様子のリクトは嬉しさと期待に満ち溢れた目を自身の隣にいる幸太郎に向けた。


「もちろん。リクト君ならいつでも歓迎だよ」


「と、泊まるとなると、夜遅くまで……あんなことやこんなことを……」


「そうまで期待されると、僕も楽しみ」


 一人、顔を紅潮させ、全身をモジモジさせて妄想の世界にいるリクト。


 妄想の世界に浸るリクトを置いて、ふいに幸太郎は車の窓の外を眺めた。


 空はすっかりと薄暗くなり、街灯の明るい光に照らされた、黒いジャケットを着た輝動隊と、赤いマントを羽織った輝士団が目に入った来た。


 輝士団と輝動隊以外の通行人はほとんどいない状態だった。


「今回の事件、輝士団も輝動隊もかなり本気で死神を探してるみたいだね」


 窓の外に映る、殺気立って蘇った死神を探し続ける治安維持部隊たちを見て幸太郎はそう呟くと、リクトは「無理もありません」と言った。


「みんな、四年前の事件が頭の中にあるんです」


「四年前の事件――僕はニュースで見ただけの基本的な知識しか知らないんだけど、当時のアカデミー都市の様子をリクト君は詳しく知ってる?」


「もちろんです。アカデミーが設立した時から僕はここにいましたから……だからこそ、あの事件は他のどの事件よりも鮮明に憶えています」


 そう言って、当時の状況を思い出しているのか、リクトの身体は微かに震えていた。


 そんなリクトの手を、幸太郎は優しく包み、「大丈夫?」とリクトを気遣った。


 幸太郎の気遣いに、リクトは頬を紅潮させるとともに恐怖心がなくなり、「ありがとうございます」とお礼を述べて、話を続ける。


「あの時のアカデミー都市内は混乱と恐怖によって支配され、混沌とした状況でした。多くの被害者、そして、一人の犠牲者が出た事件でしたから」


「犠牲者が出ちゃったから、かなりすごい状況だったんだろうね」


「それだけではありません。多くの輝石使いたちが恐怖した原因は、被害者の多くが教皇庁に所属している高い実力と豊富な経験を持つベテランの聖輝士せいきしだったということです」


 教皇庁に認められた輝石使いを輝士きしと呼び、そんな輝士の中でも、多くの実績と高い実力を兼ね備えた人物に与えられる誉れ高き称号である『聖輝士』。


 そんな称号を持つ人物が多く襲われたとなれば、確かにほとんどの輝石使いは恐怖に陥るだろうと、幸太郎は当時のアカデミー都市内の状況を思い浮かべながらそう思った。


「多くの輝石使いを生み出した『祝福しゅくふく』から、教皇庁は自分たちの力を周囲に知らしめるため、多くの若い輝士たちに聖輝士の称号を与え、実力が伴っていない聖輝士を粗製濫造しました――しかし、襲われたすべての聖輝士たちは、『祝福の日』以前に聖輝士となっていた人物ばかりでした」


「若い人たちに比べて、そんなにその人たちは強かったの?」


 幸太郎の疑問に、リクトはもちろんだというように力強く頷いた。


「『祝福の日』以前の聖輝士は今と違ってごく僅かな数で、実力と知識と人格のすべてを併せ持つ一握りの人物にしか与えられない称号でした。そんな彼らを四年前の事件の犯人――死神は次々と襲い、そして、襲われた聖輝士たちのほとんどが口を揃えて手も足も出せないと言わせるほどの高い実力を持っていました」


 リクトの話を聞いて、幸太郎は心の中でなるほど、と一人納得していた。


 四年前の事件と酷似し、死神の再来と騒がれている今回の事件に、セラと麗華が自分を心配して関わらせないようにした理由を、ようやく幸太郎は理解できた。


「やがて死神は聖輝士だけではなく、アカデミーの生徒である輝石使いを襲い、多くのボディガードに囲まれた教皇庁の枢機卿をも襲い、人々に更なる恐怖を植えつけました。教皇庁と鳳グループは互いに協力し合って、死神を捕まえるために躍起になっていましたが、目的がわからずに無差別に輝石使いを襲う死神を中々捕えることができませんでした……しかし、死神はある日、何者かによって討伐されました」


「討伐? ニュースだと追い詰められた末に自爆って言ってたけど」


「教皇庁と鳳グループは体面を保つために、マスコミへの対応を最低限にして、詳しい説明もしないで自分たちが協力し合って死神を追い詰めたと吹聴していますが、実際は死神を追い詰めた何者かに倒されると同時に、建物に仕掛けていた爆弾で自爆したそうです」


 連日連夜報道していた死神事件の話題が、ある日突然死神が捕まる寸前に立てこもっていた建物とともに自爆したと言って、解決した詳しい経緯などは説明しないで、パッと事件の話題が消えたことを、当時から不自然だと感じていた幸太郎は今でも強く憶えていた。


 そして、ここで幸太郎は新たな疑問が生まれた。


「それじゃあ、死神を倒した人って一体誰なの?」


 疑問を口にすると、リクトは複雑な表情を浮かべて「申し訳ありません」と謝った。


「それが今でもわからないんです……母さ――教皇エレナに聞いても、詳しいことを教えてくれません。教えてくれない理由として、死神事件を思い出させないようにするための処置であるということと、公表しなければ教皇庁の利益になると考えていると考えている――というのが理由のようです」


 呆れたようなため息交じりにそう言って、リクトは小さく嘆息した。


「結果として、四年前の事件の記憶は確実に薄まり、思惑通り教皇庁と鳳グループは事件解決に尽力して世間から称賛を浴びましたが僕個人の意見としては悪手のような気がします……結局、都市伝説として死神が生きていたのですから」


 リクトの言う通りだと幸太郎も思った。


 死神の再来と恐れられている今回の事件――都市伝説で死神が生きているという話があったからこそ、余計に人の恐怖心が煽られているんじゃないかと、幸太郎は思っていた。


「遺体は発見されていないという話があって死神生存説の都市伝説が生まれたのですが、教皇庁と鳳グループは、死神は倒されたと信じています。だからこそ、今回の事件の犯人を模倣犯だと信じ込み、捜査に本腰を入れていません……このままでは、すべてが手遅れになって四年前と同じことになるかもしれない……」


 不安を口にするリクト。幸太郎が優しく包んでいる彼の手が再び微かに震えはじめた。


 怯えたような、そして、縋るような視線を幸太郎に向けるリクト。


「幸太郎さんは今回の事件の犯人ついてどう思いますか? 刈谷さんと共慈さんの知り合いの方だと思いますか? それとも、生きていた四年前の死神の犯行だと思いますか?」


「んー、今はまだわからない」


 リクトの質問に幸太郎は深く思案することなく、欠伸をかみ殺してそう答えた。


 ある意味幸太郎らしい答えに、リクトは呆れながらも微笑んでいた。


「早く事件を解決して、またリクト君と一緒にのんびりご飯を食べに行きたいね」


「そうですね……僕もそう思います」


 呑気な幸太郎の一言に、四年前の死神のことを思い出して不安な気持ちでいっぱいだったリクトの心に安心を与え、心地良ささえも覚えていた。


「そういえば、ここ最近事件で人通りが少ないから、いつもは混んでて中々入れない人気店に行ってるんだけど、セントラルエリアで最近人気があるクレープ屋のスペシャルクレープ、すごい美味しかったよ」


「本当ですか? 是非今度そこに行きましょう! ……と、というか、こんな状況で食べ歩くとは、相変わらず幸太郎さんは呑気ですね」


 多くの輝石使いにトラウマを植え付けた事件と酷似した事件が発生しているというのに、呑気に人気飲食店巡りをしている幸太郎にリクトは呆れていたが、完全に四年前の死神への恐怖心は忘れている様子だった。


 寮に到着する間、幸太郎はリクトとずっと談笑していた。


 その間、リクトはずっと柔らかい、心からの笑みを浮かべていた。




―――――――――――




 夜の闇が完全に周囲を支配している時間――大道共慈は街灯が少なく暗闇に支配された人気がない道を一人、全身に張り詰めたような空気を纏って歩いていた。


 事件が発生してから、一人で暗い道を通行するのを禁止されており、巡回している輝動隊や輝士団も一人ではなく二人一組になって行動しているが、大道は一人だった。


 一人で暗く、人気のない道を歩き、あえて監視カメラの設置数が少ない場所を選んで歩いていた。


 まるで、自分を襲ってくださいと言わんばかりだが、それが大道の狙いだった。


 この周囲を巡回していた輝士団に一人でこの辺りを巡回すると言って、わざわざ一人になり、犯人が狙いやすいように監視カメラの設置台数が少ない場所を選んだ。


 大道は確信していた、必ず犯人は自分の元へと来ると。


 その確信の通り、背後からいつの間にか自分の後に続く気配が突然現れた。


 気配を感じた大道は立ち止まり、ゆっくりと振り返ると、背後にフードを目深に被った黒いレインコートを着た人物――死神が立っていた。


 目深に被ったフードのせいで表情は窺えなかったが、大道は死神が振り返った自分を見て笑っているように思えた。


 自分の予想通り現れた人物に、大道は心底失望したような目を向けた。


「刈谷を襲ったそうだな」


 大道の言葉に、死神は何も反応せずにポケットからボンヤリと光る輝石を取り出し、一瞬の強い発光の後に輝石を大鎌の形をした武輝に変化させた。


 問答無用だと感じた大道もすぐに、自身の腕に巻いた数珠を外すと、珠の一つが発光し、光が治まると同時に武輝である錫杖へと変化した。


「戦う前に聞いておこう……四年前の死神の真似事をして、お前は一体何が目的だ」


 大道の質問に、レインコートを着た人物はしばし沈黙した後、小さくため息をついた。


「強くなるためだよ……でも――」


 男の声である死神は場違いなほど呑気な口調でそう言って、何かを考えている様子だった。死神の言葉を鋭い眼光を飛ばしながら、大道は死神の言葉を待っていた。


 しばし沈黙が続いたが、やがて死神は思い出したように「ああ、そうそう」と言った。


「ナナセコウタロウ――知ってる?」


 思いもしなかった人物の名前が出て、表情は変えなかったが大道は内心では驚いていた。


 自身の感情を悟られないようにしたが、死神は大道の心の内を見透かしたように頷き、目深に被ったフードに隠れた顔に笑みが浮かんでいるように大道の目には見えた。


「僕と似ているってショウが言ってたんだ……知ってるんだね? キョウさん……ねぇ、教えてよ……ナナセコウタロウを」


 フレンドリーな口調で懇願しながら、死神はゆっくりとした歩調で大道に向かう。


 七瀬幸太郎について知りたがっている死神だが、大道は答える気はなかった。


 強くなると言って、七瀬幸太郎のことを知りたがっている様子の死神からは明確な執着心のようなものを大道はハッキリと感じ取ったからだ。


 それを感じると同時に、大道は苦々しい顔になった。


「……ナナセコウタロウって誰?」


 その質問に答えず、こちらに向かってくる死神の出方を大道は鋭い目で観察しながら、武輝を構えて自身の間合いに入るのを待っていた。


 質問に答える気がなく抵抗しようとする大道に、死神は深々とため息を漏らした。


「それじゃあ、仕方がないか」


 軽い調子でそう言うと、死神は急に走りはじめ、一気に大道と間合いを詰めてきた。


 一直線に大道に向かって走る死神。


 大道は自身の武輝である錫杖に自身の力と、輝石の力を最大限に込める。


 暗闇に包まれた周囲を明るく照らすほどの眩い光に武輝が包まれる。


 大気を揺るがすほどの強大な力が込められた大道の武輝。


 圧倒的な力を放つ大道の武輝にも怯むことなく、一直線に死神は彼に向かう。


「友として、一撃でお前を葬り去ろう……南無三!」


 そう呟き、武輝を思いきり振り上げ、そして、死神が自身の間合いに入った瞬間、全身の力を加えて思いきり振り下ろした。


 自身の目前に迫る大道の武輝――


 死神の動きに合わせて振り下ろした大道の攻撃は、死神に避ける間も反撃する間も与えなかった。宣言通り、一撃で倒すために放たれた攻撃だった――


 目深に被ったフードの口元が、強烈な光を纏った武輝によって照らされる。


 照らされた表情を見た、大道は一瞬息を呑み、全身に悪寒が走った。


 確実に自身に向かってくる強烈な一撃に、死神の口元は弧を描いており、場違いなほど心底楽しそうで、嬉しそうな笑みを浮かべていたからだ。


 死神は自身に迫る攻撃を気にも留めずに、武輝を振るう。

 

 ――刹那、周囲に轟音が響き渡った。


 

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