第23話

 幸太郎は気だるそうに瞼をゆっくりと開いた。


 ぼんやりとした視界に映るのは、暗い風紀委員本部の中の天井、そして、自分の顔を心配そうに覗き込むリクトの顔だった。一瞬、女の子かと思ったが、よく見ればリクトであることに気づき、少し幸太郎は残念だった。


 のそのそと身体を動かして、幸太郎は大きく欠伸をしながら上体を起こそうとすると、左の脇腹から伝わった鈍い痛みに顔をしかめた。


 ……ああ、そうか、そうだったっけ。


 脇腹から伝わる鈍い痛みに、ぼんやりとした頭の中で自分の身に起きたことを徐々に思い出していた。上体を起こして、幸太郎は室内を見回す。


 リクトの他に、目が覚めた幸太郎を見て安堵している様子のセラ、そして、窓際に立っている不機嫌そうな顔をした麗華だった。麗華は一瞬だけ幸太郎の目が覚めた様子を確認すると、すぐに「フン」と鼻を鳴らして視線を外に移した。


 本当に素直じゃない、鳳さんらしい。


 ボンヤリとする頭の中で、幸太郎は麗華の態度を見て呑気にそう思った。


「幸太郎さん、今は無理しないで横になっていてください」


 上体を起こした幸太郎をそっと押して、リクトは再び横にさせた。


「……どれくらい眠ってたの?」


「大体三十分くらいです」


「もっと眠ったような気がしたんだけど、三十分しか経ってなかったんだ。意識が朦朧としてた時にリクト君の首にかけてるティアストーンの欠片の光を見てたら、すごい気持ちよくなって、かなり寝ちゃったと思ってたんだけど」


 リクトの首にかけているペンダントについた青白い光の明滅を繰り返すティアストーンの欠片を見て、薄らと残る記憶を思い出していた。


 不思議と、光の明滅を繰り返すティアストーンを見ていたら、何だか幸太郎は脇腹に残る痛みが和らいでくるような気がした。


「幸太郎さんは今、無意識に輝石の力を使って怪我の治療をしています。完全に傷を塞ぐことはできませんが、出血と痛みは徐々に消えると思います……すみません、僕の力が母さんのように強ければ、もっと輝石を強く反応させて傷の具合をよくできるのですが……」


 申し訳なさそうにそう言って、リクトは幸太郎に向けて頭を下げた。


 ……ああ、そういえば、リクト君は他の人の輝石に触れなくても反応させることができるんだっけ……それで治療してくれたのかな。なら――

「お礼を言うのは僕の方。ありがとう、リクト君。リクト君のおかげでだいぶ楽になった」


 心からのお礼を述べる幸太郎を見て、リクトの頬に涙が伝う。


「どうして……どうして、お礼なんて言うんですか……」


「人に何かをしてもらったらお礼を言うのは当然。小さい頃にそう教えてもらったから」


「でも、僕は――……謝っても謝りきれないことをあなたにしたのに……」


「どうして謝るの? リクト君が謝ることは何一つしてないのに」


 心からの謝罪をしようとしているリクトの様子に、幸太郎は何が何だかまったくよくわかっていない様子で首を傾げていた。


 そんな幸太郎にリクトは思わず脱力しそうになるが、力が抜けそうになる顔に力を入れて、真剣な顔で幸太郎を見つめる。


「お礼を言うべきは――いいえ、謝罪を僕はあなたにしなければならないんです」


「……もしかして、あそこの棚の中にある、買い置きしてた新商品のお菓子を食べたの?」


「違います。というか、そんなわけないでしょう」


「それじゃあ何?」


「僕のせいであなたが傷ついてしまったことですよ!」


 嫌味で焦らされていると思ったリクトは、苛立った様子で語気を荒めてそう言った。


 リクトの言葉を聞いて、一瞬の思案の後、幸太郎は「あー」と、今思い出したような様子で手をポンと一度叩いて頷き、驚くと同時に呆れていた。


「そんなこと気にしてたの? リクト君って真面目だね」


「そ、そんなことって――あ、当たり前じゃないですか! 僕を守ったせいで怪我を……すみません」


 幸太郎の左脇腹に貼りついている血に塗れているガーゼを見たリクトは、一気に苛立ちが治まり、俯いて再び申し訳なさそうに謝った。


 幸太郎は湿っぽい雰囲気で謝るリクトに戸惑ったように頭を掻く。


「別に謝らなくてもいいんだけど……だって、君を守って怪我をしたのは僕が決めた行動の結果で、僕の責任だから気にしなくてもいいのに」


 自分の責任だと言い放つ幸太郎に、意味がわからないといった様子のリクト。


「さっきも言ったけど、僕が君を守るって決めたのは僕が決めたことだから。自分が決めたことで行動した結果、自分がバカを見たり、怪我とかしたりしても僕は他人を恨まないし、後悔もしない。だって、僕が決めたことなんだから」


 淡々とそう言い放つ幸太郎の言葉にリクトだけではなく、セラや麗華も聞き入っていた。


「だからリクト君が謝る必要はない。だって、リクト君を守るって決めた僕の行動の結果、怪我をしたんだからこれは自己責任。それに、君を守れたんだから後悔もしてない……まあ、ちょっと痛かったのは少し後悔したけどね。そんなことよりも――」


 ふいに、幸太郎のお腹から力の抜けるような重低音が響き渡る。


「お腹が空いた」


 起きた時から空腹と喉の渇きを覚えていた幸太郎だったが、それ以上に痛みの方が上回っていたので、それらを気にしている余裕がなかった。


 空腹を告げる虫の音に、幸太郎たち以外の人間は全員脱力した。


「……バカ」


 麗華は誰にも聞こえないような声でそう呟き、セラは脱力しながらも、相変わらず呑気な様子の幸太郎を見て心の底から安堵しきったような笑みを浮かべていた。


 空腹が気になってくると同時に、左脇腹から伝わる痛みが徐々に弱まっていることに幸太郎は気づいた。


 さっきまで鈍い痛みを放っていた傷口だったが、今はまったく気にならなくなっていた。


 輝石の力のすごさを改めて思い知ると同時に、リクトの持つ力に感心し、彼の首に下げているペンダントについている青白く発光しているティアストーンの欠片を眺めた。


「それにしても、リクト君がティアストーンの欠片を光らせた時はだいぶ楽だったなぁ……これって、すごいね」


「あ、待ってください。まだ幸太郎さんの輝石を反応――え?」


 ふいに、幸太郎はリクトが首から下げている青白く光るティアストーンの欠片を触れた。


 まだ幸太郎の輝石を反応させている最中だと注意しようとしたリクトだったが、注意することを忘れて、驚愕に目を見開いた。


 ティアストーンの欠片を幸太郎が触れた瞬間、ズボンのポケットの中で輝いていた幸太郎の輝石の光が急に失った――が、幸太郎の手の中にあるティアストーンの欠片はほのかに青白く発光していた。


「幸太郎さん……まさかあなたは――」

「まずい事態になりましたわ!」


 リクトの驚愕の声が麗華の大声によってかき消されてしまう。


 幸太郎たちの視線が大声を出した麗華に集まる。麗華は窓の外の光景を見て驚いていた。


 窓の外は相変わらず輝士団たちが取り囲んでいるが、一つだけ不自然なところがあった。


 それは、空に浮かんでいる星だった。


 外には雨が降りしきっているにもかかわらず、空には星が浮かんでいたのだった。


 だが、空には雨雲が広がっているのでそれが星ではないことはすぐに理解できる。


 リクトは空に浮かんでいる発光体を見て、幸太郎に対しての疑問が吹き飛び、顔を絶望で青白くさせて、幸太郎から離れて窓に近づいた。


「も、もしかして――アカデミー最高戦力の彼がついに動き出したんですか?」


「間違いないですわ。こんな力を出せるのは彼しかいないでしょう」


 震えている声で質問するリクトに、麗華は息を呑みながら肯定した。


 アカデミー最高戦力という言葉に興味を抱いた幸太郎は起き上がった。


 さっきは起き上がろうとした時に鈍い痛みが走ったが、リクトのおかげで今はだいぶ痛みも和らいで、起き上がることはもちろん、歩行も問題はない様子だった。


 冷蔵庫の中にあったジュースを一気飲みして、高そうな箱の中に入っているトリュフチョコを食べながら、はだけた制服を直して麗華に近づき、純粋な疑問を口にする。


「アカデミー最高戦力って、もしかして、アカデミーの中で一番強い人ってことなの?」


「どの程度輝石を使いこなせるかによって輝石使いは強さが決まるということを考えれば彼はアカデミーの中で文句なしで最強ですわ。まさにワンマンアーミーですわね――彼についてはあなたが詳しいのでは? どうでしょう、セラさん」


 麗華に話を振られた外の景色を厳しい顔で眺めているセラは、一拍子遅れて反応する。


 今のセラの表情は悲しさと怒り、そして焦燥が入り混じった顔をしていた。


「優輝――……彼は昔から輝石を扱う能力に関しては飛び抜けた実力を持っていました。彼以上に輝石を扱える輝石使いを私は見たことがありません」


「アカデミー最高戦力って、輝士団団長の優輝さんだったの?」


 アカデミー最高戦力と呼ばれる久住優輝の顔を幸太郎は頭の中で浮かべる。


 輝動隊隊長である伊波大和よりは、だいぶ頼り甲斐がありそうに見えるが、あの細い体躯でアカデミー内で最強の輝石使いであると言われると、幸太郎の頭の中にある最強の輝石使いは筋骨隆々として顔や身体中に傷がある無骨な人物というイメージとはだいぶかけ離れていた。


 しかし、優輝がセラとティアの幼馴染であり、幼い頃から彼女たちととともに実戦形式に近い旧育成プログラムで修行を続けていたということを思い出すと、幸太郎は優輝の強さを納得できてしまった。


「こんなことをできるのは優輝しかいません。あの空に浮かぶ発光体は、優輝が操る輝石の力によって生み出された光の刃――あれが一気に降ってきたら、高等部校舎なんて簡単に破壊することができるでしょう」


「優輝さんってそんなにすごい人なんだ」


 大袈裟に誇張している様子はなく、優輝の力を説明するセラに、麗華とリクトは彼の圧倒的な力の差に恐れを抱いた。そんな二人とは対照的に幸太郎は呑気に感心していた。


 輝士団に囲まれ、アカデミー最高戦力久住優輝が動き出し、そして、空に浮かぶ優輝が輝石の力を使って生み出した、校舎を取り囲む騎士団の人間よりも多い無数の光の刃――誰がどう見ても絶望的な状況だった。


 暗い顔をしているリクトは諦めている様子で「もういいです……」と呟いた。


「こんな状況で方法は一つしかありません……僕を輝士団に引き渡してください」


 降参を勧めるリクトだが、風紀委員たちは誰もリクトの言葉に反応しなかった。


 反応しない風紀委員に対して、リクトは深々と呆れたように嘆息した。


「こんな状況では無理ですよ……一通りの治療を終えても幸太郎さんは怪我人ですし、人数でも明らかに劣っています、だからもう諦め――」

「それじゃあこれからどうしようか」


 諦めるようにと言おうとしたリクトの言葉を、幸太郎は自分の言葉で無理矢理遮った。


「ここまで来たんですわ。意地でも高峰さんやクラウスさんをギャフンと言わせますわ! そして、この事件を解決してこの私の評判は鰻登り! オーッホッホッホッホッホッ!」


「ギャフンって実際に言う人はじめて見た」


「シャラップ! 死に損ないは黙っていなさい!」


「鳳さん、今は落ち着いてこの場を凌ぐ方法を考えましょう。幸太郎君も、余計なことを言わないで怪我人なのですから大人しくしてください」


「そ、それもそうですわね! ――って、ちょっと待ちなさい! 七瀬さん、あなたそれ、何を食べていますの? 随分美味しそうなチョコですわね……」


「冷蔵庫の中にあったチョコ。美味しいね。今ちょうど最後の一個を食べたところ」


「――ッ! このバカァアアアア! それは私が楽しみにしていた限定品の最高級チョコですわ! 吐き出しなさい! 今すぐ吐き出しなさい!」


「やってみる――……オエェ! ……無理っぽい」


 幸太郎の余計な言動で麗華が怒り、セラが麗華を落ち着かせ、幸太郎を軽く叱る――いつも通りの風紀委員の光景だった。


 こんな状況にもかかわらず、諦めることなく抵抗を続けようとする風紀委員たちの姿に、リクトは内心では呆れて、無理だろうと決めつけていたが――それ以上に、こんな状況で自分のように簡単に諦めない彼らに対して憧れの感情を抱いた。


 そんなリクトの気持ちを露も知らない様子の風紀委員は、校舎から抜け出して教皇庁本部へ向かう手段を考えていた。


 そして、ふいにセラは「あ……」と、何かを思い出したかのように、そして、閃いたような声を出してリクトを見つめた。突然セラに見つめられ、リクトは首を傾げた。


「あの、鳳さん……いや、それはさすがにまずいか……」


「どうしましたの、セラさん。何かいいアイデアでも思いつきましたの?」


「あ、いえ、その……すみません、忘れてください」


 人を呼び出しておいて、忘れてくれと言う思わせぶりで曖昧な態度を取るセラに、麗華は苛立ちと不快感を露わにして、腕を組んでセラをジッと麗華は何も言わずに睨む。


 無言の圧力を感じ取り気後れするセラ。しばらくして、諦めたように小さくため息を漏らすと、「わかりました」と、不承不承ながら思いついた案を出した。


 セラとしては、あまり採用されたくなかったのだが……

 結果――セラの出した案を即採用することになった。


 採用されることになり、セラは土下座をする勢いでリクトに謝罪をした。

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