第22話

 幸太郎の案内通りに裏道から高等部校舎に向かった風紀委員たちとリクト。


 あまり知られていない道のためか、監視カメラがあっても輝士団と接触することなく、滞りなく高等部校舎に到着することができた。


 しかし、高等部校舎に入る瞬間が監視カメラに映っていたため、風紀委員たちが校舎に入ってしばらくすると、あっという間に校舎を輝士団たちに囲まれてしまった。


 しかし、そんなことを風紀委員たちは気にしている余裕はなかった。


 風紀委員本部に真っ先に向かうと、高等部に到着すると同時に気が抜けて気絶した幸太郎をソファの上に寝かして応急処置を行う。


 普段、お菓子のカスをこぼしただけで怒る麗華だが、ソファに血がついても何も言うことなく、応急処置をするセラの手伝いをしていた。


 居場所を悟られないため、明かりを灯せない視界が悪い状況にもかかわらず、二人はてきぱきと動いていた。


 幸太郎が着ている上着を脱がし、シャツのボタンを外して患部にセラは消毒液をぶっかけて、血に塗れた周囲をきれいにして傷を見る。


「今まで打ち身や擦り傷等しか見たことないので断定できませんが――傷口がきれいなことが幸いです。内臓には達していないとは思うのですが……」


「……出血がひどいのは傷の範囲が大きいのが原因というわけですわね」


「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません……すみません、こんな時に曖昧で」


「仕方がありませんわ。今は取り敢えず、できることをしましょう」


 幸太郎の傷の応急処置をする二人を、リクトは見つめることしかできなかった。


 何かしようと思っていても、リクトは動くことができなかった。


 もちろん、自分を庇ってくれた結果負傷した幸太郎のことは心配している。


 しかし、それ以上にこんな状況で自分なんかが役に立たないだろうと思っているからだ。


 リクトが悩んでいる間に、麗華とセラの二人は応急処置を終える。


 応急処置を終えたが、幸太郎の顔は失血で青白いままで呼吸が荒いままだった。


「応急処置は終わりましたが……容態は芳しくありません。やはり、本部にある救急セットでは心許ないですね」


 幸太郎の額に浮かぶ脂汗を自分のハンカチで拭い、セラは浮かない面持ちでそう言った。


「できる限りのことはしましたわ。それでも、処置をしないよりはマシですわ」


「そうですが……せめて、彼にも普通に輝石を扱う力があれば輝石の力が身体に作用して、治りはしなくとも、容態は安定するのですが……」


「ないものねだりは――……いえ、その手がありましたわ……」


 セラの言葉に、麗華は何かに気づき、手持無沙汰なリクトに視線を向ける。突然彼女に視線を向けられ、リクトは不安な気持ちになった。


「リクト様……ティアストーンを扱う力を持つあなたなら、お母様と同じように輝石を反応させる力を持っているのではありませんか?」


「は、はい……その……一応は、ありますけど……その……」


 自信なさげに曖昧な返事をするリクトだが、その返事を聞けただけで麗華は満足だった。


 セラも麗華がリクトに何をさせようとしているのか理解し、安堵したようだった。


 何をさせようとしているのかリクトも理解できたが、彼の表情は暗く、不安気だった。


「それを聞いて安心しましたわ……リクト様、さっそくですが七瀬さんの輝石を反応させていただけませんか? 彼の輝石をあなたの力で疑似的に反応させて、彼の身体に輝石の力を纏わせれば、もしかしたら、彼の怪我の一時的な治療になるかもしれませんわ」


「ま、待ってください……確かに輝石の力を反応はさせることができますが、輝石の力を扱うのは輝石使い本人次第です……武輝も出せない、それに、こんな怪我をして弱っている幸太郎さんでは……」


 自分に言い訳するようにしてリクトはそう説明するが、麗華は食い下がらない。


 期待をしている目でリクトを見つめて、麗華は話を続ける。


 そんな麗華の目から逃れるようにして、リクトは彼女から目を背けた。


「確かにリクト様のおっしゃる通りですが、今は考えることよりもやってみることが重要ですわ。さあ、お願いします、リクト様」


「で、でも……その……」


「平気ですわ。あなたは教皇エレナの息子! そんなあなたにできないことは――」

「僕は母さんではありません!」


 麗華の言葉を、リクト悲鳴にも似た怒声が遮った。


 感情を露わにするリクトに麗華はもちろんのこと、セラも驚いている様子だった。


 気まずい沈黙が流れる室内――リクトは徐々に平静を取り戻した。


 まだ心臓が早鐘を打っており、怒声を張り上げることに慣れていないリクトは変に身体に力を入れ過ぎて全身が小刻みに震えていたが、すぐに麗華とセラに対して頭を下げた。


「すみません、急に大声を出してしまって。でも、僕はエレナ様のような大きな力はありません。まだティアストーンを制御できる力が未熟で、一人の輝石をほんの少しだけ輝かせるのに精一杯なんです……すみません、教皇の息子がこんなもので……」


 リクトは自分には無理だと遠回しに、自虐的な顔をしてそう言った。


 そんなリクトに、ずっと猫を被っていた麗華の雰囲気が徐々に冷たいものへと変化する。


 セラは麗華の変化に気づきながらも、リクトをジッと見つめて彼の様子を窺っていた。


 麗華の雰囲気の変化に気づくことなく、リクトは自分自身に言い訳をするような、自虐をするような言葉を続ける。


「僕は教皇エレナの息子というだけであり、エレナ様のような力はありません……煌石を扱える資質を持っているということは生まれた時からわかっていました。でも、僕にはエレナ様の――母さんのような力はありません……すみません、期待を裏切ってしまって」


「言い訳はもう聞き飽きましたわ」


 深々と頭を下げて、申し訳なさそうに謝罪するリクトを、腕を組んだ麗華は冷たく見下ろした。完全に猫を被るのを捨てたようだった。


 麗華の冷たい言葉に一瞬驚きながらも、リクトは下げていた頭を上げて恐る恐る麗華を見ると、彼女はリクトに対してのいっさいの慈悲がない冷たい目で睨んでいた。


 冷たい目で睨まれるとともに、静かな威圧感と怒りを放っている麗華に、恐ろしくなったリクトは思わず目をそらす。目をそらした彼に麗華は冷笑を浮かべる。


 心底リクトに失望し、そして、興味を失ったかのような、そんな冷ややかな笑みだった。


「あなたのような方が息子で、エレナ様はさぞ失望し、悲しむでしょうね」


 ……そんなのに気づくのなんて今更だよ……


 躊躇うことなく、麗華は冷たくそう言い放つ。その言葉が見えない刃となってリクトの心に深々と突き刺さるが、そんな言葉ではもうリクトは何も思えなくなっていた。


 高峰広樹に裏切られた時点で、リクト・フォルトゥスは死んだも同然だからだ。


 麗華の言葉にリクトは薄らと自嘲的な笑みを浮かべた。


「……親は子を選べません……そして、子も親を選べないんです」


 そうだ……そうなんだ。

 母さんの力は強大で、カリスマ性もあってみんなの尊敬を集めている偉大な人だ。

 でも、僕は母さんとは違う。

 力もなく、勇気もなく、人を助けることもできない自分は母さんとは違う。

 そうだ……僕の存在意義なんて『教皇の息子』であるということだけ。

 それ以外に、何もない、空っぽの人間なんだ。


 リクトの自虐的な言葉に、麗華の表情からすべての感情が消えた。


 ただ無表情でリクトに詰め寄り、そのまま裏拳で彼の頬を殴りつけた。


 手加減なしに容赦なく麗華に殴りつけられ、その衝撃でリクトは後ろに倒れた。


 セラは麗華を制止させるわけでもなく、むしろ、麗華がリクトを殴りつけなかったら自分が殴ろうとさえ思っていた。


「子も親を選べない? ……あなたがどんなに自分を否定しようとも、あなたがエレナ様の、教皇の息子であるという事実に変わりはしません。親は親、その関係をどんなに足掻こうが、断ち切ることはできませんわ」


 麗華は倒れているリクトの胸倉を軽々と掴んで無理矢理立ち上がらせる。


 思いきり麗華に殴られた頬を腫らしたリクトの目には涙目が浮かんでいるが、その目には生気が宿っていなかった。


「満足できない自分の現状を変えるための努力も何もしようとしない、臆病で卑怯なあなたには、教皇の息子である価値も、教皇候補である価値も、そして、人としての価値すらもありませんわ。あなたを守る価値はありませんわ」


「なら――なら、僕なんて守らなくてもいいじゃないですか!」


 怒声を張り上げ、自身の胸倉を掴んでいる麗華の手をリクトは無理矢理放した。


 自身の感情を爆発させたリクトは、昂るあまり息を弾ましている。


「価値のない僕なんて守らなくてもよかったんです! 僕なんて守らなかったら、幸太郎さんは怪我をしなかった! 怪我をした時に、僕を輝士団に引き渡せばよかったじゃないですか! 守る価値がない僕なんかを見捨てればよかったじゃないですか……ック……」


 涙を流し、絶叫するようにしてリクトはそう言い放った。


 自分を守らなければよかった、そう言っているリクトに何の感動を受けることなく、麗華は相変わらずの無表情でリクトを睨んだ。


「あなたなんて守る価値はありませんわ――ですが、そんなあなたを七瀬さんは身を挺して守った。傷をついても、諦めることなく彼はあなたを守ることだけを考えていた……私やセラさんは彼の意志を汲んで行動しているだけですわ」


「どうして……どうして、僕なんかを幸太郎さんは……」


「さあ、それは私にはわかりませんわ。理由を聞きたければ、彼を治療して直接聞きなさい――もしも、聞き飽きた言い訳を並べて何もできないと逃げるつもりでしたら、私はあなたを輝士団に引き渡しますわ。その結果あなたの身がどうなろうが私の知ったことではありません。私は七瀬さんを助けるための行動をするだけです」


 麗華はそう宣言すると、それ以上何も言うことなく、一瞥もせずにリクトから離れて窓の近くに向かい、窓の外に映る校舎を取り囲む輝士団たちの様子を厳しい顔で眺めていた。


 一人取り残されたリクトは棒立ちのまま何もしようとはしなかった。


 そんなリクトに今まで彼の様子を眺めているだけで黙っていたセラが近づいた。


「自分を変えたいと本気で考えているのなら今がその時ではないでしょうか」


 言いたかったことはほとんど麗華に言われてしまったので、彼女のような過激なことを言わなかったセラは、リクトを励ますような、そして、諭すような口調でそう言った。


 リクトの背中を押すような言葉を述べているセラだが、その表情は今の麗華と同じく厳しく、冷たいものだった。


 言いたいことを伝えたセラは、リクトから離れて幸太郎が横になっているソファに向かい、彼の額に浮かぶ汗をハンカチで拭い、血塗れになったガーゼを交換した。


 棒立ちになっているリクトはふいに幸太郎を見た。


 応急処置は施したが呼吸が荒く、青白い顔にポツポツと汗が浮かんで寝苦しそうだった。


 リクトは首に下げているペンダントについたティアストーンの欠片を触れる。


 不安で恐怖さえも抱いている今のリクトの気持ちを表しているかのように、ティアストーンの欠片は不安定な明滅を繰り返していた。


 やっぱり、僕には……


 一瞬幸太郎のために自分の持つ精一杯の力を振り絞ろうとするが、リクトは尻込みしてしまい、やはり自分には無理だと心の中で決めつけた。


 こんな状況、麗華さんの言う通り母さんが見たらきっと失望するだろうな……


 麗華の言葉を思い出すと同時に、今の自分を見たら母であるエレナはきっと失望し、悲しむだろうと思った。そう思うと、そんな自分を自嘲したくなった。


『あなたはすぐに自分にはできないと決めつける――悪い癖です』


 幸太郎を治療することができないと決めつけたリクトの脳裏に、エレナの言葉が蘇った。


 その言葉を思い出し、リクトは失っていた勇気が蘇った来たような気がして、我ながら単純な人間だと自嘲するとともに、麗華の言葉通りだと思った。


 結局、こうして尊敬する母さんの言葉を思い出す限り、どんなに否定しても母さんは母さんなんだ……

 ……僕は母さんになれないかもしれない、でも……


 相変わらず表情は不安で曇っていたが、リクトはソファで眠っている幸太郎に近寄った。


 臆病で卑怯な僕のことは僕が一番嫌いだ。

 そんな自分を変えたいと何度も思ってきた。

 だからこそ――セラさんの言う通りだ……自分を変えるチャンスは今なんだ。


 不安げな面持ちながら、リクトは覚悟を決めたような顔で幸太郎の傍に立ち、目を閉じ、精神を集中させる。


 動き出したリクトに、窓の外の景色を眺めている麗華は期待していない様子ながらも、気になっている様子でチラチラと盗み見ていた。


 セラは覚悟を決めたリクトの行動を、何も言わずに見守っていた。


 リクトが精神を集中させると、すぐに彼の首から下げているティアストーンの欠片が青白く光る――同時に、ズボンのポケットに入っていた幸太郎の輝石が輝きはじめる。


 幸太郎のだけではなく、麗華とセラの輝石も輝きはじめた。


 輝石から放たれる淡い光が、幸太郎の身体をぼんやりと包みはじめるが、すぐにその光が消え、また再びぼんやりと光が身体を包む。何度もそれを繰り返していた。


 すると、血の気を失っていた幸太郎の青白い顔に、赤みが戻ってきた。


 幸太郎さんの身体に光の明滅が繰り返している――おそらく、幸太郎さんは無意識に輝石の力を頑張って使おうとしているんだ。

 

 幸太郎さん自身、輝石の力の制御があまりできていないけど、このまま僕が輝石を反応させ続けたら、きっと――!


 順調な様子に喜びの声を上げたい気分になったが、リクトはそれを堪えて今は精神を集中させることにした。




―――――――――――




 風紀委員が逃げ込んだ高等部校舎を取り囲む輝士団。


 風紀委員本部が見える位置にいる輝士団団長・久住優輝は、電気が灯っていないせいで室内の様子が見えない本部の窓をジッと見据えていた。


 そんな優輝に、事件の指揮を執っているクラウス・ヴァイルゼンが近づいた。


 クラウスが近づくが、優輝は彼に挨拶をすることなく風紀委員本部の窓を見つめたまま視線を動かすことをしなかった。


 クラウスは自分と高峰の計画が上手く行っていることの喜びと、そのせいで表に出そうになる笑みを堪えながら、平静を装って優輝に話しかける。


「状況はどうなっている」


「状況は依然変わらず。暗くてわかりませんが、おそらく窓付近に鳳麗華がいます」


 クラウスの顔を見ずに優輝は報告した。


 その報告を聞いてクラウスは窓に視線を向けるが、何も見えなかった。


「……見えませんか?」


「姿は見えないが、気配は感じる」


「さすがですね、クラウスさんは」


 気配を感じると言ったが、クラウスの言葉は嘘で単に見栄を張っただけだった。


 しかし、それと気づかずに純粋な気持ちで褒めた優輝に、クラウスは優越感に浸る。


「それよりも、すみませんクラウスさん……沙菜が風紀委員の一人に怪我をさせてしまいました。穏便に解決するはずでしたのに……輝士団の代表として彼女ではなく、指示を出した自分に処罰を」


「いや、気にすることはない。輝石を扱えない彼にも責任がある」


「降参して出てくる場合に備えて、沙菜がいれば無駄に警戒心を高めてしまうと思ったので配置していません」


「それが賢明だろう……あまり気にするな」


 ……そう、あんなゴミに等しい存在など気にすることはない。

 だが、あんなゴミでも感謝をしなければならない。

 怪我をしたおかげで、二つの目標が一気に、そして確実に果たせそうだからだ。

 今の風紀委員には怪我人がいる――そんな状況で圧倒的な力を見れば、確実に風紀委員、いや、あの名前を言うのも嫌になるクズが恐れをなして降参の意を示すだろう。

 高峰の連絡で、今風紀委員を説得するためにエレナ様は鳳大悟と話をしている最中だと言っていた――彼が来る前に輝士団で解決すれば、鳳グループの面目は丸潰れだ。

 教皇庁がさらに力をつける良い機会だ。

 これであのクズだけではなく、邪魔な鳳グループも排除できる。


 思い通りに行きすぎて喜びの感情を表に出しそうになるが、クラウスはそれを堪えて、今は計画を実行に移すことに集中した。


「久住優輝――風紀委員をいぶり出すため、君の力を見せてやれ」


「エレナ様が現在、風紀委員を説得するために鳳大悟と話し合いをしていると聞きましたが? ――無用な争いを生むかもしれません」


「怪我人がいるんだ、事件の解決は早い方がいい――命令が聞けないのか?」


「……わかりました」


 脅すようなクラウスの命令に、優輝は不承不承ながらに従う。


 ポケットの中から、セラとティアと同じデザインのチェーンに繋がれた輝石を取り出す。


 一瞬の発光の後、武輝である日本刀に変化した。


 武輝に変化させると同時に、優輝は武輝に変化した輝石から力を絞り出す。


 日本刀の刀身が光を纏いはじめるが、刀身に纏っていた光が優輝を包みはじめる。


 まさか、これほどまでとは……。


 光に包まれた優輝を見て、輝士団たちはどよめき、近くにいるクラウスは優輝から感じる、圧倒的な強い力の奔流に驚いていた。


 身体に光を纏わせた優輝は、ふいに雨が降りしきる空に向かって片手を上げる。


 すると、雨雲が浮かんでいるにもかかわらず、空に星のような光が浮かんだ。


 一、十、百、千――もはや、数えきれないほどの幾千、幾万もの星のように煌めく光が高等部校舎を包むようにして浮かびはじめた。


 もちろん、星が浮かんでいるのではない。


 それらすべてが優輝が操る輝石の力によって生み出された光の刃だった。


 化け物め……


 圧倒的な優輝の力を目の当たりにしたクラウスは、感心するよりも、嫉妬と恐れが混じった目で彼を睨むように見つめ、忌々しげに心の中でそう呟いた。



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