第19話

 違う――違う、違う、絶対に違う! そんなはずはない!


 リクトは無我夢中にセントラルエリア内を走っていた。


 セントラルエリア内を当てもなく適当に走り回り、どこへ向かっているのかは自分でもわかっていないが、リクトの足は無意識に教皇庁本部へと向かっていた。


 必死な形相で、今にも泣きそうな顔でリクトは走っていた。


 走っているリクトの頭の中には、ドレイクの言葉と、高峰の顔が浮かんでいた。


 何度も身体を張って助けてくれた高峰。


 幼い頃から教皇の仕事で忙しいエレナに代わって自分の世話をしてくれた高峰。


 次期教皇最有力候補であり、教皇の息子として多くの悩みを持っている自分に真摯にアドバイスをしてくれた高峰。


 臆病な性格の自分をバカにする同級生から守ってくれた高峰。


 幼い頃から辛い時も、楽しい時も、どんな時でも一緒にいてくれて、自分を手助けしてくれた高峰を思い出せば思い出すほど、リクトはドレイクの言葉が信じられなかった。


 そうだ、違う! 違うんだ! 

 高峰さんがそんなことするはずない!


 みんな、みんな、間違っている!

 麗華さんも、セラさんも、幸太郎さんも、さっきの人たちもみんな間違っている!

 みんな信じていないけど、僕だけは信じる!

  だって、高峰さんはずっと僕のことを――……


 過去の思い出にいる高峰の顔が再び浮かぶと、リクトは高峰を信じる気がない様子だった風紀委員たちのことを思い出し、悔しそうに歯を食いしばるとともに、彼らに対して激しい怒りと、そんな彼らを信じてしまった自分に深い後悔を抱いた。


 頭に回っているドレイクの言葉を振り払うために、走っているリクトは目をきつく瞑って、顔を俯かせて何度も頭を振って霧散させようとしていた。


 そんなことをして、前方を確認できなかったリクトは躓いてしまい、思いきりアスファルトに向かってダイブしてしまった。


 膝と肘に痛みが走り、明らかに血が滲んでいるような気がした。


 痛みに耐えながら、再びリクトは立ち上がろうとすると、ふいに手が差し伸べられた。


 見覚えのある大きな手を見て、リクトは手を差し伸べてくれた人物を期待に満ち溢れた顔で見上げると、その人物は顔に痣がある高峰広樹だった。


 なぜここにいるのか、怪我の具合はどうなのか、様々な疑問がリクトの頭の中を駆け巡ったが、すぐに高峰に会えたことによる安堵感でそれらの疑問を捨てた。


 リクトは差し伸べられた手を迷いなく掴んで立ち上がった。


「無事で何よりです、リクト様」


「高峰さん! すごく……すごく、僕は会いたかったんです……会いたかった……」


 高峰の服をきつく掴み、リクトは自分が信用する数少ない人物である彼と会えた安心感に今まで堪えてきた感情を、我慢することも忘れて一気に解放させた。


「リクト様、どうしたんですか。次期教皇候補であるあなたが、そんなに簡単に涙を流すものではありませんよ」


「でも……ック……でも……僕は……」


「落ち着いてください、リクト様……ゆっくり、ゆっくりこの私に話してください」


 ボロボロと大粒の涙の滴を落とし、しゃくり上げながら何かを訴えようとしている、涙でグシャグシャな顔をしているリクトを見て、高峰は小さく嘆息しながらも、彼の肩を優しく撫でるようにして触れた。


 肩に触れた高峰の温かい手の感触と、不安げな気持ちを癒すような優しい高峰の声音に、リクトの全身が安心感に包まれた。


 今はこのまま、このまま高峰さんの傍に――……


 高峰に身も心もすべてを委ねているリクトは、今はすべてを説明するよりもこうして彼の傍にいて、彼からもたらされる安心感に浸っていたかった。


 ――しかし、突然高峰が飛び退いたのでそれが終わってしまった。


「リクト君、大丈夫?」


 高峰が離れると同時にリクトの背後から、リクトを心配する淡々とした声が響いた。


 恐る恐るリクトは振り返ると、そこには銀に光る銃を両手で構えた七瀬幸太郎がいた。


 幸太郎が構えている銃の銃口は、高峰に向けられている。


 咄嗟にリクトは高峰を庇うようにして彼の前に立つ。


 リクトの中に眠るほんの僅かな勇気を振り絞っての行動だが、幸太郎の持っている銃は実弾が出る本物の銃ではなく、衝撃波を放てる銃だと知っていたからできた行動だった。


 庇うようにして高峰の前に立つリクトに幸太郎は困惑している様子だが、銃口はまだ高峰に向けられている。


「ドレイクさんが言ってたけど、そこにいる高峰さんは悪い人らしいよ」


「そ、そんなの信用できません! 僕は高峰さんと十年も一緒にいたんです! そんな人が僕を……僕を裏切るわけなんてない!」


 高峰を完全に信じ切っているリクトの言葉を聞いて、どうしたらいいのかわからなくなった幸太郎は、戸惑ったような顔をしてリクトから高峰に視線を向ける。


「……って、リクト君が言ってるんですけど、どうな――」

「そうか……ドレイク・デュールか……こんなはずではなかったが、まあいいか」


 幸太郎の質問が終えるのを待たずして、高峰はクスクスと笑った。


 突然高峰の笑い声が耳に届いて、リクトは振り返って高峰を見た。


 常に感情を感じさせないながらも、自分に対してはさりげなく優しげな笑みを見せていた高峰の表情は、別人だと思わせるくらい変わっていた。


 高峰はリクトを明らかに蔑むように睨み、嘲るようにして口を歪ませて笑っていた。


 十年一緒にいて一度も見たことがない顔をする彼を、リクトは呆然と見つめていた。


「リクト様、あなたは本当に滑稽でしたよ。あなたはまさにこちらが考えていた通りに動いてくれた――君が所属している風紀委員も目論見通りの動きをしてくれた」


 敵であると簡単に認めるような発言をした高峰に、幸太郎は銃を両手でしっかりと握って構えて、銃口を高峰に向けたままリクトに駆け寄り、彼の前を守るようにして立った。


 リクトの前に立つ幸太郎を高峰は嘲るような冷たい目で睨んだ。


「そんな人間は守る価値はない」


「そうですか……そんなことよりも、どうしてこんなことを?」


「簡単なことだ――リクト様はエレナ様のような教皇になれないからだよ」


 幸太郎の質問に、長年溜まった鬱憤を晴らすようにして高峰はそう答えた。


 高峰の言葉が鋭利な刃としてリクトに突き刺さった。


『リクト様は必ずエレナ様のようになれます、絶対に――』


 過去に高峰が言った励ましの言葉を思い出し、リクトは力なく崩れ落ち、膝立ちになる。


 膝立ちになっているリクトを見て、高峰は深々とため息を漏らす。


「煌石を扱える高い素質はあっても、臆病、優柔不断――そんな彼が教皇になれるわけがない……エレナ様のような誇り高く、困難に決して屈しない強い覚悟があるあの方のように絶対になれない。今日改めて思い知りましたよ、リクト様」


 膝立ちのリクトを、高峰は明らかな侮蔑が含まれた目で睨んでいるが、それ以上に失望、落胆の気持ちが含まれている、切なそうな目をしていた。


「あなたが今回の事件で、教皇としての正しい働きをすれば、今回の一件はすべて穏便に解決するはずだった――しかし、あなたはことごとく私の期待を裏切ってくれた!」


 忌々しげに怒声を張り上げる高峰は、リクトに対して激しい怒りの炎を燃やしていた。


 今まで自分に対して怒声を張り上げたことがない高峰を見て、リクトは大きく身体を一度震わせて驚いていた。


「今回の一件、私はあなたの行動を監視していました。監視ができない時は同志に頼んであなたの様子を逐一報告してもらっていましたが……まったく、あなたは残念だ。もしも、あなたが教皇として相応しい行動をすれば、私はすぐにでもこの計画を中止させるつもりでしたが……あなたは結局、何も見せることはしなかった」


 心からの侮蔑と失望が含んだ目を高峰に向けられ、リクトはその視線から逃れるようにして顔を俯かせた。そんなリクトに高峰はさらに失望したようにため息を漏らす。


「あなたは自分の意見を述べようともせず、ただ流れに身を任せたまま。そして、あなたは輝士団や私の同志に襲われても、彼らを巻き込んでしまった張本人であるにもかかわらず、あなたは怯えて戦おうとしなかった……そこにいる、アカデミーきっての落ちこぼれでさえも戦っているのに、あなたは戦おうとしなかった――あなたのような卑怯で臆病な人間、教皇に相応しくない、エレナ様になることは不可能だ」


 改めて断言する高峰に、信頼する相手に裏切られたという悲しみや怒り、そして、好きに言われて悔しさも抱くことなく、リクトは自分が高峰の言葉で空っぽになってくるような気がした。


「それだけではない――あなたのせいでエレナ様は完全にならない……エレナ様は教皇であるとともに母親。息子であるあなたには甘い――完全な教皇になるため、あなたはエレナ様にとって邪魔な存在だ! そんな存在を私は許せない……長い間あなたに付き合ってきましたが、もう限界です。十年もの間付き合っていれば考えが変わると思っていましたが、あなたには期待を裏切られましたよ。あなたは最悪な人間だ」


 言葉の刃に全身を貫かれようとも、リクトは何もできない。


 ただ、リクトは自分の思い出の中にいる優しい高峰の記憶を思い出し、必死に現実から目を背けようとしていた。


「これでわかっただろう? そんな人間は守る価値がないと! ……大人しくリクト様を差し出して退けば、今はお前のことを見逃してやる――さあ、どうする」


「それはできません。リクト君を守るって僕が決めたことだから」


「元々は私が頼んだことだというのに、それでも守るというのか?」


「そんなことどうでもいいです。リクト君を守るって僕は決めましたから」


 高峰の問いに幸太郎は迷うことも、動じることもなくすぐにそう答えた。


「僕が決めたことに、口出さないでください」


 物怖じすることなく、幸太郎はハッキリとそう言った。淡々とした口調の中で揺らぐことない強い決意を確かに感じ取り、高峰は忌々しげに幸太郎を睨んだ。


「自分の決めたことに盲目なまでに忠実とは――実力を伴っている人間が言った言葉ならば称賛すべきことだが……落ちこぼれのクズが言ってもな」


 嘲るような声が高峰の背後から聞こえると同時に、一人の人物が現れた。


 長めの金髪を後ろに結んだ、整った顔立ちをした長身の青年だった。


 現れた青年は、聖輝士という名誉ある称号を教皇庁から授与された、若くして聖輝士の称号を得たクラウス・ヴァイルゼンだった。


 一瞬、救援に来たと思った幸太郎とリクトだったが、すぐに警戒心を高めた。


 クラウスの顔は高峰と同様、リクトに対して憎悪にも似た感情を持っていたからだ。


「クラウス、状況はどうだ?」


「悪くない。我々の存在に気づくのが少々早すぎたが、それ以外は順調だ」


「そうか……それならば、早く片付けるか…ようやく、ようやくこの時を待っていた……」


 仲良さげに話しているクラウスと高峰。


 クラウスはリクトを睨んだ。視線を向けられていない幸太郎でさえも、悪寒が走るほどの、殺意にも近い憎悪の感情が込められた視線でリクトを睨む。


 そんなクラウスに睨まれ、リクトは小さく悲鳴を上げて全身を震わせる。


 恐怖の感情を露わにするリクトを見て、高峰は楽しそうな笑みを浮かべていた。


「クラウス、楽しそうなところ水を差しで悪いが、まだ処理をするのは早い」


「わかっているさ……だが、この溢れんばかりの激情を抑えきれそうにないんだ」


「逃げられなくなる程度に痛めつけるようにしろ。そこにいる落ちこぼれは好きにしろ」


 高峰の許可をもらうと、クラウスは心底嬉しそうな表情になる。


 クラウスは自身の着ている軍服の胸についた勲章に埋め込まれた輝石を取り出し、一瞬の発光の後に武輝である、槍と斧が一体化したハルバードへと変化させる。


 自身の身長をゆうに超える長柄武器を手にしたクラウスは軽く地面を蹴っただけで、一気に幸太郎との間合いを詰めてきた。


 自身の反応では対処できないスピードで迫ってきたクラウスに、幸太郎は手にした武器を発射することなく、彼の武輝が振り下ろされるのを見ていることしかできなかった。


 クラウスはそんな幸太郎に対し、容赦なく自身の武輝を振り下ろす――

 しかし、寸でのところで甲高い金属音とともに武輝が受け止められてしまった。


「遅くなってしまってすみません」


「セラさん――って、僕攻撃されてたんだ……全然気づかなかった」


「呑気なことを言っていないで、早くリクト君と一緒に下がってください」


 クラウスの攻撃を受け止めたのはセラ・ヴァイスハルトだった。重量のありそうなクラウスの武輝を難なくセラは片手に持った武輝である剣で受け止め、話もする余裕もあった。


 セラの登場と、自分の一撃を難なく受け止めた彼女に忌々しげにクラウスは舌打ちする。


「セラ・ヴァイスハルトか……邪魔をするな!」


「必殺『エレガント・ストライク・パートⅡ』!」


 思いきり一歩を踏み込んで、セラの身体を押し出すクラウス。


 体勢が一瞬崩れたセラに攻撃を仕掛けようとするクラウスだったが――


 相変わらずの技名が空から響くとともに、まるで隕石のように空から一人の女性が突っ込んできて、光を纏った武輝をクラウスに突き出し、彼の攻撃を阻んだ。


 クラウスは咄嗟に大きく後退してその一撃を回避する。


 間合いを取ったクラウスに、少女たちは明らかな敵意を向けて武輝を構えて相対する。


「クラウス・ヴァイルゼン……聖輝士であるあなたがこの事件に関わっているとは思いもしませんでしたわ――名誉ある聖輝士の称号を得てのこの蛮行、恥を知りなさい!」


「恥を知るべきはお前たちが守ろうとしている、この状況で何もしないそこのクズだ!」


 クラウスは麗華とセラの動きに注意しながらも、幸太郎に守られているリクトを睨んだ。


 激しい憎悪が込められているクラウスの目を向けられて、リクトは情けなく小さく悲鳴を上げて、ガチガチと歯を鳴らして怯えていた。


 そんなリクトを見て、クラウスは口角を吊り上げて嫌らしく笑う。


「さて……どうする? 聖輝士相手にお前たち二人が相手になるとでも思うのか? それに――今から大挙して輝士団がこちらへ向かってくるぞ」


 威圧するような、それでいて脅すような口調で言ったクラウスの言葉に、聖輝士相手に気後れすることなく立ち向かっている麗華とセラの表情が曇る。


「ハッタリ――……ではなさそうですわね。なるほど、どうやらあなた方の方が一枚上手のようでしたわね。私たちの行動を先読みしているとは……まんまと刈谷さんたちは――いいえ、大和は罠にはめられたということですわね」


「発案者は私だがね。鳳のお嬢様にそう言われるとは恐悦至極、光栄極まりない」


 皮肉たっぷりな笑みを浮かべる高峰に、麗華は明らかにムッとしたが、感情を表に出すのを堪える。


「さあ、どうする……戦う場合は、私はクラウスとともに全力で戦うぞ? 時間を稼ぐ戦いをして、輝士団が来れば私たちの勝利は確実だがな」


「輝士団が来る前にお前たちを倒す――簡単なことだ」


 静かに闘志を漲らせるセラだったが、麗華はそんな彼女を手で制した。


「ここは大人しく退いて当初の目的地へ向かいましょう……彼の言う通り、輝士団が到着すれば勝ち目は薄くなりますわ……ここは一旦確実に勝利を得るために退きましょう」


「……わかりました」


 悔しそうに歯噛みしながらも、それでも冷静な判断をして逃げることに決めた麗華の意見をセラは尊重し、ここは退却することに決めた。


「七瀬君、ここは先へ急ぎましょう」


「わかった――……それじゃあリクト君、一緒に行こう」


 膝をついたまま、茫然自失状態のリクトに幸太郎は手を差し伸べるが、生気のない眼をした彼は反応を示さない。


 どうして……どうして、どうして、どうしてこんなことに……

 高峰さんが――あんなに僕と一緒にいた高峰さんが、僕のことを……


 まだ現実が見えていないリクトの手をきつく握り、幸太郎は彼を無理矢理引っ張ってセラと麗華の後に続いた。


 そんな彼らの様子を、気分良さそうにクラウスは眺めていた。


 そして、意味深な笑みを浮かべて高峰は教皇庁本部の建物を眺めた。



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