第15話

 腹を満たし、リクトが思い出すのも恐ろしくなるほどの幸太郎への制裁が終えた後、リクトたちには休憩ムードが漂っていた。


 セラはキッチンの後片付けをして、麗華は思案している様子で腕を組んで椅子に座っていて、幸太郎はソファで身体を横にしてスヤスヤと呑気に寝息を立てていた。


 こんな状況なのに、大丈夫なのかな……。


 助けを求めてから、たまに口喧嘩をして、あまつさえ料理を作るというあまり緊張感が感じられない風紀委員の三人を見て、リクトは少し不安を抱いてしまっていた。


 ふいに、リクトは風紀委員たち三人に目を向ける。


 鳳麗華さん――彼女は煌王祭の中等部の部で、三連覇を果たしたすごい人だ……今日はじめて話してみて、少し怖い印象を抱いたけど……多分、良い人だと思う。


 セラ・ヴァイスハルトさん――新入生の中で一番、輝石を扱う優れた能力を持っていて、入学当初に教皇庁は輝士の称号を与えて、輝士団への入団をさせるつもりだった。すごく優しい人だ……笑顔を見ると、どことなく、母さんを彷彿してしまう。


 七瀬幸太郎さん――彼はアカデミー創立以来、一番輝石を扱う能力がない、武輝も出せない人で教皇庁内でも蔑視されている人だ。話してみて、不思議な雰囲気を纏っていて、一番緊張感がない人だった――でも、良い人で、この中で一番信用できる人かもしれない。


「……リクト様、お話があります。よろしいでしょうか」


「え? あ、はい、どうぞ……」


 ボーっとしながら三人の印象を整理しているリクトに、ふいに麗華が話しかけてくる。一拍子遅れて反応したリクトは、麗華の話に耳を傾ける。


「このままここにいても、何も解決しません――状況を解決するためには、やはりセントラルエリアの教皇庁本部へ向かうことが最優先なのではありませんか?」


「そ、そうですよね……」


 麗華の言う通り、このままここにいても何も解決しないことはリクトでも理解していた。


 教皇庁本部に向かい、そこにいるエレナと話して輝士団内にいる自分を襲った人間を探し出すことが今回の事件の根本的ない解決になることも、十分に理解していた。


 しかし、一歩を踏み出す勇気が中々リクトには出せなかった。


 せっかく安全圏内にいるのにもかかわらず、再び外に出て敵がいるかもしれない教皇庁本部に行って、また襲われでもしたら――そう考えると、リクトは動けなくなってしまう。


『それじゃあ、リクト君は教皇に向いてないかもしれないね』

 中々勇気が出せないリクトだが、ふいに幸太郎のその言葉が頭の中に思い浮かんだ。


 影で言われていても、今まで誰も自分を教皇に向いていないと直接言ったことがないのに、幸太郎だけはオブラートに包むことなくストレートに向いていないと言い放った。


 正直、幸太郎のその言葉を聞いて、リクトは複雑な気持ちを抱いていた。

言ってくれて清々した気持ちがあると同時に、反発したい気持ちも存在していたからだ。


「……わかりました、教皇庁本部に向かいましょう」


「やはり、それが一番ですわね。さすがですわリクト様、賢明な判断です」


 リクトの答えに麗華は安堵するとともに、少しだけリクトを見直したようだった。


 どうして、こんなことを言ってしまったんだろう……


 教皇庁本部に向かうと決めたリクトだったが、それは本心からの言葉ではなかった。


 幸太郎の言葉を思い出した途端に、自分でも無意識のうちに出した言葉だからだ。


 本当はすぐにでも撤回したかったが、リクトにはそれができるほどの勇気はなかった。


 どうしよう……本当はここから出たくないのに……


「それでは、決まりましたわ! これから私たちは教皇庁本部に向かいますわよ!」


 自分の判断に深く後悔しているリクトだったが、そんな彼の気持ちなど露も知らない麗華は、高々とそう宣言した。リクトの逃げ場はなくなってしまう。


「さっそく、七瀬君を起こして――」


 洗い物を終えたセラは、麗華の宣言を聞いて眠っている幸太郎を起こそうとするが、そんな彼女の行動を突然鳴り響いたインターフォンが止めた。


 突然の来客にセラは警戒心を抱き、麗華に目配せをする。


 何も言わずに麗華は頷き、眠っている幸太郎の額にデコピンをして無理矢理起こした。


「……どう――モガッ!」


 文句を言おうとした幸太郎の口を麗華は手で塞ぐ。口を塞がれて反抗しようとしたが、麗華の真剣な顔を見て、すぐに異変を察した幸太郎は静かに頷く。


 頷いた幸太郎を見て、麗華は口を塞いでいた手を離した。


 一気に緊張が高まった三人に、リクトに恐怖心が芽生えはじめる。


 静寂に包まれる室内――セラは居留守を使っていたが、再び鳴り響くインターフォン。そして、いるのはわかっていると言うように、何度何度もインターフォンが鳴り響いた。


 麗華はセラに目配せすると、セラは静かに頷き玄関に向かう。


 麗華はリクトを庇うようにして立ち、幸太郎はズボンに挟んでいた自身の唯一の武器である白銀色に光るショックガンを取り出した。


 セラは玄関の扉を慎重に開くと、玄関の前には輝士団である水月沙菜が立っていた。


「リクト様の保護に来ました」


 眼鏡のレンズを怪しく光らせ、沙菜は感情を感じさせない声で、用件を短い言葉で話した。


「申し訳ありませんが……状況が状況なので、あなた方輝士団にはリクト君を渡せません」


「まだ人物は特定していませんが、リクト様を襲ったのは輝士団の姿に扮した偽物。ですので、リクト様をこちらに引き渡しても問題はありません。さあ、リクト様、こちらへ」


 沙菜はセラの背後に見えるリビングの部屋で、麗華の背後から怯えている様子で、沙菜の様子を見ているリクトに、張り付いたような優しい笑みを浮かべて手を差し伸べる。


 そんなの……そんなの、信用できない!


 手を差し伸べられても、リクトはブンブンと何度も首を横に振り、輝士団に保護される気はないという明確な意志を見せた。


 そんなリクトの態度を見て、沙菜は深々と嘆息する。


「それは残念です――私はリクト様の保護をしろと団長に命じられているのですが……」


「なら、戻って優輝に伝えてください。リクト君は私たちに任せてくださいと」


「それはできません――」


 怪しくメガネのレンズが光ると同時に、沙菜はセラとティアの持つ輝石のデザインに酷似した、チェーンにつながれた輝石を取り出した。


 そして、一瞬の光とともに、輝石を自身の武輝である杖に変化させる。


 自身の身長をゆうに超える長さの杖を軽々と振り回し、先端をセラに向ける。


「――団長の命令は絶対なので」

「――ッ!」


 杖の先端が一瞬発光すると同時に、咄嗟にセラは沙菜に飛びかかった。


 セラが飛びかかると同時に、杖から放たれた光弾はセラの部屋の扉を壊した。


 光弾が自身の頬を掠めても怯むことなく、セラは飛びかかった勢いのまま、沙菜とともに手すりの向こうへ真っ逆さまに落ちる。


「行きますわよ!」


 麗華の指示に幸太郎は何も言わずにただ力強く頷く。


 恐怖で腰を抜かしたリクトは、ただ呆然と三階分の高さだというのに迷いなく飛び降りたセラを見て、恐怖と驚きで動けなくなってしまっていた。


 そんなリクトの手を幸太郎は握り、無理矢理彼を引っ張って部屋の外に出る。


 三人は急いで階段を駆け下ると、寮の前で武輝である剣を構えたセラが、同じく武輝である杖を構えた沙菜と相対していた。


 二人とも三階の高さで飛び降りたのにもかかわらず、輝石の力で身体能力が強化されと、身体中にバリアが貼られているため、ダメージはまったくないようだった。


「抵抗すれば風紀委員の立場が危うくなります。大人しくリクト様をこちらへ引き渡した方が、今後のためになると思いますが?」


「リクト君が拒否したんだ――そっちが大人しく引き下がるべきだ」


 脅すような沙菜の言葉に、威圧するようなドスが効いた声でセラは突き放した。


 普通の相手なら気圧されるほどの威圧感をセラは放っているが、沙菜は引き下がるつもりはまったくない様子だった。


 しばらく武輝を構えたまま相対していると、沙菜は諦めたようにため息を漏らす。


「……わかりました。あなたと鳳さんの二人を相手にするのは分が悪すぎます。ここは一旦退いて、団長の指示を仰ぐことにします――ですが……」


 沙菜は武輝を輝石に戻し、踵を返す。


「団長の返答次第では、輝士団はあなた方風紀委員の敵になることをお忘れなく」


 そう言い残し、沙菜は立ち去った。


 沙菜の背中が遠のくと同時に、小さくため息をついてセラは武輝を輝石に戻した。


「……どうやら、輝士団を敵に回してしまったようですわね」


「ええ……厄介なことになりましたね……」


 忌々しげに呟いた麗華の言葉に、苦々しい顔のセラは同意するようにして頷いた。


 どうしよう……まさか、僕のせいでこんなことになるなんて……

 僕があの時、怖がって輝士団の保護を断らなければ、こんなことには……


 混沌とする事態に、事態の収束するのがまったく想像できなくなってしまい、リクトは自分を責めて、不安げな面持ちを浮かべていた。


 そんな彼を鼓舞するかのように、幸太郎が優しくリクトの手を握った。そのおかげで、だいぶリクトの不安が薄れたが、それでもまだ彼の手には恐怖による震えが残っていた。


「状況は悪いままですが、考えるよりも今は行動する方がいいですわ」


「で、でも……大勢の輝士団が敵に回ったんですよ? だ、大丈夫なんですか?」


 麗華の意見に同意を示すように頷く風紀委員の面々。


 輝士団が敵に回るかもしれない状況に泣き言をいっさい漏らさずに行動することを決意している風紀委員にリクトは不安な気持ちとともに、この状況で諦める言動をしない風紀委員に疑問を抱いていた。


 教皇庁に所属するリクトだからこそ、輝士団の強大さは十分に理解できている。


 輝士団には誰もが知る、アカデミー最高戦力がいる――だからこそ、リクトは降参するよりも行動する麗華に不安を抱いていた。


「それもそうですわね……輝士団の行動を一時的に封じる手を何か手を考えなければ……」


 もっともなリクトの意見に、しばし考え込む風紀委員たち。


 このまま大人しく降参してくれれば、一番だとリクトは思っていたが、麗華や他の二人は降参という諦めるような選択肢を選ぶことなく考える。


「輝動隊とぶつけさせるという手は通用するのではないでしょうか……半月前の事件で、犯人が使った手のように二つの組織をぶつければ……」


「確かにそれがもっともな手段ですが……おそらく、輝士団は前回の輝動隊のように、輝動隊の動きを封じているでしょう、そのことを考えると――これですわ……」


 ふいに、麗華はショックガンを手にしている幸太郎を見た。


 すると、何か妙案を思いついたかのように、手を思いきり叩いた。


「セラさんの言う通り、輝動隊を利用することにしますわ!」


 邪悪な笑みを浮かべる麗華。その笑みにリクトは不安を覚えた。




――――――――――――




 クラウスは慌てた様子で教皇庁本部の最上階にある大会議室の扉を開く。


 大会議室には、事件の情報を外部に漏らさないよう裏工作をしているためさっきよりも人は少なく、教皇エレナ、そして数名の枢機卿とともに、治療中のはずの高峰広樹がエレナの傍らに立っていた。


 顔は痣と傷だらけで、厳粛なこの場に似つかわしくない風貌をしている高峰だが、誰も彼の怪我に触れることはしなかった。


「報告に参りました」


 クラウスは跪いてこの場にいる人間に挨拶をする。


「では、さっそく報告をお願いします、クラウス・ヴァイルゼン」


 エレナの許しを得てクラウスは立ち上がり、直立不動の態勢で報告をはじめる。


「現在、風紀委員はリクト様を連れて逃走中。その途中、リクト様を保護する目的で近づいた輝士団と交戦しております」


 風紀委員が輝士団と交戦中であることを説明すると、枢機卿たちの間にどよめきが走る。


 しかし、相変わらずエレナは無表情を崩すことはなかった。


「おそらく、リクトから輝士団に襲われたということを聞いたのでしょう」


「偽物の輝士団であるということは、風紀委員と接触した輝士団団員・水月沙菜によって説明を受けています」


「敵か味方かわからぬ状況で疑心暗鬼になるのは無理もありません。いっそのこと、輝士団を撤退させ、風紀委員の動向を一度確認するべきなのでは?」


 エレナの意見に、クラウスの表情が一瞬だけ曇ったが、すぐにそれを隠した。


 クラウスは恐る恐るエレナの様子を確認するが、自分の感情の変化に気づいている様子はないようだったので、少し安堵した。


「エレナ様、疑心暗鬼になっているのはこちらも同様です。私は正直、鳳グループ当主の娘である鳳麗華が率いる風紀委員を信じておりません。だからこそ、信頼と実績のある輝士団団長久住優輝が選んだ、水月沙菜を追跡担当にして風紀委員の後を追っているのです」


「あなたの意見はもっともなこと――しかし、今のやり方では鳳グループとの余計な摩擦を生みます。それに何より、無用な争いを起こすことになってしまう。今の状況で、それが明白となっていませんか?」


 エレナのその意見に、クラウスは反論できずに言い淀んでしまう。


 だが、それでもまだクラウスの余裕は崩れない。


「しかし、風紀委員の件を利用すれば、今後鳳グループとの取引を優位に運べるかもしれません……ある意味、彼らを上手く利用すれば、こちらに利益が生まれます。だからこそ、今は鳳大悟と会談をするべき――」


「ふざけるな! リクト様の身を保護することが現段階での最優先にもかかわらず、クラウス、貴様は何を考えている! そんなことを考えている暇はないはずだ!」


 事件のことではなく、教皇庁の損得を第一に考えているクラウスに、高峰は怒声を張り上げて、怪我をしている身体を引きずりながらクラウスに近づき、彼の胸倉を掴む。


 自分の胸倉を掴む不躾な高峰をクラウスは、まるで触るなと言うように冷たい目で睨む。


「リクト様の身を案じていることは忘れてはいない。しかし、同時に私は聖輝士として、教皇庁のことを考える必要がある。その二つを考えた結果を述べたまでだ。決して、リクト様を保護しないと言っているわけではない」


「だが、貴様はリクト様よりも、目先の利益を優先にして考えている!」


「確かに目先の利益を優先して考えている! しかし、リクト様のことも考えている!」


「どの口がほざく! 目先の利益を優先して考えている時点で、リクト様を無視しているだろう! 貴様それでも聖輝士か!」


「二人とも、静まりなさい」


 徐々に口論が過熱し、一触即発状態になりそうな二人をエレナの冷たい声が諌めた。


「二人がリクトのこと、そして、教皇庁のことを考えているのは伝わりました――が、今は冷静さを欠いて口論をしている場合ではありません」


 諭すようなエレナの言葉に、二人は一気に落ち着きを取り戻し、不承不承ながらにクラウスの胸倉を掴んでいた手を高峰は放した。


「……すまん、リクト様のことを考えるあまり、少々頭に血が上りすぎた」


「いや、こちらもこの場に相応しくないことを言ってしまった――すまなかった」


 お互いに謝罪をして、クラウスと高峰は落ち着きを取り戻す。


 二人が落ち着いたのを見て、エレナは小さく安堵の息を漏らした。


「クラウス、あなたは引き続きリクトの保護を。無用な争いはなるべく避けるように」


「……わかりました」


「頼みましたよ、クラウス」


 一瞬、縋るような目をしたエレナにそう頼まれ、クラウスは力強く返事をする。


 クラウスへの命令が終わると、唐突に高峰は「よろしいでしょうか」と、エレナに発言を求めてきた。


「……何でしょう、高峰」


「エレナ様、私はリクト様を襲った犯人を突き止めようと思います」


「しかし、高峰――その怪我では……」


「リクト様を思ったからこそ、無理を言って病院から抜け出したのです。これくらい、何ともありません。犯人を捕まえてこそ、リクト様をお守りすることになります。リクト様のことはクラウスに任せ、犯人のことは私にお任せください」


 傷だらけであるにも変わらずリクトを守るために行動をしようとする高峰を、教皇であることを忘れて心配そうに、そして、申し訳なさそうに見つめた。


 エレナに見つめられ、年甲斐もなく照れたように高峰は顔を俯かせた。


「安心してください、高峰のために何人かの護衛をつけましょう」


「……お願いします、クラウス」


 クラウスの提案にエレナは縋ることしかできなかった。


「二人とも――御武運を」


 エレナはただ二人のために祈ることしかできなかった。


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