第11話

 早く逃げなくちゃ、逃げなくちゃ、逃げる、逃げる逃げる逃げる逃げる――


 人ごみをかき分けながら、闘技場の出口に向かってリクトは走る――

 少しでも、自分が襲った輝石使いたちがいるこの闘技場から離れるために走る。


 必死な形相で無様に走っているリクトを誰も教皇の息子だと気づかなかった。輝士団でさえも、同様だった。


 通行人たちに助けを求めることができたはずのリクトだが、恐怖でパニックになっている彼は声を上げることすらできない。


 自身の味方である輝士団の姿を見ても、自分を襲った輝士団を思い出し、助けを求めることはもちろん、安心するどころかさらにパニックになってしまっていた。


 今のリクトの精神状態では、視界に映る人間全員が敵だと思い込んでいた。


 道行く人がもしかしたら自分を狙っているかもしれないと思い込んでしまっており、声を上げることすらできず、ただ高峰に言われた通りに逃げていた。


 人ごみをかき分け、ガードロボットにぶつかり、人の合間を無理矢理通り、押し倒し、お互いにぶつかって尻餅をついてもすぐに立ち上がり、ぶつかって一言も謝らなかったので因縁をつけられて呼び止められても、リクトは止まることなく逃げ続ける。


 ようやく闘技場の外に出たリクトだったが、安心することはできなかった。


 今はただ闘技場から一刻も早く離れたかった。


 早く、早く、早く早く、早く早く早く早く早く――!


 無我夢中に走るリクト。


 逃げることに集中しているリクトは、前を横切る少年に気づけなかった。


「うわっっと!」


 その少年にぶつかり、リクトは再び尻餅をついて倒れ、少年も尻餅をついて倒れた。


「イタタタタ――あ、や、焼きそばが……」


 リクトにぶつかって倒れた少年は、リクトに目を向けるよりも先に、リクトにぶつかった衝撃で落として地面に散乱した焼きそばを見て、強いショックを受けていた。


 そんなことを気にする暇がないリクトはすぐに立ち上がり、走り出そうとした瞬間――

「だから言ったでしょうが! ちゃんと前を向いて、人に注意をしなさいと!」


「焼きそばが……」


「今は焼きそばのことを気にするよりも先にすることがあるでしょう!」


 ヒステリックな女性の怒号が響き渡り、それに驚いたリクトの動きが止まった。


「大丈夫ですか? どこか怪我はありませんか?」


 その後に聞こえてくるのは、リクトを心配する優しい女性の声。


 その声にパニックになっていたリクトは少し平静を取り戻し、周囲の状況を把握できるレベルにまで戻った。それでも、早くこの場から離れたかったのだが。


「ぶ、ぶつかってしまって申し訳ございません!」


 ぶつかってしまったことをリクトは謝罪して、再び走り出そうとしたが、ぶつかった際に足を捻ってしまったせいで足を痛め、その痛みで足がもつれて倒れそうになるが受け止めれられた。


 自分を受け止めたのは、先ほど優しい声をかけてくれた女性だった。


 赤と黒の色の腕章を腕に巻いた、高等部の女子生徒専用の制服を着たショートヘアーの女性は、倒れそうになるリクトを受け止め、そのままお姫様抱っこの要領で抱え上げた。


「足を痛めたようですね……大丈夫ですよ、すぐに闘技場の医務室に運びますから」


「ま、待ってください! 僕は大丈夫ですから! だから離してください」


 リクトを抱えて闘技場内にある医務室へ向かおうとする女性だが、闘技場内に自分を狙う輝士団がいるかもしれない思っているリクトは、身をよじって無理矢理女性から離れた。


 足首の痛みに堪え、再び歩き出そうとするリクトの手を、金髪のロングヘアーの女性が掴んで、止めた。その女性も、自分を抱え上げた女性と同じ腕章を巻いていた。


「は、離してください、僕は大丈夫ですから!」


「落ち着きなさい!」


 捕まれた腕を離そうとして、半ばパニックになりながらも必死にもがくリクトを落ち着かせるような、それでいて苛立ちの混じった大声に、驚いたリクトは委縮してしまう。


「あなた、まさか……リクト・フォルトゥス――リクト様ではありませんか? こんなところで何をしていますの?」


 自分の名を知っている女性の顔を恐る恐る確認すると、煌王祭中等部の部で三連覇を果たし、風紀委員のメンバーの一人である鳳麗華だった。


 鳳グループにも、そして何より輝士団とも関係ない風紀委員の姿に出会えて、リクトは心の底から安堵した。


 同時に、自分の身に起きた出来事を思い出し、恐怖心が再びリクトを支配した。


「た……助けてください! 助けてください!」


 リクトは情けなく全身を震わせながら、再び芽吹いた恐怖心に涙目になり、目の前にいる麗華を縋るような目で見つめて、喉から振り絞って出した声で必死に助けを求めた。


 唐突の事態に麗華は驚くとともに、困惑の表情を浮かべていた、




―――――――――――




 ――今、教皇庁で未曽有の大事件が発生していた。


 慌ただしい様子で、クラウスは教皇庁最上階にある大会議室へと向かった。


 息を整え、大会議室への重厚な扉を開くと、大勢の枢機卿と、スーツ姿の教皇エレナが待っていた。


 大きな会議でも私用のために何人かの欠席者が必ず出る枢機卿たちだが、今回に至っては非常事態ということで全員揃っていた。


 エレナも外部企業と会議をしながら煌王祭を観戦する仕事があったが、それを切り上げてこの場所に来ていた。


 そうそうたる面々が揃う会議室内で、聖輝士であるクラウスは若干の緊張が生まれた。


「お待ちしていました、クラウス・ヴァイルゼン」


 エレナのいつも以上に感情が込められていない冷え切った声で話しかけられ、緊張で一拍子遅れて反応したクラウスは、少し慌てた様子で跪いた。


「余計な挨拶は必要ありません。一体どうなっているのです?」


「三十分程前、リクト様が煌王祭を観戦なさっていた特別席に、輝士団の姿をした何者かが、外にいたボディガードたちから奪った鍵を使って侵入。彼らはリクト様専属ボディガードである高峰を負傷させるも、リクト様は高峰が生み出した隙をついて逃亡した後、現在行方がわかっておりません」


 冷静に努めているクラウスだったが、説明している時の口調が若干上擦っていた。


 今発生している大事件――次期教皇最有力候補であり、教皇エレナの息子のリクトが何者かによって襲撃された後、行方がわからなくなるという事件が発生していた。


 次期教皇最有力候補、そして、教皇の息子が立て続けに襲撃され、そして、行方不明になるという前代未聞の事件に、枢機卿たちはもちろんのこと、常に感情を押し殺しているエレナでさえも動揺を隠し切れていない様子だった。


「リクトを襲った輝士団は一体何者ですか?」


「輝士団団長・久住優輝に聞いたところ、存在しないそうです」


「存在しない――とは、何者かが輝士団に扮してリクトを襲ったということですか」


「そのようです」


 本物ではなく、偽物の輝士団が襲ったということを知り、枢機卿たちは心から安堵していたが、エレナの質問は続く。


「高峰の容態は?」


「大事に至る怪我はしていないものの、かなり抵抗をして痛めつけられたようです。現在意識不明の状態のようですが、すぐに目が覚めるであろうとのことです」


「そうですか……」


 高峰が無事であることを知り、感情を押し殺しながらもエレナは少し安堵していた。


 しかし、そんな教皇とは対照的に、枢機卿たちは焦燥しきっていた。


「それよりも、エレナ様! 外部企業への対応はどうするおつもりです!」

「そうです! 会議を無理矢理切り上げたので、不審に思っていますぞ!」

「鳳グループのような二の舞になるのだけは避けなければならん!」

「エレナ様! どうか、人の母としてではなく、教皇としての御決断を!」


 騒がしくなる会議室内。思い思いの自分の意見を述べ、そして、前代未聞の事件に慌てふためいている枢機卿たち。


「聖輝士クラウス・ヴァイルゼン」


 騒がしくなる会議室内を諌めることはしなかったが、それでもエレナが言葉を発した瞬間、ヒートアップしていた会議室内は一気にクールダウンして静かになった。


 名前を呼ばれ、再び跪くクラウス。


「煌王祭の警備の指揮を執り、事件発生時に会場にいたあなたをそのまま、リクト捜索の指揮を執らせます。構いませんか?」


「ハッ! 必ずやリクト様を無事に保護します!」


「クラウス、あなたの命令は私の命令であると輝士団に伝えなさい。リクトを保護した後、早急に犯人を見つけ出して事件を解決すること……期待と信頼をしていますよ」


「御意」


 縋るような目を一瞬したエレナに信頼と期待を寄せられ、クラウスは光栄であると思うとともに、気が引き締まり、すべてを解決するために何でもする覚悟を心の中でする。


「私と枢機卿の方々は、煌王祭のために集まった外部の方々、そして、生徒たちにこの一件を露呈させないようにします」


 エレナの指示に、今はそれしかできることがないと悟った枢機卿たちは、誰一人反論することなく頷いた。


「それでは、クラウス頼み――」

 最後にもう一度、クラウスにリクトのことをくれぐれも頼むと言おうとしたエレナだが、彼女の言葉を遮るようにクラウスの懐から携帯の着信音が響いた。


 マナーモードにしていなかったクラウスを攻めるような目で、エレナはもちろんのこと、枢機卿たちは睨みつける。


 クラウスは気まずそうに、そして、申し訳なさそうに何度も何度も頭を下げた。


「も、申し訳ございません! 非常事態なので、連絡にはすぐに反応したかったので……」


「構いません」


「し、失礼します――」


 エレナに許可を出され、クラウスは携帯を出た。


 短い会話をした後、すぐにクラウスは電話を切り、エレナを見つめた。


「報告します! 現在、リクト様は風紀委員とともにいるそうです」


 クラウスの報告に、どよめきが走る枢機卿たち。


 エレナはリクトが襲撃者に捕われていないことを知り、一瞬だけ教皇の顔を崩して安堵しきった母の表情になるが、すぐに元の教皇の顔へと戻った




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