第10話

 予選トーナメントが開始されて二時間――闘技場に入る観戦者の数も減ってきた。


 セラと麗華はまったく疲労していない様子だったが、幸太郎は疲れている様子で、大きく眠そうに欠伸をしながら、壁に寄りかかって一息ついていた。


 そんな彼を見て、麗華は呆れたようにため息を漏らしていた。


「まったく……これしきのことで疲労困憊するとはだらしないですわね! セラさん、あなたもそう思う――セラさん?」


「え? あ、な、なんでしょうか。す、すみません、話を聞いていませんでした」


 セラに話を振った麗華だが、セラはボーっとしたまま反応がなかった。


 心配そうにセラを見つめる麗華の視線に気づき、ようやくセラは反応した。


 そんなセラの様子に、幸太郎を見た時と同様に麗華は呆れたようにため息を漏らした。


「もしかして、セラさんも疲れていますの? まさか、あなたにだらしないと言う日が来るとは……まったく! あなたも七瀬さんも、少したるんでいるのではなくって?」


 呆れている様子で小言を言う麗華に、セラは慌てて「す、すみません」と謝罪をした。


「冗談ですわよ。あなたほどの人が疲れを顔に出すことはまずありえないでしょうから……それで、どうしましたの? 珍しく集中力が欠けているようですが」


「余計な心配をさせてすみません」


「謝らなくても結構ですわ。話くらいなら聞けますから、いつでもどうぞ。ま、まあ、今回は失敗の許されない任務なので、士気を上げるために相談に乗るのですわ!」


「気遣っていただいてありがとうございます、鳳さん……でも、大丈夫ですから」


 自分の本心を隠すように素直ではない態度を取る麗華に、セラは穏やかな表情を浮かべて礼を述べて、大丈夫と言った。


 明らかに強がっている様子のセラだが、麗華は何も追求することなく、ただ一瞬だけ心配するような目でセラを見つめて、すぐに元の強気な目に戻した。


 これは私とティア――そして、『彼』との問題なんだ。

 ただでさえ鳳さんは大変な時期なのに、そんな彼女を変なことに巻き込みたくない。それに、危険性を考えれば七瀬君にも。


 そう心の中で決めたセラは、心の中で気合を入れて警備に集中しようとしたが、目に入ってきた人物の登場でそれが無駄に終わってしまった。


 セラの視線の先にいる人物――長めの黒髪、美男子と呼ぶに相応しい端正で柔和な顔立ちをした、温厚そうで爽やかな雰囲気を身に纏っているが、精悍さも見え隠れしている、身長170後半くらいある、細身の体躯の青年だった。青年は輝士団の証である赤いマントを羽織っている。


 その青年を見て、麗華は少し意外そうな顔をして驚いていた。


「彼は――珍しいですわね、あまり人前に出ない方が……まあ、表沙汰になっていない事件が起きているので当然と言えば当然でしょうが――セラさん?」


 麗華の言葉に反応することなく、目を見開いたまま驚き、固まっているセラ。


 青年はセラに気づくと、無邪気な笑みを浮かべて、小走りで彼女に近づいてきた。


「ようやく会えた――久しぶりだな、セラ!」


 昔と何もまったく変わってない笑顔と声――


「うん。久しぶり、優輝ゆうき……」


「……彼ともお知り合いだったとは、知りませんでしたわ」


 浮かない顔をしながらも、優輝と呼んだ青年にセラは挨拶をする。


 セラと優輝が知り合いということを知って、麗華は驚いている様子だった。壁に寄りかかって一休みしていた幸太郎も、セラと知り合いの彼に興味津々な様子で近づいてきた。


「アカデミーに来ているのは知っていたが、立場上中々会える時間がなかったんだ。会うのが遅くなってしまってすまない」


「気にしてない……ここにいる以上優輝とはいつかは会えると思ってたから」


 本当に……本当に昔から変わってない。


 申し訳なさそうな顔をして頭を下げる優輝を見て、セラは複雑な気持ちになっていた。


 優輝は頭を上げると、セラから麗華と幸太郎の二人に視線を移した。


「鳳麗華さん――立場上何度か顔を合わせているから、お互い自己紹介の必要はないと思うが――こうして面と向かって君と話せて光栄だよ」


「お互いの立場上まともに話せる機会がありませんでしたので、私も光栄ですわ」


「それで――君が噂の七瀬幸太郎君だろう? はじめまして。俺は久住優輝くすみ ゆうきだ」


「どんな噂なのか気になるけど、七瀬幸太郎です、よろしくお願いします」


「セラとは幼い頃に修行をした幼馴染で、年下のセラは昔から妹のような存在なんだ」


「それなら久住さんって、ティアさんとも幼馴染なんですか?」


「気軽に下の名前で呼んでくれ――その通り、ティアとも幼馴染だ。ティアとは歳が同じだから、姉とか妹とかというより、昔からの喧嘩仲間という感じかな?」


 人懐っこさも、昔から変わらない――……昔から、すぐに誰とでも仲良くなれる。

 私も彼のそんなところに惹かれて、ティアよりも先に友達になったんだ……。

 でも――……


 フレンドリーに麗華と幸太郎に自己紹介する優輝を見て、昔を懐かしむと同時に、セラは複雑な表情を浮かべて警戒心を高めていた。


 優輝の自己紹介が終わると、一人の女性が小走りで慌ててこちらに向かってきた。


「団長、急にいなくなったと思ったら、こんなところにいたんですか」


「ああ、すまない沙菜さな。幼馴染を見かけてしまって、つい……」


「つい、ではありません。輝士団の仕事もあるんですよ?」


 いたずらっぽく笑う優輝。彼が纏っていた凛々しい雰囲気が、いたずら好きな子供のようなものへと一変した。


 そんな彼の様子に沙菜と呼ばれた、高等部女子専用の制服を着て、眼鏡をかけた、二つ結びの髪型の美女は厳しい視線を向ける。彼女も輝士団の証の赤いマントを羽織っていた。


「こ、これは……ティアさん、いや、鳳さん? いや、それ以上……ゴクリ……」


 沙菜と呼ばれた女性の登場に、思わず声を出して驚いた幸太郎はゴクリと生唾を飲み込んでしまう。幸太郎の視線は彼女のその豊満なスタイルに向けられていた。


 沙菜は赤いマントで自身のスタイルを隠すようにしていたが、それでも十分にわかるほどの自己主張が激しいスタイルを持っている。もしかしたら麗華よりも大きな双丘に、思わず漢の本能を向けてしまう幸太郎。


 女性に邪な目線を向ける不躾な幸太郎の爪先を、麗華は無言で思いきり踏んづけた。あまりの痛みに、声なき叫び声を上げて悶絶する幸太郎。


「そんなことよりも、君も彼女たちに自己紹介をするんだ」


「え? あ、すみません、自己紹介もせずにこちらで盛り上がってしまって……わ、私は水月沙菜みづき さなです。い、一応その……高等部二年です。よ、よろしくお願いします」


 優輝の指摘に、麗華たち風紀委員の存在にようやく気づいた水月沙菜は、緊張した面持ちで自己紹介をした。優輝に厳しい態度を取っていた時のきつめの印象と真逆で、自己紹介する沙菜は人見知りが激しそうで、他人と接するのが不得意そうなか弱い少女だった。


 沙菜の自己紹介が終わると、幸太郎は何かに気づいたのか、「あ」と、声を上げる。


「優輝さんは団長って呼ばれてたけど、もしかして……」


「ああ、俺は輝士団団長を務めている」


「団長、今はそんなことよりも、早く仕事に戻りましょう」


「ああ、わかった――もう少しゆっくり話したかっが、まだこっちも色々と仕事が残っているから、これで失礼する……セラ、今度ティアと三人でゆっくり話そう」


 沙菜に急かされる形で、優輝は風紀委員の前から立ち去った。


 去り際に沙菜はセラを一瞥し、セラに対して敵意にも似た警戒心をぶつけてきた。


 こっちが、優輝に警戒心をぶつけていたのに気づいた?

 ……水月沙菜――彼女も油断ができない人だ……それも、相当の実力を持っている。


 二人の姿が人ごみに紛れて完全に見えなくなると、麗華は驚いた様子でセラを見た。


「まさか、セラさんがあの久住優輝さんともお知り合いだったとは驚きでしたわ」


「ティアとの関係を調べた時、優輝のことも調べたと思っていましたが……」


「あの時は二人の関係だけを調べただけですわ。他人を不必要に調べる無粋な真似はしない主義なので」


 変なところを気遣ってくれる麗華を微笑ましく思いながら、セラは心の中で安堵するとともに、優輝との関係に興味津々な様子の麗華に不安を抱いていた。


 四年前のことを知らないということは、鳳さんを巻き込むリスクは減った。

 でも、ティアの時のようにこれから調べられると思うし、何よりも、何の警戒なく彼と接触する可能性もある。

 昔のようなことになれば、今度こそ私は……

 だから、鳳さん、七瀬君の二人は絶対に巻き込めない。


 久しぶりに親友と再会したというのにもかかわらず、浮かない様子で神妙な面持ちのセラに、麗華が息を呑むほど近寄り難い雰囲気を放っていたが――


「二人ともお腹空いてる?」


 微妙な雰囲気が漂う中、幸太郎の呑気な声が響いた。


 そんな彼の声に、思わず脱力してしまうセラだが、脱力したおかげでただただ暗く、固い表情を浮かべていた彼女の表情が柔らかいものになった。


「あなたねぇ! 少しは空気を読むことを学んだらどうですの?」


「そろそろ十二時だから、二人ともお腹空いてるかと思って。ちなみに僕は空いてる」


「そんなこと誰も聞いてませんわ!」


 麗華の小言を軽くスルーする幸太郎。そんな彼の様子にさらにヒートアップする麗華。


 いつもの様子の二人を見て、セラは沈んでいた気持ちが浮き上がってくるのがわかった。


 やっぱり……私は二人に会えてよかったのかもしれない……


 改めて二人との出会いに感謝するセラは、誰にも聞こえないような声で「ありがとう」と礼を述べ、スッキリしたような笑みを浮かべた。


「そうですね……輝士団の方々やガードロボットもたくさん配置されているので、少しの間抜けても問題ないでしょう。鳳さん、七瀬君の言う通りそろそろお昼にしませんか?」


「セ、セラさんまで……」


「賛成多数で決定」


「ちょ、ちょっと七瀬さん! お待ちなさい、私はまだ――まったく! セラさん、やはりあなたもたるんでいるのではなくって?」


 まだ納得していない麗華の制止も聞かず、張り切って幸太郎は外に出た。


 腹を空かした彼を止められないと察した麗華は、諦めたように小さくため息を漏らし、不機嫌な顔でセラを睨む。彼女に睨まれ、セラは居心地が悪そうにしながらも笑っていた。


 不機嫌な麗華にセラは「すみません」と素直に謝罪をすると、毒気が削がれたのか、不満そうに鼻を鳴らしながらも「仕方がありませんわね」と麗華は許してくれた。


 麗華の機嫌が直ったのを察したセラは、真剣な表情で彼女を見つめる。


 真顔になると、元々セラが持っていた凛々しさがさらに強調されてしまうので、同性であるにも関わらず、思わず麗華は頬を染めてしまった。


「鳳さん……どうしてもお願いしたいことがあるのです」


 縋るような声音のセラに、麗華は我に返って居住まいを正して聞く態度を取る。


「興味があると思いますが、私たちと優輝の関係を、ティアの時のように探るのはやめてもらってもいいでしょうか……お願いします」


「あなたと優輝さんとの間に何かあったのかは明白でしたので、気になっても知ろうとはしませんわ。そこまで私は無粋ではありません」


「す、すみません、変なことを言ってしまって……でも、気を遣っていただいてありがとうございます」


「ま、まあ、もしも何か私に相談したくなったら、別にいつでも相談してもよろしいのですわよ? ふ、風紀委員の一員として、メンバーの悩みを聞くのは当然ですし、あなたは主戦力なのですから、迷いを持って活動していたら怪我をしますからね! あなたが怪我をして、私と戦力外の七瀬さん二人きりになる事態は避けたいのですわ!」


 相変わらず、素直ではない態度の麗華に、セラは思わず微笑んでしまう。


 一瞬、すべてを打ち明けたいという考えが過ったが、すぐに頭を振って霧散させる。


「……ありがたいのですが、これは私の問題ですから」


 いつになく、神妙な顔をするセラから、暗く、冷たく、そして悲しいものを感じた麗華は背筋に冷たいものが走るとともに、何か不安を覚えた。


「……七瀬さんには悟られないよう注意をしておくことですわ。変なところで鋭い彼に気づかれれば、根掘り葉掘り聞かれ、あのお節介は確実に首を突っ込もうとしますわ」


 最後に、忠告するようにそう言って、麗華は優輝について何も言うことも、聞くこともしなかった。


 セラはその忠告を頭の中で何度も反芻し、力強く頷いた。


 確かに……七瀬君には悟られないようにしよう。絶対に。


 セラは自分に言い聞かせるように何度も心の中で言い聞かした。

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