第3話


 襲撃された後、リクトは高峰とクラウスに守られて、無事に教皇庁へ帰還することができた。途中に襲撃されることがなかったのが幸いだった。


 二時間ほど教皇庁で休憩した後、リクトは教皇庁の最上部にある、アカデミー都市を一望できる大きな窓がある大会議室へと呼び出された。


 リクトは高峰とクラウスを引き連れて大会議室へと向かう。


 重要な取り決めを行う会議でしか使われない部屋で、リクトでさえもそんなに何度も入ったことがなかった。


 重厚な大会議室の扉を開くと、張り詰めた緊張感のある大会議室の中には、多くの人間がいた。


 大会議室の中央にある、大きな長机を囲むように教皇庁の中で強大な権力を持つ、多くの『枢機卿すうききょう』たちが椅子に座り、その誰もがリクトを見ていた。


 ある者は彼の登場に安堵し、ある者は失望と侮蔑の目で彼を見ていた――この会議室にいるほとんどの人間は、リクトに対して侮蔑の目で見ていた。


 自身が侮蔑の目で見られていることに気づいているリクトは居心地が悪く、今すぐにでも逃げ出したい気持ちになるが、そうする勇気がなかった。


 沈黙と緊張が支配する会議室の中で、議長席に座っているのはスーツ姿の、リクトと同じ栗色の髪のロングヘアーを三つ編みに束ねた女性だった。


 その女性の姿を見てリクトは思わず息を呑み、安堵感と緊張感が全身を包む。


「リクト、あなたが無事で何よりです」


 議長席に座っている女性の澄んだ声が、緊張に包まれた会議室に響く。


 リクトが無事ということを喜んでいるような口調ではなく、感情がなく、ただ淡々とした事務的で無機質な口調の女性。そんな女性の声に高峰とクラウスは跪いた。


 無機質だが、その女性の声を聞けて、リクトは思わず深々と安堵の息を漏らしたかった。しかし、気が抜けそうになる自分に喝を入れて、居住まいを正す。


「ありがとうございます、そして、心配をおかけしまして申し訳ありません――エレナ様」


 議長席に座っている女性――エレナに、リクトは胸に手を当てて頭を下げる。


「怪我がないようで何よりです」


「はい、高峰さんとクラウスさんのおかげです」


「そうですか……ありがとうございます、高峰広樹、そして、クラウス・ヴァイルゼン」


 エレナに礼を言われた高峰とクラウスの二人は、跪いたまま無言で頭を垂れる。


 頭を垂れたので表情は窺い知れなかったが、二人は喜んでいるようだとリクトは感じた。


 怪我もないようなリクトの様子を見て、一瞬だけエレナは安堵したような表情になったが、すぐに感情を感じさせない冷たい表情になる。


「リクト、わたくしたちがあなたを呼び出したのは、あなたを襲撃した輝石使いたちの目的を報告するためです。あなたを襲撃した輝石使いたちの正体は、教皇庁に所属する過激派たちの仕業でした――教皇庁を統率する者である『教皇』でありながら、過激な思考の持ち主を静められなかった私は、あなたに謝罪をします……申し訳ございません、リクト」


 席から立ち上がり、リクトに向けて頭を下げる教皇・エレナ。


 そんな教皇の対応に、周囲の枢機卿たちはどよめいていた。


「教皇ともあろうお方が、簡単に頭を下げるとは何事ですか! 前代未聞ですぞ!」


「大勢の教皇庁内の人間に守られていたのにも関わらず、次期教皇候補であるリクト・フォルトゥスが襲われたこと自体、前代未聞。その事態に教皇である私自身が謝罪するのは当然。当然のことができない教皇などただのお飾りです」


 老齢の枢機卿がエレナの対応に苦言を呈すが、エレナは特に気にしている様子はなく反論する。彼女の反論に、老齢の枢機卿が黙ってしまう。


 老齢の枢機卿は押し黙ってしまい、そしてリクトを忌々しげに睨む。


 貴様のことなど絶対に認めない――そう言っているようにリクトは感じた。


「今回の一件を受けて、近日開催される『煌王祭』の中止をするか否かを考えていたのですが……リクト、あなたはどう思いますか?」


「ぼ、僕ですか? そんな……僕のような身分が、そんなことを決めることはできません」


 煌王祭の中止をするか否かをエレナに問われて、戸惑うとともに、重要な決定権を渡さてしまい気後れしたリクトは答えを出すことができなかった。


 煌王祭は教皇庁主催で行われる、アカデミーの大きな行事の一つ――そんなことを自分の一言で決めることなんてできない! ……そんなの無理だよ。


 答えを出せないリクトに業を煮やした、先程の枢機卿とはまた別の枢機卿が「当然だ!」と、声を荒げた。


「いかにリクト様が次期教皇最有力候補といえども、煌王祭を中止するか否かの決定権は私たち枢機卿の意見が必須のはず!」

「そうです! 今回の一件で鳳グループの信用は一気に失墜した! ここで我々主催の煌王祭を成功させれば、教皇庁の評価は一気に上がる! この機は逃せませぬ!」

「その通りだ! 今回の一件は確かに教皇庁内の揉め事、しかし、輝動隊の警備にミスがあったのも事実、この機に我らがアカデミーの覇権を握る好機ですぞ!」


 次々と枢機卿たちは自身の意見を述べ、静寂に保たれていた室内が一気に騒がしくなる。


 今回の事件、そして、前回のグレイブヤード侵入事件を受けた鳳グループの信頼は地に落ちると見込んで、アカデミー内における教皇庁への権力を一気に向上させる好機だと思っている枢機卿たちの目はぎらついていた。


 枢機卿たちの様子を見て、リクトは内心不安な気持ちでいっぱいだった。


 確かに、今は絶好の機会だと思う……でも、そんな単純な話じゃ……


 思うところがあるリクトだが、それを口にする勇気がなかった。


「静まりなさい」


 騒がしくなっている会議室内に響く、淡々としたエレナの声。感情がいっさい感じれないが、静かな威圧感がある彼女の一言に、会議室内は水を打ったように静かになる。


「今回の一件は確かに鳳グループの不始末に終わりましたが、それと同時に、教皇庁内に次期教皇候補を狙う不穏因子の存在が明らかになりました――よく考えれば、喜ばしいことではありません。煌王祭にも今回の一件のような輩が現れるかもしれないという可能性も考えられるのです……煌王祭を中止にするか否か――重要な案件です、だからこそ今回の事件の当事者であるリクトに尋ねたのです」


 エレナの一言に、目先の欲に囚われた枢機卿たちの勢いが一気に静まってしまう。


 自分の思っていたことを代弁してくれたエレナに、安堵を覚えるとともにリクトは代弁した時の彼女の凛々しさに、思わず見惚れてしまった。


「ご意見よろしいでしょうか、エレナ様」


「クラウス・ヴァイルゼン……いいでしょう、聖輝士として、そして事件に関わった者の一人として、あなたの意見を聞きましょう――皆様もそれでよろしいですね?」


 突然リクトの傍らで跪いていたクラウスは立ち上がり、意見を述べることに許可を求める。聖輝士である彼が意見を述べることに、枢機卿たちは誰も異を唱えなかった。


「猊下たちのおっしゃる通り、現在の鳳グループの状況から考慮すれば、煌王祭を開催することのメリットは大きいでしょう。教皇庁への支持をさらに集める絶好の機会です」


 煌王祭を開催することを支持するクラウスに、枢機卿たちは同意を示すように声を上げるが、無表情のエレナはまったく納得していない様子だった。


「それが危険性を孕んでいるとしても、ですか?」


「もちろんデメリットも承知の上です。警護には高峰のようなボディガード、そして、輝士団やアカデミー都市中のガードロボットを総動員させて、煌王祭への警護に当たります。輝動隊への協力も欲しいですが、ここは教皇庁の力を示すために、協力は断りましょう」


「本来であるならば、鳳グループとの交流のために、煌王祭の警護は輝動隊、輝士団の両組織を配置しますが、教皇庁の力を示すためだけに、大きな組織の力を借りないと?」


「元々、輝動隊の力は必要ありません――輝士団にはがいるので」


「確かに、彼がいるならば問題はないでしょう――高峰広樹、ボディガードとしての意見をお聞きしたいのですが、よろしいですか?」


 唐突にエレナに話を振られ、跪いていた高峰は慌てて立ち上がり、緊張した面持ちで自身の意見を述べる。仕事柄普段はあまり感情を見せない自身のボディガードを見て、ここに来て緊張しっぱなしだったリクトは思わず和んでしまう。


「せ、僭越ながら、私の意見を述べさせていただきます」


 枢機卿に、そして、エレナに向けて丁寧に、深々と頭を下げる高峰。


「煌王祭を開催することは教皇庁にとってプラスになるのは確かな事実、しかし、それと同時に、今日のような襲撃事件が発生するかもしれないという危険性も孕んでいます。警備の要である輝動隊を動員しないというのは、いささか危険すぎるかと……」


「それでは、高峰――あなたは煌王祭を中止にするべきだと?」


 煌王祭開催にあまり乗り気ではない高峰に、枢機卿たちの反感を買って、睨まれていた。


 エレナの問いに高峰はしばし考えた後、首を横に振る。


「私は開催するならば輝動隊に代わる相応の戦力が必要であると考えております。反目しあっていても、確かに輝動隊の戦力は強大。それに代わる戦力が必要です」


「あなたの言う相応の戦力とは、当てがあるのですか?」


「ええ――煌王祭を開催するつもりならば、私は輝動隊の代わりに風紀委員を警備として利用するべきなのではないかと思っています」


 風紀委員に協力を促すべきだと考えている高峰に、枢機卿たちはざわめき、エレナは興味深そうな表情になる。


「風紀委員のメンバーの中に鳳大悟おおとり だいごの娘、鳳麗華がいます。風紀委員を利用すれば、鳳グループへの一応の義理立てはできます……しかし、風紀委員の戦力は三人――いいえ、正確には二人でしたね。輝動隊に比べれば戦力は落ちますが、風紀委員には先の事件を解決したという実績があります。それだけではありません。彼らの背後には鳳グループや我々のような大きな組織が背後にいないので、不測の事態に強いでしょう」


 高峰の説明を聞いて、エレナは納得したように深々と頷いたが、すぐに鋭い視線を高峰にぶつける。その視線に、高峰は思わず気圧されてしまっていた。


「あの鳳麗華、そして、新入生の中でも随一の実力を持つセラ・ヴァイスハルトがいても、総合的な戦力は輝動隊が明らかに上。しかし、風紀委員は不測の事態には、上からの指示を待たず、自由に動ける強みがある――しかし、それは時として諸刃の刃となります」


 諸刃の刃――エレナの言葉に、高峰は上手い言葉が見つからずに言い淀んでしまう。


 そんな高峰を見て、クラウスは小さく呆れたようにため息をつき、一瞬だけ意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「エレナ様、ご意見よろしいでしょうか」


 意見を述べるのにエレナに許可を求めるクラウスに、エレナは静かに頷いた。


「彼の言う通り、安全性を考慮した上で風紀委員を利用することはいい考えだと思います。しかし、懸念されている通り、自由に行動できるというのは、危険性も孕んでいる――そこで、鳳グループに圧力をかけるのはどうでしょう?」


「詳しく説明しなさい」


 エレナに詳しい説明を求められ、クラウスは嬉々とした笑みを浮かべて、胸に手を当てて深々と頭を下げる。


「わかりました――…風紀委員を利用すれば、鳳グループの一応の義理立てができるかもしれないということは、結局、自由な組織でも、鳳麗華は鳳大悟の娘ということです……これ以上は説明しなくとも、理解できるでしょう……」


「クラウス! 私はそんなつもりで、風紀委員に協力を仰ぐと決めたわけでは――」

「今のあなたには発言権はありません。今エレナ様と話しているのは私だ」


「貴様の考えは、鳳グループとの関係をさらに悪化させるかもしれないのだぞ!」


「二人とも、静まりなさい」


 険悪な雰囲気になるクラウスと高峰、そんな二人をエレナは諌めた。


「あなたの言いたいことはわかりました……――リクト、あなたは風紀委員を警護として利用すれば、煌王祭を開催するべきと考えますか?」


 突然話を振られて再び戸惑うリクトだが、考えてみた。


 煌王祭は教皇庁主催で開かれる重要な祭典……ここで開催しなければ、教皇庁の力を周囲に示せない――それに、みんな煌王祭をやりたがってるし……


 心の中で小さくため息をついて、リクトは不承不承ながら周囲に合わせることにした。


「……風紀委員を利用するのなら、異存はありません」


「わかりました……枢機卿の方々も、煌王祭を開催するのであれば、風紀委員に協力を仰ぐ――そのことに異論はありますか?」


 エレナの問いかけに、枢機卿たちは複雑な表情を浮かべながらも、黙って頷いた。


 風紀委員は鳳グループ当主の娘が率いている。そんな組織に頼るのは癪と考えているからこそ、複雑な表情を浮かべている枢機卿たちだが、煌王祭を開催するためには仕方がないと思って妥協した――リクトはそう感じた。


「わかりました……煌王祭の開催を決定します」


 煌王祭の開催を決定した教皇の判断に、枢機卿たちは安堵の息を漏らす。


 教皇の顔は相変わらず無表情で感情が読めなかったが、彼女の顔はどことなく暗かった。


 一瞬、エレナはリクトを一瞥し、彼と目が合う。


 リクトを見つめるエレナの顔は、子を心配する親のような顔だった。


 しかし、その表情は一瞬だけであり、すぐに感情の読めない無表情へと変わった。


「それでは、これで会議を終了します」


 教皇のその言葉を合図に、枢機卿たちは立ち上がった。


 枢機卿たちはエレナが部屋を出るのを見送った後、次々と彼らは会議室を出た。


 リクトも高峰に連れられて、クラウスとともに部屋を出た。


 煌王祭開催が決定したリクトの表情は、曇ったまま晴れる気配はなかった。




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