第2話


 癖のある柔らかそうな栗毛の髪の少年は、物憂げな表情で雨が降りしきる車の外の景色を眺めていた。


 その少年はまるで少女と見紛うほどの顔立ちであり、華奢な体躯、低い身長からも少年というよりも少女のようだった。


「リクト様――お疲れのようですが、大丈夫でしょうか? 少し休憩なさいますか?」


「……す、すみません、高峰さん……大丈夫です、無用な心配をさせてすみません」


 運転手の高峰たかみねと呼ばれた、鋭い目つきのオールバックの髪型をした壮年の男は、物憂げな表情の少年――リクトの様子をバックミラーで窺って、心配そうに話しかけた。  

   

 リクトは高峰の言葉に一瞬遅れて反応して、余計な心配をさせたことを謝った。


「そうですか……それならばいいのですが、最近は気を張り詰めることが多いので、身体にはお気をつけてください。体調が悪ければすぐに申してください」


 高峰の言葉に物憂げな表情のリクトに笑みと明るさが戻ってくる。


 高峰広樹たかみね ひろき――リクトを十年以上もの長い間護衛しているボディガードであり、幼い頃から一緒にいてくれた彼はリクトの信頼する数少ない人間の一人である。


「気遣っていただいてありがたいですが、煌王祭が近いのに体調を崩していられません」


 心配してくれる高峰にリクトは明るい笑みを見せると、バックミラーに映る彼の顔が幾分柔らかいものになったが、まだ表情には不安が残っていた。


「無理は禁物ということを忘れないでください……しかし、正直私はこんな混沌とした状態で煌王祭こうおうさいを開催することは不安です」


 深々と嘆息しながらの高峰の言葉に、リクトは同意をしたかったがそれを堪えた。


 自分の身分を考えれば下手なことは言えないからだ。


「半月ほど前の事件――あの事件で失態を犯した鳳グループと教皇庁きょうこうちょうのパワーバランスは、崩れました。教皇庁の人間としては喜ぶべきですが、私にはどうしても素直に喜べません。上手い具合に調和が取れていた二つの組織のバランスが傾いたのは」


 高峰が言った、半月ほど前の事件を思い出したリクトの表情に影が差す――


 半月前、アカデミーに在籍している輝石使いたちの情報を管理しているコンピュータがある、グレイブヤードと呼ばれる秘密の場所に、侵入を許してしまった事件で鳳グループは、終始犯人に翻弄され、教皇庁の手を借りずに的外れの捜査をしてしまった。


 解決はしたが、情報の管理を任され、グレイブヤードのセキュリティシステムを設計した鳳グループは教皇庁や外部から厳しく非難され、信用を落としてしまった。


 ……確かに、高峰さんの言う通り、あの事件からアカデミー全体の雰囲気が一変した気がする――一体、これからアカデミーはどうなってしまうのだろう……。


 アカデミーの行く末を考えたリクトの表情に再び憂いが戻ってくる。


「しかし、あの事件で起きたのは悪いことだけでは私はないと思っています。リクト様は風紀委員をご存知でしょうか」


「はい。あの事件で新たに設立された、第三の治安維持部隊ですよね」


 風紀委員――大きな組織の後ろ盾がある輝士団きしだん輝動隊きどうたいとは違い、大きな組織が背後にない、半月前の事件を解決した功績で、設立が認められた第三の治安維持部隊。


「そうです。あの組織には鳳大悟の娘である鳳麗華が所属していますが、彼女は鳳グループトップである親の力を使わず、風紀委員を認めさせた。大きな後ろ盾がない自由な組織です……今は制約がかけられ、組織の規模はかなり小さいですが、今後の期待はできます」


「確かに、しがらみのある他の治安維持部隊とは一線を画する組織……高峰さんの言う通り期待は持てます――でも……」


 確かに風紀委員は今後の期待が持てると思うし、あの鳳麗華さんがいる組織だから、きっと頼りになる――けど、風紀委員は教皇庁から、おそらくは鳳グループからもあまり良い目で見られていないと思う。

 だって、風紀委員は二つの組織にとってはきっと邪魔だから……

 だから、きっと肝心な場面では活躍ができないと思う。


「今回行われた煌王祭に関する会議……鳳グループは名誉回復のために全面的な警護を輝動隊に任せましたが、正直、私は風紀委員に任せたいと思っていました」


「高峰さんは風紀委員をかなり信用しているようですね」


「信用とは違います。ただ期待しているのです。圧力がない、自由に動ける組織を――」

 唐突に話を中断した高峰は突然車を急停止させた。


 まだ目的地へは到着しないハズなのに、車を急停止させ、バックミラーに映る高峰の顔が一気に険しいものへと変化させたことに気づいたリクトに緊張感と恐怖心が芽生える。


「リクト様! 頭を――」

 慌てて、怒声を張り上げて忠告する高峰だが、忠告し終える前に車に何かが激突したような衝撃が走り、轟音とともにフロントガラスが砕け散った。


 最後まで忠告を聞けなかったが、衝撃とフロントガラスが割れる音に、リクトは反射的に頭を下げた――情けなく悲鳴を上げて。


 車の外からは怒号が響き渡るとともに、金属同士がぶつかり合う音がリクトの耳に届き、それらすべての音と声が彼の抱いていた恐怖心がさらに煽った。


 突然、車のボンネットに獰猛な顔つきをした男が現れた。男の手には槍が握られている。


 リクトは男の持っている槍が武輝であるということを何とか認識できたが、それ以外何もできず、獰猛な顔立ちの男のぎらついた瞳を向けられて、恐怖で全身を震わせていた。


 高峰はネクタイピンに埋め込まれた輝石きせきを武輝である二本のトンファーに変化させる。


 武輝を変化させた高峰を真っ先に排除するため、男は高峰に向かって槍を突き出すが、それよりも早く、彼はトンファーから光弾を撃ち出し、男を吹き飛ばした。


「リクト様……姿勢を低くしたままジッとしていてください」


「わ、わかりました……」


 頼むような、それでいて命令するような厳しい口調の高峰に、リクトは頷くことしかできなかった。たとえ、どこにも行かないでくれと心の中で叫んでいたとしても。


 車の外に高峰が出た瞬間、武輝を持った三人の男に囲まれた。


 三人は高峰に襲いかかってくるが、高峰は冷静に一人ずつ対処する。


 武輝である棍棒を振り下ろした男の一撃を、高峰は自身の武輝でガードすると同時に、相手の太腿に向かって回し蹴りを食わせ、体勢を崩した瞬間にゼロ距離で武輝から衝撃波を放ち、それが直撃した男は一発で気絶した。


 間髪入れずに剣を持った男と、槍を持った男が同時に攻撃をするが、高峰は慌てることなく同時攻撃を、身を低くして回避し、同時に左右の手に持った武輝から光弾を撃ち出して同時に二人を倒した。


 三人の男を一瞬で倒した高峰の姿を、リクトは車の中から憧れの眼差しで見つめていた。


 敵を倒してすぐに車から戻ろうとする高峰だが、彼の背後から鎖鎌を持った男が現れた。咄嗟に声を出して注意を促そうとするリクトだが恐怖で声が出せなかった。


 リクトの様子の変化に気づき、すぐに振り返る高峰だが遅かった。


 蛇のような動きの分銅鎖が高峰の首に絡み、締め上げられる。必死に抵抗する高峰だが、凄まじい力で首を絞め上げられ、徐々に意識が朦朧してくるとともに、脱力してきた。


 た、高峰さん……僕が行かなくちゃ! ……で、でも……僕は……


 首を絞められて意識が飛びそうになるのを必死に堪えている高峰を見て、リクトは車から飛び出して彼を助けようとするが、車から出る勇気がなかった。


 ただ全身を震わせて怯え続けることしか彼にはできなかった。


 絶体絶命の高峰――だが、鎖鎌を持った男に向かって放たれた光弾が、高峰を救出した。


「後は私に任せてくれ」


 鎖から解放されて激しく咳き込む高峰を庇うようにして立つ、長く伸びた金糸の髪を後ろ手に結んだ、整った顔立ちをした長身の男。男の手には自身の長身を遥かに超える長さの槍と斧が一体化した武輝――ハルバードを持っていた。


 鎖鎌を持った男は目の前にいるハルバードを持つ男が光弾を飛ばした人物であると判断すると、警戒心を高めた。


 危機から脱した高峰と、彼を助けた男の登場に、リクトの恐怖心はだいぶ和らいだ。


「クラウス・ヴァイルゼン……感謝する」


「感謝は後だ。今はリクト様の元へと戻り、周囲を警戒するんだ」


 自身を助けた金髪の男――クラウス・ヴァイルゼンの言葉に従い、高峰は車へと戻り、リクトのいる後部座席の扉を開き、怯えているリクトに向けて安堵させるような優しく柔らかな笑みとともに、手を差し伸べた。


「さあ、リクト様。もう安心してください、ここを離れましょう」


 高峰に手を差し伸べられても、リクトは恐怖で身体が動けなかった。


 情けなく腰を抜かしていても、恐怖のあまり目に涙を滲ませていても、高峰は呆れることなく、ただ何も言わず彼の華奢な身体をそっと優しく抱え上げた。


 高峰の腕に抱かれ、ようやくリクトは安堵した。


 安堵したリクトは、すぐにクラウスの様子を確認した――が、心配無用だった。


 クラウスと対峙していた鎖鎌を持った男――実力の差は歴然としていたからだ。


 相手を翻弄するように、不規則に動き回る鎖の生物的な動きを完全に見切っているクラウスは、ゆっくりとした歩調で確実に、自身と敵対する男に迫っていた。


 鎖の先端についた分銅がクラウスの顔めがけて飛んできても、彼は動じることなくハルバードを持っていない手でそれを簡単に受け止めた。


 相手との圧倒的な力の差に逃げ出そうとする男だが、クラウスは逃がさない。分銅を受け止めた手に鎖を絡ませて思いきり鎖を引っ張り、逃げようとする男を引き寄せた。


 自身の間合いまで引き寄せた瞬間、ハルバードを片手で思いきり振って、斧の部分の刃先を使って男を斬りつけた。相手が輝石使いであるため、大怪我はしなかったがかなりのダメージを与えたようで、男は斬りつけられて苦悶の表情を浮かべ、体勢を崩す。


「リクト様を襲ったんだ……この程度では済まさん――自身の罪を悔やむがいい」


 クラウスは冷たくそう吐き捨てると、手に持っているハルバードに光が纏う。


 そして、ハルバードを両手で回転させる。最初は緩慢な動きだったが、徐々に回転するスピードが速くなり、最終的にはクラウスの周囲に降りしきる雨粒を吹き飛ばすほどの小規模の竜巻が発生した。


 クラウスと対峙していた男はその竜巻に呑まれてしまい、天高く吹き飛んだ後、ボロボロの状態で地上へ受け身も取らずに激突し、そのまま動くことはなく、完全に気絶した。


「さすがは『聖輝士せいきし』の称号を持つ男だ」


 圧倒的な力で相手を打ち倒したクラウスを見て、感心するように高峰はそう呟いた。


 クライス・ヴァイルゼン――数か月前からリクトを護衛しているボディガードであると同時に、教皇庁が認めた『輝士きし』の中でも、高い実力と多くの実績を持つ、限られた輝士にしか授与されない『聖輝士』の称号を持つ輝士だった。


 クラウスは戦いを終えると、高峰に抱えられているリクトに近づき、片膝をついて頭を垂れ、「リクト様、大丈夫でしょうか」と、リクトの身を案じた。


「ふ、二人ともありがとうございます……高峰さん、も、もう降ろしても大丈夫ですから」


「わかりました……ですが、私たちから離れないでください」


 高峰は抱えていたリクトをそっと降ろす。


 リクトはすぐに高峰の背後に隠れようとするが、恐怖で足が竦んでいたため思うように動けずに転びそうになる。しかし、二人をさらに心配させてしまうと思い、それを堪えた。


 リクトを降ろした高峰は周囲を警戒しながらも、クラウスに話しかける。


「それよりも、クラウス……状況はどうなっている。輝動隊は何をしている!」


 クラウスに向かって怒声を張り上げて激情をぶつける高峰だが、そんな彼とは対照的にクラウスは落ち着いている様子だった。


「他の枢機卿すうききょうは襲われていないようだ。リクト様だけを狙った犯行だろう。リクト様警護用のために並走していたカムフラージュ用の車も襲われたので、輝動隊の連中はその処理に追われているようだ」


「リクト様の身を案じることが優先だろう!」


「落ち着け! 私に怒鳴るよりも――彼女に聞いた方が早いだろう」


 クラウスが指差した方向へ視線を向けた高峰は、大剣を持った、銀髪のセミロングヘアーの女性が立っていることに気がつき、息巻いた様子でその女性に詰め寄った。


 激情を露わにする高峰に女性は動ずることなく、近づいてくる彼をジッと見据えていた。


「貴様は輝動隊のティアリナ・フリューゲルだな! 輝動隊が警護していたのにもかかわらず、この状況はどういうことだ! 一体何が起きている!」


「今は無駄な問答をするよりも、ここは私たち輝動隊に任せて、そこにいる『次期教皇候補』とともに教皇庁へ向かって安全を確保することが先決だ――さっさと行け」


「高峰、ここは彼女の言う通りリクト様を連れて先を急ごう。輝動隊への非難は後だ」


 ティアリナと呼ばれた女性の冷静な命令に納得していない様子の高峰だが、彼女の言うことはもっともで、クラウスにも諭されたので、今は教皇庁へと向かい、リクトの安全を確保することが何よりも優先だと判断した。


「確かに貴様の言う通りだ――だが、今回の一件でさらに輝動隊、いや、鳳グループが窮地に陥ったということを忘れるな……これ以上、アカデミーのバランスを崩すな」


 怒りと苛立ちを抑えて忠告するようにそう言うと、高峰はリクトに視線を移した。


「リクト様、これから教皇庁へと向かいます……歩けますか?」


「わ、わかりました……僕は大丈夫ですから、は、早く教皇庁へと向かいましょう」


 本当はここから逃げ出したい気持ちでいっぱいのリクトだったが、それを堪える。


 今は……今は早くここから離れたい! 早く、早く、早く早く早く!


「――どうやら悠長に話している暇はない……それじゃあ、ここは君に任せる」


「了解した……さあ、早く行け」


 こちらに忍び寄ってくる気配を察知したクラウスは、この場を輝動隊に任し、リクトと高峰を連れてこの場を離れた。


 一刻も早くこの場を立ち去りたかったリクトだが、ティアリナと呼ばれた女性に向かって最後に軽く頭を下げてからこの場を離れた。



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