第17話「それは鍛冶屋の美学あるいは布屋の美学」(3)


 ふう、と宮部は深く息を吐いた。あいつはきっと仕事を成し遂げるだろう。


 そこにお茶を持って恵がやってきた。二人分のおにぎりももってきたのだが、そこに坂口の姿がないので、おや、と首を傾げる。


「あいつはもう行ったよ」


 宮部が立ち上がり、腰をぐるぐると回してだらしなく声を出した。


「俺も歳だな。最近は疲労がよく溜まる」

「それは仕方のないことですよ。どうしよう、おにぎり。私、食べてもいいかしら」

「最近、食べ過ぎじゃないか?」

「女性にそういうこと言いますか?」

「いや、あ、いや、もう一人、お前の中にいるわけだし、それほど食うのはむしろ元気な姿なわけだから、何も悪いとは言っていない。お前の食いっぷりは見ていて清々しい。だからその、なんだ」


 しどろもどろ。目を泳がせてどうしたものかと言葉を探す宮部を見て、恵はうふふと笑った。


「怒ってないですよ。私が怒っているのはそこではありません」

「怒っているのか?」

「ええ、怒っていますとも。怒っているというより、困っている、でしょうか」

「俺は、何かしたか」


 より一層眉間にしわを寄せて、うううんと唸って宮部が考えるが思いつかないようで首をひねり続けた。


 その姿がおかしくて、愛おしくて、恵はうふふとまた笑ったが、いやいや今日は心を鬼にして言わねばなるまいと、手に持った茶とおにぎりが乗っかった盆を近くにあった机に置いて、すたすたと宮部に近づいた。


 少したじろいだ宮部の前まで歩いて、その険しくなった顔を見上げた。


「あなた、さっき後片付けは俺がやると言っておいて、大和君にやらせたでしょう?」

「あ、それは、それか」

「それか、とはなんですか?」


 微笑んだ恵の口元がぴくりと動く。しまった、失言だ、と思ったときにはもうすでに遅い。


「あなたの手先が刀鍛冶と刀の扱いにだけ秀でているのはわかっています。私の身を案じていろんなことを手伝おうとしてくれるのも、心苦しいくらいにありがたいです。けれども、ですよ。今日はお客様である大和君にさせてしまったのが申し訳ないのです。私もその言葉に甘えてしまったから同罪ですけれど、ね」


 困ったように恵は笑った。


「これからは私も色々と教えますから、一緒に家事も覚えていきましょう? 誰だって最初は初心者ですし。それに、きっとこれからあなたに家事を手伝ってもらうことも増えていくでしょうから」


 恵の身重な体を見て、そうだな、と宮部は深く頷いた。


「すまなかった。お前に甘え過ぎていたようだ」

「ああ、その、いいのですよ。甘えていただいても」


 ぶんぶんと腕を振るって恵は否定する。


「甘えてくださってもいいのですけど、もう少し、家事も出来るようになってくれたら、私は嬉しいなあって思うのです」

「嬉しいのか」

「ええ、まあ」

「ならやろう。と、そうだ。忘れていた」


 どうしたのです? と恵が宮部に尋ねると、そこら中に出しっぱなしにしていた槌などを片付けながら、用事だ。と答えた。


「今日は肉屋のところに顔を出すと言っていたのだ。新しい料理を考えているらしい。それで俺の意見も聞きたいと。俺のような者があいつのためになるような回答を出来るとも思えんのだが、あいつには世話になっているからな」

「そうですか、じゃあ、おにぎりは」

「食うぞ。せっかくお前が作ってくれたのだから、食うとも」

「それでは私が無理強いしているみたいじゃないですか」

「そうではない。ちょうど、一仕事を終えて、腹が減っていたところだったのだ」


 ならいいですけれど、とほっとした顔で恵は微笑んだ。それを見て、事なきを得た、と宮部は胸をなでおろす。


「では、いただきます」


 四つあるおにぎりのうち、二つを手にとって、がつがつと食べる。美味い。塩味が効いて、具は梅干しとシャケだった。


「うまいぞ」


 口を膨らませて宮部が恵にそう言った。本当ですか? と聞かれるとそれに答えるようにもう一口ほおばって、こくんと頷いた。


「しかし時間だ。これは持っていく」

「そのまま行かれるのですか?」

「ああ、なに、すぐ戻ってくる。大丈夫だ。今日は仕事ではないのだから」

「そうですか」

「家のことを少し任せる。帰ってきたら、俺もやる。一喜が帰ってきたら、宿題をしっかり見てやってくれ。それは俺に出来ないことだからな」

「わかりました」


 いつものように恵は膝を折って頷いた。足早に門へ向かう宮部の背中を追いかけていく。門を出たところで、遅れてやってきた恵の頭をポンと触った。


「では、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 宮部は走って行った。少し離れたところにある木々に向かって跳躍して、ムササビが如く木から木へ飛び移っていく。その背中が見えなくなるまで、恵は見送って、見えなくなると、踵を返して、屋敷へ戻って行った。


 まだ家事は残っているのだ。洗濯物の第二陣が待っている。


 そうだ、と思いつく。洗濯もあの人に覚えてもらおう。洗濯機の使い方くらいならすぐに覚えられるだろうし、そんなに難しいこともないはずだ。


 干し方も覚えてもらえば、時間も短縮できるから、産後に仕事を再開させたとしても、それからも続けて手伝ってもらえればぐっと楽になる。


 けれども。あの人の世話をしたくて一緒になったのだからそれはまた違う話なのかなあとも悩む。私がいなくては、と思ったから一緒になったのだ。今の今まで幸せだったし、これからも幸せだろうから、それはまた今度考えてみよう、と恵は思った。


 とりあえず、教えるだけ教えて、それからあとのことは考えよう。

 きっと汗だくで帰ってくるだろうから、その時は連絡をしてもらって湯を沸かそう。着替えの準備もしなくちゃ、と恵は屋敷の中をぱたぱたと動き回った。


 時刻は正午を目前にしていた。




――『鍛冶屋』――

体力性★★★★★

筋力性★★★★☆

俊敏性★★★★★

知性 ★★★☆☆

魅力性★★★★☆

本名『宮部源十郎みやべげんじゅうろう

 斬殺専門の殺し屋。標的を一刀両断することを美学とする。掃除屋である坂口大和の師匠であり、彼が東京に出てきてからの目標となった人物。剣豪であり、鍛冶師としても七代目宮部の名に恥じない超一流の腕前をもつ。齢は五十に近いが、今なお鍛錬を重ねる彼の体躯は筋骨隆々で、屋号会屈指の武闘派。歳の離れた妻と、小学一年生になる息子がおり、家族愛が彼の動力源ともいえる。


――『布屋』――

体力性★★☆☆☆

筋力性★★★☆☆

俊敏性★★★☆☆

知性 ★★★★☆

魅力性★★★★★

本名『宮部恵』

 絞殺専門の殺し屋。標的を自身の身に纏う布群で拘束し絞殺することを美学とする。着物姿の良く似合う大和撫子で、その艶やかな容姿は人妻であることも相まってか、深みと瑞々しさを兼ね備えており、とても魅力的。鍛冶屋である宮部の妻であり、息子もいる。着物と同等に家事の腕前も高く、宮部と一喜の健康に気をつけた献立を毎日作っている。宮部と一緒になったのは、超一方的に恵が惚れたからで、少し、というか病的に宮部のことを思っている節もある。

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