第一章

一話 超常現象

「え? 何だここは……」 


 真っ白な空間? 


 豪奢な白い机と黒い椅子があるだけ。 

 持っていたギター型のコントローラーがない。


 だが、そんなのはどうでもいい。 

 俺は亀裂に吸い込まれたんだ。 

 ゲームで遊んでいたら突然……。


 あれはアパートを切り裂くような十字の亀裂だった。


 その十字亀裂の中に……。

 闇の螺旋の渦が見えたと思ったら、その渦の中へと吸い込まれてしまった。


 それで気が付いたら、この白い空間に……。


「夢か?」


 頬をつねる。痛い。

 夢じゃないのか……叫んでみるか。


「おいっ! 誰かっ、誰か、いないのか?」


 俺の声に誰も反応しない。 

 左右を見渡しても――。

 白い空間が広がっているだけ、俺の声は虚しく響くだけだ……。


 俺しかいないのかよ。

 怖すぎるだろ……。 


 とりあえず目の前の机と椅子を調べるか。 

 机は木目調のチェス盤で四角い。

 四隅の角に小さい男と小さい女のミニチュア彫刻が立っていた。 


 このミニチュア、細かい作り。

 最近のフィギュアのように精巧だ。 

 男は男根。

 女には胸の膨らみがしっかりと表現されていた。 

 その彫刻は大理石風の石材製で冷たい。


 椅子には黒石の肘掛けがある。

 背凭れに無数の顔の彫刻があった。

 無気味で無表情な顔面彫刻。


 芸術の森とか博物館にありそう。

 リアルな彫刻。


 この無表情な一つ一つの顔面たちが、今にも表情を変えて動き出してきそうで怖かった。 

 ホラー映画的な演出は止めて欲しいが……。


 不気味な彫刻を除けば、黒色の石椅子はゴシック調でカッコイイ。

 上部と下部は渋い王冠の形。 

 黒色の椅子自体のデザインセンスは悪くない。

 だが、この無表情な顔の彫刻は……と、触る。


 ――固い感触でつるつるだ。


 表面は鋼鉄のような石材? 

 皮膚の部分も微妙な凹凸があるようだ。

 眉毛もディテールが細かく滑らかな手触り。 


 目は閉じている。

 仏像っぽい感じと言えるか。 

 そこでまた、四角い机に視線を移す。 


 ……何気なく机の下を覗いた。 


 ん?


「机の下に……」 


 血で汚れたトレッキングブーツが置いてある。


「何で?」 


 血の汚れはいやだが……裸足もなんだしな。

 履いておくか。

 紐を結び靴を履く。

 少し小さいが履ける。


 爪先で床を叩きながら靴の感触を確かめた。

 地面は固い。

 タイルのような感触だった。


「かたい」 


 と声に出す。

 意味はない。白い床面はしっかりとしている。 

 だが、そんなことはどうでもいい――。 


 顔を上げ、白い世界を睨む。


「現実とは思えない。やはり、夢、または臨死体験か?」


 ……いや、そんなもんじゃないだろう。

 つねって痛みを感じた。

 夢ならとっくに覚めているはずだ。 

 こういう時はリアリティチェックだっけ、息を止めたらいいんだっけか。


 スゥッと、鼻で息を吸い……。 


 肺に空気を溜めて息を止める。 

 フゥ……少しずつ息を吐いていく。 


 ……一分くらいは超えたか? 


 く、苦しい。 


 ――ぷはぁぁぁぁ、ゲホッゴホッ。 

 苦しいし、生きてるじゃんかっ。 

 それに息を吸えるってことは、だ。


 この白い空間には酸素とか窒素があるのかよ。 

 そして、Web小説によくある典型的な展開なら、ここで神様とかが現れるはずだ。 


 が、そんなことは、何にも起きない。

 ただ机と椅子があるだけとか……。 


 どうなってんだいったい。

 異世界召喚とかではなく、ただ拉致られただけ? 

 では誰が? こんな事ができる存在は神?

 高度な知的生命体?

 イタズラ好きな知的生命体? 

 高度な知的生命体が地球の人類七十三億人の中から……。


 俺が無作為に選ばれた存在だったり? 

 もしかして、今、宇宙船の中?

 俺の体、解剖とかされちゃうのかなぁ? 

 だったら嫌だな、嫌すぎる。

 ――妄想したってしょうがないのだけど……。 

 ぐるぐると、頭の中を下らない思考が駆け巡る。 


 ゆっくりと……白い空間を見渡して後ろを向く。 

 何もない真っ白な空間。 


 少し歩いてみるか。 

 暫く歩き続け……振り返った。


 ……はは、進んでねぇ。


 目の前に机と椅子がある。

 反対方向に歩いたのにまったく進んでいない。 


 ある程度は予想していたが……。

 やはりこの意味有りげな椅子に座れってことかな。 


 お望み通り座ってやろう。 


 と、黒石の豪華な肘掛け椅子に座った。 


 その瞬間――机の少し上の空間が点滅を始める。 

 おぉ、本当に反応があったが、何だあれは――。

 白い空間が一瞬光ると、色調が変化していく。 

 白、黒、青、灰色と順繰りに変わりながら点滅を繰り返していた。 


 その空間の点滅は突如止まる。

 同時に椅子が動いた?

 背に違和感、少し振り向いて、その椅子の背凭れを見たら――コワッ。

 ぎょろっとした見開いた無数の目が俺を見つめてくる。 

 背筋が凍ったが、髪に何か風を感じたところで、また振り向くと、先ほどまで点滅していた上の空間で変化が起きていた。 


 空間が裂けるように薄緑色の光が漏れ出ている。 

 漏れ出た光は強くなり上下左右の空間の亀裂はどんどん広がった。 

 やがて、裂け目から漏れ出ていた薄緑色の光は知らない文字や数字に変化していた。 

 意味不明の文字列が滝のように溢れ出していく。


「いきなりか」 


 しかも、立体的に表示されていく。


「……AR技術? 裸眼で3Dの立体視とか、ホログラムっぽい何かか? なんて技術力」


 最終的に日本語の文字が出現していた。


『 異世界に転生を開始しますか? 』 


 立体的に文字が浮いている。


「日本語……いきなり転生しますか? かよ」 


 立体表示された文字は机の上の空間を漂い、下に続きの文字が浮かんでいた。


『『はい』 or 『いいえ』 タッチをすれば選択されます。 


 『はい』を選択した転生後の世界は貴方が過ごした世界とは違う世界です。

 違う宇宙、違う次元、遠い銀河、物理法則が少し違う世界。 


 そこは〝神々〟と〝多次元世界〟が存在し世に影響を与えている世界。 


 現地の生命体を含めて、貴方とは違う〝転移者〟や〝転生者〟が存在し、〝異形なモノ〟たちが徘徊する世界。

 言語は未知の言語体系になります。

 ですが、貴方が人型へ転生する際、今の記憶を保持した状態で〝脳や体〟が改めて異世界に合わせて再構築されます。ある程度の文化圏の言語と文字理解ができるようにはなっているはずです。

 しかし、人以外の言語と文字は、まったくの未知の言語となります。理解はできないでしょう』


 これ、プロジェクターとかじゃない。 

 この文字の説明が、本当に浮いて存在している。


「……この立体表示の文字は」 


 ――触れられるのか?

 俺は浮いている説明の文字へと指を伸ばす。 


 感触は何もなく、指は文字をすり抜ける。不思議だ。 

 しかし、この『はい』を選択したら転生かよ。

 違う世界、違う宇宙、違う次元世界。 

 と言うことは、多次元宇宙論は正しい説だったのか? 

 超紐理論からM理論の十一次元、これは違うか。 


 無限に広がる宇宙の中で、永遠のインフレーション理論とされる泡宇宙が存在する可能性は高いかもしれない。

 シャンパンの泡のように宇宙が複数存在するかも? だっけか。 

 後はテグマークの分類宇宙の可能性もあるな。 


 哲学的に考えると、虚構実在論とか。 

 ま、俺の知る現代の科学や雑学で考えても仕方がない……。 

 そもそもが、俺が存在していた空間を引き裂いたブラックホールのようなモノに引き込まれて、この白い空間に拉致られるという超常現象なのだから。 


 重力波が初めて観測されたニュースもあった。

 いつか、俺に起きたような現象が解明されるかも知れない。


 しかし、この浮いている文字といい、四角い机と不気味な椅子といい、夢ではなく、現実に起きている現象。 

 ぐっと唇を噛み締めて、若干の痛みを味わいながら……「理解しよう」と小さく呟いた。 

 それにしても、体を再構築とは……仮に転生の『はい』を押したとして、再構築された俺は、俺のままでいられるのか? 


 我思う故に我ありとかの話じゃないぞ。 

 記憶は保持されると表示されているが、不安は残る。 


 あっ、今の状態って、やはり死んでいるのと同じか? 

 それならそれで、選択肢は狭まるが……。 


 ここで『いいえ』を選ぶと、いったいどうなるんだろう? 


 『はい』の選択肢しか説明がされていない。

 『いいえ』を選ぶと元の世界に戻れず、死んで、無になるとか? 

 無じゃなく、元の世界に戻れたとしても……。 


 俺は無職だ。

 心配してくれる家族もいない。


 両親は小さい頃に事故で亡くなった。


 それ以来一緒に暮らしていた爺ちゃんも三年前に亡くなり、今は独り。 

 派遣も、三年でクビ切りになった後はニート経由で無職。 


 中途半端に金があるせいで怠惰な生活だった。

 遺産を食い潰す日々を過ごしていた。 


 だから、そういった面での未練はない。

 が、娯楽には未練がある。 

 ゲーム、映画、雑学、スポーツ、漫画、アニメが見れない……小説も読めない。水泳などの娯楽も捨てなきゃならない。 

 最近は泳いでないが……。

 あ、異世界でも川や海があれば大丈夫か。 


 煙草も吸えず美味いものも食えないかも知れない。 


 しかし……いじいじと考えたってしょうがない。


 このままじゃ、ずっと真っ白な空間に閉じ込められたままだ。


 神の悪戯か解らないが、こうして、目の前に未知への扉が開かれているんだ。 

 何も無い俺が、それに飛び込まないのはアホすぎる。 

 宇宙飛行士でもNASAの職員でもない。

 ただの無職が、違う次元、違う宇宙、違う物理法則、そんな未知の世界に挑めるってことだろ? 


 やはり、俺は人類七十三億人の中から選ばれし無職。


「へへへ」


 あ、違うか。 


 他にも転生者や転移者がいると表示されていた。 

 ま、そんなことより選ばなきゃな。 


 選択は『はい』か『いいえ』か。二つに一つ。

 と言っても、答えはもう出てるんだけどね。 

 普通だったら不安で一杯になるんだろうけど、正直、不安より期待が大きいんだよな。 


 久しく感じていなかったわくわくとする童心の感覚は抑えられそうもない。


 空中に漂う、この〝転生〟の文字。 


 小説やゲームではない。

 俺自身が選べるんだ……。 


 こんな真っ白な空間に閉じ込められた状態では、まともな判断や思考ではないんだろう。

 が、未知の世界には挑戦したい。

 実際体感して、見てみたいってのが本音だ。 


 ゴーギャンの問いにもあるだろう。

 驚くべきことが待っていると。 


 決めたよ……未知の世界にいく。


「旅立ちます」 


 その場で立ち上がり、深々とお辞儀をする。 

 誰が見てる訳でもないが、二度と戻れないだろうし。 


 また不気味な椅子に座る。

 空間に浮く『はい』の文字へと腕を伸ばした。 


 指先で、ポチッとなっと、タッチした。 

 ――うあァッ。 


 『はい』の立体文字に感触を感じた。


 シリコンのような……。

 こんにゃくのような柔らかいぐにょっとした感触。 


 どうやら重要な文字には感触があるらしい……。 

 押した後、『はい』や『いいえ』を含めた文字は分解されて崩れるように消えていく。 

 完全に文字が消失した直後――。


 また新たなアルファベットやコード記号、文字が滝のように上方から流れ落ちてくる。 


 文字群は上から下へ流れて不思議な色彩を作り出した。

 何かマトリックス的で、幻想的だ。 

 その多種多様な文字や記号は、フィボナッチ数列を作り出し、フラクタルの形状を取り、幾何学的な模様になるのを繰り返しながら未知の花を映し出していく。 

 花の形からどんどんと姿を変え、変化を遂げて、トポロジーの波形を作っては波のようにうねり、ドーナッツの環の形を作る。 


 次々と形を変えていった。

 なんだこれ? と不思議に思うが、つい見てしまう。 

 今度は不思議な波のような形へと変わり、細かく波打った物体へと姿を変えていた。

 物体はUFOのように宙を自在に動き回り、不規則な動作を繰り返す。 


 そして、流線状に弧を描いた瞬間。 


 波状の物体が弾けるように消えたと思ったら、目の前に〝左手〟と〝右手〟の立体的な手形が出現していた。 


 手形は薄緑色と淡い青色に交互に点滅しながら光り輝いている。 


 その手形の下には『両手をこの立体手形へと差し込んでください』という立体文字が漂っていた。 


 これに手を差し込むのか? やってやろうと――文字通り、両手を立体的な手形に差し込んだ。 

 ガチャッと音が響く、手形がフィット。 

 手首も嵌まってしまい、両手は抜けなくなってしまった。


 両手から手首にかけてぬるっとした感覚とアルコールの匂いが漂ってくる。 


 立体文字で『キャラクタースキャンを始めます』と表示された。 


 その瞬間――。

 黒い触手が目の前にっ。

 ――え、もしや、と背を反らし、もう一度椅子の背凭れを凝視。

 うひゃ、俺が座っている黒椅子の見開いた目がこれでもかと大きく見開いていた。

 しかもリアルタイムに無表情な顔たちの口が一斉に蠢き、開くや否や、その口の中から黒い触手のようなモノが飛び出してきた――。

 避けようがない速度で絡み付く、植物のような黒い蔓?

 その黒い蔓が、更に俺の首と腰に巻き付いてきたァァ。 

 瞬く間に、黒椅子へ体が固定されてしまった。


 手も手形に嵌まっているからどうしようもない。


 頭だけは動かせる。

 頭だけ振り返ってまた背凭れを見ると、黒色の蔓を放出している黒椅子の顔オブジェたちの双眸が見開くや否や、その双眸から無数の目玉が飛び出てきた。その目玉たちは、目玉親父よろしく。 

 といった可愛さはなく、ただただキモイ。


 ――ピンポン球どころじゃねぇ。と宙に漂う目玉たち。 

 目玉の下部は管か、血管のようなモノ。

 その細かい管が黒椅子の無表情オブジェの眼窩と繋がっている。

 余計に気持ち悪さを表していた。 

 やはり血管なのか、管が脈打っているし……。 

 複数の目玉たちは上下左右に動き、俺の周りを漂い始めた。 

 目玉の中心にある瞳孔がカメラのズームアップ的に縮小と散大を繰り返している。


 その目玉の瞳孔が散大。

 瞳孔の中心から赤い光線が体に射してくる。


 うひゃっ、オワタ。

 と一瞬身構えるが……杞憂に終わる。 

 痛みはない。

 目玉たちは、俺を調べているらしい。 

 目玉はピピピッと機械音を立て、体全体に赤い線が纏わり付き、足先までスキャンしていく。


 最初に妄想したが……。

 俺は高度な知的生命体に拉致られたんだろうか? 

 その俺をスキャンしているだろう赤い線が消えた刹那――机の上の空間に裂け目が発生。 


 異質極まりない現象の裂け目から、さっきと同じ薄緑色の光が溢れ出る。


 溢れた光は薄緑色の文字群となり数字や数式が雪崩のように流れては消えていった。


 これもさっきと同じ? 

 いや、少し違うか? 

 ――日本語でも現れ始める。 


 ※エピジェネティクス強制展開※

 ※ヘイフリック限界強制解除完了※

 ※超力多能性幹細胞展開※

 ※テロメア総数スキャン完了※ 

 ※Tループ及びアポトーシスの停止※


 DNAの螺旋鎖が薄緑色の文字群を映し出す。

 二本鎖や三本鎖など、高分子生体物質の核酸だ。


 ※RNA完全スキャン完了※

 ※触媒サブユニット展開※ 

 ※リボソームRNA共通祖先完全スキャン完了※

 ※遺伝子重複※複合系解析完了※

 ※DNA完全スキャン完了※


 なんだ?

 数々の訳のわからない文字や記号が……。

 最後に、『キャラクタースキャンが完了しました』


 そんな文字が現れたと思ったら、


「ぬぉっ」


 思わず奇声が出た。


 机の上に〝俺の全裸〟の姿だと?


 同時に手首が嵌まる手形も消失。 

 触手の蔓からも解放された。


 スキャンしていた目玉たちも元の眼窩の中へとしゅるしゅるっと音を立てて収納されていく。


 元の黒色の石椅子にあった顔面の彫刻に戻った。

 自由になったが……。


 そんなことより、リアルに再現された〝俺〟だ。

 机の上に……。

 〝俺〟が立体的にしっかりと再現されている。 


 周りに誰もいないが……。

 俺の姿がリアルすぎて恥ずかしい。


 掌にギターの練習でできた豆まである。

 脂肪がついた腹も……。 


 うはっ!

 あそこの大きさも同じだし、毛の量も同じだ。


 リアル過ぎだろう。


 脂肪が目立つ腹も重量感溢れる大きさで再現されているし。 

 うぅ、学生時代は結構な筋肉マンだったのに……。

 ま、これはしょうがない。 

 最近は市民プールで泳ぐこともしなかったからな。


 でも、これは残念だ。 


 綺麗な女性だったら、もっとじっくりと鑑賞したいところだった。

 しかし、凄いことに変わりはない。


 リアルで立体表示されている俺の体……。

 物凄いグラフィックだ。


 いや、完全な実写とも言える。 

 実写を超えていると言ってもいいぐらいの。


 もう一人の〝俺〟その物だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る