四百五十四話 トラさん
◇◆◇◆
シュウヤがレネを胸に抱きながら移動を開始した頃。
レース会場を脱していたオフィーリアは路地の角を駆け抜けていた。
「――何で、わたしに濡れ衣を! 待て、鼠男! 優勝賞品を返せ!」
そう叫ぶオフィーリア。
しかし、逃げている銀鼠の獣人男にその必死な彼女の言葉は届かない。
銀鼠の男は百皇狐の皮裘を握り締めながら『早く早く、リンを元に戻すんだ!』
と、強く心に秘めながら必死に獣人たちを払いのけて走る。
オフィーリアはそんな思いを抱く銀鼠の獣人を追っていた。
逃げている銀鼠の男は賞金と賞品を盗んだ。
シュウヤがオフィーリアを守るために展開した<鎖>製の巨大な盾の出現に驚いたオフィーリア。
頭上を見続けて、油断したところを銀鼠の獣人に狙われた形だ。
百皇狐の皮裘と賞金を盗んだ銀鼠の獣人男は大胆にもバーナンソー商会の関係者にもスリを行い成功させる。
関係者とはレース会場でシュウヤに対して『盗んだのは黒髪の人族か』と叫んでいた方々だ。
オフィーリアはその男を追い掛けて走りながら自身の胸元に手を当てた。
――この大切な胸のバッジは盗まれなかったから良かったけど……。
そう考えるオフィーリア。
しかし、窃盗団として面子を潰された形だ。
「それにしてもあの鼠、足に魔法でも掛かっているの? これも身から出た錆? 仲間の命が掛かっている時に……レースを楽しんだからその罰ってわけ?」
オフィーリアは頭上の輝く枯れ葉たちに向かって、そう叫ぶ。
しかし、すぐに頭を振ってから、自らの胸元に刻まれた白い紋章を強く睨んだ。
――いや、神々より、ケマチェンとフェウよ。
――あいつらは普通の人族ではない、強い。
――そして、この白い紋章の力も侮れない……。
――外からの魔法を干渉しない作りになっている。
――この紋章に手を加えようとした者たちは、皆……。
そう思考をしたオフィーリアは細い眉を中央に寄せる。
自身の尖った歯で、唇と歯を噛んでいく。
彼女は
しかし、すぐに深い悲しみの感情を表に出す。
そして、片方の目から一筋の涙を零していた。
――今は大人しく指示に従うしかない……。
悲しみを心の内に抑えようとしているオフィーリア。
彼女たちオフィーリアが率いるツラヌキ団たちは、ケマチェンとフェウたちから『古代狼族の秘宝を奪取してこい』と、指示を受けていた。
――指示に従うしかないからこそ……。
――そんな奴らのことなんて、忘れたくて、『レースに出てくれないか?』というバーナンソー商会会長シドの頼みに乗ったんだ。
――そして、故郷のレースを思い出すように……わたしも、さきの狐追いレースを楽しんだ……。
――レースは凄く楽しかったし優勝もできた。
――だけど、結局は……。
――この古代狼族たちの都市を荒らしていることに変わりない。
――ツブツブの魔道具に穴掘りの技術と隠蔽の技術は優秀。
――今ごろは宝物庫に穴が空いているはず。
――アラハと連携し宿に集結している仲間たちと連絡を取り合っている。
――だからこそ……か。
――わたしたちはハーレイア様や双月神様たちの意に反することをしている。
オフィーリアはそう思考しながら表情を沈ませた。
優勝して頂いた賞金と賞品を、まんまと、盗まれてしまった情けない自分。
そして、自身と仲間たちの命が掛かっているとはいえ、この狼月都市ハーレイアの宝物庫に侵入し、大それた窃盗を行おうとしているツラヌキ団としての行為を、彼女は悔やんでいた。
――今更よね。
――同胞たちのためとはいえ、ケマチェンの指示に従い、他の地域に住まう種族たちが守っていた大切な秘宝を盗み出しては、そのすべてをケマチェンたちに渡してしまったのだから。
そう自らを責め続ける彼女。
熾烈な競争の狐追いレースを、見事に優勝した。という誇らしい思いは……。
もう、彼女の心から消えてしまっている。
――だからこそレースで勝ち得た物を使って仲間たちに良い思いをさせたい。
と、オフィーリアはリーダーとして強く思う。
しかし、賞金と賞品を盗んだ男の足は速い。
彼女はそれでも諦めず路地を駆けて追いかける。
――クソッ、見失った! 見つからない――。
でも、賞金と賞品を諦めるわけにいかないんだ!
――あの優勝した時に頂いた百皇狐の皮裘というアイテム。
――感触が良かった。
――白毛も柔らかくて、狐の頭部も丸々あったし……歯も動いていた。
――高級品なのは確か。取り返して売る!
――今、残っている仲間たちは、辛い仕事をがんばっているんだから!
――だから、わたしが労ってあげるんだ。
そう、皆のためを思い、自らを奮い立たせるオフィーリア。
そのまま路地の四辻に出たところで足を止める。
――もうっ、逃げた鼠男はどっちの方向に消えたの……。
――
オフィーリアは足を止めて、小鼻を動かしていた。
通りの壁に手を当てながら、ゆっくりと路地の奥を見やる。
すると、路地の奥に光が射し、男の背中が彼女の瞳に映った。
オフィーリアは闇の中に一条の光明が射したように感じた。
――いた! あの縞模様! 鋼色のトゲ髪! 鼠野郎だ!
――ぜったいぜったい、逃がさない!
と、目に力を宿したオフィーリアは、暗がりの路地を一生懸命に走った。
――魔獣があれば!
――でも、ここは路地!
――暗いし、ロウガダイルもないけど仕方がない!
短い足を、精一杯動かして走るオフィーリア。
斜め前へと続いている路地を駆けるオフィーリア。
一方、オフィーリアが追う銀鼠男は……。
今、自らを追いかけているオフィーリアの存在に気付いていない。
しかし、気付いていなくても走っている彼は必死だった。
――ざまぁ、あのシド会長に一泡吹かせてやったぜ。
――あの腐った金の亡者共たちのアイテムを売り払い、金にするんだ。
――そして、この百皇狐の皮裘から、リンを……解放する!
――このアイテムと金があれば、ソレイユの涙を買える!
銀鼠の男は、そう決意を秘める。
表情を厳しくしながらヘヴィルの古美術商店の中へと入った。
◇◆◇◆
レネを胸に抱きブルームーンの宿屋に向かう。
三階建ての外壁が視界に入った。
瓦の屋根と繋がる壁の上の裏に、煙を排出する多目的スリーブの穴を確認。
その穴を見てから、宿屋の手前の宙空で止まる。
<導想魔手>の足場から周囲を確認――。
宿屋の裏通りで続いていた喧嘩はもう納まっている。
だが、ブルームーンの前の通りは、前よりも獣人たちの交通量が多い。
ここは商店街と繋がる細かな路地があるからな。
そして、赤錆びた壁面に挟まれた路地へと続く手前、広間がある場所で、獣人たちが集まっていた。
何か興業的な見世物小屋があるようだ。
ここは狼要塞の入り口が近い。
殴られ屋のような興業もあるのかもしれない。
そんなことを考えながら掌握察――。
オフィーリアの魔素、あの魔獣に伝えていたセルリアンブルーのような魔力がないか、宿屋内部を含めて魔素の確認をしていく、が……。
「閣下――」
背後にいたヘルメも瞬時に気付く。
俺が潜入していた時と比べて、宿屋の中の魔素が少ない。
ヘルメも気付いたようだ。
常闇の水精霊ヘルメとして真面目な表情を浮かべていた。
ヴェニューちゃんを誕生させた時と、また違う美しさを感じさせる精霊さんだ。
蒼と黒のコントラストが映える。
ヘルメの双眸を見つめてから、僅かに首を縦に動かし頷く。
その頷く際、胸に抱いている兎人族のレネにも視線を向けた。
彼女は身体を震わせて目を瞑っていた。
「ごめん、速度を出しすぎたか」
「……ううん、気にしないで」
レネはそう語るが……。
俺の飛翔速度は地下を<鎖>製のスケートボードに乗って、ハイグリアとエルザを両脇に抱えていた時とは違う。
レディファーストを意識しながらの速度ではない。
ま、今は逃走中といえるオフィーリアを探す立場だ。
我慢してもらおう。
と――右手に持ち替えていた月狼環ノ槍の柄の握り手を確認。
この穂先の九環刀をオフィーリアに対して使うことにならないといいが……。
しかし、彼女はツラヌキ団の隊長だ。
皆を守るために、彼女が俺と戦いを望むなら……。
美人相手でも戦うことになるかもしれない。
だが、レースを優勝した彼女が、本当にわざわざスリをしたのか?
どうも腑に落ちない――。
と考えながら侵入したベランダに飛び降りた――。
前と違い床板にアーゼンのブーツ底が当たり、音が立つ。
まぁいい。今は潜入ではない。
そして、開いている扉から部屋の中を視認。
前と同じ金茶の床が奥まで続く……。
オフィーリアはまだ戻ってきていないのか?
<
そして、ヘルメとアイコンタクト。
彼女は頷く。
彼女の指先の球根花から伸びている<珠瑠の紐>たちによって縛られているソプラさんの方は見なかった。
俺は緩やかさをもって揺れているカーテンに手を当てながら潜った。
扉の先に足を踏み入れる。
金茶の床は綺麗だ……なと――。
そのまま香炉の煙が籠もる部屋へと走った――。
だが、やはり、誰もいなかった。
香炉の煙もどことなく寂しげだ。
オフィーリアは仲間のところに、直行するかと思ったが……。
「……居ません。仲間のところに戻ることを最優先すると思いましたが」
「あぁ、俺もそう思ったからこそ。この宿に直行したんだが、そう、単純じゃないらしい」
「女性は気まぐれな小悪魔と聞きます」
ヘルメもそうなのか?
と、精霊な彼女と会話をしながらベランダに戻る。
ベランダの手摺りに手を当てながら、下の大通りを覗く。
通りの喧噪はさっきと変わらない。
寧ろ、増えていた。
また喧嘩か?
気性が荒いがペルネーテに居た
俺が好きな腕が四つ持つ
すると、樹海獣人専用の可愛い小型馬車が通っていく。
カウボーイハットをかぶっていた樹海獣人の姿を探すが居なかった。
しかし、樹海獣人の小道具は色々と面白い。あ、
通りの端に、オフィーリアと似た背格好が見えた。
レースで魅せていた黒色のマントも似ている。
背の高さ的に、
走っている。
とりあえず、追うとして、
「レネ、抵抗はするなよ?」
レネは胸元のペンダントを触り俺を見る。
「……うん、分かってる。でも、何か探しているの?」
「そうだ――」
「そう……」
レネは頷く。
そして、アへ顔を浮かべている妹の姿を見て微妙な表情を浮かべていた。
俺はヘルメに視線を向ける。
「ヘルメ、走るぞ。ソプラさんの扱いもそれなりに頼む」
「お任せください」
ソプラの身体を縛っている<珠瑠の紐>の輝く紐。
その紐の輝きが増していくのを、確認してからベランダから飛び降りた。
前回と同じく、大通りの真ん中での着地劇だ。
当然、周囲から目立つ。
「神姫様の珍しいともだちだーーー」
「かっこいい! 槍も浮いてるーー」
「黒髪~。人族のみどりのふくーー」
「あしのブーツ? 髪と同じ黒だー」
「オレはあの蒼いねーちゃんのおっぱいがいい」
「でも、うさぎの細いねーちゃんを抱きしめてる!」
子供たちから色々と指摘を受けたが、気にしない。
ヘルメはポーズを取って挨拶している。
注目を浴びたレネは顔を朱色に染めていた。
そして、遠慮しているのか、俺の首に手を回したりしない。
だが、俺の胸元の襟とポケットの出っ張り部分を手で掴んでいた。
その際、ポケットの上部から少し震えているホルカーの欠片の一部を見て、驚くように、目が見開いていたが、指摘はしない。
同じポケットに入っている魔造虎のほう、猫の陶器人形のほうを見れば、気に入ると思うが。
そんなことを考えながら……。
オフィーリアらしき人物がいた路地に入ってから、追い掛けた。
――路地に入る。
途中から<導想魔手>を宙に生成。
宙に歪な魔力の手の足場を瞬間的に作りながら、横壁を忍者のごとく走り抜ける。
オフィーリアが店の中に駆け込む姿が見えた。
「閣下、店の中に」
「あぁ、気になるな、少し探るか」
「はい、しかし――」
ヘルメはソプラを捕まえている状態だ。
だから、液体へ移行した探索は、現状では無理と。
俺に対して、暗に視線と態度で示す。
だが、
「閣下、代わりにヴェニューちゃんを呼びます!」
ヘルメは<珠瑠の紐>の紐に絡まるソプラを振り回すように腕を振るう。
腕をエブエのようにクロス。
そんな胸元から小さいヴェニューが現れた。
あれ、手も前より少ない。
しかもその手に握っているのは鯛だけだ。
ふあふあと浮かびながら俺の顔にすり寄ってきたヴェニュー。
胸元のレネは怯えてしまった。
「ぬお」
冷たい。
頬に鯛をこすり当ててきた。
だが、その瞬間、魔力が上がった。
そして、鯛の小さいマークが周囲に浮かび上がる。
『ぬぬ、器よ! あの魚を! 妾にもかけてほしい』
サラテンが鯛を欲しがったが……。
『少しだけ外に出るか?』
『出る! あぁ、なんだ、開かない! 魚の印が、あって外にでれないではないか! ふん!』
『鯛は防御効果があるようだな、ということでサラテン。悪いが今回も出番はなし』
『……』
サラテン・チンモク。
「で、これは本当に防御か? 何の効果が」
「<魔鯛>だ! シュウヤを守ってやる!」
えっへんと語る小さいヴェニュー。
「そうなのか。ま、魔法防御ということかな」
「そのはずです。<精霊珠想>のような取り込む力はないようですが、簡易的な防御効果があるはず」
と、親戚かヴェニューのお姉さん気分のヘルメが説明してくれた。
「んじゃ、今は下に向かう。ヘルメは店の真上から待機な。レネも頼む」
「承知しました――」
ヘルメは早速<珠瑠の紐>でレネを掴む。
俺からレネを奪い取る形だ。
「ひゃ」
と、輝く紐に抱かれる感覚を味わうレネ。
側に居るだらしないアへアへした表情を浮かべているソプラを見て、微笑んでいた。
片手を伸ばして髪の毛を整えてあげている。
あの辺はお姉さんだな。
しかし、二人とも、お尻が輝いた。
……さて、俺は店に潜入だ。
ヴェニューは俺の肩の上に着地。
襟元に小さく萎んだ鯛を置いて枕にすると、眠り出した。
……よく分からん精霊の類いだが。
まぁ気にしても仕方ない。
再び<
オフィーリアが中に入った店の屋根に着地。
ここはベランダはない。
裏口はあるが、とりあえず正面の入り口から……。
と、目立たないように隣の路地に降りた。
――壁に沿う形で店の正面に回り込む。
周囲は人通りがそれなりにある。
店の前列に並ぶ棚の列を確認しながら……。
――その棚を地形として利用する。
隠れた立ち回りを意識しながら慎重に歩く。
<
さらに丹田を基本とする<魔闘術の心得>をも意識。
キサラから学び途中の魔手太陰肺経も発動する。
鯛のマークが陽炎のように消失していく。
肩で寝ているヴェニューは寝た状態だ。
そのまま、そっと、隠れることを意識しながら周囲に気取らせず。
<暗者適応>の効果を実感するように影と一体化。
そのまま、そそくさと入り口に向かう。
そうして、横の棚に右肩を当てながら店の中の様子を……。
※ピコーン※<影歩>スキル獲得※
※<影歩>と<暗者適応>が融合します※
※ピコーン※<無影歩>恒久スキル獲得※
おぉ、スキルを獲得した。
瞬時に能力が分かるタイプ。
この新しいステルス系のスキルの<無影歩>は、<暗者適応>を進化させたような感じだ。
<
そして、歩きや攻撃の動作でも<
暗殺者になれそうだな。
だが、槍使いに暗殺者がいるのか?
あまり想像できない。
オゼ・サリガンやカザネの娘のミライが扱っていたような短剣術を学ぶべきか?
蟲使いエルザのようにアウトローマスクを装備して……。
短剣使いと黒猫を目指すか。
ロロから触手骨剣のツッコミがきそうだから止めとく。
あ、短剣や弓の代わりに、槍投げ暗殺者を目指すか?
ないな。さて、そんなことより中だ。
肩のヴェニューが、うんうんと頷いている。
起きたようだ。鯛は消えていた。
どこから出したのか分からないが、小槌を手に持っている。
その小さい武器を見たからではないが、俺は、アイテムボックスからビームガンを取り出したくなった。
小銃を手に持った気分で――店内を窺う。
店内の天井は低い。
幅は広く奥行きがある。
手前から奥にかけて商品が並べ置かれた横に長い棚が二列並ぶ。
床の材質は天然石。
ところどころに石英が使われている。
魔力が宿っているからトラップか?
分からないが、避けとこう。
床が持ち上がって、天井とぶつかって天寿をまっとうしたくない。
ここ、有名な骨董品屋とか、古美術商店なのかな。
ペルネーテの魔法街にあったような品々に近い品質の物が売られている。
とりあえず……。
移動しながら売られているアイテムを見よう。
無患子のようなツブが剣身から生えた蛇剣が鍵付きの棚に置かれてある。
名はレデーンの蛇剣。
値段は白金貨十五枚。
どす黒い魔力を放つ鏃が付いた矢。
値札は剥がれていた。
鈴虫の形をした汁袋?
名は変形アドラス汁。
値札は金貨三枚。
魔力を内包した古代竜の眼球もあった。
白糸のようなモノで封じられてある。
名は消えていた。
値札に白金貨四十八枚と記されている。
なんの竜か気になるが……。
俺が持つ血骨仙女のような瓶の中に液体付けされているような魔眼は売られていないようだ。
ま、地下オークションに出るようなもんが、ポンッと売られているわけもないか……。
しかし、魔力の漂う魔法の品は多い。
あ、居た。一列前の棚に隠れているオフィーリアを見つけた。
黒色のマントで隠れている。
背が小さいし
夢中になって見ていたレーサーだ。確実にオフィーリアだ。
そのオフィーリアは店主にアイテムを売っている銀鼠の男の背中を見ているようだ。
彼女はあの男を追っていたのか?
すると、銀鼠の男の声が聞こえた。
「ふざけろ! この間、ソレイユの涙を売ってくれるといったじゃないか!」
店主に向かって怒った口調だ。
「知らないねぇ……なんのことだい?」
「ヘヴィル! お前が、ソレイユの涙があれば、アイテムに封じられた者を解放できると! 教えてくれたんだろうが……あの時は、高くて買えなかったが……今はこの通り、ほら、このアイテムを買い取ってくれよ! これで買えるだろう!」
ソレイユの涙とは何だ?
店主が握っている貝殻か?
色は金色っぽいが、涙って感じがしない。
「……あの時はあの時だ」
「どうしたら売ってくれる……」
「その、百皇狐の皮裘をわたしに譲れば、売ってやろう」
「だめだ! 糞、何のために……」
「じゃ、売ることはないねぇ」
店主は邪悪めいた表情で嗤う。
「お前、分かってて……どうしたら売ってくれる……」
ここからでは、店主と違い銀鼠の男の表情は分からない。
多分必死な表情を浮かべていることだろう。
「だから、その百皇狐の皮裘を売ってくれたら、いや、ソレイユの涙を渡そう。物々交換といこうじゃないか」
「両方が必要なのに、交換しても意味がない! 足下をみやがって!」
「あまり騒ぎ立てないでくれないか? 交換もしないなら帰っておくれ」
「糞……お前が売ると……なぁ、ソレイユの涙がどうしても必要なんだ……頼むよ……」
「あんた、まだ分からないのかい?」
「何がだよ!」
「どうして、急に狐追いレースの乗り手があんたからオフィーリアに代わったか。オッズの変動、優勝賞金の跳ね上がり、優勝賞品に百皇狐の皮裘が特別に追加されたか……どうして、わたしがこの情報を知っているか」
「シドが全部仕組んだというのか?」
「さぁね」
「……こうなったら……へヴィル、覚悟しろ……」
その瞬間、銀鼠男は腰から短剣を引き抜く。
銀鼠男は強引にソレイユの涙を奪おうとしているつもりなのか。
小さい受付の台を蹴飛ばす。
そして、店の奥に侵入しようとした。
「――ひぃ、衛兵を呼ぶよ! わたしには古代狼族に知り合いは多いんだ!」
ヘヴィルと呼ばれた店主は
背後のスイッチらしき金属ボタンを押していた。
「五月蠅い、さっさとそれを寄越せ、強欲ばばあ!」
銀鼠男は叫ぶ。
しかし、へヴィル婆がボタンを押した効果が現れる。
店の奥から
その
そのメイスの武器を振るう――。
メイスと衝突した銀鼠の男の短剣は弾かれた。
「――よう、鼠のトラさんよ。ヘヴィル商会の中で派手に暴れると、どうなるか、身をもって知ることになるが」
「その刃物を振り回し続けたいなら、俺たちが相手だ」
「そして、大人しく、その百皇狐の皮裘を会長に渡した方が身のためだぞ」
銀色の鼠男はトラという名らしい。
「ふざけろ!」
短剣が弾かれても、そのトラという男は諦める気がないらしい。
二人の用心棒の相手にも退くことはしなかった。
オフィーリアは、その様子を見ていた。
そして、トラという銀鼠男が、斬りかかろうとした瞬間――。
そのオフィーリアが片手からレイピアのような細身の剣を出現させて、暗がりから出る。
歩幅は小さいが前に歩いていく――。
彼女が銀鼠男を追っていた理由はなんとなく分かったが……。
俺も介入しようか――。
両手から<鎖>を射出――。
まずはオフィーリアと銀鼠男を確保――。
<鎖>はヘルメの<珠瑠の紐>のような麻痺と良い匂いの効果はない。
だから、速度を重視する。
多少乱暴に扱うが、構っては居られない。
店内を破壊しながら二人を雁字搦めにした。
そのオフィーリアと銀鼠男を天井に張り付ける。
派手に登場したから<無影歩>の効果はあまりないな。
「――何だ、次から次へと、人族の強盗か! 殺せ!」
店主の婆が俺を指して、用心棒に命令を下す。
「待った、俺は強盗じゃないぞ」
「知るか――」
ヘヴィルの婆は顎先を激しく揺らしながら用心棒たちに指示を出す。
俺の忠告を無視か。
なら――先手必勝。間髪を容れず――。
へヴィルと呼ばれていた婆さんの護衛との間合いを詰めた。
そのまま<導想魔手>の魔力の拳を用心棒が持つ武器と衝突させ、落下させる。
右手に握る月狼環ノ槍の穂先を、もう一人の用心の武器に伸ばした。
大刀の棟の部位に備わる環の群れがぶるりぶるりと震え金属音を立てる。
――瞬く間に、大刀と環の部分から狼の頭部を象った幻影たちが出現。
その狼の頭部の幻影たちは、用心棒の武器ごと、その腕を喰らうように伸びていく。
用心棒も身に迫る幻影たちが見えている。
恐慌したような表情を浮かべて、
「な、なんだ! 狼の幻影だと?」
その彼の持っていたメイスと、月狼環ノ槍の
しかし、幻影の狼の頭部は、本当の幻影だった。
用心棒の腕は何も起きてない。
狼たちは嗤うように歯音を響かせながら透き通るように消失。
目眩し効果に使えるかもしれない。
しかし、さっきのレース場で傭兵が俺に向けて<投擲>してきた遠距離武器を、狼たちの頭部が、破壊するように貫いていた。
だから物理属性も備えているはず。
やはり当初の予想通り……。
この、月狼環ノ槍に棲む狼の幻影たちは、俺の気持ちと連動しているのかもしれない。
そうした一瞬の間に、二つの武器を払い落とすことに成功。
そのまま魔闘術を全身に纏い速度を加速する。
「動きが速い。だが、ここは店内。狭いし身は一つ! 喰らえや――」
近寄る
小さいヴェニューが肩で小槌を振るっていたようだが、意味はない。
「近々距離戦の師匠は沢山いるんでね――」
そう喋った俺の手首から伸びている<鎖>から金属音が鳴る。
「なっ――」
パンチを繰り出してきた用心棒は、前のめりに突っ伏す。
バランスを崩した。
用心棒は、身体を支えようと、俺の<鎖>を踏みつけるように、片足を前に出す。
俺は、その足に向けてローキックを喰らわせた。
「ぎゃ――」
悲鳴と同時に細い足は根元の骨から折れる音が響く。
その用心棒は稲穂が折れるように力なく倒れた。
しかし、もう一人の用心棒が商品の包丁を手に取り、
「糞、強盗が! しねぇぇぇ!」
と、奇声のような声を上げて、斬りかかってくる――。
俺は半身の姿勢に移行し、その包丁の刃を避けた。
――前髪が風で揺れる。
斜め下から天井に伸びた<鎖>と衝突した包丁から火花が散った。
横に移動しつつ短く持った月狼環ノ槍を、掌で、くるりくるりとペンを回すような機動を取らせつつ――。
その月狼環ノ槍の柄を掴んで、その月狼環ノ槍を縦にぐいっと持ち上げた。
――月の形をした柄頭を用心棒の肩へと差し向けた。
カウンター気味だ。
「げぇ――」
肩に打突を受けた用心棒。
その肩を反対の手で押さえながら、二歩、三歩、後退。
手加減しすぎたか。
打突の威力がなかった。
俺は月狼環ノ槍を<導想魔手>に預けつつ無手に移行。
前傾姿勢で前進――。
右足の裏に、魔力を込めた踏み込みから跳躍した。
――左足の片膝を突き出す。
宙に突き出した左の片膝の膝頭を、その後退して、怯んだ用心棒の頭部に喰らわせてやった。
膝頭が
鼻ごと頭部ば潰れた用心棒は凄まじい勢いで吹き飛ぶ――。
店内の棚を破壊しながら転がっていった。
「シュウヤ! 良いぞ!」
肩のヴェニューが叫ぶ。
手に小さい棒を持っていた。
俺が吹き飛ばした用心棒は死んでいないだろう。
息はある。そして、店主のへヴィルに向けて、
「用心棒のように戦うか?」
と、にこやかさを意識して尋ねた。
「……」
「黙っていると肯定と受け取るが……」
と、ヘヴィルの婆に<導想魔手>が握る月狼環ノ槍を差し向ける。
肩のヴェニューも棒を差し向けていた。
「シュウヤ兄のいうことを聞け、婆! あの世の神秘を味わうぞ」
そう語るヴェニューちゃん。
不思議な子だ。
そして、棒の先端から小さい魔力の波が発生しているが、効果があるのか謎だ。
すると、そんなヴェニューの声に反応したわけじゃないと思うが、月狼環ノ槍の穂先、大刀の九環刀の金属環たちが、嗤うように音を立て狼たちの幻影が宙を彷徨った。
「――ひぃぃ、わ、分かったから、戦いません。これを全部、差し上げますので、命だけはお助けを……」
ヘヴィルだけでなく、天井に突き刺さる形の銀鼠男とオフィーリアも怯えた声を発していた。
んなことは構わず、
「んじゃ、銀鼠男さん。えーと、名前はトラさんだっけ」
「は、はい。うあぁぁ」
と、俺が彼の身体を縛る<鎖>を操作して近くに運んだから悲鳴を上げていた。
その際、攻撃されたと思ったヘヴィル婆は気を失う。
「で、寅さん、いや、トラさん。この貝殻みたいなアイテムを欲しがっていたけど、どうする?」
「あぁぁぁ、欲しいです。黒髪の鬼いさん、いや、お兄さん!」
トラさんは、おにいさんと連呼していた。
その瞬間、一緒に移動してきたオフィーリアが俺を強く睨む。
<鎖>で縛った体からセルリアンブルーの魔力が溢れていた。
だが、俺の<鎖>を解くことは不可能だろう。
身体が液体とかに変身できるなら脱することは可能。
普通の生命体は不可能なはず。
いや、断定しては、だめだ。
用心に、こしたことはない。
恒久スキル<破邪霊樹ノ尾>ではなく<邪王の樹>を意識。
オフィーリアを囲む<鎖>の上に邪界ヘルローネ製の樹木を付け足していった。
「ええ!?」
オフィーリアから可愛い驚いた声が上がる。
おっぱいの部分を強調するように固めた効果ではないだろう。
「鬼おっぱいさん……」
鼠男がそう呟く。
「何か、一言多い気がするが……」
「い、いえ、ソレイユの涙をお願いします。そのゴールデンイエローの貝殻です」
さて、どうするか。
とりあえず、目的のオフィーリアの確保は成功した。
だから、一通りトラさんが望むアイテムを回収して、ヘルメと合流かな。
ヘヴィル商会の店の奥から魔素の気配を感じる。
仲間がぞろぞろと集まってきたら厄介だ。
と、考えながら肩で動いているヴェニューに視線を向ける。
棒を揮って萎んだ鯛を攻撃していた小さいヴェニューの姿があった。
俺の視線に気付くと、蒼い片方の目を瞑ってウィンクを繰り出してきた。
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